Neetel Inside 文芸新都
表紙

恋愛小説集「銀魂vs小島信夫(最終回)」
「美形vsゆらゆら帝国」

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 娘にまた詰められた。
「パパは小学生の頃女の子とどんな会話をしていたの? 中学生の頃は? 高校生の頃は?」
「パパの時代に女性はいなかった。男性もいなかった。性別というものはなかった」と、人類と生物学を巻き込んでみた。
「そんなわけないやん!」と言下に否定された。クリスマスにダイヤモンドをねだられた時に「コロナで宝石屋は全滅した」と言っても信じてもらえなかったっけ。
「入院してたんだよ。小中高全部」
「何の病気? 頭?」
「全身骨折、毎日骨が折れてた」
「じゃあ何で今は骨折してないの?」
 私は急にお腹と喉が痛くなって喋れない振りをした。

 こうして恋愛小説が始まることになる。

*

 現在異性と楽しく過ごせている子どもたちであるが、我が子は親にとっては世界一可愛い存在ではあるが、一般的な視点で見れば、特別な美女美男というわけではない。娘の彼氏の顔はまだはっきりとは見たことはないが、娘からすると「面白い」のがいいところだという。顔ではない。息子と仲の良いカナちゃんとのやり取りを娘が見たそうだが「あの子、ケンちゃんといる時、すごく幸せそうに笑ってるね」とのことだった。彼女も息子の「面白さ」に惹かれているのかもしれない。

 子どもたちと違って異性と触れ合う機会のなかった子ども時代の私にとって、恋愛というのは「美男美女がするもの」だという刷り込みがあったような気がする。自分はその枠には入っていないわけだから、関係のない話だと割り切っていたのだ。そのくせ、片思いする相手は、誰もが認める美女というわけでもなかった。

 美しいものを人は求めてしまう。それは分かる。美から遠く隔たった容姿の持ち主ばかりが出ているCMは購買意欲をそそらないだろう。歌って踊れるけれど醜い容姿の人はアイドルにはなれないだろう。世に出る恋愛物語のほとんどに美男美女が登場するのは、そうしないと作品発表までたどり着けないからだ。スポンサーがうんと言わないからだ。

 実際にはなかなか転がってはいない美男美女、それらの幻影を求めてしまったばかりに、恋愛から遠ざかってしまったという方は、意外と多いのかもしれない。「好みのタイプ」ってなんだ。好きになった人が好みになるのだろうに。

 つまりは人生のどこかのタイミングで坂本慎太郎に出会うことで、そういった美男美女だけに恋愛が許されるとかそういうイメージを捨てることができると思うのだ。坂本慎太郎とは「ゆらゆら帝国」というバンドのギター&ボーカルである。解散後はソロで活動もしている。彼の容姿は美形という概念からは遠く隔たっている。むしろ妖怪寄りである。しかし彼の鳴らす音は途方もなくかっこよく、楽曲は聞き継がれている。ゆらゆら帝国の楽曲に触れ、バンドメンバーの写真を見た瞬間、私の中でコペルニクス的転回が起こった。
「顔の良し悪しなんて、物事の評価基準に何ら関係ないのだ」と。

 別に顔にこだわっていたから恋愛経験が乏しかったわけではなく、むしろ性格的な問題が大きかったのであるが、とにかくゆらゆら帝国と出会った十代後半以後、私は容姿で人を判断するようなことはやめた。大体顔のパーツの良し悪しなど、手が長いとか耳が大きいとかと同じで、身体的部位の特徴でしかない。
「君、かっこいい顔をしているね」は「君、足の指の毛が長いね」と大差ないのだ。

 第一美男美女がくっつくよりも、容姿も性格も対称的な方が、種の多様性を保つためには有利なのだ。趣味嗜好が合う物同士がくっついても案外うまくいかないことがあるのもそのせいである。今、すごく適当なことを書いた。案外うまくいかないもなにも、私はそんなことをよく知らないのだから。


ゆらゆら帝国「発光体」 
https://www.youtube.com/watch?v=9de9r-nD9Ko

ベーシストの亀川千代氏は今年4月永眠された。ご冥福をお祈りいたします。

(了)

 恋愛小説を書けなかったのでお詫びのギブソンSGと猫です。

     


       

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