Neetel Inside 文芸新都
表紙

電世海
34:Electro Summer-04

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セスの左手にある古びた写真の中では、幼い姉妹があどけない微笑みを浮かべている。アッシュブロンドの髪に緑に近い青の双眸は、アシュレイ家の兄弟3人の特徴だった。髪の色、瞳の色は同じだったが、顔立ちはそれぞればらばらだった。父の顔立ちに近い長女、母によく似ている次女、父にも母にも似ている長男。
もっとも、生き残って成長した長男は、どちらかというと母に似てきた。長女と次女も、生きてさえいれば、顔立ちはきっと変わっていったのだろう。女性は特に、化粧をすればまた顔が変わるものだ。
彼は姉妹の成長後の姿を思い描こうとしたが、脳裏に浮かぶイメージは、シャティとキュア以外の姿にはならなかった。

これが、一枚だけセスの手元に残った、ただ一枚の家族の写真だ。一人で寮生活を送るセスに、母が事故の3ヶ月前に送ってきてくれたものだった。
父や母の写っている写真は所持していない。もっとも、二人とも名のある学者だったため、インターネットを検索すればすぐにふたりの画像を見ることができる。ただ、あることないこと書かれている記事も一緒に見ることになるだろうから、セスは敢えて二人の写真を探そうとしたことはない。
セスが両親を最後に見てから10年以上が経過しているため、顔や表情の印象だけが、かろうじておぼろげに残っている。
生きているはずの父親の存在さえ、セスにとっては非常に希薄なものだった。

――デイヴィド博士は、この国にいると、わたしは考えています

弓の言葉が何度も繰り返される。この一言は、セスの心の中の何かを探り当ててしまった。
あれからずっと、落ち着かないでいる。
会ったところで、何を話せばいいのかわからない。何のために会いたいのか、それさえわからない。それなのに、この事実は胸の奥にひどく重い何かを残している。
目を閉じたい。そう思った瞬間、手元の写真の笑顔が脳裏を掠めた。
……逃げるな、考えろ。セスは小さく母国語で呟いた。
あまり、考えないようにしていた。考えても答えが出ないことだと、最初から諦めていた。――否、違う。
諦めず、答えを求めつづけていれば、真相に近づくことくらいできたはずだ。それが、真相への道程のうち、たった数歩であったとしても。
それを最初から諦めたのは――怖かったからだ。

父がずっと、自分の前に姿を現さないのは、父が何か疚しいことをしたせいなのかもしれない。
あの事故は、父が手引きしたことにより起こったことなのかもしれない。
そうでなければ、どうして自分を探してくれないのか?見つけ出してくれないのか?
疑念と不安が、まとわりついて離れなかった。怖かった。

セスには、正しい判断を下せる材料を何一つもっていなかった。……三流ゴシップ記事以外は、何も。
信じたくなかったし、信じられはしなかったが、それらにも一通り目を通したのだ。常識的に考えれば、取るに足らない虚言・讒言を飾り立てて記事にしただけに思えた。しかし、それしか材料がないセスは、記事の内容が頭から離れなくなっていた。

事件の黒幕は、失踪中の電子工学の権威、デイヴィド・アシュレイ博士であると――。

もし、それが真実なら。セスにはしなければならないことがある。
母の、姉の、妹の命、そして多くの無関係なヒトの命さえ奪った父を探し出し、罪を償わせなければならない。
このまま何もせず、のうのうと事実を受け入れるだけではいけない。
セスはそれから逃げていた。

真実を追求し、父を見つけ出し、そして糾弾する。それが、怖かった。

しかし、父はセスのヒーローだ。10年以上姿を見なくても、その事実は変えられなかった。

考えることを諦めたのは、その事実に泥を塗りたくなかったからだ。いや、泥を塗りたくないという気持ちを認めたくなかった。父のことなどどうでもいいというフリをして、結局は自分の中での父のイメージを壊したくなかっただけなのだ。
そのことを、セスはようやく認める気になった。

――いつまでも、自分のことだけ考えてはいられない。

沢口。雛。ルミナ。
全力で手を貸したい友人に、自分の両手を貸すためには、事実と向き合わなければならない。真実を求めなければならない。
片手だけでは、もう足りない。

「姉さん、マリー……力を貸してくれ」

左手の写真の中のふたつの笑顔に向かって、セスはぽつりと呟いた。



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「沢口コウ、見ーつけた!」
「な……!?」

沢口とルミナは、二人とも自分の目を疑っていた。
突然現れた、宙に浮く『人間』。
彼らはドールが仮想空間を自由自在に動くのは見慣れている。しかし、ここは現実空間のはずだ。人間が宙に浮けるはずがない。

「コーちゃん……」

ルミナが、繋いでいる手を強く握る。それで我に返った沢口は、彼女を守るようにして背後にルミナを隠す。その挙動を見た月虹は、眉を顰めた。

「楽しそうだね、沢口コウ」
「気安く呼ぶんじゃねえよ、誰だお前」

至極当然の問いかけに『かれ』は笑った。

「ぼく?ぼくは『月虹』」
「ゲッコー……?……知らねえな。何でお前はおれのこと知ってんだよ」

月虹は肩を竦め、狂気に満ちた表情でもう一度笑む。

「『ヒナ』に聞いたから」

目の前の知らない人物が口にした名前は、聞き慣れた、探していた名前だった。

「……ピィがどこにいるか知ってるのか!?」
「知ってるよ」

沢口は、突然次々と告げられる事実に、思考の処理が追いつかない。思考は急げとせかす。しかし、目の前で起こる不可思議な現象に、思考がついていけない。
なぜ浮いている?
なぜ雛のことを知っている?
なぜ雛の行方を知っている?
ピタリと解答がはまり、沢口は叫んだ。

「てめえがピィを誘拐したのか!!」

突然解答を得た沢口に、月虹は一瞬驚いた顔をして、それからまた笑う。曖昧に首を振り、否定とも肯定ともとれない動作をする。

「答えろ!ピィはどこにいるんだ!」

いつの間にか沢口は、ルミナと繋いでいた手を離していた。恐れを忘れ、目の前で緩く笑みを浮かべる月虹を問いつめる。

「聞いてんのか、ピィを返せ!」

そのひとことに、月虹は笑みを消し、キッと沢口を見据えた。

「後ろの彼女がいるんだろ?きみにはヒナはもう必要ないだろ?」
「!?何バカなこと言ってやがる!必要ないわけねえだろ!!」
「バカなこと言ってるのはきみだろ!?じゃあどうしてヒナを探してないんだよ!どうしてヒナがいないのにヘラヘラ笑ってられるんだよ!」

月虹の表情は、さきほどまでのふざけた笑みとは違う、真剣なものに変わっていた。
沢口はやや月虹の言い分に怯んだが、不条理なことを言っているのは向こうも同じと思い直し、言い返す。

「っざけんな!ピィを誘拐しといて何言ってんだよ!」

わああああ、と少年が声を上げ、父親の足元に縋り付いた。通行人はほかにもいたが、悲鳴を上げて逃げ去る者もいれば、腰を抜かしたまま呆然としている者もいた。撮影か何かと勘違いしたのか、しきりにテレビカメラを探す人間もいた。しかし、もちろんそんなものは存在しない。
それほど目の前に広がる光景は異常であり、非日常に満ちていた。

月虹は、騒ぎ立てる通行人には目もくれず、ただひたすら沢口を凝視している。『かれ』は、目の前の風景が溶けそうなほど、怒りを覚えていた。
イメージとしては、彼がよく見ていたレトロなアニメの1シーン。目の中と背後に炎が燃えさかっているような。
月虹にとって沢口は、抽象的な敵でしかなかった。それが、後ろの少女と手を繋いでいた沢口は、具体的、絶対的な悪へと変わった。
雛が沢口を想っているのであれば、沢口も雛を想っていなければならない。
『一般的な考え方』など要らない。自分の考えにそぐわないものは、すべて間違っている。月虹の思考パターンは、非常にこどもじみていた。思考に迷いがない分、伴う感情も激しく強い。
沢口を許すつもりは毛頭なかった。

「ヒナは渡さない!」



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『ゲッコウ』は感情をあらわにして怒っている。そのことが逆に、突然起こった不可解な出来事にパニック状態だった沢口を冷静にさせた。
目の前に浮かぶ、人間かどうかもよくわからない『ゲッコウ』は、相当情緒不安定のようだ。沢口を見据える双眸は、ゆらゆらと揺れていた。

「ヒナは渡さない!悲しい思いなんて、させない!」

意味わかんねえ。沢口は正直そう思ったが、口には出さなかった。下手にかれの神経を逆撫でするのは、おそらく得策ではない。
背後にいるはずのルミナの存在を確認する。沢口からは、彼女の表情までは伺えないが、ルミナは確かにそこにいる。
ルミナは複雑な表情で、沢口の肩口から様子を窺っていた。
次々に起こる非現実な出来事に、彼女は暗闇を恐れることを忘れていた。

空中に浮かぶ少年とも少女ともつかない存在。
行方不明の雛。
浴衣を着て、夏祭りに行く自分。
沢口と手をつないだこと。

どれも現実感がない。本当のことに、思えない。しかし、ここは現実だ。
肉体があって、精神と肉体がつながっていて、物理的な接触が起こって…………。

――……え?

一瞬よぎった不思議な感覚に、ルミナは戸惑いを抑えきれず、その場に膝をついた。
何か、『いつもとは違う感覚』がする。

今日が、いつもとどこか違うからではない。
何が違う?
何も違わない。
ここは現実で、

「ルミ!大丈夫か!?」

すぐそばで、聞きなれた、大好きな人の声がする。


――でも、すきって、なに?


突然舞い降りてきた、とりとめのない疑問。
そんなことを考えている余裕などないはずなのに、思考は悠長に、頭の中にある考えを弾き出す。

感情は、心の反応。その時々によって変わる、定義できない脳の波長。
感情そのままの状態を、言葉、もとい記号や文字で正しく表すことはできない。
その中でも、ヒトをあいし、慈しもうとする感覚。それが、すきということ。


――じゃあ、なんで?
――どうして今、


それ以上考える余裕はなかった。
目の前を眩い光が走り、夜とは思えない明るさを呈す。『ゲッコウ』と名乗った人物が、掲げた右手に鋭利な刀剣型の光をかざしている。
あの光が、危険なものだということは瞬時にわかる。
直感というよりは論理的な思考。但し、通常の思惟でかかる反応速度よりもはるかに早い。
『ゲッコウ』の狙いが何なのか、それもルミナにはわかった。


沢口コウを、『消滅』させること。


「死ね!!」


――わたしは、


月島ルミナの思考回路は、そこで切断された。



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目を覚ます。
やや見慣れてきた、見覚えのなかったはずの部屋が見える。
体を起こすと、『かれ』がくる。何度か繰り返した行動と、その結果に対する考察。
監視されているのだろう。だから、このタイミングでいつも『かれ』は現れる。雛はそう思ってきた。
結果に対する慣れができていた。

しかし。
『結果』が返ってくるのが、早すぎる。
それは薄々感じていた。
だが、この、出入り口となる扉が存在しない部屋のことや、どこまでもいつまでも灰色の『外』の風景と同様に、雛は思考を極力放棄するようにしていた。

考えると、怖くなるからだ。
常識的に考えて、この部屋は、『あり得ない』。

この空間には、現実感がない。
しかし、ここはたぶん現実なのだ。
その事実を――考えると、とても、こわい。

瞼を閉じ、まどろんでいるふりをする。体を起こさない限り――起きていることを悟られない限り、『かれ』は現れない。それも、何度か試行を重ねて得た推論だ。

――今日は、『誘拐』されてから、何日目だろう。

寝息のように静かに呼吸しつつ、思惟を巡らせる。
時間の感覚があまりないため、数えていた日数もおぼろげだ。一週間は経っているように思う――。

これだけ不在にしていれば、大きな騒ぎになっているだろう。この状態がずっと続けば、いつかは死亡認定が出されてしまうかもしれない。

――わたしは、生きてるのに。

親しい誰にも気づかれず、認識されることなく、生きているのに死んだことにされてしまうのだろうか。
そう思うと、瞼が熱くなってきた。

――コウ。

彼はどうしているだろう。ルミナは。セスは。



「助けて、コウ――……」

小さく絞り出した祈り。誰にも届かないことはわかっていたが、祈らずにはいられなかった。


       

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