Neetel Inside 文芸新都
表紙

電世海
03:Doll-02

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優れている点であれば、他人と違うということはまだ許せた。
劣っている点であれば、他人と違うということはただの苦痛だった。



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「ちがっ、そっちじゃねえって!ああもう、言うこと聞けぇ!!」

一面の白い世界を駆け抜ける、獅子の姿を模したドールの背に、沢口の声が被さる。
だが獅子にその声は届かず、その背は小さくなっていく。
沢口の隣に控えていたセスは、獅子が彼らの視界から遠く離れた時点で軽く息をつき、「ダメだな。諦めろ」と呟いた。
なおも獅子から視線を外さず、声を張り上げている沢口を他所に、セスは自身のドールを呼んだ。

「シャティ。『彼』を止めてくれ」

セスの声はコード化され、それから空間が歪んだ。
歪みの中から現れたのは、長い紫色の髪、赤い双眸の美しい女性を模したドール、『シャティ』。
白衣を翻した彼女は穏やかに微笑んで、セスの命令を受諾した。

『了解、マスター』

瞬時にセスの前から姿を消したシャティは、次の瞬間には獅子の傍に降り立つ。
視界に突如現れたシャティに、獅子は吼えた。

『コウさんのドールさん。おイタはダメよ』

シャティが長く咆哮する獅子に白い指先を向けると、緑色のコードが外側から獅子に干渉する。
5秒ほど獅子は身悶えていたが、やがて音を立てて地面に崩れ落ちた。

『…やっぱり、バグはなさそうなのにね』

停止コードを投げた際、獅子の一通りのプログラムを覗いたシャティは首を傾げた。
シャティにとっても、これで十数回めにもなる作業だが、往々にして、沢口のドールの構造に不備があるわけではない。
それなのに、『彼ら』は沢口の『コマンド』が聞こえない。
ドールに欠陥があるわけではない。恐らくは、沢口の『欠陥』なのだ。
しかし、沢口の『欠陥』と言っても、人々は何か特別な力で、ドールへの命令を行っているわけではない。
ただ言葉を発すれば、それがドールへの『コマンド』になるのである。
沢口は喋れないわけではない。それなのに、彼の言葉は『コマンド』にならない。
キーボードからの命令でも同じだ。
ドールの基礎パッケージを販売している会社に問い合わせても、原因はわからなかった。
ドールに不具合は認められないとの判断だけで、それ以上の対応はなかった。

病院にいけば判明する類のことでもないし、そもそも沢口はいたって健康だ。
そして、病院に行こうとしても何科にも分類できない。

『………不思議ね』

沢口のドールを回収したシャティはそう呟いて、セスの許に戻るべく空間を捻じまげた。


シャティがセスのいる場所へと帰還すると、そこには膝を抱えていじけている沢口がいた。
停止させた獅子のドールを沢口の目の前に配置すると、沢口の曇っている表情がさらに曇った。
その隣には、腕を組んで黙っているセスがいる。
シャティの主人は、沢口を哀れむわけでもなく、怒っているわけでもなく、ただシャティと同様困惑の表情を浮かべていた。

「沢口、戻るぞ」
「………なんで…言うこと聞いてくんねーんだよ」

悲痛さを帯びている沢口の声に、セスは静かに「わからない」と返す。
セスは沢口の組んだプログラムの内容を確認していた。
特に問題もなく、その上セスや雛の助言を組んで作成したこのドールは、相当機能的に優れているはずだった。
沢口は、ドール等、仮想空間でのプログラムを扱う電子工学の成績は下のほうに位置する。
ただ、それはひとえに彼がドールとのコミュニケーションが取れないだけで、プログラミングの能力が劣っているからではなかった。
それなりの実力は持っているものの、コマンドを発せないことで、実技で点がひとつも取れないのだった。
沢口のプログラムの中身を確認しない教師を、横着しているだけだとセスは思う。
ただ、ひとつの例外を許すと面倒なことになるのだろう。
中間点を採点するには、複雑すぎる科目なのだ。

「コードは悪くなかった。書き方も、二年前とは見違えるほどきれいになってるしな」
「…でも言うこと聞かねえんじゃドールじゃねえんだよ」

彼らが一年だった頃に、沢口が教科担任から言われた言葉で、今は沢口の口癖だった。
それは正しくないとセスは思うが、沢口の言葉を否定はしなかった。
沢口の気持ちを正しく理解することはセスにはできない。
チームメイトである彼にできることは、沢口のドールのコーディングの確認。
起動実験に付き合うこと。
起動に失敗したドールを止めること。
それだけだった。

「なんで言うこと聞いてくんねーんだよ弁蔵…」
「………弁蔵?」

沢口の言葉にでてきた単語に、セスは眉を顰める。

「…コイツの名前だよ」

そう言って沢口は目の前に眠る、雄雄しい獅子を指差す。
…贔屓目に見ても、『弁蔵』という名前は似つかわしくないように思える。

「名前が気に入らなかったんじゃないのか」
「えー?ピィがつけたんだぜ、弁蔵」
「…………」
『…………』

セスとシャティは顔を合わせ、各々頭を振った。
沢口の幼馴染で、学年内でもトップクラスの成績を誇る雛。
彼女は成績優秀で、かつ容姿も整っている。
栗色の短い髪に、色の薄い茶色の双眸、適度に整ったプロポーション。
彼女を影ながら見ている男は少なくない。

そんな彼女にも、目に見えて欠けているものがひとつあった。
ネーミングセンスである。
飼っているドーベルマン二匹に、太郎と次郎と躊躇なくつけるあたり、雛のネーミングセンスはどこかおかしい。
雛の隣で17年育ってきた沢口は、それに気がついていないようだった。

「まあ、名前は原因にはならないがな…」
『………まあ、そうね』

渋い顔をしたセスが呟いて、シャティが苦笑いで同意した。

『さあ、時間よ。現実世界ではそろそろ21時になるわ』
「行くぞ沢口」
「おう。サンキュな、セス、シャティ」

そう言って立ち上がる沢口に、シャティは微笑んで返した。
シャティは先ほど移動したときのように空間を捻じまげて、出口を作り出した。

『またね、マスター、コウさん』
「ああ」
「じゃーなシャティ」

セスと沢口は出口に身を投じ、それを見届けたシャティは、出口を閉じた。
それからシャティはその身をコードに分解し、空間に溶けた。



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現実では3畳ほどしかない空間に広げた仮想空間。
それが、さきほどの空間の正体だ。

『空屋』では、漫画喫茶のように、お金を払い、時間単位で空間を借りることができる。
チューニングを行うと、現実空間の上に仮想空間が広がり、その空間を自由に使用できるのである。
空間の広さに一応限度はあるのだが、人間が歩いて端を見ることは不可能に近いほどの広さの仮想空間で、ドールが活動できるのは、この仮想空間の中でだけだ。

仮想空間の『内側』に入るのは『外側』からのチューニングで、これは人間にも行えるのだが、出口を作成し、『外側』に出るためにはドールの援助が不可欠となる。
ゆえに、ドールを扱えない沢口は、一人で仮想空間に入ることができない。
仮想空間とはいっても、閉じ込められ、人の無飲食の限界を超えると肉体が死んでしまうからだ。

仮想空間に閉じ込められた人間を救出するレスキュー隊も存在するが、まだ問題点も残っており、完全に頼れない状態だった。


空屋からの帰り道、沢口は前を歩くセスの背に声を掛ける。

「…悪いな、セス。毎回」
「…気にするな。お前には俺も世話になってる。お互い様だ」

振り返らずに発せられた、セスの言葉は静かだった。
沢口にはセスを世話した覚えなど微塵もなかったが、セスの言葉を嘘だとは思わなかった。




       

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