後日談

 1519年、一旦は王都に入ったコルテス達であったが、その年の11月、モクテスマ2世を殺害し反撃に転じたアステカ軍によって、一旦は敗走する。しかし2年後の1521年、コルテスは五万のスペイン兵、反アステカの部族の軍を率い、再びアステカに侵入すると、3ヶ月の攻防の末ついにこれを滅ぼす。アステカは正式にスペイン領となり、コルテスはそれらの功をもって
1529年、ヴァリェ・デ・オアハカ侯に封ぜられる。後に男系は途絶えたが、女系子孫を通じて
現在でもその爵位は継承されている。また、彼の愛人であり参謀、通訳であったインディオ女性マリンチェの子孫は、現在もメキシコに暮らしている。


 コルテスのアステカ征服に後れること十余年、同じくスペインのコンキスタドールであるフランシスコ・ピサロが、インカ帝国を攻略した。ピサロはインカ皇帝を傀儡化して統治に利用する方針を採ったが、1534年に即位したインカ皇帝は、傀儡化に抵抗して挙兵し、侵略者と最後の戦いを繰り広げた。そのインカのラスト・エンペラー、一説には皇族でなく下級貴族の子であるともいうその男。

 名はマンコ・インカ・ユパンキ、奇しくもインカ建国の王と同じ名を持つ男であった。
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