エルナン・コルテスの憂鬱

 ちろちろと頼りなくゆれるロウソクの明かりが、石造りの部屋の中を照らしている。コルテスはなぎの日の海のように穏やかに波打つラムの杯をひとしきり指で転がすと、それを一気にあおった。部屋の隅にある寝台の上には裸の女が横たわっている。事後の余韻か炎の反射か、その白い肌はほんのりと赤く染まっていた。いい女だ。掛け値なしに、コルテスは思った。マリンチェと名乗ったその女を拾ってから、すでに一月になろうとしていた。ずいぶんほぐれてきていい塩梅だ。物覚えもいいようで、身の回りのものの単語くらいならもう理解できる。訓練すれば通訳としても使えるかもしれない。何よりいいことには、ひとつも口ごたえをせず素直に言うことを聞く。それはまさにコルテスの求める理想の愛人の姿だった。

「神サマは、俺を愛しているらしい」

 コルテスは窓の外に浮かぶ月に杯を掲げた。無骨な男がつい見とれてしまうほどの見事な満月であった。そういえば、この建物は元々月を祭る神殿であったと聞いていた。集落の中心からはずれ、高い崖の上などに建っているから、おかしなことをするものよと思っていたが、なるほどこの月のあかりを取り込むためであったのだ。原始時代を生きるインディオどもにも、美しきを愛でる心はあるということだろう。悪くない。コルテスは杯を重ねる。この土地は悪くない。少なくとも、スペインの赤い大地よりは。飲むほどにコルテスは故郷のことを思い出し、また忘れようとして悪酔いする。なんとなれば、ひとたびスペインに帰れば、コルテスはただのごろつきであった。下級士族(イダルゴ)の出、役人にもなりそこねた男の行く末は、戦場の最前線で野垂れ死にと相場が決まっている。40年も前ならサラセン人との戦いに狩り出されていただろうが、「再征服(レコンキスタ)」が終わった今、荒くれたちは「征服者(コンキスタドール)」としてこの西の果ての未開地に掃き棄てられているのだった。

 畜生、馬鹿にしやがって。残してきた女房は今頃間男とよろしくやっていることだろう。善良な市民どもは、そよ風のように平穏な日々をこともなく送っているのだろう。コルテスのことなど忘れてしまったかのように。はじめからいない者のように。勝手にしろ。あいにくと俺は簡単に野垂れ死ぬようなボンクラじゃない。せいぜい飼いならされたアヒルのような生活を楽しんでいるがいい。俺はこの土地で当ててやる。俺は人間だ、哀れな家畜どもを従える支配者だ。

 気付けばラムの小樽が空になっている。コルテスはべっと唾を吐いて、ヴェネツィア産の上等なガラスの杯を窓に向かって放り投げた。月までもが自分を笑ったように思われたのだ。
sage