青春小説集「リンだリンだ」追加
「夜のブルドッグ」
家族で夜の散歩、が習慣になりかけていた時期がある。日々の記録であるnoteでの連載「耳鳴り潰し」で確認すると、9/21、10/5に行っていた。以降は誰かしら体調を崩していたり、雨が降っていたり、単純に忘れていたりで、結局習慣にはなっていなかった。それをこの土曜日にふと思い出し「久しぶりに夜の散歩に行こうか」と息子に提案したところ、ノリノリで娘と妻を誘いに走っていった。
11月末日で陽も短い。夜といっても、家を出たのは17時20分頃だった。家の前にある大きな公園の遊具で少し遊ぶ。暗い中を照らすためのライトも持参している。
「昔この公園でカナちゃんといっぱい遊んだよね」
小学校入学当初、放課後毎日のようにここに遊びに来て、カナちゃんという級友と仲良くなっていった。息子が体調を崩したり夏で暑くなったりで以前ほどは遊ばなくなったが、その友情は毎日の学校で続いている。今年の出来事であっても息子にとっては「昔」という感覚なのだ。
公園を出て川沿いを歩き、12月にある小学校での餅つき大会のことなどを娘と話す。各家庭から容器を持参して、撞きたてのお餅を食べるのだが、昨年は紙皿を持っていった。紙皿がへにゃっとなってしまい、娘の持っていたお餅が一つ地面に落ちてしまったのだ。
「今年はお弁当の容器を持っていこう」
「お餅美味しかった?」昨年は具合が悪かったのか、息子は行ってなかった。
「今年はみんなで行こう」
そんな他愛もない話をしながらも私は、風の音、車の音、話し声が打ち消してくれない耳鳴りを気にしてもいた。以前は扇風機程度の音で打ち消されていた耳鳴りのボリュームが増している。脳脊髄液減少症の際に落ち込んだ脳の影響で聴覚神経が傷ついた。回復することはない。noteでの「耳鳴り潰し」という日々の連載は、何かを書いていなければ気が狂いかねない耳鳴りの圧から逃げ出すために書いている。
他愛もない話をしながら夜歩く話があった。恩田陸「夜のピクニック」だ。24時間かけて80㎞を歩く、とある高校の伝統行事「歩行祭」を書いた青春小説である。細かい話は覚えていない。散りばめられた青春エピソードに、例の「自分には関係ないことなのでスイッチ」が入っていたのかもしれない。楽しく読んだ覚えはある。
もう一つの大きな公園に辿り着いた。前回の夜の散歩の際に「ボールも持ってきたら良かったね」と言っていたので、今回はゴムボールを持参していた。家の前の方の公園と違って照明設備が整っており、まだ18時前だから遊んでいる人たちも多くいた。ボールで遊べる広場は空いていた。有料グラウンドの方ではサッカークラブが練習している。保護者たちが柵の外からその様子を見学していた。
娘がバレーボール風にボールを飛ばす。「ハイキューや!」と息子が叫ぶ。思いっきり高くボールを投げようとした私が、指をつりかける。娘が強く投げたボールが大きく逸れて、妻がバタバタと駈け出していく。
そうこうしているうちに19時前になり、帰り支度を始めていたところ、前回の夜の散歩の際にも出会ったブルドッグと目が合った。私をピタっとロックオンし、お尻を高く上げて「遊んでポーズ」を取っている。飼い主の老夫婦の許可を得て近づき、触らせてもらう。ハッハ、ハッハ、と鼻息を荒くして、私のズボンに顔をこすりつけてくる。全身撫でまわしてやると嬉しそうにする。マスク越しにペロペロされる。最初は私を盾にしていた息子もブルドッグに触り始める。犬が苦手な妻も少し触れた。毛並みの良い、よく愛されている感のある子だった。
「パパは女の人にはモテないけど犬にはモテるね」
娘に何も言い返せないままブルドッグと別れる。この時に私は次の青春小説のタイトルを「夜のブルドッグ」に決めていた。先述の「夜のピクニック」とかけたものだ。
公園のトイレに寄った後、先ほどのブルドッグにまた会う。息子が「バイバイ」と手を振ると、こちらに気付いたブルドッグは再び「遊んでポーズ」を取り、飼い主のおじいさんにお尻を小突かれていた。
寝る前に先ほどの夜の散歩のことを娘と話した。息子は疲れていたのだろう、布団に入るとすぐに寝息を立てていた。
「パパは犬にはモテるのにどうして女の子にはモテなかったの?」
「静かにしなさい。パパは今犬にモテた記憶を、女の子にモテた記憶に変換しようとしているんだ」
変換完了。
「パパが昔バス停でバスを待っていた時のことだ。散歩中の大きな女の子がパパの元に駆け寄ってきて、顔をぺろぺろ舐めて、口の中に舌まで入れてきたことがあった。飼い主さんもドン引きしていたよ。昔からなぜか知らないけど初対面の犬にもすぐに懐かれて」
「今、犬って言ってたよ」
記憶を置き換えることは難しい。
しかし記憶を手放すことはある程度可能だ。ふと昔のことを書きたくなり、「日雇い時代」という雑記を書いた。約15年前、25年前の日雇い派遣アルバイトで働いていた時期のことを記したものだ。実際にあった出来事をそうして記すと、外部に記憶を保存して安心するためか、書き終えたエピソードは「何かの折にふと思い出す」ということが減ってしまう。
夜のブルドッグのことは直近だからまだはっきりと覚えている。その手触りも鼻息も子どもたちの反応も。しかしいつしかそれらも頭からは抜け落ちていく。書き記したこと以外は、思い出す手がかりを失ってしまうかもしれない。
だから今はうまく思い出せないだけで、通りすがりの大柄な女性から言い寄られて、ディープキスされた、という事実が本当にあったのかもしれない。公園で出会ったブルドッグ似の美女と目が合い、「私に触れて」と懇願されていたのかもしれない。
「パパってかわいそうな人だね」と娘が言う。
翌日、娘が妻に質問していた。
「ママってパパのどこを好きになったの」
「膝を曲げた時にポキって音が鳴るところ」
それを聞いた私は意気揚々と屈伸をする。そんな時には鳴りはしない。
(了)
11月末日で陽も短い。夜といっても、家を出たのは17時20分頃だった。家の前にある大きな公園の遊具で少し遊ぶ。暗い中を照らすためのライトも持参している。
「昔この公園でカナちゃんといっぱい遊んだよね」
小学校入学当初、放課後毎日のようにここに遊びに来て、カナちゃんという級友と仲良くなっていった。息子が体調を崩したり夏で暑くなったりで以前ほどは遊ばなくなったが、その友情は毎日の学校で続いている。今年の出来事であっても息子にとっては「昔」という感覚なのだ。
公園を出て川沿いを歩き、12月にある小学校での餅つき大会のことなどを娘と話す。各家庭から容器を持参して、撞きたてのお餅を食べるのだが、昨年は紙皿を持っていった。紙皿がへにゃっとなってしまい、娘の持っていたお餅が一つ地面に落ちてしまったのだ。
「今年はお弁当の容器を持っていこう」
「お餅美味しかった?」昨年は具合が悪かったのか、息子は行ってなかった。
「今年はみんなで行こう」
そんな他愛もない話をしながらも私は、風の音、車の音、話し声が打ち消してくれない耳鳴りを気にしてもいた。以前は扇風機程度の音で打ち消されていた耳鳴りのボリュームが増している。脳脊髄液減少症の際に落ち込んだ脳の影響で聴覚神経が傷ついた。回復することはない。noteでの「耳鳴り潰し」という日々の連載は、何かを書いていなければ気が狂いかねない耳鳴りの圧から逃げ出すために書いている。
他愛もない話をしながら夜歩く話があった。恩田陸「夜のピクニック」だ。24時間かけて80㎞を歩く、とある高校の伝統行事「歩行祭」を書いた青春小説である。細かい話は覚えていない。散りばめられた青春エピソードに、例の「自分には関係ないことなのでスイッチ」が入っていたのかもしれない。楽しく読んだ覚えはある。
もう一つの大きな公園に辿り着いた。前回の夜の散歩の際に「ボールも持ってきたら良かったね」と言っていたので、今回はゴムボールを持参していた。家の前の方の公園と違って照明設備が整っており、まだ18時前だから遊んでいる人たちも多くいた。ボールで遊べる広場は空いていた。有料グラウンドの方ではサッカークラブが練習している。保護者たちが柵の外からその様子を見学していた。
娘がバレーボール風にボールを飛ばす。「ハイキューや!」と息子が叫ぶ。思いっきり高くボールを投げようとした私が、指をつりかける。娘が強く投げたボールが大きく逸れて、妻がバタバタと駈け出していく。
そうこうしているうちに19時前になり、帰り支度を始めていたところ、前回の夜の散歩の際にも出会ったブルドッグと目が合った。私をピタっとロックオンし、お尻を高く上げて「遊んでポーズ」を取っている。飼い主の老夫婦の許可を得て近づき、触らせてもらう。ハッハ、ハッハ、と鼻息を荒くして、私のズボンに顔をこすりつけてくる。全身撫でまわしてやると嬉しそうにする。マスク越しにペロペロされる。最初は私を盾にしていた息子もブルドッグに触り始める。犬が苦手な妻も少し触れた。毛並みの良い、よく愛されている感のある子だった。
「パパは女の人にはモテないけど犬にはモテるね」
娘に何も言い返せないままブルドッグと別れる。この時に私は次の青春小説のタイトルを「夜のブルドッグ」に決めていた。先述の「夜のピクニック」とかけたものだ。
公園のトイレに寄った後、先ほどのブルドッグにまた会う。息子が「バイバイ」と手を振ると、こちらに気付いたブルドッグは再び「遊んでポーズ」を取り、飼い主のおじいさんにお尻を小突かれていた。
寝る前に先ほどの夜の散歩のことを娘と話した。息子は疲れていたのだろう、布団に入るとすぐに寝息を立てていた。
「パパは犬にはモテるのにどうして女の子にはモテなかったの?」
「静かにしなさい。パパは今犬にモテた記憶を、女の子にモテた記憶に変換しようとしているんだ」
変換完了。
「パパが昔バス停でバスを待っていた時のことだ。散歩中の大きな女の子がパパの元に駆け寄ってきて、顔をぺろぺろ舐めて、口の中に舌まで入れてきたことがあった。飼い主さんもドン引きしていたよ。昔からなぜか知らないけど初対面の犬にもすぐに懐かれて」
「今、犬って言ってたよ」
記憶を置き換えることは難しい。
しかし記憶を手放すことはある程度可能だ。ふと昔のことを書きたくなり、「日雇い時代」という雑記を書いた。約15年前、25年前の日雇い派遣アルバイトで働いていた時期のことを記したものだ。実際にあった出来事をそうして記すと、外部に記憶を保存して安心するためか、書き終えたエピソードは「何かの折にふと思い出す」ということが減ってしまう。
夜のブルドッグのことは直近だからまだはっきりと覚えている。その手触りも鼻息も子どもたちの反応も。しかしいつしかそれらも頭からは抜け落ちていく。書き記したこと以外は、思い出す手がかりを失ってしまうかもしれない。
だから今はうまく思い出せないだけで、通りすがりの大柄な女性から言い寄られて、ディープキスされた、という事実が本当にあったのかもしれない。公園で出会ったブルドッグ似の美女と目が合い、「私に触れて」と懇願されていたのかもしれない。
「パパってかわいそうな人だね」と娘が言う。
翌日、娘が妻に質問していた。
「ママってパパのどこを好きになったの」
「膝を曲げた時にポキって音が鳴るところ」
それを聞いた私は意気揚々と屈伸をする。そんな時には鳴りはしない。
(了)
あとがき
今回は特に捻りなく、家族で夜の散歩に出た時の情景そのままとなっています。犬に触れる際にはきちんと飼い主さんの許可を取っています。娘に対して「犬にモテた記憶を女の人にモテた記憶に置き換えようとしている」と言った部分も、残念ながら事実です。どこの家庭の父親もこのようなことを言っているのではないでしょうか。もし言っていないのなら全父親が言うべきだと思います。
テレビでやっていた「アナと雪の女王」と実写版の「アラジン」を録画して、それらを家族で観ていました。抱き合うシーンやキスシーンになると、娘が私を心配そうに見てきます。
「大丈夫?」と言うのです。恋人たちがいちゃつくシーンを観るのはつらくはないか、と心配してくれているのです。暗に「あなたが送れなかった青春を見せつけられて、メンタル大丈夫?」と言いたいのです。
もちろん何の問題もありません。でも「耳をすませば」は正直遠慮したいと思ってはいます。
今回は特に捻りなく、家族で夜の散歩に出た時の情景そのままとなっています。犬に触れる際にはきちんと飼い主さんの許可を取っています。娘に対して「犬にモテた記憶を女の人にモテた記憶に置き換えようとしている」と言った部分も、残念ながら事実です。どこの家庭の父親もこのようなことを言っているのではないでしょうか。もし言っていないのなら全父親が言うべきだと思います。
テレビでやっていた「アナと雪の女王」と実写版の「アラジン」を録画して、それらを家族で観ていました。抱き合うシーンやキスシーンになると、娘が私を心配そうに見てきます。
「大丈夫?」と言うのです。恋人たちがいちゃつくシーンを観るのはつらくはないか、と心配してくれているのです。暗に「あなたが送れなかった青春を見せつけられて、メンタル大丈夫?」と言いたいのです。
もちろん何の問題もありません。でも「耳をすませば」は正直遠慮したいと思ってはいます。