くびき

 訳がわからない。マンコの手は震え、ひざは笑う。居並ぶ戦士の、クパァ老の、刺すような冷たい視線に耐え切れず、マンコは剣を取り落としてうずくまってしまった。できるはずがない。その様子を見たクパァ老は、鷲戦士の一人に目で合図を送った。戦士は台座に歩み寄り、大ぶりの棍を振りかぶった。その一撃はマリンチェの小さな頭蓋をいとも容易く砕くことだろう。マンコは、戦士の筋肉が隆起し今にも棍を振り下ろさんとする様を横目に見ていた。

 次の瞬間。ドッ と音がして、鮮血が花のように咲いた。足を落とされた鷲戦士がもんどりうって倒れている。マンコの手には先ほど取り落とした剣が、もう一度握られている。

 一瞬の間。

 オオオオオオオオオオオオオ! 神殿は男たちの雄たけびに包まれた。戦士たちが次々とマンコに襲い掛かる。マンコは呆然とした表情で ――ただひたすら、彼らを斬った。振り下ろされる棍をかいくぐり、一撃。猛烈な突進をかわし、一撃。肩口に相手の打撃をうけながら、一撃。一撃、一撃、一撃。屈強の男たちが次々と倒れていく。マンコの思考は停止している。
その美しくしなやかな体だけが、本能によって突き動かされて、松明の明かりの元に舞っていた。かくも鮮やかに闘っていた。
 切れ味の悪い黒曜の刃が幸いしたか、あるいは不運だったのか。死に切れぬ二十人からの戦士たちがあげる怨嗟の声が神殿にこだまする。立っているのは二人だけ、満身創痍のマンコとクパァ老である。
「ひとつだけ答えてくれ、クパァ老」
 マンコの目には意識の光が戻っていた。だがそれは、いつもの穏やかで人懐っこい瞳ではない。それはまるで、怒りに満ちた手負いの野獣の瞳だった。
「あなたは、マリンチェを娘のように可愛がっていた」
 クパァ老はじっとマンコを見据えて黙している。
「いずれこうなることを知りながら、贄にするために育てていたのか?」
 あふれる涙は悲しみか、激情か。
「マリンチェは、このことを知っていたのか!?」
 生贄としての生。忌まわしき記憶。その痛みをマンコは知っている。
「・・・・・・巫女として仕えるとは、そういうことじゃ。こうなることは、ずっと前から定められていたこと。マリンチェも無論わかっておった。不憫とはおもいながら・・・・・・いや、それゆえにわしはマリンチェに愛情を注いだ」
 クパァ老の答えに、マンコの目は暗く光った。血に塗れた剣が振り上げられる。クパァ老はすべてを受け入れるように目を閉じた。

「・・・・・・なんで」
 しかしマンコは、どうしてもその手を下せなかった。
「どうして、どうしてなんだ」
 悲痛な慟哭。
「あなたは本当にマリンチェを愛していた。娘のように愛していた。流れ者の僕までも、息子のように受け入れてくれた。それなのに、どうしてこんなことになるんだ」
「くびき、じゃよ」
 クパァ老はゆっくりとかぶりを振った。
「老いたわしには、ついに神官としての責務から逃げることができなんだ。そしてマリンチェもまた、わしへの恩と巫女の責務にとらわれておった」
「わからない、わからない」
 そんなものは振り切ってしまえばいい。かつての自分がそうしたように。どうして皆そうやって、自分を殺してしまうのか。マンコにはそれが理解できなかった。そして悔しくてたまらなかった。
「マンコよ、名残惜しいがもはやこれまで。この騒ぎを聞きつけ次第、 王はお主たちに追っ手を差し向けるじゃろう」
 クパァ老はそう言ってマンコの嗚咽を遮った。
「・・・・・・お主『たち』?」
 マンコが聞き返すと、クパァ老は横たわるマリンチェを抱き起こした。
「マリンチェはまだ死んではおらぬ。薬で眠っておるだけじゃ。」
 白魚の指先がかすかに動いた。
「生きよ」
 毅然とした、しかし温かみのある声。人の親としてのクパァ老の声。電に撃たれたように、マンコはマリンチェを抱えて暗闇の中へ飛び出した。戦士達のうめき声がそれを送っていた。


「行った、か」
 くびきを引きちぎり駆け出すことのできるのは、若者の特権だろうか。この期に及んでもまだ自分を縛る神の像を見上げて、クパァ老はため息をついた。
「あんたもつくづく因業なお方じゃ」
 まるで長年の友人に語りかけるような口調である。
「望みの生贄を用意できんですまなんだが、あれはわしのお気に入りでな」
 クパァ老は懐からナイフを取り出した。それは、生贄から心臓を取り出す際に使う、銀で装飾された黒曜石のナイフだった。
「この老いぼれで我慢してくれ」
 そう言うやいなや、自らの左胸に勢いよくそれを突き立てた。神前の大皿に、噴出す血が溜まって行く。ああ、自分は、本当はこうなることを望んでいたのかもしれない。薄れ行く意識の中、クパァ老の顔は穏やかであった。
sage