Neetel Inside 文芸新都
表紙

青春小説集「リンだリンだ」追加
「軌跡の地球」

見開き   最大化      

 子どもたちの懇談に行った際に、先生にこんな質問をした。
「息子は男友だちとは遊んでいますか?」と。
 仲良しのカナちゃんを始め、息子から聞こえてくる友だちの名前は、女の子の名前ばかりだった。ひょっとして男の子たちとうまく話せてないのかな? とも思ったのだ。
「同じ登校班の〇〇君とよく話してますよ」とのこと。また、学校では一言も言葉を発さない子がいるのだが、彼のことを気にかけていて、準備を手伝ったり声かけをしたりもしているらしい。担任の先生の発案で、ひらがなを書いた表を用意し、文字を指差すことで意思の伝達を始めたのだとか。その表を利用して、息子とクイズで遊んでいるのだという。そんなエピソードを聞いて涙が出そうになった。

「休み時間になると、息子さんの周囲にはいつも女の子が集まって」という話を聞いて、流れかけていた涙が止まる。後で妻ともその話をする。
「うらやましい?」と煽られる。
「別に羨ましくないよ。私の頃は偶然クラスに女子が一人もいなくて、そんな機会がなかっただけだ」と私は言い張った。
「そんなわけあるかいな」と責められた。

 泣きながらChatGPTに相談したところ、私が主張するような「平均的な人口分布で、一学級30人として、偶然女子が一人もいない学級が存在する確率」は、約1兆分の1らしい。細かい経緯がちょっとぐちゃぐちゃになったので、あまり正確とはいえないかもしれないが、要は限りなく低い確率だというわけだ。現在世界の小中高人口が12億人として、約4000万クラスがある、と単純計算してみる。男子校、女子校、女子を学校に通わせない国の存在などは無視する。約27000個分の地球があれば、そのうち一つのクラスくらいは、偶然男子しかいない、という状況にはなるかもしれない、ということだ。

 地球のように文明が発展し、なおかつ地球と似たような学校制度を持つ惑星を、しかも27000個分を探査するのは、とても現実的ではない。平行宇宙を旅する装置を開発して、近隣の平行宇宙から回っていく方がマシである。というわけで妻や娘に馬鹿にされた「パパの子ども時代には、偶然クラスに女子が一人もいなかった」説を実証するために、ひとまず近隣の平行宇宙の調査を始めてみた。1兆分の1の確率といっても、地球単位で考えれば、まずは27000分の1の確率である。それくらいなら、二つ目の地球で発見できるかもしれない。もちろん、100000個訪ねても見つけられないかもしれない。

 だが数百個の平行宇宙の地球を調査している最中にふと気が付いてしまった。
「仮に1兆分の1の『偶然女子が一人もいない学級』を見つけられたとして、その事実が『パパの子ども時代もそうだった』の証明にはならない」ということだ。
 私は打ちのめされてしまった。本当のことを言えば、クラスに女子はいた。それも男子より少し多いくらいの割合で。だけど私は女子とほとんど関わることはなかった。息子のように、休み時間のたびに女子に囲まれるようなことなど起こり得なかった。

 私は気が付いた。低確率の奇跡を求めて無数の地球を巡るのではなく、これまでの軌跡を書き換えることの方が簡単ではないか、と。私は宇宙飛行士でもなく、平行宇宙探査員でもなく、モテる男子でもない。私は創作者である。毎日何かしら書き続けていなければおさまらない性質の人間である。創作者としてすべきことは、自ら創作した出来事を、実際の記憶と書き換えることである。

 息子と女友だちとの関わりを先生に聞いた時、「さすが我が息子」と私は思った。思えば私も小学生時代、いつも女子と遊んでいた。乱暴な遊びや言葉遣いが苦手であり、外に遊びに行くよりも、教室で本を読んだり、自由帳に落書きをしている方が好きだった。絵は得意ではなかったけれど、いろんな模様を書いたり、創作漢字を書いたりしていた。仲の良い子は隣でいつも本を読んでいた。同じ空間を共有することで、私たちは黄金時代と呼べる幼少期を過ごしていた。

「どうして女子とばかり遊ぶん?」と同じクラスの男の子に聞かれたことがある。
「たまたまだよ。別に女子を選んで仲良くなったわけじゃなくて、たまたま仲良くなった子が女の子ばかりだっただけ」
 本当にそうだったからそう言っただけなのに、その男子は私を小突いた。でも次第にその子とも仲良くなっていった。

 私を形作っているのは、これまで経験してきた出来事、誰かと交わした会話、読んできた本、観てきた映画、誰かと過ごした時間、などだ。それらの軌跡は何気ない日常の積み重ねのようでありながら、実はどの出会いも、どの瞬間も、奇跡のようなものだったのだと、今では思う。あの時の何気ない会話で始まった交流がなければ、その後の友情は築かれなかった、あの時観た映画の何気ない台詞が、自分の一生に影響を与え続けている、ということがしばしばある。息子も私と同じように、女の子たちとよく遊んでいる。この記憶が一生の宝物となるなんて、今では想像できないに違いない。からかったり冷やかしたりせず、私はそっと見守ることにする。

「言ってて悲しくならないの?」と娘が言う。
「過去は変えられない。だけど記憶を書き換えることはできる」と私は主張する。
 前述の1兆分の1やら、記憶を書き換えようという話などを娘に語っていた。
「認めたら? 自分には青春時代はなかったってことを」
 
 それから娘は10分ほど、踊りながら銀魂の推しキャラ「沖田総悟」について熱く語っていた。図工の課題で「写楽の役者絵を、好きなキャラクターにアレンジする」というもので、ワンピースのキャラ、ヒロアカのキャラ、大谷、アーニャなどが並ぶ中、一人沖田を描いて、誰にも分かってくれなかった、といった話をしていた(踊りながら)。社会見学先の病院でエリザベス(銀魂のキャラ)人形を見て興奮していたら、分かってくれる先生が一人いた、という話もしていた(踊りながら)。

 娘の踊る軌跡を眺めながら、私は平行宇宙の地球調査も続けていた。そう簡単に1兆分の1は見つからない。奇跡よりも軌跡を大切にして、私たちはこの惑星で生き続けていくべきなのだ。そんなことはとっくに分かっている。それでも私は主張し続けていたい。私も女の子に囲まれていた時代があったのだと。という話を創作しているのだと。

(了)

     


     

 あとがき

 元々「アクターダーク」という話を構想しており、そのためにタイトル元である村上春樹「アフターダーク」も読了していたのですが、なぜか「軌跡の地球」を書いていました。桑田佳祐&Mr.Children「奇跡の地球(ほし)」のパロディですね。特に思い入れのある曲というわけではありません。

 息子がクラスで女の子に囲まれているという話を聞いて、私がそうでなかった理由は「クラスに一人も女子がいなかったから」という言い訳をしたことが発端となっております。作中に書いてあるように、私がいう状況は途方もない低確率らしいです(あくまで平均的な人口分布状況と想定して)。しかしゼロではない。私が自分の言っていることは嘘ではない、滅多にないが探せばある、ということで、平行宇宙旅行装置を開発してたくさんの地球を調べていました。

 でも結局私が探しているようなクラスは見つけることができませんでした。そして、そのような奇跡的な確率に縋るよりも、大切なのは軌跡である、と気が付いたのです。むしろそのことを実感するために、ここまでの虚勢は、人生は、あったのではないかと思えてきました。

 宇宙を彷徨うワタリガニの画像を生成しようとしたら、脚の数がおかしなことになってしまいました。しかしそこを直すべきでしょうか。間違いも含めて人生です。大切なのは正確さではありません。美味しいか、美味しくないかです。だから脚が多いなら、むしろその方がいいのではないでしょうか。刻める軌跡の数も、増えるのですから。

       

表紙

山下チンイツ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha