Neetel Inside 文芸新都
表紙

グレイスケイルデイズ
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「ところでよぅ、グレイ。他人事みたいに言ってくれたが、これからなのはお前もだぜ? 何せお前は俺の共犯だ。叔父貴に質屋だって名乗ったのを忘れちゃいねぇだろうな」
 猪狩が、扉に鍵を差し込みながらにやついた声で言う。鱗道は助手席側の扉に立って、
「大事にならないと言ったのはお前だ。それに、この件に関してはお前が責任を取るんじゃなかったのか」
 はっきりと不可解だという感情を表情に出す鱗道を、猪狩はルーフに腕を乗せて見ていた。声色に加えて猪狩の表情は、鱗道にとってろくな事を考えていないと察するにあまりある笑みを浮かべている。
「取らなくていい責任まで取りたくねぇんだよ」
「おい、何を考えてるんだ」
「俺が屋敷の問題を解決したとなりゃぁ、親戚連中相手に走り回るハメになる。麗子は麗子の実家に頼んでるから巻き込まねぇだろうが、俺は土地や建物の件だけでも手一杯で、数ヶ月って単位で駆けずり回る可能性もあるだろ? その間、宝物庫にあった貴金属やらを放っておく訳にはいかねぇ。俺としては、信頼の置ける質屋が預かってくれるとそりゃぁもう、助かるってわけだ」
 悪巧みを思い付いた、と言わんばかりの表情には見覚えしかない。危険が無いと判断すれば他人を振り回すことに抵抗のない男が、自身の能力を悪巧みに存分に注いでいる時の顔だ。学生時代から、大体この手の表情をした時の猪狩は強かった。
「ってわけでよ、グレイ。お前、本当に質屋をやらねぇか」
 ――ああ、やはりろくでもないことを考えついて、それに俺を巻き込もうとしている。鱗道の思考は当然、猪狩に伝わっていた。感情を隠そうという気が、鱗道には一切ないからだ。
「俺は目利きなんぞ出来ん。それに、質屋は警察に名簿がある、みたいなことを言ったのはお前だぞ。色々手続きだとか、必要なものがあるんじゃないのか」
「おいおい、グレイ。お前の前にいる奴は、コレでも元警官だぜ? 許可の取り方や手続きに関しちゃ把握済みよ。その辺りは俺に任してくれりゃぁ上手いことやってやる。目利き云々も質屋は必須ってわけじゃねぇし、お前は、本気で質屋をやらなくてもいいんだよ」
 鱗道の疑問に対し、猪狩はきっちりと答えを用意していた。ここで鱗道がたった一言拒否を示せば、猪狩はさほど食い下がらない。完全に詭弁や圧力で押し切ろうとしてこないあたりが、昔から嫌な男である。
「……本気でやらなくてもいい、ってのはどういう意味だ」
 鱗道が引っかかるように、言葉を選んでおいていく。いつでも言えるたった一言の拒否を口にするより先に、確認を必要とするような言葉を。何度か空を見上げていた猪狩の顔が笑みのままに再度鱗道に向けられた。
「質屋の看板をぶら下げれば、お前のカミサマ沙汰の話が舞い込んでくるんじゃねぇかって意味さ。カミサマの力を大っぴらには出来ねぇだろうが、曰く付きの品を必要経費に上乗せした金額で買い取って、解決したらキレイな売り物として店に並べりゃいいんだよ。一々お前がうろついて話の種を集めなくても「曰く付きを処理してくれるところ」だとか、「厄介事を引き受けてくれるところ」だとなりゃ向こうからお前の店に辿り着くぜ。そんな妙な店の店主に愛想やご丁寧な接客を求めるような奴もいねぇだろうから、営業スマイルすらいらねぇよ」
 つらつらと流れ出るような猪狩の言葉に鱗道は何も言い返さずに腕を組んでいた。この時点で拒否をまだ言わないならば、と猪狩の言葉は更に続く。
「個人経営となりゃ、店を開ける時間もお前の好きに出来る。大事なカミサマの代理仕事を優先しようが誰も文句を言わえねぇし、取りかかれるタイミングでやりゃぁいい。今まで把握できなかったところまで捗るかもしれねぇし、代理仕事がそのままお前の金になる。一石二鳥ってわけだ。カミサマの仕事ついでに金を稼ぐのも、乱用しなけりゃ悪いことじゃねぇだろ? どうだい、鱗道堂のご主人さんよ。ついでに、俺を最初の客にしてくれねぇか」
 鱗道は腕を組んだまま返事をしなかった。咄嗟に思い付いた反論と言えば、鱗道堂というのは駄菓子屋の名前として考えていたものだ、という程度である。猪狩は、鱗道が口を開くのを待っているようで笑みを浮かべたまま黙ってしまった。
 鱗道が今後の職業に迷っていて、屋敷に向かう道中に出て来た個人経営という言葉に惹かれた部分があったのは事実である。会社勤めが性分に合わないことは身をもって学んだし、技術的な能力を持たない男が会社員として再就職を果たすには門が狭すぎる。蛇神の仕事をこなしながら――つまり不定期に、突発的に時間を作らねばならないとなると、より一層狭まってくる。
 加え、猪狩の言ったとおり、代理仕事は蛇神の指示がない場合は鱗道が遭遇してきたことを片付ける形で行ってきたのが実情だ。蛇神はそれで充分と言うだろうが、意外にも些細な問題はあちらこちらに散らばっている。蛇神の領地たるH市を含む一帯は、一人で情報や問題を集めるには広すぎるのだ。物であれば持ち寄られ、話であれば噂としてでも流れてくるのであれば効率は良い。貯金や家を売ることで得られる所得を開店資金に回すことも出来るだろうし、必要経費と上乗せが加えられるとなれば鱗道に浪費の性分がないことを考えるとやっていける、気がする。勿論、確証はないが、何もしていない現状よりは進展があり、目的にはしやすい。
「……最初の客、ね。俺にこの屋敷のもんを預かってろって言うのか」
「おう、宝飾品に時計、絵画や焼き物なんかも全部お前に預けちまいてぇ、が、本音はちょっと違うぜ。お前が質屋をやるってんなら、最終的にお前が全部買い取ってくれ。値段は、お前の言い値でいい。ガキの小遣い程度だろうと、文句は一切言わねぇよ」
 猪狩の言葉に、鱗道は考え込んで下がっていた顔を素早く上げた。宝物庫の棚に並んでいた物だけを見ても、興味も知識もない鱗道ですら高級品と分かるものばかりだった。勿論、手入れもされずに放置されていたことで価値の低下などがあるかも知れないが、それで二束三文になるようなものではないはずである。それを、適当な値段で鱗道に譲る、と猪狩は言っているのだ。
「猪狩、お前、正気か?」
 鱗道の言葉に猪狩が大きく肩を揺らして笑う。言われることは分かっていた、とでも言うのだろう。大袈裟に、わざとらしく肩を竦めた男は髪を掻き上げながら、
「俺は正気だぜ。そもそも、この屋敷も格安で譲り受けたもんだが、残されてた金目のもんが目的だったわけじゃねぇ。問題を解決しようってのも、生まれる前の血縁とはいえ行方不明のままってのが気になってたんだ。普通の人間には解決できねぇ案件も、俺には頼れる男がいるんだからよ。
 依頼料として全部渡しちまってもいいぐらいなんだが、流石のお前も気が引けるだろ? だから、お前が言い値で買い取って、お前の店に並べてくれ」
「あのな、猪狩」
 鱗道の言葉を遮るように、鱗道に向かって手を振る仕草は猪狩にしては珍しいものだった。髪を掻き上げ、鱗道の言葉を制し、猪狩は腕や肩ごとルーフに身を預けた。片肘を立てて額に手を当てる眼差しが妙に真剣で、
「俺にも目的ってモンがあったんだよ、グレイ。金よりも欲しいもんがあったのさ」
 少し薄暗さを引き連れているような笑みが、妙に様になっているように見えた。古い映画のワンシーンのようにも見える。映画の場合、あまり良い結末を迎えないことを想起させるものであろうが――
「お前がブラブラと落ち着いてねぇのが気がかりってのもあるけどな。身内の問題を片付けて貰った礼もしてぇし、俺に損が出る話でもねぇ。それに、信頼できる奴が一時でも預かってくれるってのは俺にとっちゃ有り難ぇ話なんだよ」
 子どもっぽい笑みで台無しにするのが、猪狩という男である。それでも、滲んだ少しの薄暗さを取り除こうとはしていなかった。嘘を暴くことを仕事にしてきた男だ。嘘そのものを隠す術も知っている筈であり、どうすれば嘘が暴かれずに済むかを知っているはずである。鱗道が暴こうとしてこないと思っているのだろう。現に、鱗道は薄暗さに気が付きながらも言葉を発しなかった。聞き出すことは出来ないという確信もあり、やはり――触れてくれるなと願われていて、鱗道が願いを叶えることを信じているような気がしたからだ。
「――それに、な」
 鱗道から言葉がないことを数秒待った猪狩が、口を開けば、
「まだ何かあるのか」
 げんなりとした鱗道の言葉が返る。
「いやいや、今度はお前にとっていい話だ」
 鱗道の目が細くなり、睨む視線になったからだろう。少し慌てたような猪狩の口調は今までと打って変わって押しの強さが全くなくなっている。
「俺も金目のモンに目が利くわけじゃねぇ。が、お前が最初に値段を付けなきゃならんもんには詳しそうな奴がいるって話さ」
 猪狩はルーフを一度指で叩くと、人差し指を空へと向けた。鱗道は素直に指先の誘導に従う。話の最中に青が追いやられた空は橙色に占領されつつあり、そこから黒い影が風を伴って素早く降下してきた。
 一羽の鴉である。ルーフに降り立ち、鱗道に真っ直ぐ顔を向ける鴉の目は、赤い。
「――クロ?」
『鱗道。話は聞いていました。どうやら、貴方は再び協力者を必要としているようですね』
 金属や鉱石から響くような硬質な声。一般的なカラスより一回り大きな体躯。クロはルーフの上をカチカチと音を立てながら歩き、鱗道の近くまで寄ると嘴を肩に触れさせた。
『私はあの屋敷から出たことがありません。多くを学ぶにしても拠点があると私は助かります。鉱石や金属に関しての知識はありますし、購入記録も読みましたから絵画や陶器の名称なども分かっています。そこから調べて値段を付ける作業を手伝えると思います』
「……おい、お前等、どうやってグルになったんだ」
 つらつらと流れ出るクロの言葉に呆気にとられていた鱗道が、ようやく発したのがその言葉だった。猪狩は運転席の扉を開けながら、鱗道の言葉に笑い声を上げる。
「クロは、お前の手伝いをするとでも言ったか? グルになんざなってねぇよ。好きにしろと俺は言って、クロはイエスと返事をしただけだ。ずっとクロが上を飛んでたんで、お前について行きたがってんじゃねぇかと思っただけだぜ」
 運転席に上半身を入れた猪狩がエンジンキーを回す。車が低く唸りながら揺れるとクロが飛び上がって、鱗道の側に座っていたシロの頭に着地した。
『びっくりした?』
 シロはシロで、クロに驚いた様子がない。さては耳か鼻を使って、クロが近くを飛び続けていることを知っていたのだろう。
『ええ。車という知識はありますが、実物を目の当たりにするのは初めてですので』
『分かる! 面白いよねぇ! 人がいっぱいいる所って変なのがいっぱいあるよ!』
 ひゃんひゃんと上げる鳴き声が歓迎ムードでいっぱいであることは、シロの言葉が頭に届かなくとも知れることだろう。鱗道はシロのはしゃぎっぷりに頭を抱えながら、
「シロ、あのな、別に決まったわけじゃ」
『そうなのですか、成る程。私の世界は呆気なく破壊されながら広がっていくことになるのですね』
 シロの頭上で高々と嘴を掲げ、沈み行く太陽に赤い目をキラリと光らせたクロを見下ろした。
『それは、とても、とても楽しみです』
 強い風が、鱗道やシロ、クロの傍らを走り抜けていった。木々がざわめき、草花が揺れ、玄関の扉を破壊された屋敷の中に吹き付けた風は、中の淀んだ空気を掻き混ぜているに違いない。風に攻め込まれた屋敷の窓や扉が悲痛に軋む音を、屋敷から這い出た風が鱗道の耳に運んでくる。振り返ったところで、そこには誰も立っていない。
「まぁ、とにかく今日は帰ろうぜ。グレイ、後ろを開けてやってくれ」
「……ああ、分かった」
 猪狩が運転席に体を埋めるのを見てから、鱗道は一つ溜め息をついて後部座席の扉を開けた。シロがクロを誘導するように頭を先に突っ込んで、中に入るように言いながらのっそりと乗り込んでいく。シロの尻尾を挟まないように押し込みながら扉を閉めて、鱗道もようやく助手席に乗り込んだ。
「あー……質屋をやれってのも、案の一つだと軽く考えてくれ」
 少しばかりか細い声に顔を向けると猪狩はわざとらしく視線を逸らした。顎の無精ヒゲを掻く仕草や表情から、無理を通しすぎているという反省の色は見えている。
「取り敢えずやってみるでも全然構わねぇし、やってみてやっぱ無理だってなっても俺は構わねぇ。俺が別の預け先を探すまでの間、預かってくれるだけでもいいんだ」
「お前が妙な隠し立てをしてたせいで、もう頭が痛いんだ。今は考え事をしたくない。後日、連絡させてくれ」
 断りもなく助手席の背もたれを倒すと、少し挟まったのかシロがキャン! と小さな悲鳴を上げた。スマン、と雑に言いながら後部座席に手を伸ばす。シロは小声で文句を言いながらも、自ら鼻を押し付けてきた。やはり、犬は可愛げがあって良いな、などと考えてしまう。
「考えたくねぇ、か」
 シフトレバーを操作しながら、猪狩が笑みを漏らしている。鱗道の不愉快さを前面に押し出した視線を受けた猪狩が、バックミラーを二度程叩いてからアクセルを踏んだ。ミラーには鱗道が映り込んでいる。左手を後部座席に伸ばし、右手を首の後ろに回している姿で。
「……枕代わりだ。寝ようと思ってだな」
「ああ、分かったよ。これはお前の癖じゃねぇってことだな」
 猪狩は笑みを殺しきれずに、体を揺らしていた。それでも、言葉は労いに満ちている。
「本当に、今日のグレイはお疲れだもんな。寝てくれて構わんぜ。俺も適当に休憩させて貰うし、一々起こしやしねぇよ。シロとクロは窓から顔を出すなよ。痛い目見ても、もう俺は責任を取ってやらねぇぞ」
 シロのひゃん! という返事に『分かった!』という言葉が混ざっていることを猪狩は聞き取れない。だが、返事のタイミングから意味を理解し、クロが嘴の開閉音で返事をするのも通じている。どちらも、猪狩がシロとクロには言葉が通じているし意思が存在していると信じ、飲み込んでいるからこそ成立しているのだ。
 舗装されていない荒れた道を車が揺れながら動き出す中、鱗道は目を閉じた。此方の世界と彼方の世界は隣接している。だが、彼方の世界を認識できる手段が限られているために、多くの人間が彼方の世界を認識していない。また、鱗道のように往来できる人物がいたとしても、証拠として出せる物がなければ認識しろというのも無理筋だ。猪狩はその点、稀有な人間である。鱗道が猪狩に提示できた物証など何一つない状態から、多くの状況と経験だけで彼方の世界を受け入れたのだから。
 もしも、鱗道が蛇神の代理仕事をしていなければ、確実に彼方の世界には触れることなく、認識することなく、存在を知ることもなく生涯を終えただろう。鱗道ではない身近な誰かが蛇神の代理仕事を担っていたとしても、それを信じられるかは全く分からない。今でも、夢か幻かと思う出来事に遭遇することがあるくらいだ。恐らく、彼方の世界があるなどという話を信じないだろう。
 だからこそ――もしかしたら、と脳裏を過ったことがある。昴が屋敷で意思存在を生み出した時に、鱗道のように彼方の世界を跨いでいる者がいたならば。この屋敷を訪れていたならば。意思存在やクロには誠に意思が存在し、成立し、生き物と呼ぶには充分な思考が存在しているのだと伝えられたならば――否、無駄であろうと思い直した。昴は信じなかったのではない。意思存在という自分ではない存在を生み出したことを、自分ではない存在に怯える男は、信じたくなかったのだ。

「なぁ、クロ」
 目を閉じて考えていた時間は数分。屋敷の前から門扉を過ぎるまでの間だった。猪狩が門を閉じてくる、と独り言のように言い残して車を降りた直後に、鱗道はクロを呼んだ。
「お前、ついてくのは猪狩じゃなくていいのか」
 聞くタイミングは――確認するタイミングは今しかない、と思っていた。羽音に目を開けると、クロがシートの隙間から危なっかしい足取りで鱗道の胸に飛び乗る瞬間であった。見た目よりも重量がある重さに思わず呻いたが、クロは一切変わらぬ表情のまま、
『鱗道。私に必要な人物は協力者です。昴の代役ではありません』
 車内灯に赤い目を輝かせながら、鱗道の眼前に嘴を突き出しぴしゃりと言ってのける。
『それに、晃は騒がしい。無駄が多く感情的で、粗野にして野蛮です。私は静かであることを好みますから、晃といれば参ってしまうでしょう。対して鱗道、貴方は静かです。無駄も少なく熟慮して動く傾向があり、理性的なやり取りをします。私の協力者には貴方が相応しい――どうしました? 何故、貴方は揺れているのです?』
 シロの鼻先がシートの隙間から突き出され、何かを喋ろうとした気配があったので鱗道はシロの口吻を鷲掴みにした。それでも完全ではなかったようで、口の隙間からくぐもった鳴き声と、
『鱗道は揺れてるんじゃないよ、笑ってるんだよ』
 等と、告げ口を許してしまう。シロ、と咎めるような鱗道の言葉に首を傾いだのはシロだけではなく、
『そうだとしても疑問は大きく変わりません。何故、鱗道は笑っているのですか?』
「お前は外の世界を見聞するつもりでいるんだろ? 俺が笑った理由もそのうち分かる。答えを急ぐ必要はないはずだ。思った通りにいかなかった時は、お前の好きにしたらいい」
 クロの傾げられた首の角度は変わらなかった。鱗道は少し考えてから、目の前の嘴に指を触れさせる。冷たく硬い、なんらかの金属で作られた強固な嘴だ。丁寧に磨かれているらしい嘴に、傷は少ない。
「お前が昴の代役を求めてるんじゃないなら俺は構わん。クロはどこかの犬と違って本当に何も食わないだろう? 鴉が一羽増えたところで……蛇神がなんて言うかは知らんが、あれで結構寛容だからな。お前が無害なら気にせんだろう」
『鱗道。屋敷の中でも貴方や晃が度々言っていましたが、ヘビガミやカミサマというのはなんですか?』
 鱗道の指が嘴から頭まで滑っても、クロの首の角度は変わらなかった。鳥の羽にそれほど多く触れたことがないから滅多なことは言えないが、実物よりも芯が強く硬いように思える。ちくちくと指先に触れる感触は、切り立ての鱗道の髪の感触に似ていた。少し強く触れれば、皮膚に刺さるほどの硬さがあるのだ。
「長い話になるから、今度ゆっくり話させてくれ。シロも知ってるが……シロからは聞かん方が良いだろうな。シロも色々訳ありで……ちょっと表現が独特なもんで」
 首近くまで指が辿っても、クロの身体はやはり温かいものではなかった。だが、金属的な冷たさに指が痛むほどでもない。温い体は生き物でも剥製でもない、クロ独自の体温である。
 門扉に大袈裟な鎖と南京錠をかけた猪狩が戻ってくるのがフロントガラス越しに見えていた。ヘッドライトに照らされる顔は陰影の所為か年齢相応に見える瞬間があったが、やはり歯を剥いて笑うような子供っぽさの抜けない笑顔が台無しにする。足早になった歩が、運転席側の扉を開けて、
「なんだなんだ。すっかり懐かれてんじゃねぇかよ、グレイ。クロに構い過ぎてシロやカミサマに妬かれんなよ?」
 からかうつもりの表情が、からかう気満々の言葉を口にする。クロが鱗道の胸から離れ、肩と車のシート、それとシロの鼻先を渡って後部座席に戻るのを見送りながら、
「ああ、分かってる。猪狩、俺が寝言を言ってても放っておいてくれ」
「あん? ああ、そん時はカミサマとお話中ってことだな。了解、了解」
 猪狩の言葉を聞いて、鱗道は強く目を閉じた。実際、酷く眠たかった。単なる疲労か、蛇神が誘っているのかは眠ってみなければ分からない。どこでも眠れるのは便利だなと思いながら、車がゆっくりと動き出す振動に身を任せた。
 シロとクロの話し声が眠りに落ちる直前まで鱗道の頭に届いていた。何を喋っているのかまでは聞き取れていない。ただ、クロが猪狩相手では参ってしまうと懸念するならば、シロ相手でも苦労が絶えないだろうな等と考えていた。勿論、杞憂であるかもしれない。クロという個人の意思としても、意思存在という此方の世界と彼方の世界の両方から微妙にズレている存在としても、鱗道は出会って一日目なのだ。互いに、何も分かっていない。
 答えは急いだところで得られるものではない。実際の結論は、いずれクロが自ら出すだろう。嫌ならばやめれば良いという気安さは、鱗道の協力者を名乗り出たクロも質屋という選択肢を与えられた鱗道も同程度だ。選んだつもりになっているだけの与えられた物であったとしても、選択肢に準じ続けなければならないという決まりはない。辞められることは、辞めれば良い。好きにしてよいのだ。
 ただ――余程のことがない限り、クロは鱗道と共にいることを選ぶだろうと思っている。第三者の思考や行動によって受ける刺激を楽しいと思うならば、鱗道でも理解が及んでいない人間社会というものは恰好の学び対象になるはずだ。そうなれば意思疎通が円滑に出来る鱗道はクロにとって重要な存在である。と、なれば鱗道に代わるものが出てこない限り、クロは多少の不自由や不具合には目を瞑る筈だ。学び対象を前にして挑むことを止めたりしない。なにせ、クロは昴や屋敷に染みた意思存在とは違って、どこかの誰かと同じように諦めが悪いのだから。

       

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Neetsha