Neetel Inside 文芸新都
表紙

グレイスケイルデイズ
-04-

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「……ああ、多分、薬屋の婆さんだ」
 鱗道は欠伸を噛み殺しながら目頭を押さえた。ちゃぶ台に立つクロは体中の羽を膨らませて、普段よりも二回りほど大きく見える。結局、クロが外出している間も「鱗道堂」に客は来なかった。シロは店頭に大きな体を横倒しにしてすっかり眠りこけている。子供達の下校時間にならなければ目を覚ますまい。
 鱗道も居間で昼寝をむさぼっていた。クロが帰宅するまでは。小窓から飛び込んできたクロにそのまま激しく起こされて、神社での出来事を捲し立てられたのがたった今、終わったところである。
『ご存じの方ですか』
「商店街の隅の薬屋で……なんて名前だったか」
『ああ!!』
 キン! と頭に響いた大きな金属音に、鱗道は思わず耳を塞ぐ。クロは嘴を大きく開き、翼を何度もはためかせて、
『鱗道! それは! 今! 言わないで頂けますか! あのご婦人から直接聞きたいのですから!』
 声には切実さが溢れ出ている。クロが、鱗道も覚えている古い映画を見ているときに結末を口にしかけた時の悲鳴と全く同じものだ。勢いに面食らいながらも、ううんと唸ってから、
「まぁ……そんなに話したこともないし、はっきりと聞いたこともないが……程度を問わなきゃ〝彼方の世界〟と通じる人はそこそこいるしなぁ」
 鱗道は目をしょぼつかせながら、興奮冷めやらぬクロを見下ろした。膨らんだ体をもさることながら、鱗道に対して捲し立て続けた硬質な声の一つ一つも、
『ええ。そのようですね。しかし、あのご婦人に私の声は聞こえないようです。しかし、私は確かに、あのご婦人と意思疎通を交わしました。私が贈った松の葉の意図を、あのご婦人はくみ取ってくれたように思います。声が聞こえていないのに、ですよ。私が模索した手段は正しかったと言えるでしょう!』
 心なしか普段より甲高く豊かな抑揚に溢れている。
 クロがこのことを語るのはもう三度目になる。正直なところ、鱗道にはクロがそこまで興奮する要素を見出せないのだが、
「まぁ……お前が嬉しそうで何よりだ」
 解説を求める野暮さは心得ていた。クロの頭部周りの羽が通常通りに寝るのを見て、話はこれで終わりだろうか、と思った丁度そのとき、
『それで鱗道。貴方にお願いがあるのです』
 クロが、ずいっと顔を鱗道に寄せる。その勢いは鋭い嘴の先端が、危うく鱗道の人中を穿つところであった。鱗道が驚きに声を上げたのは、クロの勢いに押されただけではない。
「お願いだって? この流れで、俺に?」
 クロから頼まれ事など、滅多にされたことがないからだ。

 クロは探究心や向上心の強さもあって、目的を持った場合にまずは自力で到達する術を考える。疑念や不安、あるいはクロではどう足掻いても解決できない問題にぶつかれば相談されるが、問題解決自体を頼まれたことはまず無いと言っていい。
 例えば、先日、クロが気に入った楽曲があった。デジタル音源でも充分であるが、クロの全力の楽しみ方はレコードと蓄音機を使い、文字通り全身で浴びることである。鱗道は近所のレコード屋を当たったが見つからず、クロにそのことを伝えたのだが、すでにクロはインターネット通販で見つけていたらしい。その後、クロから相談されたのは、
『店の在庫を表に纏めるので賃金を頂けないでしょうか』
 と、
『その賃金を使用して代理購入して貰えないでしょうか』
 の二点である。賃金も何もレコードくらい買ってやると言ったのだが、
『完全な私の趣味ですので、自力で得た金銭で購入するのが筋でしょう』
 と、クロは頑なに譲らない。数日後、店の在庫は見やすい表に纏められた。さらに、いざインターネットで通販する時も鱗道はクロの横にいただけである。情報入力などの手順はクロが全てこなし、
『一応、私はロボットではないと思われますが、曖昧な部分もありますのでこの「私はロボットではありません」のチェックボックスをクリックして頂けますか』
 と、
『代理購入に了承頂けましたら、こちらの購入ボタンを押してください』
 の二つだけ、クロに言われるままに従ったのだ。

 クロからの頼み事と言えばこのように、クロ単独ではどうにもならないことに限られている。それも、道筋が立てられていたり、お膳立てが済んでいたりとする状態でのことばかりだった。クロが神社で遭遇した話の中で、鱗道に頼まねばならないことがあるとは思えなかった。
 クロは再び全身の羽毛を逆立てながら、
『ええ。鱗道、便せんとペンはどこですか? ペンは太く濃いものを! 私の気持ちを添えるならば季節に沿った柄の一筆箋が理想ですが、そのような風情のある便せんが無いことは承知していますから贅沢は言いませんとも』
 と、気持ちばかりが先行しているようであった。道筋もお膳立てもなく、整理もされていないままのクロなど、珍しいにも程がある。ただ、こう言う時に落ち着けと言い聞かせたところで効果は薄いだろう。クロがせわしなく歩き回るちゃぶ台の縁に手をついて立ち上がりながら、
「なんだ……手紙でも書けっていうのか?」
 と、鱗道が髪を掻くと、大きな羽音と、
『ええ。その通りです。鱗道。貴方に代筆をお願いしたいのです。コミュニケーションの模索こそ重要ですが、それにも限度がありますから』
 昂揚した声が歌うように返される。羽音は人間が演説に力を入れて腕を振るうように、片翼を大きく広げて立ったものらしい。
「パソコンじゃダメなのか?」
『ああ、鱗道……それでは風情がありませんし、感情が乗りません。私は、思いを伝えたいのです!』
 クロはきっぱりと断じるように言うと、嘴を強めに二度鳴らした。鱗道は小さく唸り考えながら、文房具が詰め込まれた棚の引き出しを漁り、
「俺の代筆で乗るかね……」
 と、呟いたことをすぐに後悔した。小さな声でもクロは聞き逃すまい。はっと気が付いてちゃぶ台を振り返れば、先ほどまではふくふくと膨らんでいたクロの体がほっそりと萎み、急激に酷く痩せ細ってしまった。そればかりか嘴がちゃぶ台に真っ直ぐ突き立つほど下げられて、先ほどまでの高揚感や興奮は見る影もない。
「いや、あれだ。乗る。多分、乗る。丁寧に書くから」
 引き出しから引っ張り出した、使用した覚えのない便せんの束を掴んで鱗道は慌ててちゃぶ台に戻る。しかし、鱗道の稚拙で無根拠な擁護などクロには通用しない。クロの気落ちは当然、鱗道に切々と伝わるのだが、
『……朱肉』
 再び膨れる羽毛のように、挫折を前に不屈の思いで立ち上がるクロの気概もまた、津々と伝わってくる。
『鱗道! 朱肉はありませんか! この際、色は問いません!』
 クロはバサバサと翼を大きく動かしながら、
『貴方の仰るとおりです! 代筆だけでは、文面は私の思いであると伝わらない可能性があります。私もなんらかの形で、私の証しを記さねば!』
 呼吸をしていれば鼻息が荒く、肩があれば大きく怒らせたことだろう。クロの諦めの悪さは筋金入りである。ほっと息をつく暇もなく、鱗道はクロに急かされるまま次は朱肉を探すために引き出しを漁った。
「まぁ、うん。お前が楽しそうで何よりだ」
 この呟きは当然、聞き取られても構わないものである。

       

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