Neetel Inside 文芸新都
表紙

グレイスケイルデイズ
-02-

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 数年前、店に顔を出した猪狩は珍しく気落ちしているようだった。聞けばここ二週間でやたらと小さな怪我が増え、小物を無くしたり落としたり、約束事がある時に限って時計が止まっていたりと小さな不運に見舞われ続けているという。性分に大雑把なところがある猪狩にとって一つ一つは珍しいことではない。が、それにしては短い期間で続いているのは話を聞く限りでも何か妙であった。
「つい昨日なんかは目の前に植木鉢が降ってきやがってよ」
 適当な椅子に腰掛けた猪狩の言葉に鱗道は言葉を失った。その鱗道を横目で見た猪狩は肩を竦めて、
「聞き慣れねぇ音がしたんで、反射的に一歩下がったらそこにガシャン、だ。俺じゃなかったら危なかったな」
 などと笑い飛ばす。鱗道の肩に止まっていたクロの、
『鱗道、これは一般的に笑うところなのですか』
 という言葉に首を振るのが精一杯であった。もう何度も疑ってきた猪狩の神経であるが、この日ほど更に深く疑ったことは滅多にない。
 小さな不運に収まらず異常な出来事と言うに充分であったが、決定打となったのは猪狩に対するシロの態度であった。猪狩を順列一位に据え、顔を出せば必ず擦り寄るシロがその日は一向に近付かない。落ち着かないように店の中をうろついて、猪狩の足下に寄ろうとしてみては耳も尻尾も下げて離れていく。見かねた鱗道が問えば、
『すごく嫌な感じがする。お腹の中がぐるぐるする』
 と、返された。要領は得ないが、シロが反応して忌避しているとなると彼方の世界――しかも、穢れなどの良くないものが関係しているのは確実である。
「不運や不幸を招く切っ掛けに、なにか思い当たる節はないのか?」
 猪狩は自分の足の上に頬杖を付き、店の外に視線をやって考え込んだ。なかなか見ることの少ない真剣でどこか物憂げな表情に既視感を覚えた時、肩からクロが飛び上がって梁の奥へと去って行った。今では猪狩の来訪時はほぼ必ず店の梁の奥、鱗道にも見付けられない場所へと行ってしまうクロであるが、数年前は珍しいことであった。クロ、と呼んでも返事はない。
「十円玉ぐらい、か。「こっくりさん」で使った十円玉がそう言えば――いや、俺がやったんじゃねぇよ。娘だ、娘」
 この男なら、と思っていたことが顔に出ていたのだろう。猪狩は鱗道を一睨みした後、ジャケットの胸ポケットから小銭入れを取り出しながら話し始めた。
 一ヶ月ほど前のこと。小学校低学年の娘が酷く不安がりながら猪狩に相談した内容が「こっくりさん」の十円玉であった。その手の遊びに興味がある友達の誘いに乗り、一緒に遊んだのは良いものの十円玉の消費先が見つからない。持ち続ければ不幸になる、不運になるなどと言われていたものだから困って父親に相談したのだ。所詮は遊びに過ぎないと大人が言ったところで、不安に駆られた子供は簡単に納得出来ない。猪狩は自他とも認める子煩悩であったのもあり、強く叱ることなくこれっきりにするようにと言い聞かせて十円玉を引き取った。すぐに使う機会はあるだろうと思っていたものの、意識しなければ現金を使う機会は大人でも少ない。数日のうちに十円玉のことなどすっかり忘れてしまっていた。
 適当な空き箱に小銭入れの中身を開けさせると、一枚の十円玉が目に付いた。質量のある湿った感覚だ。動かさずにじっくりと見ていれば黒い霧のような――蛇神が瘴気と呼ぶものが薄いながらに見て取れる。猪狩が娘から預かった十円玉は間違いなくこれだ。
 瘴気の性質は穢れに似ている。穢れは破壊や死滅を招く〝意思〟であるのに対し、瘴気は良くないものを引き寄せる〝力〟を指している。此方の世界の尺度では良くないものを引き寄せる力であるが、瘴気自体に意思や善悪があって引き寄せているわけではない。だがその性質上、穢れも瘴気を有する他、反応し共鳴するし、呪いの多くが束ねている力でもある。瘴気が多く集まり色濃く見えるほど呪いの効力は高いと判断できた。
 猪狩の娘と「こっくりさん」で遊んだ子供達の中に、彼方の世界と繋がりやすい子供がいたのだろう。彼方の世界の好奇心旺盛な悪戯好きがちょっかいを出したことで、十円玉に彼方の世界の力が少しばかり宿ってしまった。力には善悪がない。力がどう作用するかは力を扱う意思に左右される――ナイフが料理に使われるか、人を傷つけるのに使われるかと本質は似ている部分があるだろう。好奇心旺盛な悪戯好きが扱う力は、此方の世界では些細であれど厄介事を招く瘴気となりやすい。それが小さな怪我や失せ物、落とし物に繋がるのだ。
 弱い瘴気であれば多くの人間の手を渡るうちに薄れて消えるか、神社や祠などでしかるべき祓いや清めを受ければお終いである。しかし、猪狩の場合はたった一人で持ち続けてしまった。結果、瘴気は薄まることなく蓄積し、小さな不運を招き続けることで強くなり、大事故を引き寄せる手前まで来てしまったのだ。
 鱗道は専門家でも研究家でもない。経験則であるとして述べた推論であった。呪いと呼んでも大袈裟にならない程度の瘴気を溜めた十円玉は鱗道が引き取り、後に蛇神を降ろして処理するとして話が付いた。素手で触れることに抵抗を覚えるほどの十円玉はそのまま空き箱上に残し、残りの硬貨は問題がなさそうだと猪狩に返したが、問題が解決したはずの猪狩の表情は暗いままだ。
「もう、学校で流行っちまってるんだよ。俺が預かってからも、娘は誘われてるらしいし」
 「こっくりさん」で使われた十円玉全てが瘴気を宿すわけではないと理解した上で、猪狩は眉間に皺を寄せて語る。「こっくりさん」が流行り、使われた十円玉が多く存在する以上、瘴気を宿した十円玉がこれ一枚であり、留まってしまったのもこれ一枚である、などということはないだろう、と。
「俺が言うことじゃねぇが……放っておくのは、カミサマ的に構わねぇのか」
 猪狩の言葉に、鱗道は口を真一文字に結んで目を閉じた。彼方の世界は常に此方の世界と共にある。多くの人間が感知できなくとも、どちらの世界も日々影響や干渉を受け合っているものだ。時に領地外から持ち込まれたり侵入してきたり、領地内でも一方からの影響でバランスが崩れたとなれば、整地するのは蛇神の代理仕事の一つである。
 以前は店の脇にあった公衆電話などで消費されていて気が付かなかったのだろう。公衆電話をはじめとして十円玉の消費先がなくなった結果だとしたら、どうしたものかと思い悩む鱗道が右手で首を掻く。それを見た猪狩は申し訳が立たないと肩身が狭そうに顔をしかめ、何か出来ないかと共に悩んでいた。猪狩や娘に非があるわけではないというのは告げたが、切っ掛けが自分の子供となればそうなるのが親なのだろう。
 大人や学校が「こっくりさん」で使われた十円玉を回収する、というのは非現実的である。とはいえ「鱗道堂」の店先に「こっくりさんで使用した十円玉を回収します」と単純に看板をぶら下げるのも無理があった。夕刻から数時間悩んだ結果出した結論が、店の脇に賽銭箱を置く、というものである。十円玉だけを入れることに抵抗もなく、小さな地蔵でも並べておけば供えたのだとして子供の気持ちも楽になりやすい。住宅街の賽銭箱から金を持ち出す輩もいなかろう、という最良の手であるように思われた。
 翌日にはどこから入手したのか、猪狩が適当な大きさの地蔵と賽銭箱を持ってきた。そして実際に出してみれば十円玉が入れられるようになり、以降、「こっくりさん」が流行り始めた時期――シロの不調が始まると、十円玉の消費先として外に地蔵と賽銭箱を並べるのである。

『子供の遊びとて侮れない、という話ですね。積羽沈舟とならないように、未然に防ぐ活動は重要です』
 クロが咥えていない十円玉も残り一枚。クロの動きは鱗道に合わせて全く乱れないので効率が非常に良い。語る時に嘴を使わないために、いくら喋ろうと動きを中断しないで済むのも理由だろう。
『しかしながら、私には余計に理解できません。多大な危険があると知らなくとも、何故、注意喚起や禁止されることもある行為をするのでしょう』
 その事か、と鱗道はクロの顔を正面に見た。シロと違って全く表情に変化がない。動きも飛翔していない限りは直線的。生き物には必ずある些細なブレや予備動作が殆どなく、静止している様はどうみても剥製か彫刻だ。一般的なカラスに比べて一回り大きな体躯に付けられた七色の黒羽根も艶やかで硬質な黒い嘴も全て人工物であり、体内には不可思議な機構と共に密封されたクロという意思存在がある。有機物を一切含んでいないという非生命的なもので出来上がっているらしいが、クロは非常に好奇心も旺盛で、本人の自覚が追いついていないほど感情も豊かであり、時には鱗道よりも人間的な一面を見せることがある。
『鱗道。何故貴方は笑っているのですか』
「いや、なに……駄目と言われれば言われるほどやりたくなるもんがあるんだ。子供の頃は特に、な」
 蛇神の頭で受け取った最後の十円玉を硬貨のまとまりに置くと、鱗道はぐっと背中を反らせてから立ち上がる。居間に行って食器棚から菓子箱を手に取り脇に抱えて来るまでの短い間に、無秩序に置かれた硬貨をクロが器用に嘴で並べ直していた。
『そういうものですか』
「そういうもんだよ。お前は……経験がなさそうだが」
 クロが硬貨を並べるために歩き回る机の上に菓子箱の蓋を置く。菓子箱の中は底が見えない程度の硬貨が入っていた。今までのように選別し、必要あらば瘴気を祓ってきた賽銭箱の中身である。
『ええ。そのような経験はありませんし、貴方に禁止されたことを行ったこともないはずです』
 クロの言葉に、鱗道は今までを思い返すように天井を仰いだが、数秒で机上に視線を戻した。ぱっと思いつかないということは、クロの言う通り無いのだろう。記憶力は鱗道よりクロの方が優れている。とぼけていない限り、クロが覚えていないなどということは滅多にない。
 机の端に菓子箱を置き、丁寧に並べられた硬貨を手で掻き集めるように箱の中に落としていく。鱗道の手を避けたクロの足がカチカチと高い音を鳴らしながら羊を追う犬のように硬貨の後ろを追いかける。
『そろそろ、いつもの神社に納めるのですか』
 ああ、と鱗道は返事をしながら菓子箱の蓋に手を伸ばした。
「一応は賽銭箱に入れられたもんだ。ちゃんとした賽銭箱に戻さなきゃ罰が当たる」
 いつもの神社、というのは住宅地から離れた山間にある神社のことだ。きっちりと整えられた神社であるが山間にある為に日が落ちればかなり暗く、この辺りの出身で肝試しをしたことがない子供は一人もいないだろう。賽銭箱を回収する度に納めに行くには離れている為、ある程度菓子箱に溜めてからシロの散歩がてらに行くようにしている。
 蓋が一度、鱗道の手から逃げたので顔を上げた。クロの嘴が蓋の角を咥えている。鱗道と視線が合うと、クロは蓋を鱗道の手に寄せた。クロらしからぬ非合理な行動であるが、少し思い当たる節があったので特に咎めはしない。
『無報酬ともなれば見事な慈善活動家ですね』
 机から鱗道の肩に飛び乗ったクロの言葉には棘がある。鱗道はクロの顔を見やり、目を細めた。丁寧綺麗に並べた硬貨を一瞬で崩されたことが気に入らないのだろう。やはり妙なところで人間くさい鴉なのである。
「止めてくれ。ガラじゃない」
 鱗道の視線を受けたクロは翼を羽ばたかせ肩から飛び立つ。居間の前まで戻った鱗道はサンダルを脱がずに身体と腕を伸ばしてちゃぶ台の上に菓子箱を置こうと試みた。届きそうにはないが、羽ばたきが鱗道の顔の横を掠めて菓子箱をさらう。紙製の箱に穴も開けず、硬貨が入った程度の重量などは意にも介さず、ちゃぶ台の中心に箱ごとクロは着地した。
『人間である貴方に柄などないでしょう。私にもシロにもありませんが』
 感情表現に乏しいクロの言い方だけでは、真面目に言っているのか茶化しているのかは分かりにくい。だが、クロは人間を観察して仕草が与える印象について理解をしているし、用いてくる。実際のカラスらしからぬ、わざとらしく首を傾いだ仕草などがまさにそれだ。つまり、茶化しであり皮肉のつもりである。
「ふてくされて引きずるなよ。お前、ここ最近、妙に子供っぽいぞ」
『聞き捨てならない言葉です。鱗道。ここ最近、私が子供っぽいとは』
 それはお前――と、鱗道が口を開いた時、ひゃん、とシロの一鳴きが店先から聞こえた。たったの一鳴き、である。鱗道が怪訝な顔をするより前にクロはちゃぶ台から飛び上がって天井近くを抜け、入り口が見下ろせる梁まで向かっていた。

       

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Neetsha