Neetel Inside 文芸新都
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モンスター大図鑑
第五話

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タイトル:未完成    作者名:黄金水
名称:マーラカンス   属性:金
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「ペニスと関係あるのかなぁ」
 親友ユカリーが発した言葉に、私は驚天動地の心理に陥った。
「ペニス?」
「ペニス」
「どう見ても?」
「マーラー!」
 長らく放置されていた未編集の怪物図鑑。そろそろ何とかして欲しいと教員から頼まれた私は、卒論研究も兼ねて残務処理にあたった。やり始めてからすぐにビンボークジである事に気づいたが、時すでに遅し、念写画(魔導師が思念を紙に打って描かれた図画)やスケッチだけで生態も名称もわからない、実在すら定かでは無い、そんな怪物の資料ばかりが保管庫に溜まっていた。
 この奇妙な黄土色の魚のような、どことなく愛らしい姿にも思えた怪物の念写画を片手に、私は学院内をあてもなく彷徨った。類似する怪物の資料は一切なく、詳しそうな教職員や異国帰りの学生など何か知ってそうな人を訪ねては、この絵を見せて片っ端から聞いて回った。

 怪物の形状が男性器のそれに似ている事も知らずに。

 私は学院に入るまでは両親の過剰とも言える保護の下で育てられた。その為、この歳まで男性の身体についての知識は皆無だった。恥ずかしくて口にできるものでないし、興味があっても聞いたり調べたりする事も出来ず、周囲に調子を合わせながら今の今まで黙っていた。
「ペニスと関係あるのかなぁ」
「2回言わなくていいわよ!」
「ティー、知らなかったの?」
「うん……知らずに、いろんな人に聞いて回っちゃった……」
 念写画を見せた時の、皆のひきつったような笑いをこらえているような表情を思い出すと、私は恥ずかしくて死にたくなった。
「キャハハハハ!」
「笑わないで! いや、でも、いっそ笑って済ませてくれる方が有り難い……」
「ペニスと関係あるのかなぁ」
「なんで3回も言うの!」
 しかし、これが男性器の形状に似ているとわかったのは(私にとっては)大きな前進かもしれない。ユカリーの言うように、ペニス……男性器と何か深い関係がある、そういう怪物である事も否定できない。
「頭のおかしい魔法使いが悪戯で描いたものじゃない?」
「え?」
「こんなモンスター見た事無いよ」
「う、うん……そうかも……」
 その可能性も否定できない。編集は後回しにするのが賢明だろうか。
「マーラー!」
「ユカリー、それ、何の呪文?」
「ティーには教えてあげない♪」
「…………」
 ユカリーは決して悪い娘ではない、入学直後から口下手な私にも分け隔てなく接してくれた大事な親友、だけど……悪戯好きで尚且つストレートな彼女の物言いは今の私には少々キツイ。これ以上ネタにされてからかわれたら、恥ずかしさで頭がおかしくなりそう。既に私は思考の許容量を越えて発狂の一歩手前にあった。
「ありがとう、勉強になったわ、それじゃ……」
 礼を言うと私は逃げるように彼女の前から立ち去った。
「イエス、マーラ!」
 別れ際に彼女はまた呪文を唱えた。



 寮の部屋に戻って、お茶を飲んで一息。その後は、する事もないので未整理の怪物資料のリストに目を通す。
「卒業までに終わるかな……」
 膨大な数の項目が洪水のように頭に流れ込んできて、ふらりと気が遠くなった。すべてやる必要はないと先生には言われたけど、一度始めたことを途中で放棄すると言うのは、私は嫌だった。だから全てやり遂げると決めてこの作業を始めたのだ。
「逃げちゃいけない」
 全てやると決めているのだから、目の前の事象から逃げてはいけない。この男性器に似た形状だという魚の怪物も、結局は後で調べることになるのだ。ならば、後回しにすべきではないと、私は思い直した。



 夜になり、寮の明かりが石畳の道を鮮やかに照らす中、私はひとり部屋を抜け出した。丁度夕食時であったから、外にはまったく人影がなかった。
 私が目指したのは遠隔魔動器の開発の権威であり、若い頃は冒険者として世界で活躍していたルガー・ハーゴット先生の住処である。彼は異国の多種多様なモンスターの生態についても詳しい。この珍奇な怪物についても、実在するのであれば、何か知っている可能性が高かった。
 最初からルガー先生を訪ねなかったのは……私の中で先生に対する憧れの思いが強かったから。この学院にきて、いや、今までの生涯で初めて男性に憧れを持った人であったから。どうしても気後れして会いにいく事ができなかった。
 しかし今の私に迷いはなかった。目の前の調べるべき対象から逃げていてはこの図鑑は完成しない。そして自分自身の想いからも、逃げてはいけないと私は決意した。



「これは……マーラカンス!」
 夜遅くに住処を尋ねたというのに先生は嫌な顔ひとつせずに、温かい笑顔で私を迎えてくれた。五十近い年齢とは思えない洗練された若々しい肉体、柔らかで品のある物腰、常に遙か遠くを見据えているような深い透明の瞳に、思わず私は見惚れてしまう。そして先生は、ぼうっとしている私の手に握られた念写画を見るなり、驚きの声を上げた。
「これは……マーラカンス!」
「2回言わなくても」
「失礼……この新都魔法学院に資料が現存するとは想像していませんでした。ティリアインさん、この念写画はいったいどこに?」
「学院最下層の保管庫です。この怪物は実在するのですか?」
「ええ、おそらくは」
「おそらく?」
「マーラカンスは伝説上で僅かに語り継がれているのみですが、私は偶然にも、たった一度だけ遭遇した事があるのです。しかしまるで夢のような出来事であったので……あれが果たして現実であったのか、未だ確証が持てません」
「見た事があるのですね……どのような怪物だったのでしょうか」
「そうですね、あれはこの世のものとは思えない……どう説明するのが適切なのか、上手い言葉が思い付きません」
 ルガー先生は念写画をじっと見ながら考え込みました。私はその先生の真剣な眼差しに胸を揺り動かされるような衝動に駆られると、考えるよりも先に言葉を投げていました。
「ペニスと関係あるのでしょうか」
 先生は優しく微笑むと、無言で頷いて返しました。不思議な事に、もはや私に羞恥の感情はありませんでした。先生の目を真っ直ぐに見つめて私は聞きます。
「この地上に存在する、ほぼ全てのモンスターというものは、人間のイマジネイション……妄想や恐怖、憧れ、願望など様々な感情によって形成するのです」
「怪物は……人間から生まれるのですか?」
「そうとも言えますが、正確には少し違います……例えば魔界の悪魔が地上に姿を現す時、人間の想像できうる範囲でのおぞましい姿を彼らは取るのです。それ以外の姿では、人間に恐怖は与えられないからです。ドラゴンやグリフォンと言った怪物も、既存の動物の要素から形成されたイメージであり、実際のそれは違う姿だと言う学者もいます。ドラゴンもグリフォンもヌエも同じ怪物であると言う説は御存知でしょうか」
「はい……でも……」
 先生の言葉の意味は、その時はよくわからなかった。しかし私に何を伝えようとしているのか、その漠然とした思念が感じられ、そして私の身体の中で膨らんでいく。込み上げる思いが、次第に全身の血を熱くさせていく。
「そうですね、言葉だけではよくわからないでしょう……」
 ルガー先生の手のひらがマーラカンスの念写画に触れる。すると、紙片の端から端へと、朱赤い光の筋が通り抜け、弾けた。私の心臓がトクンッと高く心地好く鳴り響く。そして先生が紙から手を離すと……怪物の姿が写っていた筈のそれはただの白紙へと変わっていた。
「ティリアインさん、失礼を承知で聞きますが……処女でしょうか」
「はい」
「では……無理をする必要はないと思います。この怪物画はこのように、なかった事にされて……」
「私は逃げないと決めましたっ!」
 先生の温かい気遣いの言葉、それを有り難いと感じながらも私は強く打ち払うように語気を荒げて言った。
「見なかった事になんかできません! 人の勝手な想像が生み出した、誰が描いたかもわからない一枚絵であっても、それがあると知った以上は……逃げていては、前には進めません。私の叡智と本能が、それを求めているのです」
「ティリアインさん……」
「ティーでいいです、ルガー先生」
「わかりました」
 私はもう、自分の昂ぶる本能を抑え切れなかった。身体の全てが、先生の何かを求めていた。ローブの上着を脱ぎ捨てると、彼のたくましい腕の中に肢体を押し込んだ。
「見せて下さい……先生の……」
 甘い愛の囁きと、熱い溶け落ちるような接吻を幾度も繰り返した後……まるで夢のような、愛される事の幸福を身体の隅々にまで感じて、私の初めての夜が訪れた。



「これで、いいかな」
 夏休みが終わりに近づいた頃、図鑑の8割は完成し、後の作業は大きなトラブルもなければ、資料をまとめるのみで終わりそうだった。ライカンスロープ関連の大量の記述を終えた後、私はお茶を飲んでほっと一息つきながらも、手は自然と図鑑をめくって作業の漏れがないか確認していた。もはや身体が作業をするのが当たり前だと言わんばかりに、自然と動いてしまう。
「これで、いいかな」
 マーラカンスの記載されたページで、ふと、手が止まった。2枚の念写画に、各地の伝説や目撃情報をまとめたテキストと、私の描いた詳細な図解が最後に載っている。
「ん? ちょっと……」
 その念写画に私は違和感を覚えた。しばらく凝視して考え込んだ後、画を引きはがして手のひらをあて、魔光の念を送り込み……白紙へと戻す。
「マーラー!」
 呪文を唱えて、思念を紙に念写すると、再びマーラカンスの絵がそこに描かれた。しかし……またどこか、何かが違うような気がした。
「ううん、駄目か……」
 もっとよく、確認してから念写しようと思った。私が編集した怪物図鑑はずっと学院に残る、中途半端なものは残せない。中途半端で終わらせるのは、私は嫌いだった。マーラカンスのページに未完成を示すしおりを挟んでおく。
「…………」
 そう言えば、しばらく忙しくてルガー先生に会っていなかった。夏休み中に会いに行こうと思っていたけど、もうすぐ終わってしまう。新学期が始まってからでも会えるけど、私ももう上級生で後輩の指導もしなければならないし……何時の間に、最下層の資料室について学院内では最も詳しい人間になってしまったので、教職員から頼られる事も増えてしまった。十分な時間が取れるかどうかはわからない。
「イエス、マーラ!」
 私は資料と図鑑を棚にしまうと、急いで外出する準備を始めた。先生がいるかどうかはわからないけど、会いたい、どうしても会いたい。女性の本能と学者としての知的好奇心、その両方が抑え切れない。今度はどんな素晴らしい怪物を私に見せてくれるのか、楽しみで仕方がなかった。これ以上図鑑のページを、増やしたくはないけれど……。

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