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地獄の敬老オフ会
地獄の敬老オフ会(前編)/スナツキン

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吾輩はこびとである。人間からたびたび物を借りつつ暮らしており、彼らには「小さいおじさん」や「オヤジッティ」と呼ばれる者である。関東近郊の、あるマンションの一室に隠れ住んでいる。
この部屋の主は、名をスナツキンといった。料理と読書と執筆、そして創作投稿サイト「新都社」が好きな小娘だ。本名はもっとぜいたくだが、たびたび料理の音声配信をしながら「スナツキン」と名乗っているので、ひとまずはそれでよかろう。
吾輩はこの主から物を借り借り過ごすうちに、すっかり神経質になってしまった。おかげで物を借りるだけでは気が休まらず、床掃除や埃取り、蔵書を借りて読書までするようになった。清潔で食べ物には困らないが、そうそう人間大のサイズになることもできず、まったく窮屈な日々なのだった。

さて、主だが、この頃は特にその心配症が酷かった。主は昇進のための努力が中々実らず、いたくストレスをためていた。さらに主は、人見知りのくせに何を血迷ったか、新都社の友人とオフ会の約束をしていた。しかもそれは「ニッポンお風呂バンド」という、とびきり破天荒な一派であるそうだ。主は皆に会うのを楽しみにしていたが、「私はこうやって遊んでばかりでいいんだろうか」「嫌われたら……」と悩むことも週に2、3度あった。
ところがなんの因果か、吾輩もそのオフ会に付き合うことになったのである。

その日の昼過ぎ、部屋いっぱいに張り詰めた空気に落ち着かなくなり、吾輩はえいっと手頃なカバンの中に飛び込んだ。主がオフ会に行くまで、縮んだまま隠れて過ごす算段だった。
ところが急にカバンがぐわっと持ち上がった。

「やばいっ、もうこんな時間だ、行かなくちゃ」

主の声が聞こえる。カバンの中には文庫本や財布、日傘が降ってきて、激しく揺れだした。隠れていた吾輩に気づいていないらしい。主は吾輩をカバンに入れたまま、息を弾ませ、矢のごとく飛び出した。

◆◆◆

待ち合わせ場所の新宿駅に着いてみると、改札口の横で、眼鏡の男2人が話し込んでいる。片方はジャストサイズのTシャツにリュックが似合う穏やかそうなクセ毛、もう片方はしゃれたウォッシュド加工のシャツを着て、ギターケースを背負った爽やかな短髪だ。
短髪は顔をおもむろに動かし、誰かを探しているようだったが、主を見留めると微笑み、軽く手を振った。

「やぁ、スナツキンさんですか。僕が四ツ丸です。こちらはクマカツ先生」
「あ、はい、スナツキン、です……四ツ丸さん、本日は貴重なお時間をいただきまして……」

吾輩はまず安心した。主の言葉はやや震え、たどたどしかったが、かすかにほっとした色がうかがえたからだ。
四ツ丸氏といえば、幾度か自炊配信に来たことがあった。コミュ障の主にも親切に接してくれ、比較的仲の良かったことを覚えている。今日のオフ会でもよしなにやってくれることだろう。現に、主は四ツ丸氏に会えたことを、せいいっぱいの言葉で喜んでいる。
四ツ丸氏と一緒にいたクセ毛の男はクマカツといった。2人で創作談義をしていたようで、新作がどうたらといった構想が耳に入ってきた。確か最近資格も取ったと聞いたが、勤勉な性格なのだろう――四ツ丸氏に促され、彼も挨拶をした。

     

「どうもどうも、クマカツです。スナツキンさん、校正だか編集の人でしょ」
「えぇ、校閲部で。クマカツさんは確か技術系の資格を持ってるんでしたよね」

するとクマカツ氏はけらけらと笑い出す。

「あぁ電気工事士ね、でも今無職なんですよ、資格は取ったけど。明日だって失業保険もらいに行く予定だし!」

……主が「あー……すみません……」とかすれた声で返し、後ずさる。見れば、苦笑いをたたえつつ、おもむろに曇り空を見やっている。主は職歴に強いコンプレックスと不安を持っていた。クマカツ氏自身は気にしておらず、楽観的で気のいい人物だったとはいえ、主の心には申し訳なさと、ろくでもない記憶がよみがえってきたのだろう。オフ会は早々に陰りを見せはじめていた。

「あ、皆さん! 四ツ丸先生も! こんちはー、岩田です」

よどんだ空気を追い払うように、明るい挨拶が投げかけられる。ヒッピーじみた男がいそいそと改札を出て、軽くおじぎをしたところだった。名前は岩田イワオといった。彼の雰囲気に背中を押されたのか、主もなけなしの喜びを取り戻したように見えた。
彼が来たところで「じゃあ、あとはカラオケで待ちますか」と四ツ丸氏が先導し、一同は集合場所であるカラオケ店へ向かった。本当はもう2人来る予定だったが、渋滞と電車の遅延で少し遅れるらしく、店で落ち合うことになったのだ。
さて、この岩田氏、中々人好きのするらしい男だ。初めて会うクマカツ氏にもフットワーク軽く、ブログの感想や冗談を言って、気持ちを和ませようとしている。見た目はといえば、健康的に日焼けし、よく見れば服のセンスも悪くない。着慣れたシャツとターバンのような帽子も、主が憧れる高円寺の古着文化を思わせる。ともかく主にとっては親しみやすい……ように見えた。最初は。

「ねぇねぇ見てくださいよ! 試供品のハリボーもらっちゃった!」
「ヒッ……」

主の後ろを歩いていた岩田氏が、握った手をぱっと開いてみせた。中には外国のグミが入った小袋が1つ。

「わぁーよかったですねえ……ドイツのグミでしょう、私好きですよ、ドイツも」
「へー、これドイツのお菓子なんだ。オレ2袋もらったんすけど、食います?」
「ゴメンナサイ私さっき歯磨いたばっかりで」

主は早口に言った。だが半分嘘である。歯を磨いたのは3時間も前だ。おまけに主は会う前に彼に対して滅法気後れしてしまっている。ホームをわたり見上げたところに、岩田氏の似顔そっくりにしている人影が動き「げ、岩田さんもう着いてる……?」と目をそらし、新しいガムをかんでいた主。気がつくまではとても自然でよかったのに。
吾輩の淡い期待とは裏腹に、2人のファーストコンタクトは失敗だったようだ。

「食べなくて正解ですよ。新宿の試供品のお菓子なんて、9割ヤク入ってますから」
「ちょっと四ツ丸先生! クマカツ先生と分けようとしてんのに、なんでそんなこと言うの?」

     

四ツ丸氏が笑った。少し立ち止まって、ギターケースのベルトを肩にかけなおす。楽器が入っているにしてはずいぶん膨らんで見えた。

「あ、ねぇそれ重いでしょう、持ちましょっか」

主が声をかけるが、四ツ丸氏は頭を振った。ややすまなそうにする主。

「ありがとうございます。大丈夫ですよ、もうすぐ着きますから」
「ギターにしては重そうだなと思って。機材とかも入ってるんですか」
「家にあったほかの楽器です。スナさんやクマカツ先生が、手ぶらで来ても演奏できるようにね。カスタネット、タンバリン、パーカッションセット……」
「えっ、貸してくれるんですか? 借りていいんですか?」

主の目がきらめいた。まるでちゅーるをもらって喜ぶ猫である。不安はあったものの、主は今日の演奏を、とても楽しみにしていたのだった。
流石はお風呂バンドで一番、主とよく話すだけはある。せめて残る2人が来るまで主がつつがなく過ごせるよう、四ツ丸氏には頑張ってもらわねばなるまい。吾輩は思った。

カラオケ店では、まず「リハーサル」が行われた。この日はお風呂バンドとゲストの合計6人でセッションを行い、その模様を配信することも決まっていた。
四ツ丸氏がギターケースから、持ってきたものを出し、ローテーブルに並べはじめる。先ほど話していた打楽器類のほか、ウクレレ、金属の皿のようなものもあった。

「『チャカポコセット』です。叩くときはこのバチで面と縁を。裏返すと音も違います」

四ツ丸氏は先端にゴムを巻いた菜箸で、灰皿をキンキンと叩いた。案外良い音が響く。ドラムセットのシンバルより激しすぎず、親しみやすい音色だ。

「すげぇ、本物の灰皿だ。この濃いグレーのは?」
「百均のケーキ型ですよ。あとはタンバリンも叩いてみてください」
「オレ使ってみてもいいかな? 持ってきたこれ……一緒に叩いたら楽しそうだしさ」

チャン、チキ、チャン、チキ……四ツ丸氏が頷くや否や、岩田氏はさっそくバチを手に取った。そしてバッグから黒い石を出して、灰皿の横に置くと、代わる代わる楽しそうに叩きはじめた。

「あれ? 『いしお君』ですか、その顔」

カスタネットを叩きながら主が言った。視線はさっきの黒い石だ。マジックで滑稽な顔が描かれているのが分かった。

「知ってんの!?」

岩田氏は前のめりになって大喜び、ニコニコ顔で2人リズムを合わせはじめた。四ツ丸氏とクマカツ氏も、「いいですね、じゃあ早速」「1曲やろう」とブンチャカ各々の楽器をやりだす。さっきまで無愛想だった彼女が、心を開いた嬉しさもあるのだろう。

     

カバンから出て、カラオケルームの隅で四ツ丸氏の歌声を聴きながら、吾輩も(喜ばしいことだ)と思った。スナツキンが吾輩の家に住みはじめて1年、こんなに楽しく他人と打ち解けた彼女は、ついぞ見たことがなかった。先ほどは「ファーストコンタクトは失敗」と言ったが撤回、成功の部類である。岩田氏(といしお君)は切り込み隊長として誇ってよいだろう。

◆◆◆

「うぃーお疲れー、遅れてごめん。もう始まった?」

配信予定時刻の少し前、悠然とガラス扉を開ける者があった。主は手を止め、弾かれたようにサッと立ち上がって、席を勧めた。吾輩もソファの陰に隠れ、唾を呑んだ。
比嘉千鳥(ぴかちう)氏である。主が「千鳥(ちどり)さん」と呼んで尊敬する、絵も文も得意な期待の新都社作家だ。やわらかな黒い巻き毛に目元涼しく、シックな黒のショルダーバッグには赤いピアニカ。上質そうな白いTシャツもさらりと着こなしているが、何せ新都社の民、描かれた絵は蛭子能収のものだ。
この男、吾輩にとっては好敵手とも盟友とも呼べる人物だ。ひっそり暮らしてきた我々オヤジッティ一族を、持ち前の好奇心で調べ上げ、漫画「借りぐらしのオヤジッティ」にしたため、その存在を世に赤裸々に知らしめたのである。

「だいじょぶだいじょぶ、おれ、お土産のお菓子持ってきたからさ、とりあえずつまみなよ」

そしてこの漫画の原案を描いたのが、彼より少し早くに来ていたぱんすと和尚氏である。体格の立派な気前の良い人物で、今日はトルコ土産のしゃれた太鼓を持ってきていた。
「オヤジッティ」は表向きはぱんすと氏の精神的自画像ということになっているが、実際は彼が一族の者を偶然目撃したのが始まりだ。その報告がまさか、あれほどの人気漫画になるとは吾輩予想だにしておらず、その漫画を好んだ主がこうして作者たちと出会うとも思わなかった――これは、吾輩が彼女に見つかるのも時間の問題であろう、Xデーは遅い方がよいが。

「やあ人形焼きがゴロゴロ……紙袋のパーティ開けなんて豪快だな、ぱんすと君」
「フィナンシェだよ、一口サイズの。個包装のがなかったけど、美味しいから皆で食べようと思ったんだ」

ぱんすと氏の言うとおり、あれはいいものだった、と思う。吾輩もいくらか失敬したが、よく染ゅんどらせたバターの香り高く、しっとりとして、大満足の逸品である。

「洒落てるなあ。俺も手土産なら持ってきてるんだ。皆さん、これ1つずつ取ってってください、その間に支度するんで。ほら、スナさんも、苦いチョコのかかったやつっす」

言うと、千鳥氏はお菓子の箱をフィナンシェの隣に並べた。主は喜びの声を漏らす。どうやら土産物のセンスもよいらしく、上等なチョコ菓子がずらりと並んでいるようだ。悩みに悩んで、結局氏の一番おすすめだというものを取って、向かい側のぱんすと氏に手渡した。そして自分もカバンをごそごそやりはじめ、

「えっと、その、私も持ってきました。つまらないものですが……」

     

と、控えめに個包装のサブレを分けはじめた。つられて隣の四ツ丸氏も「実は僕も……」とまんじゅうを1つずつ手渡していき、カラオケルームはさながらお茶会の様相を呈していた。

「これで酒でも頼めりゃ完璧なんだがなぁ」

千鳥氏が物欲しげに言った――他の5人は、フィナンシェを食べて喉も乾き、飲み物を選んでいるところであった。ただ悲しいかな、酒は部屋のプラン外、千鳥氏はこのあとの居酒屋での夕食会まで我慢せざるをえないようだった。

「じゃあ時間も来たことだし、飲み物が届くまで、短い曲から合わせてましょうか。1、2、3、4――」

四ツ丸氏がギターのボディを叩き、拍子をとり、ジャカジャカとギターをかき鳴らしはじめた。

◆◆◆

さて、セッションの配信がどうなったか、読者の諸君はその顛末を、待ち焦がれているところであろう。結論から言うと、セッションはつつがなく行われ、大いに喜ばしいものとなったのだった。
特筆すべきは、それぞれが持ち寄って互いに貸しあった打楽器類であった。実は吾輩もそろっと手拍子で参加していたのだが、チャンチキポコポコと音色も十人十色、柔軟でどこかコミカルなお風呂バンドの音楽性に合っていたようだ。四ツ丸氏のチャカポコセットのほか、ぱんすと氏の太鼓、そして極めつけが岩田氏の持ってきたベルである。

「えっ、これ自転車のベルなの? 全然なんだか分からなかったよ」
「そーなんすよ、クマカツ先生やってみますか? オレね、何も持ってこないのも嫌で、これくらいならバッグに入るなって考えたんすよ。あとはおもちゃの喇叭。2音しか出ないけど」

岩田氏が貸したベルを、クマカツ氏がおもむろに弾くと、部屋いっぱいに響く澄んだ音、吾輩もハッと目が醒めた。間隔を開けて鳴らすと風に揺れる風鈴を思わせ、思いがけず残暑の時期に相応しい音色であった。
もう1つの喇叭はどうなったか、意外や意外、ぱんすと氏が使いこなして演奏を彩っていた。飾り程度のピストン2か所を押すのみに留まらず、吹き口に手をやり、強弱をつけたり、ソウッと息を吸い込んだり、実に手を変え品を変え、おかしな音色を奏でたのであった。
特に中盤「タカヘのうた」では、歌に出てくるいじらしい鳥の鳴き声にも聞こえ、配信の聴衆にも笑いをもたらした。あくまで趣味の集まりとはいえ、音楽性に富む男である。
主が気後れせず演奏を楽しめたのも、半分は氏のおかげであろう。興味深げに彼の太鼓を見ていた主、ぱんすと氏は気前よく貸してくれ、叩き方のコツも丁寧に教えてくれた。

「両脚で挟んで、手のひら全体で払うように叩く……そうそんな感じ。指先だけでも、縁を叩いても音が違ってくるよ」
「1、2、1、2……こうですか、わぁ、なんだか楽しいや、はっきりした音が出ますね」
「アルミだからね。伝統的なものはテラコッタで出来てるけど、それはまた音色が違うんだって」

     

「太鼓って木製のものがほとんどでしょう、素焼きの壺に革の膜を張るんですか、おもしろーい」

主は興味深げに、太鼓のあちこちを叩きはじめた。最初は借り物ということもあり恐る恐る触れていたが、いくらか演奏を重ねてからは、手腕も軽やか、リズムに陽気さと喜びが感じられるようになっていた。
ともかく皆があり合わせのものでこしらえた音楽は、名にし負うフォークバンド「たま」その後継「パスカルズ」を彷彿させ(主の音楽の好みくらいは覚えている)、傍目にもなごやかな時間であった――千鳥氏は後に「なんだかお遊戯会のようで暖かみのある時間だった(意訳)」と振り返っている。
それも尤もなこと、千鳥氏と四ツ丸氏の手練れたメロディラインが、柔にして剛たる土台となり、パーカスの自由闊達なアドリブを支えたのだった。四ツ丸氏の弾き語りの腕前は、吾輩もYouTube経由でよく知っていた。千鳥氏の特技が、白鍵だけで弾く「タモリ式チックコリア」ということも漫画で読んだことがあった。しかし百聞は一見いや一聴にしかずと言おうか、直接聴くと空気のふるえに、わが心のふるえまでよく響いた。ことに、単純なコードだけを爪弾くのも、ピアノで白鍵だけを滑らかに繋ぐのも、習得までには時間がかかるという。その努力の跡をいささかも感じさせぬ巧さに、音楽の分からぬ吾輩すら舌を巻いたものだ。スナツキンの感動と尊敬の念はいかほどであったろう。

——退出を促す電話が鳴った。皆はそそくさと荷物をまとめ、早速居酒屋へ歩みを進めた。

〈後編につづく〉
◆◆◆

     

https://neetsha.jp/inside/comic.php?id=20493
『借り暮らしのオヤジッティ』作:比家千有

       

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