Neetel Inside 文芸新都
表紙

グレイスケイルデイズ
-06-

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「さて、まずはクロの助言に従わせて貰おうか。質問の正解は、俺みたいな一般人でも知ってるモンなのか?」
 指を鳴らし、猪狩が問う。それに蔵の主からの返答は、
『是である。人間が知ることの出来ない知識や世界にのみ存在するものが解ではない』
 やはり、軽さや華奢さなどとは無縁の、重く頑強でざらつきのある声で鱗道に届いた。カルタが返答を全て並べ終えるまでには時間がかかるが、猪狩はそれをじっくりと待っている。猪狩が読み終えただろう頃合いに、鱗道は床を小突いて猪狩を呼んだ。
「さっき俺がした質問もお前の今の質問も、向こうが答える時は普段と声が違う。ただ、是か非か、ってだけじゃない部分もそうなんで嘘を言わないっていう向こうの決まりに則った答えだ、ってことだろう……まぁ、それがなんだって話かもしれんが」
「へぇ? それは大事なことだぜ。雑談なのか返答なのか、お前には分かるってことだろ。答えン中に普段の声が混ざったら、そこには嘘があるかもしれねぇと考えられるわけだ。妙に情報が増えてきた時にも充分判断材料になるぜ。実際に、奴さんの返答に声がごちゃごちゃ混ざってきたら教えてくれ」
 便利なもんだ、と猪狩は高らかに口笛を吹き上げる。一方で鱗道は感心の息を漏らした。鱗道にとっては声が違うというそれだけの出来事を、猪狩が扱うとそれも情報に早変わりする。是非に続く言葉が返答に準ずる物かどうかは、猪狩の言う通り大きな手がかりになりそうだ。
「んで、答えは俺でも分かるようなモンってのは確定って訳だ。まぁ……ここにあるモンが軒並み古いモンばっかりなんで、今でもしょっちゅう見掛けるモンかどうかってのは考えなきゃならねぇだろうが」
 時代のズレがある、と鱗道が猪狩に話していたことを覚えていたらしい。認識のズレは嘘に当たらない、ということを言っているのだろう。猪狩は首を大きく傾けて、ゴキリと音を鳴らすと、思い出したように、
「そういや、解答権は一回限りってわけだが、質問には回数制限はねぇだろうな? カミサマってのは寛大なモンってのが相場だけどよ」
 と、問い掛けた。蔵の主は猪狩の言葉に笑うことから始め、
『一言多い人間だこと――是である。解答権は一度、答えられぬ質問もあるが回数に制限は設けぬ。同じ質問を繰り返しても構わぬが、今の所は、としておこう』
 最初のみが華奢な声、続く言葉は全てざらついた声であった。カルタが並び始めた時に、ここから声が変わったと鱗道は猪狩に小さな声で告げながらカルタの側に手を置いた。今後も、声が混ざればそのように言うことにしよう、と締めくくった頃、
『いかに寛大な心といえど、限度というものはあるものよ。妾は一柱に数えられるような物ではない故、あまり期待を寄せられても応えきれぬやもしれぬ』
 全て、華奢な声で返された。猪狩に声質の変化を伝え、扱い方を聞いたことで鱗道もまた返答の受け取り方を理解する。質問回数に制限はないが、蔵の主の裁量一つで締め切れる、というのは揺るがない決まりだ。ただ、その裁量は何を基準に下されるかは決まっていない。それこそ、文面通りに蔵の主の気を損ねたらかもしれないが、簡単に質問を締め切ってしまうと蔵の主に対して有利すぎて決まりを強いるには不平等だ。と、なれば決まりとしての効力が薄くなる。強い決まりである以上、質問回数に制限はないと考えて良いのだろう。
「こうやって確認しながら答えを探していくんだな」
 往復一回のやり取りでもこの情報量である。鱗道はこめかみに手を当てて小さく呻いた。
「結構、俺達側が思い込んでるだけってこともあるからな。取り敢えず、回数制限がねぇなら気になったことは今みてぇにルールに関してでも、あとは些細なことだと思っても確認しといた方がいいぜ。向こうは質問に答えるが、逆を言えば質問されなきゃ言わねぇことがあるってことだ――っと、そうなると、ルールの確認をもう一つしとくか。時間制限はあんのか?」
『巨体の割に小心な人間だね――非である。ここに留まっていられる限り、制限は設けぬ。長居されるのは好まぬが、人間ではない妾が決めるのは問題であろ?』
 疎通に問題がない会話ほどテンポ良くとは言えないが、蔵の主と猪狩のやり取りには大きな不備がないように見える。質問の応酬に慣れている二人を横目に、鱗道もまた考えと視野を巡らせることにした。いつの間にか、蔵の二階から蔵の主の力であろう薄布の殆どが見えなくなっている。鱗道達の思考を邪魔すまいという配慮かもしれないが、クロは未だに白いミノムシのままだ。クロに対する態度からして、よっぽどのカラス嫌いなのだろう。
 それ程カラスを嫌う――蔵の主、あるいは箱、と言っているがこの声は何者だろうか。それが問い掛けの答えになるのだろうが、声を発しているのは箱そのものではない、と鱗道は考えている。語り手が箱であるとしたら、妙なことが幾つかあるのだ。それを何時、猪狩に相談すべきかと思っていると、
『ところで、呼び名を教えて貰うわけにはいかぬかえ? どうにも不便で仕方がない』
 カルタが表す文面に猪狩の表情が硬く締まる。表情そのまま、鱗道に向ける視線は、明らかに問うているものであった。名前を教えても構わないものなのか、と。
 猪狩は〝彼方の世界〟を一切見聞出来ない男であるが、学生時代は鱗道よりも様々な出来事に――避けられる幽霊関連は可能な限り避けながら――首を突っ込んでは、鱗道の蛇神の代理とやらを検証すると称してを引っ張り回してきた人物である。感知できない一方で、経験と知識はただの一般人と呼ぶに憚られるほど蓄えているからこそ、名乗ることに抵抗を覚えて鱗道に確認しているのだ。
 強い力を持っている相手であればある程、安易に名前を知らせることは避けるべきだ――というのは、鱗道が代理仕事を継いでからしばらくの間、蛇神に口酸っぱく言われたことであった。名前は意思や存在に強く干渉する切っ掛けになる。人智を超えた存在に名前を知られ、あるいは奪われて悲惨な目に遭うというのは怪談にも良くある話だ。鱗道が実際に遭遇したことは少ないが零ではない。経験があるからこそ、鱗道は二階に上がってから猪狩の名前を呼ぶことを避けていた。猪狩は普段から鱗道を昔の渾名でしか呼ばないだけであるが、鱗道が意識的に猪狩の名前を呼ばないことに気が付いているはずだ。猪狩も鱗道と行動を共にしている時に一度か二度は立ち会い、偉い目に遭っているのだから。
 さて、今回の相手はどうであろうか――とじっくり考えてから、鱗道は猪狩の視線に頷いた。
「普通なら名乗るな、と言うが今回は問題ないだろう。決まりを定めたのは向こうだ。決めた当人であっても、一度強いた決まりを破れば痛い目を見る。俺達の名前を知ったとしても、扱いを間違えれば向こうが自滅する」
「決まりってのは……外に出るためには正しい答えを云々って奴か。他人に守らせるために、まずは自分で守らなきゃならねぇことがあるってわけか。そいつは非常に好感が持てるぜ。聞かせてやりてぇ人間もごまんといるからな。まぁ……呼び名として使うくらいなら、名字だけで充分だよな?」
 鱗道と猪狩のやり取りを聞いていた蔵の主は、目があれば瞠目しているだろう声で唸った後、
『是である。聞いた名を使って、妾が何かすることもないと断言しておこう』
 ざらついた声で宣言した。捲れるカルタに対し、確定された内容であることを猪狩に示唆する中で、今度は華奢な声がさも愉快であると隠さずに、
『面白き者よな。代理殿も充分悩ましく面白き人物であるが、お前のように妾の声も姿も分からぬくせに全てを受け入れ、にも拘わらず警戒も疑いも欠かさぬような、ただの人間など初めてであるよ。妾への問いの内容も名乗りも、慎重と言うより小胆よな。まるでイガグリのようでいじらしいこと』
 語る声には捻くれた性分故に滲まざるをえない嫌味はあるが、強い悪意や嘲りはないものであった。が、それらは聞こえない猪狩には伝わらない。並ぶ文字だけを見れば――今までのやり取りも相まって、侮蔑や嘲笑と読み取るのは当然である。
「さっきから、そっちだって一言も二言も多いじゃねぇか。好きに言ってくれ。痛い目を見たくねぇんだよ」
 鱗道が弁解をするべきか、と悩んでいる間に、猪狩が舌打ちと共に吐き捨てるように言った。蔵の主は機嫌を損ねるでも謝意を示すでもなく、
『好きに言うとも。お前の警戒が妾にはよく分かる。妾はそれを悪しきとは捉えぬ故に、大いにお前は警戒すべきだ』
 ただただ平坦。それこそ文面からのみ読み取れる感情そのままに、ただ、静かであった。
「……蛇神や、代理についても知っているようだが、一応、名乗ろう。鱗道だ」
 両者とも口を開く気配がない沈黙がのさばっていた。鱗道の言葉は状況を打開するためだけのものである。クロが鱗道を呼んだのを聞いて、蔵の主は『まさかと思った』と言っているのだ。鱗道の名――蛇神の代理を務める人間の名字を、蔵の主は知っていたのである。実際に蔵の主の返答は、
『代理殿の家名は存じておりまする。御柱様を象徴するが如き名よ。今後、鱗道殿とお呼びした方がよろしいか?』
 承知を告げ、蛇神に対する畏敬に満ちたものであった。糸でつられた振り子のように定まらず、苛烈な性分も持ち合わせているが、蛇神に対する対応は万事揺るがず畏敬に満ちている。何か恩があるか、それ以上の思いがあるかは分からないが、蔵の主にとって蛇神は相当に高位な存在なのだろう。代理の人間でしかない鱗道に対しての敬いは上辺だけであることを、最早取り繕おうともしていないのだが。
「いや……代理でいい。アンタも、その方が呼びやすそうだ」
『では、そのように。して、もう一人は?』
 鱗道と蔵の主のやり取りに、カルタの速度は間に合っていない。猪狩の視線はカルタに落とされてはいたが名前に関する鱗道と蔵の主でのやり取りであると分かっている以上、一言一句を読み取ろうとはしていないだろう。それ故か、カルタの文面が自身に向いているのだと猪狩が気が付くまでに少しの間があった。
「猪狩だ」
 と、猪狩は顔を上げ、不服げに答える。名乗りを受けた蔵の主は、ほうと純粋に興味深げな感嘆を漏らした。
『イガリ? 字面は何と書くのかえ? 井戸の井かい? それとも、伊賀だの伊達だのと使われる人偏の伊かい?』
 字面まで問われるとは思っていなかったのだろう。猪狩は戸惑いと驚きで口を固く結んでいる。鱗道が助け船を出し、珍しい名字に対する単純な問い掛けであることを補足してからやっと、
「細けぇ事を気にする奴だな。イノシシだ。イノシシ狩りで、猪狩ってんだ」
『ほう、ほう。そうかい。シガリと読むのは知っていたが、それでイガリとな。しかし……そうかえ。イノシシ――猪か。猪もまぁ、好まぬがそれよりも……蛇と猪の揃い踏みとは、妾にとって凶兆か吉兆か――また分からなくなった』
 ぱたぱたと捲れるカルタを猪狩が読み終えてもなお、蔵の主は唸りながら考え込んでいるようであった。鱗道と猪狩は自然と顔を見合わせ、結局は猪狩に責っ付かれて、
「何をそんなに考え込んでるんだ?」
 と、鱗道が問う。蔵の主は悩ましげに、僅かなやり取りの間にあった愉快げな空気などすっかり失せて憂鬱そうに溜め息を漏らした。
『蛇の毒は容易く猪を殺すが、猪もまた強靱な顎で容易く蛇を食う。単に出会えば食い合う獣であるが、干支に倣うと一変する。巳年と亥年は向かい合わせの守り干支。それに沿えば補完の一対。今までのやり取りを見ている限りでは、貴殿等の一対はどちらの並びか判断がつかぬ故に悩ましい。妾が、貴殿等はどちらのどのような一対ぞ、と問うたところで答えられるものでもなかろうし』
 ――まるで占い師か祈祷師だ、という一言を鱗道は飲み込んだ。凶兆吉兆守り干支……等と言うのは、ただの験担ぎと言うより本気の信心のように聞こえたからだ。蛇神に対する大きすぎる畏敬も信仰だと考えれば納得がいく。蔵の主は〝彼方の世界〟の存在ながら妙に信心深いところがあるらしい。カラス嫌いやイヌを好むというのもただの好みの問題ではなさそうだ。一方で、そう言ったものは都合良くしか信じない猪狩を見れば鱗道の想像通り、カルタの文面をげんなりとした表情で見ている。
「呼び掛けるのに困ってるのはこっちもなんで、アンタの呼び方も決めておきたい。答えを言うわけにはいかんだろうが……なんて呼べばいい?」
 蔵の主を放っておけば、ずっと考え込みそうな雰囲気があった。鱗道の問いは、蔵の主を思考から引き離すのに一役買ったようである。憂鬱さが増した声は変わらないが、語調としては軽い会話として返ってくる。
『確かに……今後のやり取りにあたって、妾にも呼び名が必要ですな。見たままに箱と呼ばれても構わぬが、ここには箱が多すぎまするし』
 短い笑い声と一拍挟んだ後の声は、今まで通り華奢で憂鬱げだ。しかし、明らかに挑発的な響きを伴い――捻くれた性分を表しているかのようであった。
『それでは、妾は〝藪〟と呼ばれましょうぞ。当然、妾は藪ではない。妾はオモテを藪の中に溶かし、今は藪と一体になっているもの。妾を見付けるために藪に踏み入り、問いを持って藪を引き剥がすことがそちらのすべきことである。なぁに、蛇も猪も藪に潜む生き物ぞ。多少の長居も心地悪くはなかろうと思われまする』

       

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