Neetel Inside 文芸新都
表紙

電世海
12:Ordinary

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都市のデバッグ作業を終えた翌朝。
沢口は重い足取りで学校に向かっていた。
体が重いせいか、目の前の風景も心なしか暗い。今日が曇っているのは自分のせいなんじゃないかと自虐的な気分になってしまう。
そんなことはありえないのだが。
こんなにだるいのは何故だろう。考えるとすぐに結論がはじき出される。
―――昨日電脳世界で放ったあの【必殺技】が悪かったんじゃないだろうか。
あれは実は彼の寿命を数値化してその何年分かを凝縮して放ったものなんじゃないだろうか。

疲れていると顔に似合わずネガティブになる沢口はそんなことを考えて表情を曇らせる。

―――そんなはずない。
必死に頭を振って、余計なイメージを振り払う。
そう、そんなことが起こるはずがない。
だが、起こるはずがないといえば、昨日彼の手から放たれた光も、起こるはずのないことだった。

「……まあ、考えてもわかんねーもんはわかんねーよな」

自分を納得させるために、大きく2回頷いた。
駅の改札をくぐろうとしたところでなぜか家の鍵を取り出してしまい、慌てて定期券に取り替える。
気づくのが若干遅れて焦ったのか、沢口は鍵を落としてしまい、人の流れを若干せき止めてしまった。後ろのOLと思しき女性が、一瞬眉を顰める。
沢口は軽く会釈して足下に転がった鍵を拾い、それから定期を改札に読み込ませ、階段を上っていった。
駅のホームには、沢口よりも少しだけ早く家を出ている雛がいた。
沢口の姿を認めると、いつものように少しだけ笑う。

「おはよ」
「おう」

それからすぐにいつも乗っている快速電車がホームに入ってくる。
どこか退屈な、いつも通りの日常だ。それに少しだけ沢口は安心する。
体のだるさは取れていないが、不安は紛れた。

「もうすぐ、夏休みだね」
「あー…そうだな」

今年はあんまり楽しみじゃないよね。高校三年生の雛は素直にそんなことを言う。

「ピィって受験すんの?」
「…わからない。でも、センター試験は受けると思う」

彼女がグループ系列の研究室に行くかもしれないという話は、沢口も前々から聞いていた。
今の質問は、進路に対して雛の意思が固まったのかどうかの確認だった。
雛が今暫定的に決まっている進路に対して複雑な感情を抱いていることに気づいている沢口は、そこで話を切り上げた。

「俺もどうすっかな」
「進学…しないの?」

雛は雛で、沢口が電子工学を好んでいることを知っていた。しかし、その道で生きていくために、ドールと話ができないことは致命的と言える。
ドールが一般に普及し始めたのは7年ほど前だった。雛は母の影響でもう少し前からドールに触れており、そのドールを沢口にも見せたことがあった。
その頃は雛がドールのマスターだったので、沢口の命令が届かないことにはまったく気がつかなかった。雛のドールに魅せられた沢口がその一年後にドールを手に入れた。

そのドールは、沢口の言うことをまるっきり聞こうとしなかった。
ドールを製作したメーカーに問い合わせて、何度もパッチを当てたり、そのドールを見てもらうためにメーカーに送ったりもした。だが問題は結局わからず、今に至る。

それでも沢口はドールのことを諦めず、こうして電子工学を学ぶ学校を選んでいる。
たとえ言うことを聞いてくれなくても、ドールを作るのが好きなのだと彼は言う。
だから雛は、沢口は迷わず大学進学を選び、電子工学の勉強を続けるのだと思っていたし、一年くらい前までは確かにそんな話もしていた。

雛の問いに、沢口はポツリと「わかんねえ」とだけ答えた。

不意に電車がブレーキをかけ、つり革につかまっていなかった雛と沢口もよろけ、中途半端に混んでいる車内の数人がぐらりと揺らいだ。

沢口はすぐに持ち直したが、雛は立っている体勢が悪かったのか、正面に立っていた沢口の胸あたりにぶつかってようやく止まった。沢口は咄嗟に手を伸ばし、雛の背中を支えてやる。

「大丈夫かよ、ピィ」
「…うん。ごめん」

すぐに沢口から離れた雛の顔が、少し赤かったことを沢口は気づいていない。
その後はお互い話を変え、いつものような他愛のない話をしているうちに、電車は永泉駅に着いていた。



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沢口たちが駅を出て歩いていると、見覚えのある後姿を発見した。
金髪に細長いシルエット。セスだ。

「セスー」

背後から沢口が声を掛けると、彼は気だるそうに振り返る。セスは低血圧らしく朝は基本的に機嫌が悪い。

「おはよう、セス君」
「おーす。いつも朝は見事なまでに仏頂面だなセス」
「ああ。…おはよう」

沢口の軽口にも、セスは朝はツッコむ元気がないらしく完全にスルーだ。
その後も基本的に沈黙しているセスは置いておいて、沢口と雛が話をしていた。

学校に近くなってきたところでだいぶ目が覚めたのか、思い出したかのようにセスが口を開く。

「…そうだ。今日は放課後残ってほしいんだが」
「反省会?」

雛の言葉にセスは軽く首を振る。

「昨日坂崎さんに送ってもらった映像を解析しようと思ってる」
「真澄ちゃんから?…ああ、コウがどうとかいう…」
「………」

忘れていたことを思い出し、沢口は思わず黙ってしまう。
セスはいつもより低いトーンで会話をつなげる。

「…昨日は『仕事』の後処理があったから、俺も見ることはできていないから放課後に」
「わかった」
「………おう」

校門をくぐり、上履きに履き替えて教室に向かう。
沢口は、どこかひとつひとつの動作が『いつも通り』だと確かめていることに気づいた。
この不安感には覚えがあった。

最初に所有したドールが、命令を聞いてくれなかったあの日から、
次のドールを起動するときにいつも感じている、あの不安感―――。



―――自分は『普通』じゃないのかもしれない。
―――自分は『人間』じゃないのかもしれない。



左の掌にさりげなく視線を遣る。なんの変哲もない、普通の掌だと、沢口は思う。
でも、他の人から見た自分が、自分が見ている自分の姿に見えていないのかもしれない。
そう思うと少し怖かった。

「……………」
「…コウ?」

教室まであと少しのところで立ち止まってしまった沢口を、雛が振り返る。
彼女はきっと沢口に嘘はつかない。
沢口がどこかおかしかったら、彼女ならきっと指摘してくれる。行き過ぎていたら叱ってくれる。

「………ピィ、今日俺寝癖ついてない?」

雛はじっと沢口の顔を見て、それから首を横に振った。



「今日は大丈夫。いつも通りだよ」

     



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「ピーナちゃんっ!セス君が第8取ったってー…アレ?コーちゃんは?」
「…トイレ…って言ってたけど。…10分くらい前の話なんだよね」

放課後。ルミナが沢口と雛を迎えに来た。だが、肝心の沢口はいない。
チャイムが鳴ると同時に雛にトイレに行くと言って、それから帰ってきていなかった。
実際の沢口はもっと直接的な単語を雛に告げていたのだが、さすがに雛はそのままは伝えない。

「…メール送っておく。先いこ、ルミナ」
「あ、じゃあ私が送っておくよ!今ちょーど携帯手に持ってるし」

そう言ってルミナは左手に握っている携帯電話を掲げる。雛は一瞬だけ間を置いて、「じゃあ、お願い」と頷いた。

連絡役を雛に任せないのは、ルミナなりの沢口への好意の表れだ。
彼女はストレートに沢口を慕っているから、それは雛も、そして恐らくはセスも彼女の気持ちには気がついている。
沢口は鈍いというほどではないが、異性への興味よりも関心が自分自身のことやドールへ行ってしまっていて、深く考えていない節があり、おそらくルミナの気持ちには気づいていない。

それでも真っ直ぐ好意を示し続けるルミナは、素直なのだろう。雛はそう思う。

雛自身、沢口は特別だと思っている。しかし、それが恋かといわれれば、素直に頷くことができない。それは今までずっと一番近くにいたせいで、素直に認めることができないだけかもしれない。
でもそれ以上に雛にとっての沢口は、家族のように傍にいるのが当然の人間になっていた。
積み重ねてきた日々は、一朝一夕で覆されるものではないような気がしている。
だからそれを、周囲の女子や男子の幼い恋と一緒くたにしてしまうのが雛は少しイヤだった。
恋というよりはきっと親愛に近い。
はっきり言って全然まるっきり想像できないが、沢口がいつか誰かと恋に落ちて、雛から離れていく。
その日はきっと来るだろう。そしてそれが明日や、近い未来のことであったとしたら。
それは確かに嫌だ。とても嫌だ。
それが恋だというのなら、雛は沢口に恋をしているのだろう。
でも、雛は少し違う気がしていた。雛が素直ではないだけかもしれないが。

指先を器用に動かして、ルミナは沢口にメールを打っている。
ルミナのメールは女子高生らしく絵文字が多く、華やかだ。
目的を果たしたルミナは携帯を閉じ、雛に向き直った。

「終わった!行こっか、ピナちゃん」
「…うん」

鞄を持って立ち上がり、出口へ向かう雛の背に、ルミナは申し訳なさそうに小さく手を合わせた。



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雛とルミナが第8電算室に入ると、セスが視線だけで迎える。彼はモニタで昨日の映像を見ているところだった。
授業で使う第5までの電算室と違い、第6からは各「チーム」が個々人で使用できるPCルームになっている。ただし、学校が責任を負えないため、仮想空間を広げることは原則禁止されている。ただし卒制提出間際は例外で、教師が学校に常駐し、夜通しでテストを行うこともあるのだが。
各チームにひとつ、というわけにはいかないので競争があるのだが、空屋では仮想空間を広げることができるため、本当にドールのテストをしたい場合はそちらに行ってしまうことが多い。そのため、さほど電算室の競争率は高くないのだった。

モニタ上の映像の隣を、色々な解析データが流れていく。シャティが後ろで映像内の情報のデバッグを行っているのだろう。

「…コウは、トイレだって」
「………そうか」

モニタの傍に持ってきた椅子に掛けながら雛がそう告げると、セスはさほど反応せずに軽く頷いた。
雛に倣い、ルミナも椅子を引っ張ってきてモニタの傍に座る。
映像は金髪のウィルスに襲い掛かられた沢口が、両腕を突き出して、その掌に光が集まった瞬間で止まった。

「あ」
「…ここからは当人がいないことにはな」

セスは椅子から立ち上がり、「すぐ戻る」と言い残し、電算室を後にした。

「………セス君どこのトイレかわかるのかな」

ルミナの素朴な疑問に、雛が吹き出した。

「そだね」



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主に三年生の前半クラスが使用する男子トイレの個室。
沢口は用を足すわけでもなく、ただ個室に篭もっていた。
ここに篭もっていても何の解決にもならないし、いつかきっと事実を知ることになるのだろう。
そこまで怖いのかと訊かれればそうでもない。
では何故ここに篭もっているのかと訊かれたときの返答は、

―――何となく、心の準備ができていない。

多分、それだけだ。

軽く深呼吸したところで、トイレの入り口のドアが開く音がして、足音が個室に近づいてくる。沢口は足音の主が誰だかわかっていた。

「コウ」

やはりセスの声だ。沢口を呼びにきたのだろう。

「………もーちょっと待ってくれよ。うんこしてんだよ」
「どんだけ長いのひり出すつもりだお前は」

セスから微妙なところでツッコまれた沢口は、思わず笑ってしまった。
だが、セスが次に繋いだ言葉は、もう軽口ではなかった。

「…コウ。この世の中には言葉や数式で説明できないことがある」
「………」
「でもそれは、その事象の裏側を知らないからだと俺は思ってる」

知れば、説明できることかもしれないってことだ。セスは静かに喋る。

「知ることは時に怖いことだ。知らなくていいことかもしれない」
「………」

「お前が知りたくないのなら、それもいいだろう。俺も深くは気にしないことにする」
「いや、俺は…!」

セスが踵を返し、出入り口へ向かう気配がした。沢口は慌てて個室のドアを開いて外に出る。
セスは外に開いたドアを避けて、後ろに下がっていただけだった。

「まあ、知りたくないわけではない、と」
「…そりゃ、そうだ」

沢口の返答に、ひとつセスが頷く。

「少なくともお前はひとりではない。お前のために悩んだり考えたりしてくれる連中がいるってことは忘れるな」
「………」

「言い換えると、他人の時間を無駄にするなと、俺はそういいたいわけだが」
「………さすがセス先生ッス」

セスは笑んだ。顔の造形はまだ青年になりかけている少年のものだったが、表情は大人のものだった。

「何か、お前の存在には秘密があるんだよ。特別なものかもしれないし、そうでもないかもしれない。でも、一連のことを見ている俺には、お前に非があるとは思えない」
「………そうか?」

沢口には、どうしてもその確信が持てていない。
セスは、この不可解な事象を解き明かしたいという知的好奇心以上に、沢口を助けてやりたいと思っている。
それが、自分なりの友情なのだと思う。



「だから、証明してやろうぜ。お前が『普通』の人間だってさ」


       

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