Neetel Inside 文芸新都
表紙

SMASHING RED FRUITS
第十九話「クロスロード」

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 クロノはその日のうちに帰って来た。グレッチの家ではスマッシング・レッド・フルーツのメンバーが泥酔して寝ていたので、彼女も一緒に寝た。
 その日から、町は様変わりした。狂乱した若者たちが凶行に出始めたのである。
 八月二十八日。暴徒が腐った卵やピザを白昼堂々ぶん投げたりした。それに対抗した紅恋のメンバーが、レスカのアイデアを採用し芳香剤を投擲。すると今度はガスマスクを装着したパンクバンドのメンバーがクサヤとか臭豆腐といった臭いのきつい食物を繰り出してきた。
「負けてられるか三下がッ! 家事手伝いをなめるんじゃねえよ!」マチが本気を出した(それを就職で発揮すればよいのだが)。ハイオクの家のガレージから拝借した、買ったはいいが怖くて一度も使ったことのないという激辛ソースをばら撒いたのだ。jouがネット通販で買った、世界一辛いという触れ込みの海外製調味料である。しかしマチの投擲フォームがなっていなかったためエルがこれをくらう。敵の数は増えてきたので紅恋は逃亡。これが後に言う「血の雨事件」である。
 八月二十九日。ハイオクのベスパにエンジェルスエッグのマークが描かれる。復活した「メロゥス」の仕業だった。彼らは再び抗争をしかけてきたのだ。これに対しハイオクは「やる気ねえ」と言ってそれを放棄――したように見えたがその実彼の内側に、恨みの炎が燃えていた。
 その夜。夜道を歩いていたメロゥスの三人は、謎の三人組に襲撃される。顔を隠したマドンナ・ブリギッテだった。楽器でのぶん殴りあい。飛び交うエフェクター。まさに血みどろ。体力のなさは五分五分だったが応援を受けたYODAKA、魂狐の乱入によりメロゥスの敗北かと思われた。だが、そこで加勢に入ったエンジェルス・エッグのファンが五十人。そろいもそろって覇気のない若者ばかりだが集団になればそれなりに強い。やむを得ずライブハウス・シロウマへ逃亡。篭城戦が始まった。
「わたし……この戦いが終わったら結婚するんだ」
「そうかキツネ、終わったらメシでも食いに行こうや」
「ああ、うまい店知ってるぜ」
 などと言い合う彼らの前に、強力な援軍が現れた。
 泥酔したグレッチだった。彼女はこの数日、ある研究に没頭していた。それは、クロノの持つ「力」ともっともシンクロ可能な酔い方を求めるためのものだった。
 白ワインプラス焼酎、そしてビールを大量に摂取した彼女の高揚した精神は、心臓を早鐘のように動かし体中にアルコールとクロノの力をいきわたらせた。 一種のトランス状態である。
 ちなみにクロノがそのとき歌った曲は赤髪の作った「シーチキン」だった。何だかんだいって代表曲になりつつあった。その声に耳を奪われたエンジェルス・エッグのファンたちに向かって、ギターが飛来した。食らったのは、タマヤだった。不幸にも同じ相手から二回も同じ攻撃を受けることとなった。
 そしてグレッチが彼らに向かい悪魔のような形相で、とても文字にはできないような罵倒と脅迫をしたので、所詮烏合の衆である彼らはたちまち散ってしまった。これによりグレッチは仲間内で「救世主」として崇められることになる。
 八月三十日。ついに公式発表があった。「サマー・フューネラル・八月三十一日開催」
 一変し、町は不気味に静まり返っていた。
 嵐の前の静けさ。津波の前に引く波のようだ。スマッシング・レッド・フルーツのメンバーは相変わらずやる気なさげだったが。「エンジェルスエッグが何するか知らないけど自分らには関係ないし」。クロノも、参加すると断言はしなかったし、どこでやるかわからないから、という理由で、気にはしていなかった。いつものように昼間から寝て、やけに早めに目が覚めたので、マドンナ・ブリギッテをまねて「夜明けのライブ」をやろうか、という話になった。
 だけど海まで行くのはめんどうだから、駅前でやろうということに決定した。この町の駅前――そこは、深夜から明朝にかけてほぼ完全に無人地帯と化す。地方中枢都市とはいえ二十四時間賑わっているわけではない。
 地下鉄の始発で駅へ向かい、外へ出ると東の空が白み始めていた。
「夏ももうおしまいだね」
「秋になったら全力出す」
「学校いつから始まるか分からないんだけど」
「こんなに早起きしたのは何年ぶりか。かつてオレも一人の、健全な少年だった。ラジオ体操へ精を出していたあのころを思い出すぜ。だが納得のいかないことがあった。何故に朝六時とか七時とか、そういった時間から運動せねばならないのかと。なのでオレは三日でラジオ体操に行かなくなった。他の同級生はシールだかスタンプをもらえるのをひどく喜んでいたが、オレに言わせればそんなもの茶番だ。思えばアレがオレの内にパンクの精神を芽生えさせるきっかけとなったのかも知れない」
 SGが遠い眼をして語るのを聞き流し、一同は駅前の交差点に着いた。
「あれ? なんだか……」騒がしかった。ざわざわとした話し声と伝わる高揚感があった。
「こいつは……」グレッチは、以前大規模なロックフェスティバルを見に行ったときのことを思い出していた。あのときの空気に似ている。
 駅前交差点は若者たちで満ちていた。
 路上だけではない。その上にかかるペデストリアンデッキも人でいっぱいだ。町中の若者が集結しているのではないかと思うほど、その数は多い。
 人ごみが嫌いなスマッシング・レッド・フルーツのメンバーはたちまちげんなりした。
「うわー人多すぎだろこれ……サマー・フューネラルってここでやるのかよ」
「帰るか」
「そうしようか……」
 彼らが今来た地下鉄駅へ逆戻りしようとしたとき、駅から何人かがゾロゾロ出てきた。
 ガラナと、紅恋のメンバーたちだった。
「あ、ガクショクたちも来てたの?」
「ガラナ。何でここに?」
「場所と時間がアップされてたから、見に来たんだよ。どんなものかね。場合によってはアタシのレーベルにスカウトしちゃう。あ、みんなもいるよ」
 後ろから、マドンナ・ブリギッテ、魂狐、YODAKAと、シロウマで活動している仲間たちがぞろぞろやって来た。
「おいおい、お前ら、エンジェルス・エッグのファンのヤツらに見つかったらやべえだろ?」グレッチがそう言うが、
「平気だ。誰もオレらのことなど見てはいない」
 ハイオクの言うとおり、ファンたちは今から出てくるエンジェルス・エッグのことばかり考えているようで、心ここにあらず、といった様子だ。
「これ警察来たりしないのかな」
「ヤバくなったらオレらも逃げるさ。まあしょうがねえ、拝聴すっかな」赤髪が言った。しかたなく、スマッシング・レッド・フルーツも、サマー・フューネラルを見ようという気になった。
 誰かが、駅の正面のビルを指差し言う。「来た!」
 その場にいる全員が叫んだ。空気がはじけたようだった。大歓声が他の音全てをかき消す。
 ビルの屋上に、エンジェルス・エッグのメンバーがいた。登ってきた朝日が、彼らの顔を照らした。一番前にいたゼルを見て、失神するものもいた。
「ようこそ――サマー・フューネラルへ」ゼルがそう言うと、さらに大人数が崩れ落ちた。その場で聞いていたガクショクたちも鳥肌が立つのを感じた。この声は――人間を完全に熟知しているものが、どうしたら最も素晴らしい声を出せるか――それを実践したかのようだ。町全てがゼルの声を清聴しようとしているように、音は一切消え、自分自身の心臓の鼓動すらも遠のいた。
「来てくれてありがとう、みんな。じゃあ今からさっそく一曲、やるよ」
 ――もう、あいつが天使でいいんじゃないか。ガクショクたちはそんな考えすら抱き始めた。
 曲が始まった。
 ライブハウス・シロウマでは決して聞けない、澄んだ音だった。
 すべての楽器とゼルの声ががっしりと噛み合っている。各パートそれぞれが人体の一部分で、それが合わさりこの曲という肉体を構築しているようだ。
 聴覚・視覚以外の五感と、時間の感覚が聴衆から消えた。
 ハイオクたちが事前に見た動画とは比べ物にならない。直接聞くという行為により、ゼルの声が頭に染み込んできているようだ。
 曲は、グレッチやキツネが聞いた、もの哀しい曲ではなく、これから始まっていく一日を賛美している内容だった。聴いていると本当に、力が湧いてきて、どんな悩みや疲れも消えてしまうように思えた。実際、スマッシング・レッド・フルーツのメンバーたちが感じていた眠気は消滅していた。夜型のヒッピーからも。

 気が付いたときには、すでに曲は終了していた。
 静寂の後に、再び大歓声と、割れるような拍手がやって来た。
「すごい」ガクショクがぽつりとそう言うと、周りのメンバーも頷いた。ただ、それしかできなかった。これなら魅了されて当然だ。
 こんなものが存在しているなら――いくら対抗してもしかたがないのではないだろうか?
 放心して立ち尽くす彼らに、再びゼルの声が響いた。
「ありがとう。……次の曲に行く前に、ボクから少し話しておきたいことがあるんだ。キミたちは、ボクらが好き?」
 全員がためらうことなく肯定の言葉を叫んだ。
 ゼルの、まさしく天使のような顔と声。それを目の当たりにし、あの音楽を聴いたあとではそれも当然だろう。狂信的な叫びが交差点を埋め尽くす。
 するとゼルは頷いて、
「なるほど……。やはりキミたちは、ボクの――ボクたちの色に……染まってしまったんだね。いや――ボクたちが染めてしまったのか――」
 そう言い終わるとゼルはうつむいた。その顔が、見えなくなった。
 次に何を言うのか。それを聞き届けようと、再び全員が沈黙した。
 ゆっくりと、ゼルは顔を上げる。
 聴衆は目をみはった。
 その顔が――豹変していたからだ。それまで悪意の欠片もなかったゼルの顔が、「そうか。そういうことなんだ。だったら」悪魔のような、凶悪な笑みで満ちていた。一体どこからそれがあふれ出てきたのか、分からなかった。白一色の場所に突如、何の前触れもなく漆黒が現れたようだった。背後にたたずむラン、シン、ナギ、レイの顔も、同じように悪意で満ち溢れたものになっている。それらは、聴衆へ向けた、悪意だった。ゼルは両手を広げて、それまでの穏やかな声とは正反対の、がなり声でこう叫んだ。
「ボクはキミらが嫌いだ! 大嫌いだ! ゴミに出したいくらい嫌いだ! 犬のクソ以下。ドブの中で腐れていくネズミの死体以下。吐しゃ物以下だ。自分のためにやってきた音楽に、ウジのように群がるキミらが嫌いだ! 天使の召喚? 知ったことか! ボクらはやりたいことをやってきただけだ。キミらは今からファックしろ。あるいはくたばれ!」ありはしないと皆が信じていたものが、堂々とゼルの口から流れ出ていた。最低の、罵倒の言葉と呪詛が次々と。そしてゼルはそれを楽しんでいた。「ああ! ボクが望んでいたのはこれだ――キミらを裏切るこの瞬間! キミらに対する怒りを歌う瞬間を! 何よりもボクらは望んでいた! いいか、有象無象のカスども! 何かに染まるしか能の無い生ゴミども! もうボクらなんか見なくていいんだ! キミらはキミらの――クソみたいな色に染まれ! この歌を聴いて! そしてボクらは、今までの自分自身とも決別するッ!」
 その声を聞いて感動するものはいなかった。ゼルがただの、一人の若者に見えていた。
 全員が呆気にとられたまま、二曲目が始まった。
 それを聞いてさらに、群集の戸惑いは加速した。一曲目が別世界の出来事であったような――ひどい雑音だった。はたして本当に、同じバンドが奏でる曲なのだろうか?
 メチャクチャだ。音をすべてすりつぶし、ドロドロになった状態でさらにかき混ぜるような――それは、スマッシング・レッド・フルーツの音楽に似ていた。
「歌えよ、カスども」ゼルが命令口調で言った。「楽器を持ってるヤツらは弾くんだ。それがないヤツは、手を叩け。あるいは隣のヤツを殴れ。自分の骨を砕け。血を流せ。そして踊るんだ――ボクらの音楽を増長させるために! 自分をブチ壊すために!」
 大音量にかき消されることなく、ゼルの声が響いた。
 聴取は相変わらず呆然としていたが、やがて何人かが、言われたとおり、叫び始めた。それは、今までと同じくゼルに魅了されての行動ではなかった。反逆だった。それまで信奉していたバンドから暴言を吐かれ、裏切られた気分。悔しさ。あるいは現状を理解でいない混乱。
 もしくは、エンジェルス・エッグが奏でるこの音楽への共感。
 ガクショクは持っていたベースを、中古の小型アンプにつなぎ、フルテンで演奏し始めた。SGとグレッチもギターを鳴らし始める。クロノもキーボードを片手だけで弾きながら、ゼルに言われたように、自分が思うまま、叫んだ。それに重なるように赤髪が絶叫する。完全に目が覚めていたヒッピーも、続いて歌い始めた。それは普段の彼から想像できないほど力強かった。
「……あいつら、できるじゃん、ガーっとしたのも! ステキ!」ガラナもそう言うと何かを叫び始めた。他のメンバーも楽器を打ち鳴らし、あるいは叫び出した。
「はっ! こりゃあ、あいつらの人気は急降下だなあ! ジャンルがらっと変わってるじゃねえか。売れないかも知れねえが気に入った!」aoが自分のベースを地面に叩き付けた。
「負けねえぞ! うぉぉぉぉぉ!」テラも叫びながら、モズライトを地面に叩きつけた。しかしそれ以上傷ついたらイヤだったので二人とも、一回だけにしておいた。
「朝からこんなにハイになったのは何年ぶりかな……!」ハイオクは帽子を脱ぎ捨てると、バイオリンベースをテラたちと同じく、路面に打ち付けた。しかし彼は一発ではやめなかった。何度も、何度も振り下ろした。隣でマチも、自身のベースを地面に投げ付け、履いていたラバーソールで踏み始めた。
 ペデストリアンデッキの最前列で演奏を始め、拡声器で雑音のような歌を奏でているのは「メロゥス」の三人だ。イズミがなにか叫んでいたが、それはかき消され、恨みつらみなのか、それとも哀しみなのか、あるいはカタルシスから来るものなのかは分からなかった。
 ゼルは依然叫び続け、壊れた自動人形のように体を揺らし、そして空に向かってこう叫んだ。
「騙された気分は、どうだい!?」
 それまで晴れていた空が急激に曇り出していた。
 灰色の分厚い雲が押し寄せて来て太陽を隠し、やがて雨が降り始めた。
 すぐに、周りが見えないほどの土砂降りになった。
 ずぶ濡れになりながらも、誰も演奏をやめようとはしなかった。

       

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