Neetel Inside 文芸新都
表紙

電世海
08:Closed City-02

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必死に酸素を求める口に、えもいわれぬ不快な感触がする。
ざらざらと口内に纏わりつくそれは―――女の髪だった。

―――!!

目を開ける。沢口の上にあるのは、降りかかってきたはずの天井ではなく、赤いワンピースを着た女だった。
沢口の口の中に入ってきていたのは、セミロングほどの金髪。
意識と現実を繋いだ沢口は、目を丸くして驚いていた。

「ナンデスカ!?」

口から不快な髪を取り払い、とりあえず沢口はカタコトで叫んでみた。
たしかに彼はおねーちゃんがいる空間なら云々と思っていたが、実際に出現されてしまうとただただ驚くばかりで何もできない。
女を乗せたまま沢口が身体を起こすと、崩れたはずの天井や、彼を精神的に圧迫していたはずの壁は既になく、無機質な誰もいないビル群が広がっていた。
これが、デバッグ対象の都市なのだろう。ようやく街らしい姿を見ることができた。

沢口に乗りかかっている女は動かない。
薄手の布地に包まれた肉体には、弾力はあれど―――体温がなかった。
体温がないといっても、恐らく死んでいるわけではない。
人間であれば、体温情報も仮想空間で持っている。それがないということは、彼女が『作り物』であることを示している。

―――ドールか?

作り物とは思えないやわらかいその肌に触れていて、だんだん変な気になってきた健康な沢口は、とりあえず彼女を自分の上から横に転がした。
仰向けになった『彼女』は目を伏せたまま、ピクリとも動かない。
長いまつげや眉は茶色く、髪の金色と合っていない。顔立ちも、金髪のわりに相当日本人系統だ。
ただ、すっきりとした無駄のないその貌の造形が、彼女が『作り物』だと知らしめる。

彼女に声を掛けてみようとしたところで、携帯電話が電波を受信する。今度こそバイブレータが振動を起こしていた。
着信はルミナからで、沢口が通話ボタンを押した途端、大音量のルミナの声が聞こえてくる。

「コーちゃん!コーちゃん!コー…あっ、繋がった!コーちゃんだいじょーぶ!?」
「おう なんとか… てかルミナ声でけーよ」

通話口のルミナは、だってだって!とまだまくし立てている。携帯を離していても声ははっきり聞こえるが、ルミナは走りながら喋っているのか、言葉が途切れ途切れになっている。

「だって、この街、すごいことになってて、 …きゃっ!!」

悲鳴と同時に、ルミナの背後で大きな音が聞こえた。

「ルミ!おい、大丈夫か!?」
「だいじょうぶ!だけど この街、ウィルスが、いっぱい、撒かれてて… だから!」

だから、誰かと早く合流し、
ルミナからの電話は、そこで切れた。
誰かと合流しろと、彼女はそういいたかったのだろう。そして、ルミナもどうやらセスと雛とはぐれてしまっているらしい。

アンテナ表示はふたたび圏外。
沢口の隣には目を瞑ったまま倒れている『作り物』。
ルミナの言にあった「ウィルスがいっぱい」。
四方を囲んでいた壁。

「……………………」

倒れている、どこか奇抜な女にもう一度目を遣る。
『作り物』の女。

「……………もしかしてコイツって人型のウィルス」

沢口がそう口走った途端、ビル群のいくつかが爆発を起こした。

「――――っ!!」

瞬時に粉塵に包まれる視界に、金と赤が交錯する。
塵が少し落ち着いたのを見計らって目を開けた沢口の周囲には、横に倒れているのとまったく同じ姿をした女性が複数現れていた。
やはり日本人じみた顔をしている金髪の女たちは、沢口を見て、口角を上げた。

「…事態悪化してね?」

沢口が自嘲の笑みを浮かべて呟いたところで、彼女たちは人間ではありえない跳躍を見せ、飛び掛ってきた。
彼女たちの目的はひとつ、沢口を『感染』させるつもりである。
仮想空間上のコンピュータウィルスは、人の精神を冒す。
基本、ドールがいればウィルスの脅威はない。ファイアウォールやアンチウィルス機能を持っている彼らは、既知のウィルスは寄せ付けない。
また、新型のウィルスを発見した場合は、メインバンクにアクセスし、ものの数秒でそのウィルスへの抵抗方法を見つけ出すことができる。
ドールがいれば。

何度も言うようだが、沢口はドールを扱えない。
つまり、無防備だ。

「コマンド・逃げる!!」

飛び掛ってくる女たちの間をかいくぐり、沢口は走り出した。
走りながら、端末を激しく振ってみる。圏外。
頭の上に掲げてみる。圏外。
祈りを捧げてみる。…効くわけがない。

「ピィ様セス様ルミナ様ー!誰でもいいから助けてー!!」

情けない声を上げつつビルの間を駆け抜けていく。
こんなとき、テレビで見た、コンピュータウィルスに冒された人間の末路を鮮明に思い出す。
ぼうっとあらぬところを見たまま、微動だにしない少女。ぶつぶつと虚空に向かって話しかけている少年。
治療方法はあるらしいが、人間として危険なことには変わりない。

狭い路地を避け、走っていた沢口の耳に、遠くで叫ぶ声が聞こえた。
先ほど天井が崩れ落ちてきたときに聞こえてきた声に似ている。

―――そういえば、天井どこいった?

逃げながらも、沢口はそんなことを考えている。
声が近づいてきた。声は、ルミナのものだった。

「コーちゃん!!コーちゃん、どこ!?」
「ルミ!!」

上がり始めた息を殺しながら、必死にルミナの名を呼ぶ。音は情けなくかすれてしまったが、それどころではない。
声が届けばそれでいいとなりふり構わず搾り出した叫びは、無事ルミナに届いたらしい。

「コーちゃん!?」

次に沢口を呼んだ声は、探している声色ではなかった。

気づいてもらえたことで安心したのか、沢口は歩道に躓き、前転で二回転半、顔面で動きを止めた挙句、ドスンと音を立てて派手にすっ転んだ。
一瞬で距離を詰めたウィルスプログラムたちが、沢口に飛び掛かる。
声を探り当てたルミナが曲がり角を折れた数メートル先で、沢口がウィルスプログラム5体に襲われていた。

「コーちゃん!!避けて!!」
「わああああああああああああああちょっと待てコノヤロウ、あっ、ちょっ、か●はめ波かめ●め波ー!!!!」

身体を起こすので精一杯だった沢口は、身を守ろうと必死に両腕を突き出し、再放送のアニメで見た必殺技の名前を叫んだ。
その瞬間。

ドンッ。

沢口の両手に一瞬にして光が集まり、その光は衝撃波となりウィルスプログラムたちを蹴散らした。



「………………」
「………………」



絶句したまま呆然と立ち尽くすルミナと、尻餅をついたままの沢口。
衝撃波はウィルスプログラムと、衝撃波に触れたビルの一部を消し去っていた。
二人の脳裏に、さきほどの衝撃波の光が焼きついている。
仮想空間とはいえ、自分の身体能力を超えることはできない。
腕など伸びない。時間は止められない。瞬間移動もできない。ビームが出せるわけがない。
なのに。



「………………マジデスカ」「………………マジデスカ」



きれいにハモった沢口とルミナの呟きが、静かになったビル群に吸い込まれていった。



「コウ!ルミナ君!無事か!?」

消し飛んだビルの向こうから、セスと雛が現れた。セスの後ろにはシャティが控えている。

「…まあ、無事っちゃあ、無事だ」

未だ座り込んだままの沢口は、両手を挙げて無事のサインを送る。不可思議な形の穴を開けたビルを横目に、セスは怪訝な表情を浮かべながら近づいてきた。

「…すごい音がしたが…無事で何よりだ」
「このビル、どうして一部が消えてるの?何があったの?」

同じく怪訝な顔をしている雛の問いに、沢口とルミナは顔を見合わせる。

「それは……か●はめ波…だよね」
「…か●はめ波…だよな」

沢口とルミナの不可解な会話に、今度はセスと雛が顔を見合わせた。



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「………それで、夢中で突き出した手から、衝撃波が発生した、と」
「いや、だからかめ●め波だって」
「かめ●め波だよセス君」

わりと真顔で訴える沢口とルミナの言を無視し、セスは顎に手を当てる。

「………考えがたいな。他になんらかの原因があったと考えるべきだろう」
「んだよセス!あれはぜってーかめは●波だって!ていうかお前かめは●波知ってんのかよ」

沢口の反撃にセスはむっとしたのか、知ってる、と返して、軽くかめはめ●のモーションをとった。

「………まあ、とりあえず考察は後にしよう。時間がない」
「とりあえず真澄ちゃんには延長一時間って言ってあるけど」

さすが雛君、仕事が早いな、とセスは雛に向かって微苦笑を浮かべる。
セスと雛に信じてもらえていない沢口とルミナは、多少不満な表情を浮かべていた。
特に沢口は不満を表情に相当出しているのだが、セスは涼しい顔でそれを受け流す。

「…思ったより荒いつくりのようだ。矛盾した空間の歪みを天井や壁で埋めている…たいした突貫工事だ」
「天井や壁」

沢口は30分強閉じ込められたあの空間を思い出す。
あれは誰かがバグを隠すために作り出したものらしい。そう思うと改めて腹が立ってくる。
素直に直せばいいものの、誤魔化そうとしたおかげで彼は殺されかけた。
沢口が、その空間の歪みに閉じ込められたと告げると、セスは器用なものだ、と逆に感心しているようだった。
器用も何も、褒められても何も嬉しくない。…褒められてもないのだが。

「…その空間の歪みに住み着いてしまったのが、あの女性型コンピュータウィルスのようだ。
 あいつらはあの歪みを食って生きているんだ」

崩れた天井、落ちてきた女。歪みを食って生きているウィルス。
危機に竦みっぱなしだった沢口は、危機から解き放たれると、今度は苛々しはじめた。

「あいつらぜってーゆるさねえ!殺されかけたんだぞこっちは!」
「…お前の怒りは請求書につけておく。とっととカタをつけよう」

感情が驚愕から怒りに切り替わった沢口は、大きく頷いた。
まだ腑に落ちない顔をしているルミナ、あまり表情に出さず考えている様子の雛も、続いて頷いた。



       

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