Neetel Inside 文芸新都
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第4話 すずねといつか

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第4話 すずねといつか

 波動なんて言葉、わたしの辞書にはなかった。
「なに、それ?」
「……知らないならいいの」
 やっぱり普通の言葉じゃないんだ、といつかちゃんが小さくつぶやいた。わたしは、ここで話を終わらせちゃいけない気がした。
「は、波動って言葉、辞書にのってるのかな? それなら今日帰って調べてみる! もしのってたら、明日学校か公園で教えてあげるから!」
「……そういえば、辞書で調べたこと、ないかも――」
「ないんだ! よかった! 調べるね!」
 わたしは心の中で踊った。本当によかった。わたしがいつかちゃんのために役立つことがあるんだ。
 大きな声を出したからか、隣の部屋の襖がガタガタ、と揺れた気がした。

 明日教えるって言ったのに、いつかちゃんの姿はなぜか学校にも公園にもなくて、話せないまま秋の遠足の日を迎えてしまった。わたしはさっきかなえちゃんと交換したチョコ棒と、母親の持たせてくれた豆を交互に食べながら、別のクラスにいるはずのいつかちゃんの姿を探し歩いていた。
 おかっぱおかっぱおかっぱおかっぱおかっぱおかっぱおかっぱおかっぱおかっぱおかっぱおかっぱおかっぱおかっぱ──。いた! いたけど、でも、おかっぱじゃない。
 ようやく見つけたいつかちゃんはおかっぱじゃなかった。短い前髪を両サイドに分けて、黒い髪留めで額が見えるようにしていた。わたしはどうやらいつかちゃんのことをおかっぱで認識していたらしい。もしかしたら学校ではおかっぱではないのかも。今までいつかちゃんを学校で見つけられなかったのはそのせいだったのだろうか。遠くから見ていると、公園の時とは別人のように表情が明るい。友達? とベンチに座って楽しそうに話してもいる。髪型が違うと性格まで変わってしまうのだろうか?
「いつかちゃん!」
 声をかけると、いつかちゃんは私の方を見上げた。近くで顔を見た瞬間、いつもより口角が上がっているいつかちゃんが髪型も相まってなんだか可愛く見えてしまったので、ついまごまごしてしまった。
「あ――すずねちゃん」
「う、ご、ご歓談中失礼!」
「……ごかんだん?」
「あ、と、これは、パパの観てたドラマのセリフで……そんなのはいいんだけど、ちょっと今いい?」
「……ちょっと違う場所で描いてくるね!」
 いつかちゃんは同じグループの人達にそう声をかけて、写生セットと不思議な柄の水筒を首にかけて立ち上がった。
「うん、いってらー」
「時間までには戻ってね」
 いつかちゃんは頷いて、わたしの後ろをついてきてくれた。

「いやー、探したよー。見つからなくて焦ったー。学校と公園とじゃ全然違うんだもんね」
「……別に隠してるわけじゃないんだけど。学校では“こうして”いたほうが色々都合がいいの」
「いいんじゃない? どっちもいつかちゃんだもんね」
 そう言いながら、わたしはどちらかといえば公園とか家でのいつかちゃんのほうが好きなので、いつかちゃんの今の姿が彼女的に偽物だということがわかって嬉しいと思っていた。本当のいつかちゃんは“あの”いつかちゃんであってほしかったのだ。ファンとして。それでいて、個性的な水筒は肌身離さず持っているその姿勢が、完全には屈服しないぞ、という気持ちを表している感じがして、また惚れ直しそうになる。
 それにしても、わたしは女の子が好きなのだろうか。もちろん、映画に出てくるイケメン俳優も好きだし、テレビで踊り狂う男性アイドルグループだって観てるとテンションが上がる。だけど、いつかちゃんを見ている時の気持ちは、その時とはまた違う。これはなんだろう。女なのに女を好きになるというのは、あり方としてどうなんだろう。さっぱりわからなかった。そもそも、これはどういう好き?
「ところで――用事は?」
「あ、そうだ、しまった。波動!」
「……波動」
「波動の意味調べたんだ! いい? この紙に書いてあるからあとで読んで!」
 わたしはリュックサックのサイドポケットから取り出した折ったメモ用紙をいつかちゃんの手に押し込むように置いた。その手は暖かくて柔らかかった。
 いつかちゃんはてのひらのメモ用紙をぎゅっと握って、スカートのポケットにしまった。
「……ありがとう。ぜったい読む」
「読んでね! あっ、わたしもう戻んなきゃ! じゃね!」
 そう言ってわたしは一目散に駆け出した。暖かかった。柔らかかった。笑顔だった。どうしてこんな気持ちになるんだろう。もうこれ以上二人きりではいられないような気分だった。

       

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