Neetel Inside 文芸新都
表紙

電世海
28:Cecil-01

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世間は彼を天才と呼び、称えた。
その裏で回ってくる「仕事」は、彼の良心に悖るものだった。
自分のことを知らない世界へ。
そう思い、彼は故国を出た。

ただ、世界はもう幾重にも重なるネットワークで繋がっていた。
逃げるようにして転がり込んできたこの国も、彼のことを知っていた。

セシル・アシュレイ、18歳。
3歳の頃からイギリスで天才少年と呼ばれていた彼は、16歳でK大に入学した数ヵ月後に失踪し、日本へ来た。
すぐに世間に行方は知れてしまったものの、今はそれなりに平穏に暮らしている。
彼の来歴を哀れんでのことかもしれないし、年を重ね、『天才少年』としての価値が失われてきたからかもしれない。
どちらにしろ、セスは静かなこの暮らしが気に入っていた。
「日本の高校生」でいるのも悪くない。

セスには家族がなかった。
正確には父親は健在であるのだが、行方が分からなかった。
どこかの企業に幽閉されているとの噂もあったが、セスは父を探そうとは思わなかった。
父は、母を、姉を、妹を、救えなかった。
それはセス自身も同じだ。

『光の洪水』―――彼の国ではそれを『フラッシュ・フラッド』と呼ぶ―――がくるちょうど一年ほど前に、セスは家族を失った。



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11年前。セスは私立の全寮制のプレパラトリースクール(初等教育の学校)に通っていた。
気だるい午後の授業を、いつものように真面目に聞いていたセスのいる教室に、事務員の男性が駆け込んできた。
教室の全員の視線を集めているのも構わず、彼は慌しくセスに駆け寄り、家が大変なのだと告げた。
彼の話は取り留めなく、ただひたすらに急を告げていたが、それがなおのことセスに家の大事を感じさせた。
セスは即座に生家へと出立し、3時間の往路、幾度となく家族に電話をかけた。
しかし電話は誰にも繋がらず、連なる呼び出し音はもどかしさだけを募らせていく。

そして、生家へ帰る列車に乗るために立ち寄った都市の街頭テレビに、自分の家が映っているのをセスは見た。

全身を、映画の中でしか見たことがないような防護服で身を固めた人間が、セスの家へ入っていく。
興奮して状況を伝えているレポーターも、生家へと入っていった人間―――おそらくレスキュー隊だったのだろう―――と同じく全身を防護服で覆っていた。
呆然としているセスの耳には、話の断片だけが届く。

アシュレイ博士が自宅でもある特別研究施設で研究していた隕石から、突然多量の放射線が―――
アシュレイ博士の行方、生死は不明―――
風邪で学校を休んでいた二名の息女の行方も、わかっていない―――

あとはただ、絶望がセスを襲った。
それでも、早く母の、姉の、妹のところに行きたくて、セスは列車に飛び乗った。
―――状況は、最悪だった。



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なんとか慣れ親しんだ駅に着いたものの、すでに故郷には戒厳令が敷かれていて、セスはそれ以上生家に近づくことができなかった。
放射線を浴びる可能性が高いのだから、それも仕方がないといえば仕方がないのだが、家族の安否のことを考えるセスは気が気でない。
喚いて、泣いて、暴れた。
何も変わりはしなかった。
セスは知っていた。
自分が喚いたところで、現実は変わらない。
それでも、大声を出して何も聞こえないふりをしたかった。
その日も、その次の日も幾日も、セスは家の傍に行くことはできなかった。

色濃い絶望だけが彼の足下に転がっていた。

致死量は7Svと言われる放射線。生家はそれをはるかに超える32Svの放射線で満ちていた。
数日にわたり続けられた生家の捜索は、強度の放射線によって崩れ落ちた母と、姉と、妹の骨の欠片の発見で打ち切られ、周囲に住んでいた住民たちは皆他所に移り住み、セスの故郷はゴーストタウンと化した―――。



結局セスは18歳になった今なお、家に帰ることができていない。
発見された家族の欠片さえ、放射線の影響があると、厳重にコーティングされた箱の内部をカメラで見ることができただけだった。
この欠片が母で、この欠片は恐らく姉で、こっちはきっと妹だとモニタ上で説明されたところで、もう悲しい気持ちなど起きなかった。
ただひたすらに口惜しくて、腹立たしくて、セスは口を真一文字に結んで黙っていた。
自分の生命が、生家を離れていたことで助かったことなど、どうでもよかった。
もう二度と家族と会えないというその事実だけが本物で、目の前のモニタに映る家族の欠片には真実味がなかった。
もしかしたらどこかで生きているかもしれない、とも思わなかった。
もう会えないことだけは、わかっていた。

父は、セス同様生家から離れていて無事であるはずだった。
しかし携帯電話に連絡を入れたものの一向に応答がなく、勤めている研究所に電話しても取り次いでもらえなかった。
一週間は電話をかけつづけたセスだったが、家族の欠片が見つかったあたりでもうどうでもよくなってしまった。
きっと今、父の顔を見てもつらいと思うだけだろう。セスはそう思った。
そうこうしているうちに、11年もの月日が過ぎた。
死んでしまったという噂も聞いたし、どこかで生きているという噂も聞いた。
生きているならそれでいい。セスは今もそれ以上を求めていない。

セスには金銭以外のものは何も残らなかった。



その後しばらくはマスメディアに晒され、
奇異の目で見られ、
不要な憐憫のまなざしを向けられ、
根拠のない、気休めにもならない慰めを言われ、
謂れのない罵倒も受けたし、
故郷を追われた人々から、相応の憤怒の感情を当てられた。
心に空洞を空けたセスは、数週間の後、学校に戻った。学校でも状況は変わらなかったが、周囲がセスと一歩距離を置いたのは感じられた。
距離を置かれるほうが、近寄ってこられるよりも対処は楽だった。

セスの生家の隕石事故からちょうど一年後に、『フラッシュ・フラッド』が来て世間は騒然としていたが、セスは何とも思わなかった。
むしろ、死ねなくて残念だ と思っていた。



それからセスは普通の生活を送るよう努め、環境を変えようと、学年を飛ばしていった。

世間はセスを天才少年と称えていたが、誰しもがそうであるわけではない。
往々にして教師はセスの味方をしてくれたが、そのせいで他の生徒との溝ができてしまうこともあった。他にもセスを快く思わない人間はたくさんいて、学年を飛ばすごとに普段の生活で折り合いをつけにくくなってきていた。

シニアスクール最高学年で出会ったクラスメイトたちは、セスにたいして好意的だった。居心地良く感じたセスは、一年一年を彼らと過ごすことに決めた。
まだ上にいけたのかもしれないが、セスにとって大切なのは向学心よりも、周囲の環境だった。
そして、3年を彼らと過ごし、16歳で大学に入学したセスだったが、その頃から、セスに『仕事』が入るようになっていた。
最初は『仕事』の質も良く、人のためになるならとセスは『仕事』をこなしてきたのだが、『仕事』は次第に他人の邪魔をするようなことや、陥れるようなことに変化しつつあった。
人間の汚い面ばかり見せられることになったセスは少しだけ病んで、何かを諦めた。
そしてセスは、絶え間なく来る『仕事』を拒否するようになった。

勿論依頼してくる人間は諦めたわけではなく、毎日のようにセスにメールを飛ばし、或いはキャンパスまで出かけていってセスに仕事をするよう頼んできた。
犯罪に抵触するようなことであまり表沙汰にはできない依頼の場合は、一日数十件にも上るメールとなってセスに届けられた。
ストーカーやパパラッチに追われているような毎日の生活に疲弊、辟易したセスは、気に入っていた今の生活を仕方なく諦めることにした。

大学に入学してから約2ヵ月後の、10月下旬の夜。セスは大学に休学届を提出し、友人たちに何も言わず失踪した。
友人たちを信じていないわけではなかったが、セスの行方が知られる可能性を少しでも減らしたかったのと、彼らに迷惑をかけないようにしたいという思いからだった。
行き先はどこでも良かった。
空港でぱっと目が行ったのが、TOKYO JAPANの文字列だった。文字列が短くて淡白そうに見えたのが理由かもしれない。
大学で一度講師に来た際に知り合った日本人の伝手で、セスはマンションを借り、電子工学の授業に力を入れている永泉学園に編入した。電子工学はセス自身の得意分野であるという以上に、生業に近いものになっていた。
大学に行っても良かったのだが、セスは同世代の人間ともう一度机を並べてみたいと思っていた。
―――どちらにしても日本人の黒髪の中で、金髪の自分は浮いてしまうだろう。
どうせ浮くのであれば、少しでも同年代の人間がどういう生活をしているのか横目ででもいいから見ていたい。『普通』の生活がわからなくなってしまったセスはそう思った。
そして編入試験を難なく合格し、失踪して2週間後にはセスは日本の高校生になっていた。



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―――セスが日本の高校1年生になって1ヶ月。
周囲の学力、精神年齢。セスは確かに浮いていた。日本の高校生が幼いわけではなく、セスが置かれていた環境の特殊性が強かったせいだろう。
だが、セスはさほど苦痛を感じなかった。遠巻きにセスを興味に満ちた目で見ているというのはどこでも変わらなかったからだ。周囲の人間の人種と、会話だけが少し変わっていた。
周囲から、素性が知られているような会話が聞こえてきた。ネットでも自分の居所は既に知られているようだった。
だが、『仕事』の依頼は途絶えた。セスにとってはそれが僥倖だった。
そして今、周囲の人間が同じ年齢でいて、セスをあまり特別扱いしないというこの現実は、セスにとって居心地がよかった。

日本に来てから2週間で覚えた日本語は、学校ではあまり使用する機会がなかった。
日本の高校の学期は4月始まりなため、半年以上を共に過ごした周囲は既に打ち解け、グループが出来上がっていて、他者や異物の侵入を拒んでいた。



その中で、一人だけグループの輪を外れている少年がいた。

輪を外れているといっても、クラスの連中と仲が悪いわけではない。むしろ仲は良いようだが、グループには入っていこうとしなかった。
彼は、いつも一人居残って、電算室でなにやらコーディングをしているようだった。
電算室でコーディングをしている割に、電子工学の授業の時には姿を見せないのを、セスは不思議に思っていた。
セスは、自分が関わっても彼にとって益はないだろうと思い、干渉するようなことはしなかった。
それが、ある日。

考査が終わった12月中旬のこと。昼休みが終わり、午後の授業の開始を待っているセスの許に、彼がやってきた。

「えーと…セシル?アシュレイ?どっちで呼んだらいい?」
「…………」

いきなり話しかけられたことに驚いたセスは、咄嗟に言葉を返すことができなかった。
セスの沈黙をどう取ったのか、彼はセスの返事を待たずに自分の言葉を繋げていく。

「あのさ、俺おまえに頼みたいことがあるんだけどさ……」

頼みたいこと、といわれ、セスは咄嗟に『仕事』のことを思い出してしまった。
―――そんなわけはない。
目の前の普通の高校生にしか見えないこの少年が、『仕事』の依頼をするわけがない。

「…内容による」

依頼が来るわけがないと思いつつ、眉を顰めつつ警戒した返答をしてしまった自分をセスは嫌悪した。
だが彼はセスの自己嫌悪には気づかず、やや表情を明るくさせた。

「えっとさ、ドールのコーディング……」
「…コーディング?」

予想もつかなかった返答が来て戸惑ったセスが反復すると、彼は自分の話の内容が咎められるものだったか、それとも発音が悪いのだろうかと迷ったのか、言葉を止めてしまった。
コーディングがどうかしたのか、セスが問い直すと、彼は先ほどよりもやや控えめに続きを口にした。

「いや、あの、コーディング教えて欲しいんだけどよ」
「……………」

予想外の言葉にセスは面食らう。一ヶ月、教室で話しかけられることなどあまりなかったセスは、避けられこそすれ頼られることがあるとは思いもしなかったのである。
やがて、セスの沈黙を拒否と取った彼は、逆ギレしだした。

「ていうかお前頭いーんだろ!ちょっとくらい教えてくれたっていーじゃねーか!」
「………いや、誰もダメとは言っていない…」

逆ギレされてからようやくセスは口を開くことができた。
止まっていた思考回路がようやく動き出す。

「へ?」

構わない、とセスが返すと、彼はくしゃっと顔を崩して「やった!!」と笑った。
久々に見た邪気の欠片もない笑みに、セスも自然と表情を緩めていた。
表情がころころ変わる奴だ、とセスは改めて彼に興味を持った。

「サンキュー… で、どっちで呼べばいいんだっけ」
「…セスでいい、沢口」

アレ、俺の名前知ってたの、と彼、沢口は間の抜けた顔をする。
確かに話はしなかったのだが、1ヵ月も同じクラスにいた彼を、セスは自然と覚えていた。
クラスで目立つほうでも地味なほうでもない沢口は、どこか不思議な存在感を持っていた。

「俺もコウでいいぜ、セス」
「わかった」

こうして日本で最初にできたセスの友人は、ドールと会話のできない男だった。



       

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