Neetel Inside 文芸新都
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差別されたかったんだ
1「ムンバイ」(2024/07/01)

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「良い旅を」
 痩身で利発そうなインドの空港職員からそう言って送り出されたのは、日付が変わってすぐのことだった。決まりのいい別れ文句だが、そこで終わることはできず食い下がって、「どちらに行けば……」と尋ねた。まだなにかあるのかという風に「あっちだ」と指差したのでそれに従うことにした。
 チャトラパティ・シヴァージー国際空港。インド・ムンバイの玄関口にある空港だ。
 機乗してきたタイのバンコクからおよそ四時間半、そして時差で一時間半ほど時間が戻っている。
 これから到着エリアで朝まで一夜を明かす算段を立てているが、置いてあるどのベンチにも肘置きが付き横にはなれず、暑い国にありがちな凍えるような館内空調に加えて、迷彩服を纏った陸軍兵士が小銃を抱えて空港内を巡回している……。これから先々に起こるであろうインドの洗礼に気を揉みながら、すでに寝入っている集団の脇に座り、できる限りの重ね着をして、目を深く閉じた。

 時間を巻き戻そう。
 ペルシャ絨毯のような床の導線を抜けると、だだ広い空間に何十もの入国審査のカウンターが並んでいた。その多くが深夜のためか、もぬけの殻となっていて機能を停止していた。昼はそれだけの人数が利用するのだろうが、今は片手ほどのレーンに数人が並んでいるという状況だった。壁際の台に乱雑に置かれている入国カードに記入し、それを手に持って、自分が行くべきレーンを探した。
 インドに入国するためにはなによりもビザが必要だ。前もって調べた情報では、インドの主要五空港で日本人はアライバルビザを取得することができるとのことだった。そしてその窓口は、入国審査場に入ってずっと真っすぐ突き当たりの一角にあるはず……、あった。離れ小島のような場所に「日本人・韓国人専用」と英語で掲げられた入口がある。だれけども、照明が消されていて、案内板にはクローズという文字が見える。どうにも近寄りがたい雰囲気だ。近くにいた中年の女性が近づいてきた。案内をしている空港職員のようだ。
 「どうしたの?」
 「あそこの窓口は今開いてないんですか?」
 「担当者がいないから別の窓口に行ってね」
 そうは言われても普通のビザカウンターでうまく説明できる気がしなかったし、これまで旅をしてきた経験則から、益々こじれるような気がしてならなかった。
 そうですか、そう答えて、すっと暗がりの方へ向かっていく。
 迷ってこっちにきてしまったという体で入口をすり抜けて角を折れると、そこにもいくつかのカウンターが並んであって、当然誰もいなかった。
 ふと視界の隅に目をやると、壁際のソファでハードカバーの本を読んでいる若い女性がいた。さきほどの案内人といい、男性は折り目正しい制服を着ているのに対して、女性はカジュアルな服装をしているので、どうも声をかけていいのか困ってしまう。
 気づいていたのか、いや、普通気づくだろう、本をパタンと閉じて、「日本人?」と聞いて、自分が頷くと、「ちょっと待って、そのソファに座っていて」と言って、アライバルビザの申請書を持ってきた。
 書式は英語だったけど、事前にネットで予習はしていたので、なんとか書き終えると、自分のためだけに、入国審査のカウンターに、インド人らしい口ひげを伸ばした男性が出迎えていて、特段これといったやり取りもなく、インドへの入国が許された。
 
 眠れず朝を迎えて、おそるおそる意を決して空港の外に飛び出して見ると、ごくありふれた空港の玄関口という感じだった。バクシーシーと喜捨を求められることもないし、いわゆる不潔さを感じることもない。世紀末的な絵面を引っ提げていたから表紙抜けだった。
 空港まで地下鉄は来ていないらしいので、最寄りの駅まで向かう必要があった。ずらりと並ぶリキシャの客待ちの声が殺到するも、乗らないよという態度で横を通り過ぎていく。リキシャとは三輪バイクのことで、東南アジアではトゥクトゥクと呼びもする。
 バスに押し込まれたインド的な通勤風景を見ながら、歩道というものが存在しない、土埃で煙たい道路の脇を歩いていく。十五分ほど歩いた後に、特に難なくメトロ駅に着いた。

 メトロと鉄道を乗り継いで来た、チャトラパティ・シヴァージー駅、略してCSMT駅。
 一瞬インドでないどこかにいるような錯覚を覚えるゴシック建築。駅舎は世界遺産になっているらしい。
 ここから内陸の都市、オーランガバードまで鉄道で向かうことにした。オーランガバードにはエローラ石窟寺院がある。
 チケットはスマホで前もって買ってあって、窓口で発券することができた。さすが現代。
 短距離と長距離で列車のホームは分けられてあって、待合室の椅子は座れないほどに人でごった返していた。
 電光掲示板にじっと目を凝らす。ヒンドゥー語と英語の行き先が交互に表示されて、その横にホームの番号が続いていた。
 自分が乗るのは12番ホームのようだ。
 プラットフォームには人がまばらで、特急電車のような顔をした列車が横付けされていた。
 客席に入る時、ドアの手元で輪のように光っている部分に自分の手の平をかざせばドアが自動で開いて、日本では普通だという体験が、インドではとても感動的というか、予想の上を行ってくれて先進的に感じられた。
 車内も座席も日本の新幹線と遜色ない。さて、自分の席は……と向かうと、奇妙なことに、車両の中央部分だけが、テーブルを挟んで向き合う形になっていて、自分はその進行方向真ん中の席だった。直前でもチケットを取ることができたと思ったら、こういう曰くのある席だからだったのか……と思ったがもう遅かった。六時間ここでじっと我慢しなければならないとは。
 定刻通りにするすると駅から発車していった。その直後に乗務員から新聞が配られた。ザ・タイムズ・オブ・インディア。まさか英字新聞が配られるとは思わなかった。
 途中駅で一家が乗り込んできて目の前に座った。その夫が目の前に座り、「どこから来たんだ?」と尋ねたので日本だと答えると、首を軽く左右に振ってインド流のうなずきを返してきた。
 そしてしばらくすると、昼食が配られた。トレーの上には、アルミの容器に入った、黄色と茶色の二つのカレー、ライス、具だけのカレー。アルミホイルに包まれたチャパティ。そして、ヨーグルト。どれもおいしそうに見えた。黄色いカレーを掬ってご飯にかけて食べてみる。……塩っぽくあり、水っぽくもあって、あまりおいしくない……。それに、ライスが日本のお米と違うってボソボソしてあって、食味に欠ける。チャパティは食べ慣られていないので、こういう味なのかなと納得できたが、具だけのカレーも塩の味しかしなかった。ヨーグルトに逃げてようとしても、日本のように甘みや酸っぱさがあるわけではなく、どろりとして味気のないものだった。仕方がないので、トレーに乗ってあったヨーグルトにかけるのだろう黄色い小袋の調味料を手にとって開けようとした時、「ノー!」「サニタイザー!」と、目の前から声がかけられた。聞き覚えのない英単語に一瞬「はて?……」と思ったが、どうやら、これは、食前に手に振りかける消毒液のようだった。夫の隣に座っていた子供が大笑いしていた。なんだかばつが悪くなって、食事が終わった後も、対面している席のせいでどこかに消えてしまいたいと思った。狸寝入りをしている間も、その子供は、新たに席に座った乗客に対して、面白おかしくサニタイザーを食べようとした頭の悪い外国人だという風に吹聴しては、くすくす笑った。
 日本にはお手拭きぐらいでそんなもの無いもん、むう……。と、思いながら、車窓は暗くなり、オーランガバードが近づくと、乗客たちはせわしなく荷物を改め始めた。
 「もうすぐオーランガバードだよ」
 家族の夫は自分に対してそう言う。僕はありがとうと返した。

       

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