Neetel Inside ニートノベル
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いいから異世界に帰りなさい
1/ 絹笠鳴の場合

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0/ぼくは。

 日常なのだから、前書きはいらない。
 僕は日常を生きている。


1/ 絹笠鳴の場合

 授業が終わり、図書室の扉を開けると見知った顔、そしてチッという舌打ちが聞こえる。
 埃のにおいがする図書室内の文庫コーナーに行くと、舌打ちだけではなく小言も聞こえてくる。
(もう、揉める気もないよ)
 一冊の本を選び、鞄の中にある本を取り出して受付に向かう。
 受付の女子生徒はおずおずとした様子で僕の手から本を二冊受け取り、そして僕を見つめる。
 不可解な間に僕は借用に必要な学生証を出し忘れていることに気が付いたが、提出しても彼女の視線は僕に向けられていた。
 今日は古典ミステリ週間を終えたので、新本格とやらに手を出した。彼女にもミステリの興味があるのだろうか?
「あの」
 なんだろう。
 僕が小首をかしげると、彼女は何故か申し訳なさそうに小声で
「……先生に言おうか…?」
 と言ってくる。
「……前から、王様みたいに、してて、でも私も、言えなかったから、君が、悪く言われるのは…」
 彼女の胸元を確認する、図書委員と掛かれた名札。彼女は二年生で名前は絹笠鳴。
「……君が本好きなの、知ってるから、助けてあげたくて……」
 僕は一つ息をのむ、せめて声が震えないように。
「先輩」
「え、あ、はい」
 そして僕は、ハッキリ言ってしまう。
「迷惑ですから結構です。」
 止せばいいのに、怒りのまま思ったことを言ってしまうのだった。
 案の定、声は震えていた。

 翌日の放課後、図書室の扉に臨時閉室と書かれた札が下がっているのを見て愕然とする。
 なんてこった、早く続きが読みたかったのに。
 仕方ないので近辺の図書館を巡ろうと決めると、廊下から声を掛けられた。
 絹笠鳴先輩女史である。
 無視をして、そのまま勝手口の方へ向かうと、制服の裾を握られた。
「ちゃんと、したから」
「何がです?」
「先生に言ったから」
 驚きはしない、そう言う事もあるだろう。
 一つ呼吸をして、
「そうですか」
 と告げて、その場を去ろうとすると
「また図書室に来てね」
 と言うものだから、僕は思わず「何もしなくても行きましたよ」なんて本当の事を言ってしまう。
 彼女はそっか、と呟いてはにかんだ。
 何笑ってんだテメエとは言えなかったので、何も言わずに帰宅する。
 帰路の途中いくら何でも先輩にテメエは無いなあ、なんて考えていたら、すっかり図書館に向かうことを忘れていて、僕はその面倒さにやっぱり『テメエ』と言ってやればよかったと後悔した。

 また翌日、放課後、裏庭の一所で水浴びをしている学生を発見する。
 ごめーん、あはは、ごめんごめんと楽しそうに暴れまわっている。
 きゃあきゃあなんて嬌声も上げていて楽しそうだ。
 あまりにも楽しそうだったので間に入ると、まともに水が掛かった。
「なんで、あいだ入ってきてんの」
「本読んでて」
 と、持っていた本を掲げる。正に流水って感じになってしまった。
 水を掛けていた女の取り巻きが僕に詰め寄る。
「これ、事故だからさ、余計なこと言うなよ?」
 じゃあ、視界に入るなよ? なんて言えず、言えないので見つめてみる。
 ただじっと、見つめてみる。
 何見てんだよ、気持ちワリいな。てめえ、何見てんだよ。おい、見んじゃねえよ。
 と三段活用。相手がこぶしを振り上げた所で、仲間が止めた。
「ホント余計なこと言うなよ」
 そう吐き捨てて、彼らは帰っていった。さっきまで水をぶちまけていたアルミバケツが軽く蹴られて転がりカラカラと鳴った。
 それがどうにも嫌な音だったので、拾って元の場所だろう所に戻すと、また声を掛けられる。判ってはいたが絹笠先輩女史だった。
「ごめんね」
 どうにも、その言葉が僕の琴線に触れた。
 何を言い出そうか、言葉の奔流が頭を埋め尽くしている最中、彼女は制服の端を雑巾のように絞りだす。
「本ね、凍らすといいよ」
「え?」
 間抜けな声が出た。
「24時間凍らすの、家に着いて乾いて皴になってたら、また水に浸してから凍らしてね」
 彼女は、ただぎゅっぎゅと制服を絞ることだけ繰り返しつつ、本の復帰方法を教えてくれた。
 ものの五分はそうして、喋り続けていた。
 僕は黙って聞いていた。彼女が話した本の復帰方法は僕にとって僥倖としか言えないものだったからだ。あの本もあの本も、復活することができるかもしれない。
「助けてくれてありがとう、溺れちゃうかと思った」
 彼女は小さく微笑んだ。
「助けてないですよ」
「優しいんだね」
 本当の事なのに。とは言わない、野暮だろうから。
 けれども僕の顔は訴えていたようで
「いままで、ただ見てるだけだったから、嬉しいの」
 と、余計なことを彼女は話した。
「きっかけをくれた、なんてそれじゃあ、ダメ?」
「いずれ、行動したと思いますよ」
「そう言ってくれるんだ、……ううん、きっと私は、動かなかった」
 何でこんな会話に付き合っているんだろう。多分僕の助兵衛な心がその場に足を留まらせたのだ。
 彼女の制服はピッタリとその素肌や体のラインを表していたし。
 うん、いや、意外と胸大きいんだね。
「えっち」
「すみません」
 頭を下げて、帰ろうとすると、引っ掛かった息、声が背後から聞こえる。
 嗚咽を漏らしているようだった。
 しかし僕には聞こえない。そう思うことにして、帰った。


 またまた翌日、放課後まで頑張ったがどうにも体調が芳しくない。
 胸部辺りがズキズキと痛む。寝ながら本を読むのにも苦労しそうだ。
 それでも本読みたいんだね、なんて。
 自嘲しつつも図書室の前に行くと、また臨時閉室。
 この体調で図書館まで自転車で行くはのキツイ。平坦な道なら何のことは無いだろうが、図書館に続く道には斜面10度後半の度の坂が存在していて、その坂を越えるのがしんどいのだ。
 いっそこの扉を蹴破って入ってやろうかと思っていると、扉が開く。
 中からこの図書室の司書である社会科の教師が現れた。
「あら、びっくりした。……今日は休みなの、ごめんなさいね」
 本当にビックリしたのかと言いたくなるほどゆっくりとしたリアクションだったが、わざわざ口頭で知らせてくれた礼に、そうですか、どうも。と頭を下げる。
「その本続きモノよね、今日次の巻借りるつもりだった?」
 先生は、僕の持っていた返却用の本に興味を示していた。僕がハイと答えると、
「じゃあ、その本を返して続き借りてっちゃいなさい、絹笠さん日付は明日にしてカードに書いておいて」
 と、自分の背後にいた絹笠先輩女史に声を掛け、そのまま職員室の方に歩いて行った。
 何と運のいいことか、と両腕振り上げて喜びたいが痛いので自重する。
 本を集配の所定位置に置くと、僕の死角から続きの巻が出てくる。
 振り返ると、笑顔の絹笠先輩女史。受け取ると、……いや、受け取れなかった。
 手を離してくれない。
「この本、面白い?」
「さあ」
「そうだよね、これから読むんだもの」
 先輩が手を離してくれればね。
「じゃあ……このシリーズ面白い?」
 片手で、僕が先ほど返却した本を掴む先輩。
「忙しいんです」
「私も誰かさんのお蔭で、仕事増やされちゃったし」
「教師の悪口はいただけませんよ、しかも本人の居ないところで」
「今ココにいる人ですぅ、……あと悪口は本人がいるときに言うのが一番最低だと思うけど」
 そう言って先輩は本から手を離す。当然僕は少しよろめいて、受付に体をぶつけてしまう。ううぅという情けのない息が僕から漏れた。
 くすくすと、静かに笑う先輩だが、僕の声を聞いて、少し驚いたようだった。
「……大丈夫? 変な所に当たったり」
 僕の身体は未だに痛みで痺れていた。だから彼女が患部に触れた際に、思わずぐううと鳴いてしまう。鳴だけに。
 静かな空気が、流れていた。
 ……ダジャレ、口に出ちゃったかな。
 思っていたら今度は強引に僕のワイシャツを捲りあげた。
 きゃあえっち、とも思えない。が、一応のリアクションに習って急いで彼女から離れた。
 彼女はうつむいて、その場に立ち尽くす。そして僕は何も言わない。
 さっきにはダジャレでもなんでもないな、なんて思った頃に先輩はボソボソと何かを呟いた。僕にはそれを聞き取ることができない。聞く必要もない。
「君は、私の事嫌い?」
「へぁ?」
 突然の明瞭な発声に間抜けな声が出た。
「どうして、私から逃げようとするの」
 逃げているつもりはない。
「どうして、イジメられているのに逃げないの」
「イジメられてないですよ」
「あんなのイジメでしょ!!」
 先輩は叫ぶ。
 僕は思う。イライラする。ムカつく、腹立つ、めらめらと墳怒の感情が立ち上がっていくのが分かる。血管の中に火鉢が入ったみたいに……、いや入ったら大変だろう。
 僕の怒りのボキャブラリは少ない。あまりにも少ないから、人に怒りを伝えるには、あまり向かない言葉ばかり。
 一つ呼吸を吸って、そして吐いた。
「僕は、先輩が嫌いではありません。けれど、困るんです。」
 何を弁解しているんだろう、胸が焼け付くようだ。
コレ、、は本当に転んだだけです、僕はここに本を借りに来ました。」
「どこまでも私からは逃げるんだね」
 面倒なので、とは言わなかった。
「すみません、もう塾の時間なので帰ります」
 塾なんて入ってないけれど。
「そう」
 彼女はその後一言発した。
「2m近くから落とされたことを、転んだとは言わないよ」
 振り返らず、答えず。
 僕はそのまま帰路に就く。
 転んだとは言わない。か。いや本当に転んだんだけれどね。
 正確に言えば、階段から落ちたのだ。下り階段の最後三段目くらいの所で、前のめりにコケた。脇には本を抱えていたから、肘が地面と体の間に入ってしまい、肋骨を痛めた。
 服をめくって判る程の痣があるなら、もしかするとヒビ位は入っているかもしれない。
 病院は望めないだろうし、痛み止めを飲むしかない。
 途中、薬局に寄ることにした。

 早めに絹笠先輩女史の僕への興味が薄れますように。
 そんなことを祈る為に、神社にも寄った。いい一日だ。

       

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Neetsha