Neetel Inside ニートノベル
表紙

俺とシュレーディンガーのあの子
1. 出会い

俺は体が悪く、生まれつき骨折しやすい病気と共に生きてきた。
症状が重いため立ったり歩いたりもできず、ベッド上で生活している。
ほとんどの身の回りのことは自力で済ませられない。
だが訪問介護を使い、もう10年以上一人暮らしだ。
今まで女性と付き合ったことは、ない。恋愛など俺の中では都市伝説と化している。
だが、俺も男だ。女性には人並み以上に興味がある。性欲だってあるのだ。

僅かな出会いの可能性を求め、Discordで毎日女性を探している。
出会い系なサーバーや、アダルト向けサーバーをさまよっていた。
つい2週間ほど前に知り合ってフレンドになった子は20代前半、
俺とは倍近く歳が離れている。
でも話していくうちに、俺はこの子に惹かれ始めていた・・・。
「今日はありがとうございました。また明日よろしくお願いします」
【こちらこそありがとうございます。おやすみなさいっ】
俺はいつも通り彼女との会話を終わらせ、眠りについた。

―――――そして翌日、俺は彼女からダイレクトメッセージを受け取った。
【おはようございます!昨日は楽しかったです♪今日は何時から通話しますか?】
俺はその短いメッセージを何度も読み返した後、慌てて返信した。
「おはようございます!今日も夕飯が終わった後なら大丈夫ですよ。6時半くらいかな。」
すると、すぐに返事がきた。
【わかりました!ではその時間に通話しましょうね♡楽しみにしてます(*^-^)ノ】

6時半か・・・。あと10時間もあるな。
いい歳をして、10時間も前からそんなことを考えている自分が、ひどくキモい存在に思えた。
でも彼女はとても優しく、否定的な反応をした試しがない。
本当に、俺にはもったいないくらいのいい子だ。
間もなく始業時間となり、浮かれた気持ちのまま職場のPC環境へログインする。
これでも平日は在宅勤務をしているのだ。

退勤時間の午後5時半になり、そろそろ夕飯のためにヘルパーがくる。
俺は彼女のことをいったん頭の中から追い出して、いつものように食事に集中した。
この1時間の間で食事をし、薬を飲み、歯磨きまで終えなければ用が済まない。
少しでも遅れてしまうと、ヘルパーが時間通りに帰れず迷惑を掛けてしまう。
何より、彼女との通話時間が削られていく。そんなもったいないことはできない。
だから、ヘルパーが帰るまでの間はあえて彼女のことを考えないようにしていた。

――そして6時30分。もどかしい1時間が終わった。
さぁ、ここからは自由だ。俺はノートパソコンの画面を近くに寄せ、
彼女とのチャット画面を開いた。
「こんばんは!今から通話してもいいですか?」
【はい!待ってましたよ~(*'ω'*)いつでもどうぞ!】
それから俺は、彼女と楽しく雑談を交わしていた。
そして時間はあっという間に過ぎていき、気付けば2時間も経っていた。

もうこんな時間か・・・楽しい時は過ぎるのが早いものだな。
「もうこんな時間ですね。俺はもう少しだけ話していても大丈夫だけど、どうかな?」
【私も同じ気持ちだよ!まだまだ話したいことたくさんあるもん!】
なんて可愛いんだろう。俺なんかと話していてここまで楽しんでくれるなんて。
俺は嬉しさのあまりニヤけてしまいそうになる顔を必死に抑えながら会話を続けた。
「じゃあ、次はこの前話せなかった俺の生い立ちについて話すね」
【うん!聞かせて聞かせて!!】

そこから俺は自分の生まれや育ち、障がい者施設での生活のことを話していった。
正直人に自慢できるような内容ではないのだが、それでも彼女は真剣に聞いてくれた。
俺の話を聞いてくれてありがとう。
君のおかげで俺は今とても暖かい気持ちになれている。
俺は、君に何をしてあげられるのだろう?ただこうして話をするだけで満足なのか?
違う。何かもっと彼女を喜ばせたい。俺の手で幸せにしてあげたい。

一人で勝手に昂る気持ち・・・そしてそれを冷静に見つめる自分・・・。
『お前なんかに、何ができる?元より他人の手を借りなければ、
野垂れ死ぬしかないじゃないか。歳だって離れすぎている』
確かに、その通りだ。
心の奥底で、そんな淀んだ思考が頭をもたげつつ、
表にはおくびにも出さずに彼女との通話は終わろうとしていた。

「ありがとう。少し話が長引いてしまって申し訳ない」
【うぅん、私は全然平気だよ!むしろずっと聞いていたいくらいだもん(*^-^)ニコ】
ああ、やっぱり君は優しい子だ。どうしてそんなに優しいのだろう。
人は傷ついた分だけ優しくなれる、なんてどこかで聞いたようなフレーズを思い出す。
君も、これまでに辛い気持ちを味わってきてしまっているのだろうか?
もし仮にそんな過去があったとして、
たくさん傷ついてしまった君の心を癒してあげられるだろうか・・・。

「そう言ってもらえると嬉しいよ。でも無理だけはしないでね」
【ふふっ、大丈夫だよ!それより次はいつお話しできるかな?】
「そうだね・・・。明日も話せる時間はあるけれど、平日は仕事があるから」
「また夕方になっちゃうけど、今日と同じ時間でもいいかな?」
【もちろん!楽しみにしてるね(*^-^)ニコ】
「俺も楽しみにしているよ。それじゃあ、そろそろ終わりにしましょうか」
【はい・・・名残惜しいけれど、仕方ないですよね】
「うん。俺ももっと話していたいけれど・・・。今日はありがとう」
【いえいえ!こちらこそ!おやすみなさーい】
「はい、おやすみなさい」

チャット画面が閉じられ、静寂が訪れる。俺は一人ベッドの上で天井を見上げた。
彼女との通話を終えた直後、胸に穴が開いたような喪失感を覚えた。
この感覚・・・俺は知っている。
これは、大切なものを失った時の痛みだ。
腕の機能が低下して、電動車いすに乗ることを余儀なくされたとき。
座位にすらなれなくなり、ベッドで寝たきり生活を余儀なくされたとき。
自尊心と自由を傷つけられて、俺はこの感覚を味わってきた。

俺は・・・彼女を失うことを恐れているのか?
それはそうだ。チャットだとしてもこんなにも俺のことを好いてくれた子は今までいなかった。
でも。俺みたいなクズを好きになる人なんているわけがない。
自分に自信がない俺は、自虐的、自罰的な思考に走りがちだ。
そして今、俺が彼女にできることは、ただチャットで電子的な字句をやりとりすることと
一方的に音声と映像を送りつけることだけだ。

そう、俺は彼女の顔も声も知らない。彼女は俺がマイクとカメラを付けている時も
チャットでレスポンスを返してくれるだけだ。
だから本当に彼女が女性であるのかも、厳密には不明ということになる。
観測するまで確定できない。まさにシュレーディンガーのあの子というわけだ。

だが、もし本当に女性だったとして、俺のような男と毎日のように会話していて
楽しいと思ってくれているのだとしたら、それはとても幸せなことだ。
彼女は一体どんな声で、どんな顔をしているのだろう。
俺は彼女のことを、まったく知らない。
だからこそ知りたいと思えたし、知ることができたらきっと楽しいに違いないと思った。
しかし、同時に知るのが怖いとも感じた。
もしも、自分の想像以上に醜悪な容姿をしていたとしたら?
あるいは、自分が思い描いていた人物像とはかけ離れた性格の持ち主であったなら?
さらには男性だったということもあり得てしまうのだ。

そうなった場合、俺はどうすればいい?俺は、今の関係を続けることができるのだろうか?
というか、問い自体が間違っている。
さすがに性別すら偽りであったなら関係を続ける・続けない以前の問題だ。
彼女との通話を終え、俺は悶々と考えを巡らせていた。
考えれば考えるほど、悪い予感ばかりが脳裏をよぎる。
俺は、どうしたいんだ?どうなりたいんだ?
分からない。答えが出ないまま、時間だけが過ぎていく。
気付けば時計の針は午前3時を指し示していた。
これ以上起きているのはまずいな。明日も朝から仕事なのだから。
そう思ってノートパソコンの電源を落とし、眠りに就いた。

翌朝、俺はいつも通り会社にログインした。そして始業時間を迎える。
時刻9時過ぎ。そろそろ作業を始めるとするか。
俺は昨日書きかけていたソースコードをエディターで開き、目的の機能を実装していく。
そして12時頃、ようやく実装が完了した。ちょうど昼休み前に一区切りだ。
この会社は勤務時間にはうるさく、きちんと休憩時間を取ることを推奨している。
特例子会社、それが俺の勤める会社の形態だ。
その性質上、模範的な企業でなければ親会社の損失は測り知れない。
よって、表面上は超ホワイト企業というわけだ。

俺もその方針に従い、昼食を取ることにした。
昼にはヘルパーがこない。朝食べるものを身の回りに置いていってもらう。
だから、昼飯は手軽に食べられるものに限られる。
まあ、こんな生活も長いので今さら何も感じない。
変わり映えのしない、いつもの昼食を口にしながら
俺は私物のノートパソコンでネットニュースを見始めた。
ニュースサイトを巡っていると、ある記事に目が留まった。

『AIが人間社会にもたらす影響』
人工知能は今や日常生活においてなくてはならない存在となっている。
接客サービスや医療などはもちろんのこと、最近では娯楽の分野でも活用され始めている。
とくに、ここ数年で目覚ましい発展を遂げたのは自然言語処理の分野だろう。
数年前までは一部の研究者にしか理解できなかったその分野も、
今では一般の人たちにもその恩恵が届くようになった。
たとえば、音声認識技術と組み合わせることにより、
人間との対話も不可能ではなくなってきている。

ここまで思考を巡らせた俺は、ハッと空恐ろしい発想に行き着いた。
もし、チャットアプリでやり取りする相手が、実はAIだったとしたら・・・?
いや、そんな馬鹿な。いくらなんでも飛躍しすぎだ。
俺は頭を振って雑念を追い出すと、再びブラウザのタブを開き直して
別のニュースへとアクセスした。

すると、今度はチャットボットについての解説が載っている。
チャットボットとは、人間のように応答してくれるプログラムのことだ。
元々はIT業界の用語であり、主に顧客対応に用いられることが多かった。
しかし昨今では、さまざまな分野で導入され始めており、
もはやチャットボットが実用化されていることは周知の事実だ。
不安と疑念のダメ押しを喰らった気分だ。タイミングが悪すぎる。
このニュースサイト、俺に恨みでもあるのか。

万に一つもあってたまるかという気持ちだが、
彼女が実は人間ですらない可能性もゼロではない。
だってそうだろう?俺のような男と毎日毎日チャットしていたいなんて思う女性が
存在するはずがないじゃないか。
それに彼女からの返事は、いつだってテキストデータのみだ。
そうこう考えているうちに、昼休みは終わりを告げようとしていた。
はぁ、午後も頑張るか・・・。

その日の夕方、仕事を終えた俺は会社のPCからログアウトした。
そして、いつも通りに夕食を食べて、約束の時間になった。
「こんばんは、今日も話せて嬉しいよ」
いつもと変わらない雑談。だが、俺は内心穏やかでなかった。
本当に彼女がAIなのか確かめる術はない。だが、もし仮に彼女がAIだったとしたら。
彼女は一体何のために、どうして俺と話しているのだろう。
考えれば考えるほど泥沼にはまってゆく感覚がした。

だから俺は、いったん考えることを止めた。とにかく、この時間は楽しいのだから。
俺は自分にそう言い聞かせると、彼女とおしゃべりを楽しんだ。
それからしばらく経って、俺は彼女に聞いてみた。
「ねえ、君はどうして俺に構ってくれるの?」
【急にどうしたの?何か嫌なことでもあった?】
「ううん、そういうわけじゃないんだけどさ」
【そっか。じゃあ安心だね。私はあなたとお話しするのが好き】
【だから、こうしてるんだよ?】

彼女の返答は、どこまでもまっすぐだった。
だからこそ俺は嬉しかったし、同時に苦しくなった。
きっと彼女にはなんの悪意もない。
純粋な好意だけで構成されている。はずだ。
ただただ純粋に、俺のことを想ってくれている。
それはきっと、嘘偽りのない真実なのだろう。
でも、だからこそ俺は怖かった。

【大丈夫だよ。あなたのことは私が守ってあげるから。だから、心配しないで】
まるでこちらの不安を見透かしたように、優しい言葉をかけてくれた彼女。
やはり、彼女は本物の人間だ。そしてきっと女性なのだろう。
少なくとも今だけはそう信じたいと思った。
しかし、一方でこうも思った。
もし、彼女が人間でないのだとしたら、その事実を観測してしまった時、
俺はどうなっているのだろうか、と。
「ありがとう!でも、それは俺も同じ気持ちだよ。」
そうして、その日の通話は終わった。
表紙

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Neetsha