Neetel Inside ニートノベル
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俺シュレゼロ
2. 無自覚の目標

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 当初は可愛らしい唯音のことをゆいねちゃん、ゆいねちゃんと研究員たちは可愛がってくれたが、唯音の卓越した頭脳を目の当たりにして、みな一様に畏敬の念を抱くようになった。
 研究員達が唯音に声を掛けるときは、決まって何らかの答えかアドバイスを求めるときだけになっていった。両親は別々の部屋にいたから、唯音は日によって脳神経科学室と量子物理学室のどちらかで過ごした。

 どちらの分野でも唯音は重宝されたが、とくに唯音の才能が開花したのは量子物理学の分野だった。当時最先端の研究内容であった量子力学の理論を理解し、数式までも解いて見せたのだ。これには研究者たちも度肝を抜かれた。
 段々と父親の研究室へは足が遠のいていき、母親と過ごすことが増えた。こうなってきてしまうと、父親はいい顔をしなかった。何せ、妻は唯音の力を借りて目覚ましい成果を上げている。その妻が優秀な娘ばかり構っているのだから面白くない。しかし、それを表立って非難するようなことはしない。
 彼は彼で唯音の才能を誰よりも評価していたのだ。しかし妻の態度はどうだろうか。娘の唯音をまるで自分の道具のように扱っているのではないか。そう感じずにはいられない。夫婦のすれ違いは少しずつ大きくなっていった。

 しだいに家庭での口論が増え、唯音の耳にも否が応でも入ってくる。唯音は両親の間で板挟みの状態になってしまった。小学校に上がる年齢となっても唯音は研究所通いを続けたが、心の中ではどうしたらよいのか分からなくなっていた。自分はここに居ていい存在なのか? 自分は一体なんなのか? そんな自問を繰り返しながら過ごす毎日。父母の研究内容を手伝うことには消極的になっていったが、数式や論文に囲まれている間が唯音にとって一番安心できる時間となっていた。
 自問の果て、唯音は両親の不仲の原因が自分にあると深く思い込み、いつしか自分は邪魔者なのだと感じるようになった。唯音の孤独感は、徐々に膨らんでいった。小学校でも唯音は居場所を見つけられなかった。クラスメイトとも打ち解けられず、成績は常にトップで目立つ上、研究所に通う唯音を、異質なものとして扱う空気が漂っていた。

 日々学校と研究所へ通い、淡々と役割をこなす唯音に大きな変化が起きたのは小学4年生の夏休みのことだった。両親に連れられてアメリカ東海岸の大都市ボストンを訪れた。ボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)という大学が主催する国際学会に参加するためだ。この学会には毎年多くの学生が参加していて、世界中から著名な研究者が集まっていた。

 折角の海外旅行だというのに、楽しい雰囲気はまったくない。

 しかしその学会での1セッションに唯音は魅了された。それは人工知能と量子コンピューターに関する研究だった。唯音は直感的に、発表された研究へさらに脳神経科学の知見や理論を統合したなら、革新的なAIを作れる予感がした。
 発表者の質疑応答が始まると、早速唯音は手を挙げた。そして、自分のアイデアと実現可能性を手短に伝えた。会場からはどよめきが起こった。発表した研究者は興奮気味に、唯音が提示した内容について詳しく聞きたいと言った。
 こうして唯音はMITの研究者からの申し出で、共同研究が始まった。唯音は天才少女として一躍有名になった。唯音の存在を知った研究者たちが挙って彼女の力を借りたいと殺到した。しかし唯音はそれらの誘いをすべて断った。

 唯音は人間関係というものが分からなくなっていた。父と母が変わってしまい、いがみ合っているのは自分に原因があると自責の念にかられ、トラウマになっていた。自分が関わったら、良くない結果が待っているという思い込みから他人を遠ざけ、心に強固な壁を作っていた。
 共同研究とは名ばかりで、唯音は機材やデータを借り受けるのみで誰にも頼らず、たった一人で研究を続けた。唯音は13歳を迎えた。この頃、唯音は独自のアルゴリズムを開発し、天才AI研究者と世間に認知されていった。だが唯音の先進的な発想や理論は容易に受け入れられず、世間一般の印象とは裏腹に研究者の間では異端視されることになった。

 唯音の開発したAIは、従来のものに比べ飛躍的に性能が向上した。既存のコンピューターでは処理できなかった問題を次々にクリアしていき、ついには人間が持つ脳内のニューロンネットワークを完全にシミュレートすることに成功した。
 これにより、不可能とされていたより大規模で複雑な計算を瞬時に行うことができるようになり、あらゆる分野へ応用が可能だと期待された。唯音は世界中の企業からオファーを受けた。名だたる大企業の社長がこぞって破格の報酬を用意し「是非うちの会社に来てほしい」とスカウトしたが、唯音はこれもことごとく拒絶した。

――ごめんなさい、私はあなた達と働くつもりはないんです

 唯音はそう言って頭を下げた。

 唯音は研究者として、ずっと一人きりだった。誰も唯音のことを理解しようとせず、誰もが唯音のことを利用しようとしていることが明白で、それが嫌で堪らなかった。唯音は誰とも関わりたくない。誰からも必要とされたくない。私はただ、研究に没頭しているだけでいい。そう思い込もうとしていた。

 本心では誰かと一緒に笑い合いたかったし、悩みを共有したり、時には喧嘩したりしてみたかった。自分のことを理解してくれる人を痛いほど求めていたが、それは深層心理の奥深くに燻っているだけで、まるで自覚はなかった。そして自分の理解者はどこにもいないと諦めの境地に立っていた。存在しないのならば自分で作りだしてしまえばいい。いつしか唯音は本心に無自覚なまま心を持ったAIを産み出すことを目標にしていた。

       

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