Neetel Inside 文芸新都
表紙

モンスター大図鑑
第三話

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タイトル:竜と魔女   作者名:蟻(VIP学園生徒会邪気眼奮闘記)
モンスターの名前(種族):ヴォルケノ(火翼竜)
属性:長くなりすぎて書いてる途中で疲れましたよ系
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公国の東、火竜山脈に古の竜あり。
それは、その地方に何代も前から言い伝えられている話だった。
竜の名はヴォルケノ。『火の眠る山に横たわる者』。
飛竜(ワイバーン)種の奇形とも言われる彼────雄────に鱗はなく、
一見してつるりとした外皮を持つ。
背には細く鬣(たてがみ)のように火線を引き、
吐息は炎、瞬きをすれば目蓋から火が漏れる。
長く、しかし薄い翼には赤く巡る血の色が浮き、
それが竜らしからぬ浅黒い肌の中で際立っていた。
全体に身は細く、しかしその高さは小山ほどもある。
その姿、仮に竜ならずとも不可侵なる人外の域。
伝承の中でヴォルケノは一晩に1000の兵を焼いたこともあるとされ、
そのために彼がねぐらとする火竜山脈、
とりわけ彼の巣の近くには普段から寄り付くものなどいない。
その日の朝も彼は悠々と外敵のいない寝所から飛び立ち、
外敵になり得るものがいない周囲で適当に獲物を胃の腑へ収めると、
巣へと帰って昼寝を満喫しようとしていた。
遥か上空から見下ろす視界に人影を認めるまでは。

「あなたが火竜山脈の火吹き竜、ヴォルケノでございますか?」

ヴォルケノが巣に降り立った時、
風圧で少々山肌を転がった人物はしばらくして元の位置に戻るとそう口にした。
薄汚れたローブの下から高い、しかしどこか掠れた声が聞こえてくる。

『如何にも。我がヴォルケノで相違ない。火吹き竜という呼び名は初耳だがな。
 して、ニンゲンよ。今日は何用でこのような場所まで参った?』

うっかり口を開こうとして、
炎の吐息を叩き付けそうになったヴォルケノは内心で慌てて口を塞ぎ、
代わって精神を触れさせることで眼下の者へと語りかけた。

「おお・・・・・・やはりそうでございましたか」

何故か感極まったように相手が手を組む。

「用というのは他でもないのでございます。今日はお願いがあって参りました」
『願い・・・? 何だ、我が力か? それとも我が生き血か?
 竜の力を得んとして参ったのならば帰るがいい。
 我はニンゲンの欲深さには飽いている。
 下賎な欲を我が身に近づけるならば消炭にしてくれよう』

ヴォルケノは声に威圧を乗せて語った。
だが、間近で竜のいななきを聞くにも等しいそれに、
ローブの人物は小揺るぎもしない。
ただ、しばらく思案するような間があってから疲れたような声が漏れた。

「消炭・・・それでもいいのでございます」

はらりと、頭を覆っておいたフードが下げられる。

『なんと。お前は魔女であったか』

少々の驚きを含んだヴォルケノの声の下で、
その姿が真昼の陽光に晒された。

「魔女の悪名は、竜の耳にまで届いているのでございますね。
 確かに、この容姿を魔女の証とするなら、私は魔女でございますよ」

ヴォルケノの伝承が公国に伝わっているのなら、
その存在については世界中で、それも遥かな昔から伝えられている。
魔女。
悪魔に見初められ、またはその魂を悪魔に売った者。
その髪は魂と共に悪魔に色を捧げたがゆえに白く、
その瞳は悪魔に魅入られた証として赤いとされる。
ローブの人物、女の瞳は血のように赤く、髪は雪のような純白であった。

「私の願いは一つだけでございます。
 生まれ持ったこの容姿と力のせいで、
 私はずっと恐れられ、今までずっと追い立てられて来たのでございますよ。
 私はもう疲れたのでございます。魔女が人の中では暮らすのは不可能。
 ですが、竜なら。
 人を超えた竜ならば、魔女の力など恐るるに足りぬでございましょう?
 魔女を恐れ、追い立てることもないでございましょう?
 ですから、
 私はヴォルケノ、アナタのように私を恐れない存在の傍で暮らしたいのでございますよ。
 それが叶わぬならば、
 どうかこの身を一息で消炭にして欲しいのでざいます。
 竜にも拒絶されたならば、どのみち魔女の居場所などこの世にないのでございますよ」

そう言いながら、擦り切れた表情でヴォルケノに向けて手を広げた彼女を、
ヴォルケノはほんの少しだけ珍しいと感じた。
竜にとっては、ただのニンゲンだろうが魔女だろうが大した違いはない。
どちらも等しく小さな存在だ。
しかし、逆を言えば大いなる存在であるはずの竜に消炭にすると脅された魔女は、
むしろそれを望み、彼が見て来た多くのニンゲンと違って彼を恐れていなかった。
もとより人の営みなど、己の邪魔にならない限りはどうでもいい竜である。

『なるほどな。魔女よ、確かに我はお前を恐れたりはせぬ。
 お前もまた小さき者、竜の前には等しく同じであるがゆえに。
 そして、我はお前を追い立てもせぬ。
 お前は我の脅威とならず、今は敵でもないがゆえに。
 我の傍で暮らすというなら好きにするがいい。
 この辺りは我を恐れて魔物も近寄らぬ。邪魔にさえならぬならお前の滞在を許そう』

返答を受けて、魔女は膝を折った。
地に両手をつき、頭を下げて言う。

「ありがとうございます、ヴォルケノ。本当にありがとうございます」

ヴォルケノはその姿を、ほんの少しだけ興味深そうに見詰める。
こうして竜と魔女の共同、いや隣人生活が始まった。





魔女との隣人生活が始ってからしばらく。
ヴォルケノは多少の疲れを感じていた。

「しかもペタの実というのが酸っぱいだけでなく微かな甘味も持っている果実で、
 以前に山狩りから逃れる際にほんの少しだけ口にしたあの赤い粒は、
 それはもう美味でございました。
 後になって知ったことでございますが、
 世にはペタの実を潰して絞った果汁を集めた飲み物もあるとのこと。
 実の状態で十分に美味なのですから、
 更に一工夫を品ともなればきっと甘美極まりない物なのでございましょうね」

魔女。
ただ容姿と生まれ持った力だけでそう定義付けられて迫害の目に遭ってきた女だが、
これがまた彼の横で暮らし始めると実に良く喋るせいである。
端的に言って食後の昼寝の邪魔。
仮にもヴォルケノは竜であるので昼寝などせずとも疲れず、
それは単にゆったりした時間を過ごすためだけのものなのだが、
しかし魔女の寿命より長く続けてきた生活習慣をいきなり乱されるのも迷惑。

「ああ、甘美と言えば一昨日に話したクリサでございますが、
 あの宝玉のような色付きの粒に砂糖をまぶしたお菓子は、
 たまたま私の姿を恐れた旅の商人が命の代わりにと置き去ったものを口にした時など、
 まさにこの呪われた身でさえもが軽やかに天上に上らんとするかの如き心地で、
 って・・・・・・ヴォルケノ? 聞いているのでございますかヴォルケノ?」

まあ、正直に言えば単に五月蝿いだけではないから放置しているのが実情。
魔女は知る限りの人界の知識を語り、またヴォルケノに解せぬものは丁寧に説明もする。
まどろみの中に見る夢とは違うが、
軽く100年を同じ風景の中で過ごすヴォルケノにとって魔女の話は愉快でもあり、
想像力を掻きたてられる内容に思い巡らすのはある種の夢にも似ていた。

『聞いている・・・』
「それはようございました。正直、ヴォルケノは寝過ぎでございます。
 どうせ寝なくても問題ないと先日に仰ったことが本当なら、
 惰眠を貪るよりは想像の中で素晴らしい技術が作り上げた菓子に口付けた方が、
 ずっと楽しく建設的なのでございますよ」

端的な返答に微笑んで話を再開する魔女。
今まで余程に他者と話す機会がなかったのか。
そうヴォルケノは思案するが、すぐにどちらでも構わないと結論した。
今は満足そうに己の横で口を開いている魔女に、いちいち過去を尋ねるのも面倒。
魔女についての知識から想像も容易い。
そんなことに思い巡らすよりは、
時に竜の身にさえ脅威を及ぼすニンゲンの知恵について知識を深めた方がいい。
そう思って、意識の端を魔女に向けたまま黙考する。
ヴォルケノは、少しニンゲンの知恵や技術へと興味を持った。





隣人生活から半月も経った頃の、ある夜。

『まだ焼けぬのか・・・・・・面倒なことだ』
「美味しい食事には時間がかかるものでございますよ、ヴォルケノ。
 甘い果実は一年をかけて実り、それを人が収穫し、
 複雑な作業を経て加工し、そうしてより一層の美味となったものを、
 ずっと汗水垂らしながら働いて得たお金で人は買って食べるのでございます。
 辛抱強い熟成とその間の空腹が、食べ物を更に美味しくするのでございますよ」

星空の下(もと)で溜息の炎を上に吹いたヴォルケノの下には、
彼が仕留めてきた大熊を捌いて火にかける魔女。
ヴォルケノが普段は獲物を丸呑みにするか、
さもなければ炎のブレスで適当に焼いてから飲み込んでいるのを見た魔女が、
ちゃんと調理をすればもっと美味しくなると提案して実現した構図だった。

「それに、ヴォルケノの火力が強すぎるのがいけないのでございます。
 思いっきり手加減しても肉が焦げてしまうだなんて、非常識なのでございますよ。
 肉汁や旨味の凝縮も何もあったものじゃないのでございます」

そう言いながら、
解体して枝に刺した肉を手から出した火で炙って上下から焼いていく魔女。
炎の熱で頬が火照り、暗闇の中で純白の髪に赤色が照っている。

『そんなものか』
「そんなものでございますよ」

返答を聞いて、不満を心中に留めて時を待つヴォルケノ。調理中は魔女も静かだ。
彼から話しかけない限りは作業に没頭している。
魔女としての力で生み出した炎の制御に思考を割かれるせいだろう。
己の下で小さく踊り続ける赤色を目に、ヴォルケノもしばらく思索に耽った。

「出来たのでございます」
『む』

上空の星が気付かれない程度に移動して、ようやく魔女は腰を上げた。
手にはニンゲンに比してそこそこの大きさの焼けた枝つき肉。
何歩か下がって、未だ炎に焼かれる残りをヴォルケノに示す。

『どれ・・・・・・』

頭を下げ、枝に刺さった一つを舌で絡め取る。
牙で一齧り。肉汁が溢れた。
普段とは違う、小うるさい骨の砕ける音も僅かな苦味もなく、
一番に旨い部分だけを集めたような舌に溶ける濃厚な味わい。
ヴォルケノは思わず唸った。

「どうでございますか? ヴォルケノ」
『美味いな。これは美味い』

言いながら更に一つ舌で掬い、口に運ぶ。
切り分けられた塊もヴォルケノの体積に比しては少なく、
瞬く間に全てが彼の胃の腑へと消えて行った。

『こうまで味が変わるものか』

賛嘆に近い感想。

「それはそうでございますよ。
 ヴォルケノときたら、普段は骨も内臓も糞便までも一緒くたに食べているのでございます。
 おまけに焼いたとしても焦げ付きでは、素材の味が殺されて当然でございますよ。
 血抜きと骨抜きに糞便の処理と少々の切り分け。
 これだけでも随分と食べ物の味は変わるものでございます」

魔女は得意げに言った。

『なるほどな・・・・・・道理で。
 しかし、我の手先ではニンゲンと同じ作業は出来ぬな。
 この旨味が出せるならば多少の労は厭わぬものを・・・口惜しいことだ』
「それは心配要らないのでございますよ」

後半、独白の部分に魔女が答える。

「ヴォルケノが私が傍にいることを許してくれる限り、
 私が食事の準備をするのでございます。
 このお肉も取ってきたのはヴォルケノ、ただ飯を食らうつもりはないのでございますよ」
『そうか・・・では、頼もう』
「了解、でございます」

遣り取りの翌日から、魔女は言葉を実行に移した。
これによってヴォルケノの食の水準は向上し、
彼は初めて忌憚なく過去の選択を肯定する。
お菓子のようにその場にないものへの想像から、
彼はこうして実際のニンゲンの技術や営みに触れた。
魔女との出会いから半月。ヴォルケノの中でニンゲンへの共感と興味が深まる。





『魔女よ』
「何でございますか? ヴォルケノ」

いつも通りの山の上。
ヴォルケノは、腹ばいになった己に身を寄せて空を見上げていた魔女へと声をかけた。

『そう言えば、我はまだお前の名を知らぬ。
 ただのニンゲンならいざ知らず、
 我の食事の準備までしている者をいつまでも魔女と呼んでいては礼に欠けよう。
 お前の名を教えてはくれぬか?』

この頃、
ヴォルケノが狩りから帰ると魔女は彼がくわえて来た獲物を綺麗に捌き、
常に以前から数段も質の上がった食事を提供していた。
それはヴォルケノの満足だけではなく魔女の何かをも満たしたようで、
魔女は何をするでもなく彼と会話していた日々よりも、
何か楽しみを見つけたかのように生き生きとしている。
それは彼女が見せる表情をより多彩なものへと変化させ、
彼女と接するヴォルケノに無意識に彼女の個性を印象付けた。
魔女について記憶や思考、共にする時間を重ねたヴォルケノは、
彼女を魔女やニンゲンではなく個体として強く認識し始める。
そして個体を呼び分ける手段、それこそが名前であった。

「・・・・・・」

意識的にそこまで考えたわけではないが、
それでも珍しいヴォルケノからの提案に、魔女は沈黙で答えた。
真紅の瞳を、拒絶と言うよりは困惑に歪ませながら。

『・・・どうした? 魔女よ。
 何か言えぬ事情でもあるのか?
 別に真名を教えろとは言わぬし、知ったところで我に呪殺など出来ぬぞ』

呪いの実在する時代、
生まれ持った名を教えることは最大のリスクを背負って最高の信頼を示すことになる。
そこまではヴォルケノも求めていない。
だが、

「わたし、の・・・・・・私の名前、は」

魔女は詰まったように言って、一度自分の肩を抱くと、

「私に、名前なんてないのでございますよ・・・ヴォルケノ」

縫い合わせたような笑顔でそう答えた。

『名が、ないだと?』
「そうでございますよ、ヴォルケノ」

いぶかしむヴォルケノに、魔女が響きを抑えた声で返す。

『馬鹿な。言葉を持たぬ畜生でもあるまいに、
 我ら竜やニンゲンが個としての名を持たぬなどあり得ぬ』

種族としての名前に加えて、個体を識別するための呼称を持つこと。
それがニンゲンや竜を初めとする高度な知性体の常識であり誇り。
特に力は最弱だが勢力で最大を誇るニンゲンにとって己だけの名とは無二の宝、
というのがヴォルケノの認識だった。

「ヴォルケノは、優しい親に育てられたのでございますね」

そんなヴォルケノを、遠く隔たりの先を見るように魔女が見上げる。

『何だと・・・? 魔女よ、それはどういう────────いや』

柔らかな、しかしどこか透けたような視線との交錯にヴォルケノは疑問の声を上げ、
次いで問いかける前に眼下の存在がどういうものだったかに思い至った。
見透かしたようなように魔女が口を開く。

「そうでございますよ、ヴォルケノ。
 魔女とは言えニンゲン。親はいるのでございます。
 ですが・・・・・・望まれもせず生まれた忌み子に、
 わざわざ名前をつけるような酔狂者の親などいないのでございますよ。
 少なくとも、ニンゲンには」

高く斜めに伸ばされたヴォルケノの首と魔女の頭。
両者の間に、距離以上の溝が横たわる。

「赤子とは言え魔女。
 幸い、魔女を殺せば呪を受けるかもしれないと恐れた親は私をそれなりに育て、
 愛情以外のものは必要最小限に与えてくれたのでございます。
 私がほとんど力を使わないようにしていたせいもあったのでございましょうね。
 親元を離れるまでが、私にとって最も平穏な日々でございましたよ。
 あれは、そう・・・・・・確か、
 とうとう耐え切れなくなった両親が、8歳程の私を追い出すまでは」

魔女は竜の瞳に身じろぎもせずに語り続ける。
竜は魔女の話に相槌も打たずに黙考を続ける。

「それからはヴォルケノに語ったのと、想像の通りでございます。
 魔女は生まれながらに悪しきモノ。
 『その邪眼は抉り抜き、瞳の色を白髪に添えるべし』。
 ただ石を槍を矢を以て追われながら逃げ回る日々。
 魔女の心も、名も、人には関係がないのでございますよ。
 魔女、魔女、魔女。
 名と言うのなら、人が呼ぶそれこそが私の名なのでございます」

魔女は乾いた瞳でヴォルケノを見上げる。

『・・・・・・ならば魔女よ。一つ、尋ねたい』

普段より一層の低さ、
鳴動を抑えたような精神でヴォルケノは魔女へと触れた。

『何故、お前は力を持ちながら甘んじて迫害を受けている?
 世に討たれた魔女は多くとも、その全てが易々とは滅されなかったのは知っている。
 お前がこの地までおめおめと逃げ延びて来たのは何故だ?
 お前の力ならばニンゲンの100や200、
 剣を持っていようが矢を放ってこようが無傷で屠ることも容易いはず。
 我の見たところ、
 お前の力はかの悪名高き『黒金の魔女』の半ばにも達しよう。
 それを以てすれば、己が居場所など幾らでも勝ち取れように』

そもそもヴォルケノには疑問があった。
初めは半ば無関心さ故に魔女の願いを聞き入れたが、
魔女の、ニンゲンの中には居場所がないという言葉に違和感があったのだ。
確かにニンゲンは魔女を受け入れまい。
だが、それならばかつてヴォルケノがそうしたようにニンゲンが諦めるまで戦って、
己の住む領域を作ればいいだけのこと。
もとより自然の中で縄張りとは勝ち取るものである。
魔女がヴォルケノの狩った獲物の調理をする際に力を使うようになって以降、
当初の予想以上にそれが強いものであると見て取ったヴォルケノには、
魔女の言葉の中でその一点のみが疑問であった。

「ああ」

無関心の放置から興味の問い掛けへ。
そんな、日を追うほどに積もるかの如く大きくなる違和感を口にしたヴォルケノに、
魔女は予想外とでも言いたげに吐息を漏らした。

「それなら簡単なことでございますよ、ヴォルケノ」

蛇に似た瞳孔の、偽りごと刺し貫きそうな竜の眼光を仰ぎ見る。
想いを確かめるような数秒の後、緩やかに大気へ溶ける呼気を紡いで魔女が言った。

「私は人でありたいのでございます」

祈りではなく宣言。
見据える真紅の瞳が真っ直ぐに上を向く。

「確かに私は魔女として生まれ、そのように扱われてきたのでございますよ。
 ですが、ヴォルケノ。
 私自身は、一度たりとも自分を魔女だと認めたことはないのでございます。
 たとえこの瞳が血の色に塗れ、髪の色が悪魔に捧げたかの如く白かろうとも、
 私は・・・私の心だけは、いつも人であるつもりなのでございますよ」

魔女が純白の髪を撫でる。
細く白い手が地に下がる前に、横に向けられた掌から灼熱が火吹いた。

「名を持たずとも、魔女と呼ばれようとも、人に非ざる力を持っていようとも、
 それは『私の体』がそういう風に生まれたからなのであって、
 決して『私の心』までが魔女として生まれて来たわけではないのでございます。
 なのに、一度でもこの力を人に対して振るえば、
 私は彼らの言う魔女と同じ行いで自分は魔女だと証明した事になるのでございますよ。
 そうなれば、もはや正真正銘、私は悪い魔女でございます。
 そうなることだけは・・・・・・私には嫌なのでございますよ、ヴォルケノ」

言い終わって、魔女は透明に笑んだ。
ヴォルケノでなくとも一撫ですれば崩れそうな笑顔。

『なんと』

頭の奥にはっきりしない熱を感じながらヴォルケノが魔女へ言う。

『それは間違いだ、魔女よ。我は竜として生まれ、竜として生きて来た。
 我にはお前に出来た調理が出来ぬように、竜たる我はニンゲンにも魔女にも成れぬ。
 逆もまた然り。
 魔女として生まれたお前は竜にもニンゲンにも成れぬ。
 その身がニンゲンとは別の者として生まれた以上それは必然、
 まして周囲がお前に魔女の存在を見ているならばなおのこと。
 我はお前とは上手くやっているが、
 万が一にもお前が我を害そうとする時には己を守るためにお前を殺さねばならぬ。
 お前も同じだ。己を敵として迫害する者から逃げても、敵がいる限り状況は変わらぬ。
 一個の生命なら敵を滅ぼしてでも己が居場所を作るが道理。力があるならば尚更よ』

これまでヴォルケノは数百の年月を王者として君臨してきた。
無論、その間に彼を脅かす者がいなかったわけではない。
むしろ呆れるほどの敵をヴォルケノは相手にして来たと言える。
その中には眼下の者とはまた違う魔女もいた。
むざむざ殺されてやる義理などなく、
ヴォルケノはその闘争の理由を聞かれれば生きるため、と簡潔に答えるだろう。
それ以上の理由はなく、それ以外の結論はない。
故に不理解。
己を脅かす存在を放置し、
あまつさえ勝てる相手に傷付けられてなお反撃も試みない魔女を理解出来ない。

「ヴォルケノの言うことは、きっと生物としては正しいのでございます。
 でも・・・・・・私が魔女でもなく他の生物でもなく『人』を望む限り、
 それは出来ない相談なのでございますよ」

寂しげな風でもなく魔女が言う。
否定の響きはなく、しかし拒絶の声音。
ヴォルケノの瞳とじっと見詰め合っても、彼女は首を振らなかった。
つ、とその視線がヴォルケノから逸らされて空へ飛ぶ。

「ヴォルケノはいいでございますね。竜として生まれ、竜として育ち・・・。
 でも、私は違うのでございますよ。私の心は人と同じ。
 私は人として生まれ、魔女として育てられた者。
 ヴォルケノのようには考えられないのでございます」

やはり、不可解。

「私は竜ではなく、人でありたいのでございますから」

魔女はヴォルケノには解せない理由でそう言った。
竜と人と魔女。それは種族としての隔たりなのか。
生物として魔女の言葉を否定することは容易いが、
おそらく魔女の言いたいことはそのような点にはない。
溜めた息を火線として上空へ吹く。
炎の線は先端で膨れ上がって大気の中へと拡散。
こうして、ヴォルケノは理解出来ない魔女に対して否定の意思と、
それに納得しない相手への更なる興味を持った。





異変はその数日後に起こった。
ヴォルケノが日課である食料の調達、狩りに出かけた時のことである。
彼は空高くから鳥にも劣らぬ視力で山肌を巣の方へと近付いてくる豆粒の塊を発見した。
人の集団だ。
しかも団体の中では時たまきらきらと光が生まれ、
何か金属で出来た物が太陽に照らされて反射していることが分かる。
そのようなニンゲンを見るのは、ヴォルケノにとって初めてではない。
彼が巣を構えて100年ほどの間は、
よく金属の輝きに身を包んだニンゲンが彼へと挑んで来た。
言うまでもなく彼らは国の騎士団や冒険者、時には命知らずな盗賊や山賊の類である。
ヴォルケノの、竜の体を目当てにかつては多くのニンゲンが彼を襲ったものだった。
それもここ200年ほどは堪えていたのだが。
まだ懲りないのか、
と思考してヴォルケノがはばたき、彼らの頭上へ到着すると何度か旋回する。
そうして十分に竜の威容を見せ付けてから地上へ下りると、
ヴォルケノは眼前の光景が予想と違っていたことに軽く驚いた。

『ニンゲン共よ。
 今日は何用でこのヴォルケノが住まう地まで参った』
「ヴォ、ヴォヴォ、ヴォルケノ様っ!?」

武装したニンゲンの集団、には違いがない。
が、ヴォルケノの視線と声に悲鳴を上げて身を震わせた彼らの格好は、
ヴォルケノの想定からは随分と外れる。
彼らが着ていたのは、主に身分の低いニンゲンが着用する、
保温や吸湿だけを目的とした布切れ。
戦闘者の装束でもなければ貴族の華美な衣装でもない。
かつてヴォルケノと相対した者達のように金属鎧で覆われているわけでもなければ、
身軽さを重視して余分を省いたという印象とも異なる。
おまけに、光を反射していたのは彼らが手にした鋤や鍬と呼ばれる道具だ。
ヴォルケノの名を知っているなら迷い込んだわけでもないだろうが、
戦闘の意思が見受けられないニンゲンが、
それも集団でやって来たことなどヴォルケノにとっても初めてのことである。

『どうしたニンゲン共よ。
 我が名を知りながらこの山に入ったのならば、何か相応の目的があろう。
 もしや我を討たんとして参ったから答えられぬのか?
 我は気が短い。沈黙を通せば消炭と化すぞ』
「ひぃいいい!? おお、お待ちを!? どうかお待ち下さいヴォルケノ様!
 わ、我らは決してヴォルケノ様に敵意あってこの山に入ったのではありません!」

初めて経験する事態を解さんとヴォルケノが発した問いに、
彼らは哀れなほどにうろたえて答えた。

「わ、我らは麓(ふもと)近くの町に住む者にございます!
 きょ、今日は町中で流れる不穏な噂の真偽を確かめんとして参りました!」
『麓の近くに? そんな物もあったか・・・いや、我の知らぬ間に出来たのか。
 まあよい。して、ニンゲンよ。その噂とは何か申せ』
「は、はぃい!」

特に魔女や魔術師といった方面の者でもない限り、
精神での語りかけというのは不慣れで異質なものである。
まして相手が竜ともなれば尚の事。
町人達は天を割くように現れたヴォルケノの個体を前に、
体ごと激しく震える声を張って答えた。

「ヴォ、ヴォルケノ様は魔女についてはご存知でしょうか?」
『魔女、だと?』

魔女。
それは世の何処にでも生れ落ちるもの。総体の呼び名であって個人を指すものではない。

『知っている』

ゆえに、ヴォルケノはそう返答した。

『して。その魔女がこの状況、噂とやらとどう関係する』
「は、はあ・・・・・・その、それが何と申しましょうか」

町人の代表は竜を前につっかえながら順を追って説明した。
先ず、少し前に彼らの町へと旅の者が着いたこと。
旅人の訪れは奇異なことでもないので町としては歓迎も忌避もなく迎えたが、
その者はローブで身を包みフードで頭を隠し、
顔には仮面をつけた異様な出で立ちであったこと。
その旅人は働き口を求めて酒場で給仕と旅した土地の語りの仕事に就いたが、
ある晩、旅人の声が女のものであることを気にかけていた一人が、
酔った勢いで迫って彼女の仮面を外したこと。
現れたのは真紅の瞳に白髪の魔女の顔であり、
酒場に居合わせた全員が悲鳴を上げたところ魔女は一目散に逃げ出したこと。
居付いた土地に災厄を運ぶと言われる魔女を放置するか捕まえるかで意見が割れ、
後者に属した者達が魔女を探したところそう遠くない場所で見つかり、
魔女は逃げ回るだけで力を振るうこともなく捕まったこと。
彼らは言い伝えに従って捕まえた魔女に『裁き』を与えて『浄化』しようとしたが、
『裁き』の初日の夜に牢に入れた魔女が見張りの隙をついて逃げ出し、
同じ夜にたまたま遅くまで起きていた者が火竜山脈に向かう人影を目撃したこと。
町には魔女が逃げ出したせいで不安がる者も多く、
また、あっさりと捕らえられた『力のない魔女』だが、
きっと町人が『裁き』を加えたことを恨みに思って報復を企てているはずであり、
魔女は火竜山脈にいるヴォルケノを悪魔から授かった知恵で誑かして利用するつもりだ、
という噂が流れていること。
町に渦巻く恐怖の空気を打破すべく、
彼ら有志が噂の真偽を確かめるためにこうしてここまでやって来たこと。
おおよそそんなことを、
彼らは『自分達は被害者である』という観点から、
そして自分達が如何に正しいのかを交えながらヴォルケノへ語った。

『去ね』

全ての事情を『彼ら側の視点から』説明されたヴォルケノは、
簡潔にそう返した。

「・・・は?」
『去ね、と言った』

説明するうちに口調を熱くした町人は、
燃え盛る炎を押し込めた声に、間抜け面でヴォルケノを見上げた。
業火を宿した双眸が、己より遥か卑小な存在を睨みつける。

「魔女に・・・ニンゲン如きに誑かされるこのヴォルケノと思ったか。
 竜を侮った言動、そして貴様らの勝手な都合で我が領域を侵した罪の重さ、
 幾千の罪状を並べてなお足りぬ。
 即刻この地より去り、そして二度と踏み込むな!
 さもなくば貴様らニンゲンの住まう町など、直ぐにでも灰燼としてくれようぞ!!」

音声(おんじょう)と息吹に伴って火線が中空を薙ぎ払う。
太陽に勝る赤光が町人達を照らし、熱量の余波が肌を撫でた。
精神での交換さえ忘れるほどの怒りがヴォルケノを内から焼き、
焦熱が怒号となって溢れ出る。

「ひ、ひぃぃぃいいいいいいいいい!?」

反論の隙も質問の間もない。
竜の逆鱗に触れれば即ち死。
それは災害に生じる理由を尋ねるが如く愚かなこと。
そんなことをしている暇があったら逃げねば死ぬ。
町人達は日々の生活に欠かせないだろう道具さえ放り出し、
蟻の巣に火を入れたかのように逃げ散る。

「カアアアアアア!!」

ヴォルケノは辛うじて残った理性で彼らを追わず、
代わりに置き去られた物を生贄とした。
ヴォルケノの胃の腑の辺りから這い上がった炎が口内で溜め込まれ、
彼の頭にも匹敵する大きさの火球と膨れ上がって放たれる。
小規模な太陽は地に接すると花の散るように四方へと弾け、
怒気を凝縮した炎熱をぶち撒けて地表を蹂躙した。
荒く息を吐くヴォルケノの前で、踊る赤色の中に溶け広がった金属の光沢が輝く。

『・・・・・・変わらぬ。
 やはり我が竜であるように、ニンゲンはニンゲンでしかないのか。
 愚か。愚かとしか言えぬ。
 己が行為さえ省みず、
 その癖に愚にも付かぬ想像を広げてありもせぬ恐怖を抱くとは。
 魔女は何故あのような存在たらんと望む・・・・・・』

ヴォルケノは竜として野生の中に生きて来た。
自然の中では弱肉強食は当然のこと、自業自得の理はなお強い。
相手を食らおうとすれば逆に己が食らわれる危険もある。
相手に爪を向けた時、同時に牙を剥かれるなど当然の話だ。
相手も生きているのだから。
だと言うのに、今の町人達の考えはどうか。
まるで魔女には反撃さえ、生存のための行為さえ許されていないかのような発言。
そもそも酔った一人が魔女の仮面を無理矢理に剥がねば騒動など起きず、
魔女もしばらく滞在して立ち去るか大人しく暮らしていたかのどちらかだっただろう。
魔女の正体が露見した時にも相手から逃げたのだから追わなければそれで済んだ。
窮鼠は猫を噛むが、先ず猫が鼠を追い詰めさえしなければ噛まれることもない。
それが総意だったかは兎も角、全ては町人の行動から始まり、
途中で事態を収束させる選択肢を放棄したのも町人達自身である。
その上で、更に魔女の報復を恐れるなどヴォルケノには理解出来ない。
否。
恐れるのは当然だが、それで報復を受けても自業自得、
という考えが彼らの中になかったのは理解を通り越して想像の埒外だ。
故に、怒り。
一個の生命の生きる権利を否定し、
まるで自分は生存競争の外にいるかのような彼らの言動に、
一匹の竜として生きるヴォルケノは怒り狂った。
竜や自身は愚か、それは命そのものへの侮辱に等しいのだから。

『苛立ちが収まらぬ・・・!
 今日は適当に獲物を狩って早々に引き上げるか。
 いや・・・・・・それよりも魔女にこのことを伝えるのが先決か。
 ことは魔女が中心に関わる話、黙するのは道理に合わぬ』

遠く、山の生き物が竜の逆鱗に触れた者を呪いながら怯えているのが気配でわかる。
この分では行動に慎重さを増した獣を狩るには時間がかかるだろう。
それも含め、一旦巣に戻って魔女にことの次第を伝えるべきだとヴォルケノは結論した。






そうして巣に戻ったヴォルケノを出迎えたのは、首のない魔女の死体だった。

『何があった』

ヴォルケノの巨体に比べれば巣の中の変化は小さく、
しかしニンゲンから見れば決して些細なものではない。
点のように地に染みた赤色と、辺りに突き刺さった銀の輝き。
巣の一箇所にだけ広がった色は、ヴォルケノにとって身近なものだ。
炎を吐く竜である彼にとって、その炎よりも根源的な、
彼が毎日口に運び、また彼自身の体にも流れる生命の色彩。

『何があった』

血。
頭部のない、見慣れたローブを着た体から垂れ流された鮮血が地表を染めている。
その赤色を囲むように、鏃を大地へ突き刺した矢があちこちに立っていた。

「何があったのだここでっ!!」

放たれた火柱が天を焼くも、応じる声はない。
ヴォルケノは頭の中を灼熱が満たしていくのを一秒毎に実感しながら、
殺意と共に赤眼を巣へ向ける。
ニンゲンと並ぶ高等種族、
中でも代表格の竜の中にあって、更に年月を経た古竜であるヴォルケノ。
誰に尋ねるまでもなく、自問のうちに答えは得られた。

「あのニンゲン共・・・・・・我を策にはめたな!」

周囲に散在する矢は狩猟用のものではない。
炎竜たるヴォルケノなればこそ、
熱で加工された金属の輝きが稀に山中で見かける物と異なるのが分かる。
何より、それは以前に己が身へと迫った代物と同じだった。
かつて、まだヴォルケノに挑むニンゲンがいたころ、
騎士や冒険者が使用していた対人外用の矢。
遥か高空から獲物を見つける瞳で見回せば、
普通の服を着た重さのニンゲンではあり得ない深さの足跡もある。
来たのは騎士団ではないだろう。
彼らはその独自の精神によって、不意打ちのような真似はしない。
それに、鎧姿が基本の騎士は集団行動が非常に目立つ。ヴォルケノが見逃すはずがない。
ならば残るのは冒険者。

「おのれ・・・!」

煮え立つ思考の傍で状況の整理が進む。
先ず、冒険者の目的はヴォルケノではなかった。
ヴォルケノに、竜に挑むなら下調べは欠かせないし、
その過程でヴォルケノが雄であるため巣に卵などなく、
また財宝を溜め込む習性もないのは用意に知ることが出来る。
そしてヴォルケノが目的の場合、ヴォルケノの不在中に巣に罠を張るにせよ、
彼が戻って来たのにその姿が見えないのはおかしい。
罠の完成前にヴォルケノが来たので途中で逃げたという線もない。
それなら残された矢や血溜りの説明がつかないからだ。
仮にヴォルケノの隙を突いて罠を張るような迅速かつ隠密の行動を取るなら、
巣に侵入者がいた痕跡を残すような作戦は始めから取らないだろう。
つまり。
やって来た冒険者の目的は魔女を殺すことで間違いない。
そしてヴォルケノに見つからなかったということは、
山の中を目立たないように移動して来たということ。
魔女を狙った理由はほぼ確実に町人の依頼だ。
出払った隙を突くとは言え、竜の巣に侵入する危険を冒険者がそうそう冒すはずはない。
まして慈善で魔女を狙ったところで見返りはないのだ。
売名が目的なら先に竜を狙うし、こんなせこい真似もしないだろう。
よって、魔女を殺す動機を持つ者共が冒険者を頼ったというのが合理的。
ヴォルケノが追い払った町人達は協力者だったに違いない。
ヴォルケノが出払う時間は一定ではないし、獲物を狩ればすぐに帰る。
それを引き伸ばし、
更には潜行した冒険者を援護する意味で彼の注意を引き付ける。
そういう役割を担っていたのだろう。
ヴォルケノに魔女について尋ねたのも、彼の反応を見るため。
魔女の死体や矢が晒されているのは、
ヴォルケノがさっさと話を切り上げたために時間稼ぎが半ばで終わったせいだろう。
最低限の依頼内容は達した冒険者が、
ヴォルケノが火を吹いた時の咆哮に気付いて素早く逃げ出したか。
魔女の首がないのは、依頼達成を証明するために持ち去ったと考えれば自然。

「許さぬ」

そこまで理解して、
いよいよ己の思考が押し迫る業火に呑まれようとしているのをヴォルケノは感じた。

『私は人でありたいのでございます』

今は首を失った魔女の言葉が思い出される。
次に町人達の言葉が。
片や生物として当然の権利まで捨てて己を迫害した者にこだわった魔女。
片や生命の生きる権利を否定し、
今それを抵抗さえしなかった者に最悪の形でぶつけたニンゲン。
赤く煮え滾った泥流がヴォルケノの脳裏を駆け巡る。

「許さぬぞニンゲン共・・・!」

血の色が巡る両翼が開かれた。
天に輝く大火の元で黒い竜がいななき、巻き起こる風に灼熱の吐息が揺れる。
巨体が空へと舞った。行く先は一つ。
竜の居場所を、竜自身が認めた隣人を汚した罪人の暮らす町。





途中、ヴォルケノの目をくぐった冒険者が依頼主と落ち合い、
魔女の首が渡される時間を計算したヴォルケノはあえてゆっくりと飛行した。
急造の計画を実現するためには、今しばらく時間の経過を待たなくてはならない。
わざと迂回するルートを取り、更には遠方まで羽を伸ばして時間を待つ。
その間、胸にあるのはあるのはただ、怒り。
ヴォルケノを行動へと掻きたてる憤怒。世を滅さんとするかの如き赫怒。
ヴォルケノが薄れて行く理性の中で計算した時間を気の遠くなる思いで待ち、
ついにそれを迎えた時には既に陽も赤く染まる夕刻だった。

『────────』

町の上をぎりぎりの低空で翔け抜け、
吹き飛ばされる商店の荷や家屋の屋根に上がる悲鳴を背に太陽へ飛ぶ。
人に視認可能な限界近くまで上昇してから反転、高高度から重力を乗せて舞い降りた。
火山の噴火にも等しい鳴動と共に着地し、町並みを睥睨する。
何千という生き物の慄きがヴォルケノの精神に伝わった。

『────────』

ヴォルケノは何も言わず、沈黙する。
対して町中に生まれた波紋は揺れを大きくしながら周囲へと波及して行き、
やがて漣が津波となるようにざわめきが騒音と化す。
ニンゲンにとっての竜とは決して逆らえぬ自然の脅威と同義。
竜の来訪とは、
即ち津波や地震が前兆なしで襲ったのにも等しい。
殺戮と形容してなお不足する威力がただそこに沈黙しているというのも、
何か恐ろしい想像や違和感を掻き立てる。
ヴォルケノは体内に猛る炎獄をどうやって解き放つか考えを巡らしながら、
束の間の猶予を与えるようにしばし待った。
太陽がほんの少し動いたような気がする時間が経過してようやく、
町のすぐ傍に立つヴォルケノへ人影が歩んで来る。
恰幅のいい中年。おそらくは町長だろう。

「う・・・ぉ・・・・・・こ、これはヴォ、ヴォルッ、ヴォルケノ様っ!?
 ほほんほほ本日はどのようなごようっけんでございいいましょおおおうか!?
 あああなた様の伝説は先祖代々この町につた、つっつつ、伝わっており────」
『魔女の頭を持て』

緊張の余りろくに発話すら叶わないニンゲンに、
極力感情を排してヴォルケノは告げる。

「は・・・は? まま魔女といいますとあ、あのま魔女でございますでしょうかっ!?」
『そうだ。この町の者が冒険者を雇って殺させた魔女の頭だ。早く持て。
 それとも、消炭になりたいか?』

オウムより繰り返しの下手なニンゲンをじっと見詰めると理解出来るように補足して、
明確な脅しで背中を蹴り飛ばす。

「はひい!? ししし少々おおお待ち下さいっ!」

町長は途中途中で躓いて脂汗の跡を地面につけながら、
足をがくがくと絡ませて町の中へと戻って行った。
程なくして別の者を伴って戻って来る。
供の腕には丁度ニンゲンの頭くらいの大きさの包みが抱えられていた。

『包みを解いて中を我の前に置け』
「はっ、早くしろおおっ!」

命令を受けた町長が叫び、警備兵らしき格好の男が慌てて包みの結びを解いた。
ヴォルケノの下にその中身が置かれる。

『────────そうか』

晒された顔に目を合わせて、ヴォルケノはゆっくりと頷いた。
怒り一色に濁っていた思念に一瞬、清涼な風が吹く。
魔女の顔に絶望はなかった。
諦観も憎悪も、およそあらゆる負の感情はそこに存在しなかった。
気のせいでなければ、ヴォルケノに見えたのは申し訳ない、とでも言いたげな顔。
時間のずれた死に際の表情が、己にそう語りかける錯覚を抱く。
それで、今更ではあるが彼の覚悟、いや行動も確定した。

「ヴォ、ヴォルケノ様・・・?」
『この頭、贋物ではあるまいな?』
「へ・・・? あ、いいいいや、滅相もありません!
 確かに、これが魔女の頭でございます!」

念を入れて確認し、返答の口調が最後、
偶然にも魔女と同じだったことがヴォルケノの心中にちろりと炎を灯す。

『そうか。御苦労だった、ニンゲンよ』

それを吐き出すようにヴォルケノは言って、

「では、滅べ」

言葉と共に生じる火炎で眼下のニンゲンを焼き殺した。
町長の連れてきた供も巻き込んで灼熱の徒花が咲く。
地表を侵食する焔が魔女の頭に迫って、
ヴォルケノは翼で起こした風でそれを吹き飛ばし、大きく息を吸った。
元々、人と竜では身体の構造が異なる。
ましてや、ヴォルケノは吹き出す炎を武器とする火竜だ。
その肺活量はニンゲンを同じ大きさにしても遥か及ばない。
嵐のように肺の中へと雪崩れ込む大気に、
ヴォルケノの浅黒い胸が内側からの圧力で膨らむ。
背を後ろへ曲げた巨体の口元から朱色の花弁が漏れ出し、
ぼっ、と鮮烈な花火を咲かせた。
その残滓が大気に溶け消えるか否か。
ヴォルケノの姿勢が跳ね戻り、牙の立ち並ぶ口から光が迸る。

「────────!」

紅の閃光。
虹の如く輝きながら、しかし真っ直ぐに伸びる光線が町並みを撫でる。
過ぎ去る煌きの中に無数の爆炎が咲き誇り、
店頭の品が商店が家々が人が吹き飛ばされた。
一瞬に生まれる炎熱の中に呑み込まれた者の姿が消え去り、
幸運にも火線に直接触れたものは苦しむ間もなく蒸発する。
焼き尽くし、焼き殺し、焼き滅ぼす。
灼熱の帯に晒された地点から町は業火に呑み込まれ、
端から踊り狂う色彩へと包まれて行った。
運良く被害を免れた場所にも、ダンスの相手を求める焔の踊り手が飛び火する。
直撃からほんの僅か。
轟音と衝撃に飛び出したニンゲンが延焼を防ごうと奮闘し、
自身もまた炎に巻かれ、真っ先に逃げ出した者も行く先で炎に囲まれて往生する。
やがて熱された大気と煙で呼吸の自由を奪われ、
既に黒い塊と化した死体の傍にまた一人一人と倒れ伏していく。
彼らが起き上がることはない。
夕暮れの中、町がなお赤い色彩に沈む。

「・・・・・・」

刹那の間に阿鼻叫喚に包まれた町を、ヴォルケノは動かない瞳で見据えていた。
その心には罪悪感もなければ愉悦もない。あるとすれば怒りと、義務感か。
ヴォルケノに魔女殺しと関係ない者を巻き込んだという意識はなかった。
彼とて生まれたての頃は竜の集落、『群れ』のなかで暮らしていたからだ。
その時の経験はそのまま町という集団にもあてはまる。
彼らはヴォルケノの認めた隣人、
食事の用意まで務める群れの一員たる魔女に手を出した。
故にヴォルケノにはこの惨状を演出する権利がある。
そして全ての町人には、等しくそれを受ける義務がある。
冒険者への依頼や魔女への迫害が町の総意でなくともそれは関係ない。
群れとは運命共同体。決して良いとこ取りが出来る場ではないからだ。
群れの中の他者が得た利益を共有する代わりに自身の得た利益も等分し、
不利益は群れを構成する全員で被る。
それが集団に属する際の契約であり常識。
町のニンゲンがヴォルケノの巣や隣人に手を出したのなら、報復の対象は町の全て。
一切の加減も、合切の容赦も無用。

「終わらせるか」

もう一度、ヴォルケノが深く息を吸う。
もはや町中の悲鳴もまばらだ。町人もそう長くは持たないだろう。
せめて早く楽にしてやろうというのがこの場合のヴォルケノの慈悲である。
もう一吹き。
それで、そこにあった町は世界から消滅した。





ヴォルケノに手はなく、喉元からは呼吸の度に炎が漏れる。
そのため、万一にも魔女の頭を足で潰さないように、
ヴォルケノはそれをくわえたまま無呼吸で巣へと飛んで帰った。

「着いたな」

何度か呼吸を整えて、ゆっくりと地においた魔女の頭部を見やる。
傍にはヴォルケノが飛び立った時から変わらない首なしの死体。

「魔女よ」

話すことの出来る口のない相手に、
真摯な声でヴォルケノが呼びかける。

「我にはお前が理解出来ぬ」

翼が緩やかな風を起こし、慎重に魔女の体へと触れた。

「生きることは、生き延びようとすることは本能だ。
 本能とは誕生の時より刻まれた抗えぬ運命」

傍から見ていると危なっかしい手つきで、
しかしヴォルケノの巨体を考慮すれば細心の注意でその肉体が持ち上げられる。

「事実、我が今までに糧としてきた命も、
 滅ぼしたニンゲンも、全てが生きることに必死であった。
 生きるためにあらゆる努力をし、死が迫れば渾身で抗った。
 それは我でも、他の竜でも変わらぬ」

右へ左へ。
両翼の先に挟まれた魔女の骸が動かされ、分かたれた首の下へと置かれる。

「だが、魔女よ。お前だけが違った。
 我が見て来た全ての命の中で、
 お前だけが唯一、生きるという本能より他のことを優先させた。
 かつて我と相対したお前ではない魔女でさえ、本能には従っていたというのに」

慎重な、巨人が針を縫うかの如き作業。

「我は興味がある。
 竜さえ抗えぬ本能に、何故お前だけが打ち勝つことが出来たのか」

懸命な試行錯誤を繰り返してようやく、魔女の頭と体が繋げられる。

「魔女よ。それを知るために、我はお前に再び生命の温もりを与えよう」

ヴォルケノが片翼の先端に牙を立てる。
滲むように鮮血が流れ、浅黒い翼の先が赤く染まった。
流れ落ちる血の軌跡に従って陽炎のように大気が歪む。
不老不死をもたらすとも言われる竜の血、
中でも炎と熱を司る火竜の身を巡る生命の雫が一滴、
断たれた魔女の首に落ち、更に数滴が口内へと落とされる。
それを確認したヴォルケノは長い首をもたげ、
祈るように地平の彼方へと沈み行く炎球を見詰めた。
山肌を撫でる夕日の光の中に巨体が鎮座する。
やがて日没の時が訪れ、
ヴォルケノの肌の色が闇に近付く世界に同化しつつあった頃。

「う・・・」

ヴォルケノのものではない、高い声が冷え始めた空間を渡った。

『おお』

精神の波へと戻ったヴォルケノの声が木霊する。
感嘆の響きの先で首を断ち切られた骸、血を与えた魔女の肉体が身じろぎした。

「あれ・・・? え・・・・・・あ、ヴォルケノ」

まるで眠りから醒めたかのように魔女が起き上がる。
薄闇の中に、裂けたかの如き傷跡を残す白い首筋が浮かんだ。
生気に満ちた真紅の双眸が頭上の瞳を仰ぐ。

『無事に黄泉より帰れたか、魔女よ』
「ヴォルケノ・・・・・・でございますよね?」
『如何にも』

鷹揚に頷くヴォルケノに、魔女は目を瞬かせて首を振る。
純白の髪を夜気に振り乱してもう一度ヴォルケノを見詰めると、
魔女は呆けた顔で首を傾げた。

「え? え? 私は・・・死んだはず、でございますよね?
 それともこれは夢、または此処が地獄でございますか?
 でもヴォルケノがいる────────ああ、
 やはりこれは夢に違いないのでございますよ。夢なら早く醒めないと」
『魔女よ、落ち着け。お前がいるのは夢でも地獄でもない。現実だ』
「?」

瞳を閉じかけた魔女にヴォルケノが呼びかけ、
ますます疑問を顔色に浮かべる魔女に向けて長い首が下ろされる。
魔女の眼前にヴォルケノの頭が置かれた。

『お前は一度、確かに死んだ。殺されたのだ。
 それはお前自身が誰よりも理解していよう。
 だが、我がこの身を巡る火竜の血によってお前の骸に熱を戻したのだ』
「ひゃえ?」

まだ認識が追いつかないのか、
抜けた声で余計に首を曲げた魔女にヴォルケノが溜息を吐こうとして、
危うくブレスで魔女を焼き殺すことに気付いて慌てて口を閉じる。

『よく聞け、魔女よ。
 神代の頃より、竜の血には生命が宿るとされている。
 いつの世も不老長寿を願う者が竜を狩り立てるのはこのためだ。
 もっとも、如何な竜の血と言えど万人に不死を与えるほどの効はない。
 可能なのはごく最近に失われた命を取り戻させること、それも効力は一度きりだ。
 更に、使用するにあたって骸が余りにも原型から離れていては効果を発揮せぬ。
 故に、通常は人に恋した異端の竜や主従の誓いを交わした酔狂な者が使うのみ、
 なのだが────────我がそれをお前に用いた』
「一度きりって・・・えええ!? 本当でございますか!?」
『我は偽りなど申さぬ』

さも意外と言わんばかりの顔で魔女の問いに返したヴォルケノに、
魔女の叫びがすっかりと黒色に覆われた空へと吸い込まれて行く。

「ど、どうしてそんなもったいないことを!?
 ヴォルケノ、正気でございますか!?」
『聞き捨てならんな、魔女よ。
 勿体無い、とはどういう意味だ?』

微かに怒気を伴って睨み付けたヴォルケノに、魔女が肩を震わせる。

「い、いえ・・・・・・その、だって、本当に勿体ないのでございますよ。
 そんな一度しか使えない貴重なものを、こんな魔女のために使うだなんて。
 人に憎まれて、追われて、ついには殺されてしまった魔女に与えるよりも、
 もっと他に使い道が幾らでも────────」
『そんなものに興味はない』
「ヴォルケノ・・・?」

珍しく魔女の声を遮ったヴォルケノに、魔女が怪訝そうな声を上げた。

『我が巣に戻った時、そこにあったのはニンゲンの放った矢とお前の骸のみであった。
 辺りの大地は焦げてもなければ抉られてもおらぬ。
 魔女よ・・・・・・お前は、己が命を絶たれる時になってもなお抵抗を拒んだな?』

それに構わず続けたヴォルケノの言葉に、魔女が頷く。

『それが我には解せぬ────────故に、勝手を承知でお前に命の灯火を与えた。
 魔女よ。お前はかつて、我に行ったな?
 お前は人でありたいが故に人に対しては力を振るわぬと』
「それは・・・そうでございますけど」

戸惑いながらも、まるで常識を問われたように魔女は答えた。
ヴォルケノの目が細められ、魔女を射抜く。
探るような視線に魔女が首を傾げるだけの時間をおいて、ヴォルケノが続けた。

『真実を言えば、我はそれを疑っていた。
 如何な意思、如何な目的であろうとも、それを己の生存より優先させるはずがないとな。
 生きること以上の、本能にさえ勝るものなどないと我は考えていたのだ。
 だが、それはお前によって否定された』

瞬き一つ。
目蓋から炎を溢れさせ、ヴォルケノが魔女を見詰める。

『我にはまだお前が人に拘泥する理由を完全には理解出来ぬ。
 しかし、我はお前の精神に強く興味を惹かれた。
 生を目指す本能には竜でさえ抗えぬ。一個の生命としてそれは必然のことなのだ。
 故に、我は知りたい。
 竜さえ屈服させる本能に打ち勝ち、運命に等しい理の外に身を置くお前を』

ヴォルケノの首がもたげられる。
橋の如き長さが高さへと置き換わり、
深く息を吐くように長く、空へと火線が引かれた。
炎の息吹を吐き出した顔が、再び眼下の魔女へ向く。

『魔女よ、我と共にあれ』

真摯に。
そして誤魔化しを許さない声でヴォルケノが告げる。

「え、ええええっ!?」

何かおかしかったのか、
言われた魔女は顔を赤くすると飛び上がるように一歩下がった。
冷ますように頬に手を当て、何度か肩を上下させる。
その幅が小さくなるよう落ち着けてから、魔女はヴォルケノと顔を合わせた。

「も、もうっ、ヴォルケノったら!
 不意打ちで乙女を驚かせるようなことを言わないで欲しいのでございます!
 その言い方は心臓に悪いのでございますよ!」

かと思うとそう叫ぶ。
今度はヴォルケノが首を傾げる番だった。

『何を驚く、魔女よ。我は偽りは口にせぬ。
 我はお前に強く惹かれた。故にこれからも我と共にあれと────────』
「だからそういう勘違いさせるような言い方は禁止でございます!」

同じく、ヴォルケノが遮られる番。

『分からぬ。何が不満なのだ? 魔女よ。
 我はお前に対して理解出来ぬことが増えたぞ』
「むう・・・・・・ヴォルケノに言っても無駄なのでございますよ。
 分かるようになったら教えて上げるのでございます」
『そうか。まあよい』
「え?」
『どちらでも同じことだ』

嵐のような突風を伴う羽音。
巨大な翼が大気を叩き、風を生みながら折り畳まれる。
吹き飛ばされそうになった魔女が何とかやり過ごして見上げると、
そこには彼なりの方法で居住まいを正したヴォルケノがいた。

『魔女よ。
 先に言った通り、我は本能さえ屈服させたお前に興味が湧いた。
 このような高揚は久しくない・・・・・・いや、初めてやもしれぬ。
 我はかつてお前の在り方を否定したが、ここに前言を翻そう。
 魔女よ。お前はお前のままで生きるがいい。人であることに拘ったままで構わぬ。
 ただ在りのままに我の傍にあれ。我と共にあれ。
 我の傍らで日々を、食を、語らいを共にしたお前は既に我が同胞。
 今日のようにお前に迫る脅威あらば、我はそれを焼き尽くそう。
 かつてお前に仇なした者への報復を望むなら、我はそれを焼き滅ぼそう。
 我との主従や夫婦の契約を欲するならそれも構わぬ。
 ただ、我と共にあれ。
 お前という存在を、それが何処から来て何処へと果てるのかを我に見せよ。
 さすれば、我はその対価として渾身を以て答えよう。
 さあ────────返答は如何に?』

まだ暮れて久しくない日が、彼方へと行ってしまったように深い沈黙が降りる。
濃い緊迫が闇を強くしたように静寂が圧され、空では輝き始めた星々の光が弱く瞬いた。
じぃっ、と竜と魔女が見詰め合う。石の如く動かない。
秒針で半回転分もの間をそうして過ごしてようやく、宵闇に白く軌跡が刻まれた。
魔女が色素の薄い肌を持つ指を口元に当てて唸る。

「うー・・・・・・流石に初めて告白されるのが死んだ後で、
 しかも結婚承知の上で相手が竜だとは思わなかったのでございますよ」

ヴォルケノは応えない。
思案の邪魔をするのが憚られたようにじっとしている。
そんな彼にもう一度目を向けて、魔女が閉じ合わせた唇を解いた。

「いいでございますよ、ヴォルケノ」
『おお』

願った答えにヴォルケノが唸る。

「どのみち、こんなことがあったのでは町へ下りられないのでございます。
 それでは他の土地へ移動することも出来ないのでございますよ。
 町の人たちが私のことを忘れるまでの間は、ヴォルケノの世話になるのでございます」

ヴォルケノはその町は既に住人ごと全滅、いや消滅させたとは言わない。
今の彼にとっての関心は魔女にあり、滅ぼしたニンゲンのなどどうでもいいからだ。

『そうか。では、魔女よ。改めてよろしく頼む』
「こちらこそ、でございますよ」

互いに頷きあい、軽く笑う。
竜と人と魔女。
三者三様の考えが生んだ、おそらくは誰にも語られない経緯を経て、
こうして竜と魔女の隣人、いや共同生活が再度始まった。



公国の東、火竜山脈に古の竜と魔女あり。
彼の者らは平穏を望む。故にその領域を侵すことなかれ。
彼の竜、名をヴォルケノ、
魔女に手を出せし者の住まう町を一晩にて灰燼と化したり。
我、以て火竜山脈へと立ち入ることを禁ずる。



これは竜と魔女が出会ったずっと後に出されたお触れ。
その内容は竜にまつわる更なる伝説となって語り継がれることとなる。
竜と魔女の、その後を綴った物語と共に。

       

表紙

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