Neetel Inside 文芸新都
表紙

浪漫派ターフ。
第2R シュガーレス・シスター

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「……なんか混んでるなぁ」
いつもの帰り道。
平日の夜だというのに交通量は割と多かった。
車はすんなり流れず、途中、いつもはひっかからない踏切にまで足止めをくらう。
「ええい、くそ」
龍一はいらつきを隠し切れないように、ハンドルを指先でリズミカルに叩いた。
かんかんかんかん……。
妙に甲高い警報機の音が耳につく。
龍一は気を紛らわすためにカーラジオのボリュームをあげた。
流れてきたのは往年のグループ・サウンズ。
「ん?」
遠い過去、聞き覚えのある旋律。
これはまた。えらい懐かしい。
今年で32になる龍一が、記憶の糸をたぐりながら、辛うじて口ずさめる曲だった。
小さな頃からなぜか古い歌や古い映画に詳しく、若年寄の二つ名を戴いた身にもかなり難易度の高い、思い出の奥底に刻まれたメロディをなぞる作業。
しかし、はっきりと覚えているのはサビのところだけで、その他の部分は鼻歌すら怪しかった。
ん~。全然忘れてるなぁ。
思わず苦笑い。
さもありなん。
龍一の父母が若かりし頃、全盛期を迎えていたグループだ。
テレビやラジオで繰り返し流れていたのは、彼の子供時代。
そう、いつか父の車の中で聞いた曲。
がたんごとん、がたんごとん……。
郷愁を誘うメロディに乗せて、目の前を電車が通過してゆく。
やがて、曲の終わりを知らせるように踏切があがった。

『……はい、それではそろそろ本日のゲストに登場していただきましょう』
低音を響かせてDJが告げる。
『本日のゲスト、松中優花さんで~す』
ぱちぱちぱち。
『えー、どうもみなさんこんばんわ。松中優花です。今日はよろしくお願いします』
『はい、よろしくお願いしま~す』
「お、マジか」
龍一はラジオのボリュームを、もう少しだけあげた。
松中優花(まつなかゆうか)は、しっとり落ち着いた大人のラブ・バラードをメインに歌う若手女性シンガーである。
2年前、彼女自身の作詞、作曲による『Lost』という曲が人気のドラマ主題歌に起用され、それをきっかけに広く存在を知られるようになった。
テレビでの露出も急激に増え、今まさに歌謡界のトップシーンに登り詰めようとしている、新進気鋭の23歳である。
今日は新曲のPRでの出演らしい。
メジャーになる前から彼女に注目していた龍一は思わぬ偶然と、ラジオ局に感謝した。
『……で、今日は新曲の紹介ということで来ていただいたんですけれども、ズバリ、ここは聞いて欲しい、ここが聞きどころですみたいなところはありますか?』
『えーと。……全部。ってのは冗談ですけど、あはは』
「ははは」
つられた。
『いや、でも冗談じゃなく、いっぱいの気持ちを込めて作った曲なんで、やっぱり全部聞いて欲しいですよ。ここだけ、ってゆうんじゃなく。それだけの思いもね、乗せて歌うんで、うん』
『あー。そりゃそうですよねぇ。失礼しました』
『いえいえ』
軽妙なトークが続いている。
道路は徐々にだが、確実に流れ出していた。
予期せぬ踏切にいらだつこともなく、気分よく車を走らせる。
いつもの信号機を曲がり、いつもの幹線道に乗った。
もう17~18分も行けば自宅マンションだ。
『……はい、それじゃそろそろ曲紹介のほうお願いできますでしょうか』
『はい。え~と、今回の曲はいつものわたしの曲とはちょっと違って、明るい感じの、なんだか元気の出る曲に仕上がっています。わたしだけじゃない、たくさんの人たちの力を借りて、この曲を作ることができました。本当にたくさんの人たちの思いが詰まった曲です。伝えきれないと感じる部分は、まだまだいっぱいあるんですが、今の自分の素直な気持ちを正直に表現できたと思います。みなさんも、何か感じてくれたら嬉しいです。それでは聞いてください。【Sugarless Sister】です』
『はい、本日のゲストは松中優花さんでした~。どうもありがとうございました~』
『ありがとうございました』
流れてきた曲は、本当に彼女にしては珍しい、アップテンポ気味のメロディラインだった。
いつもの憂いを帯びた歌声ではなく、伸びやかな初々しい少女のように、すがしくもある詞を朗々と歌いあげる。
『……あのときは子供だったね 追いかけていた夢がなつかしい』
若いって、いいねぇ。
32にしてつくづくそう思う。
まだまだ彼女には色んな顔がある。
色んな可能性がある。
おそらくは自分ですら気づいていない才能も、身体の奥底に秘めていることだろう。
切に願う。
怖じけることなく、立ち止まることなく、まっすぐに進んでいって欲しいと。
人は歩みを止めたとき、現実に埋没し、老いがはじまるのだから。
老いとは人生の貴重な時間を無為に浪費することであり、若さとは人生の貴重な時間を有為に消費することである。
「若いって、いいねぇ」
もう一度、今度は口に出してつぶやいた。

新都競馬場から車で約30分。
閑静な住宅街のはずれに、龍一のねぐら【コート今北】はある。
10階建て2LDK駐車場つき。
こう書くと、なかなかにリッチで優雅な生活を連想するが。
口うるさく、しかも手のかかるリアル妹と二人暮らし、となればどうだろうか。
これがまだ血のつながらない妹(ムッハー)との同居なら、ソレ=ナンテ・エロ・ゲ的な展開も期待できるが。
悲しいことになんにもない。
なんにもないどころか。
風呂あがりにパンツ一丁でうろつけば怒鳴られ。
一日がかりで作ったクリームロールキャベツは、トマト味じゃなきゃやだ、と拒否され。
専門学校に通うからと、親から半ば強引に同居させられたあげく、得たものといえば自由と尊厳の侵害。
超がつくほどの理不尽だ。
……理不尽だが、まあ、兄として面倒みてやりたい気持ちはある。
頼ってくる者を無下にすることはできないし。
ときにはウザイし、生意気だが、可愛くないわけでもない。
同居して、仕送りがくるようになったおかげで、一人暮らしのころより生活も若干楽になったし。
……思えば親父たち、それを見越してアイツを預けたのかもしれないな。
術中にはまった。
そんな単語がふと浮かんだ。
ふぅ。
自虐気味にためいきをひとつ。
「しゃあない、ちょっと寄り道していくか」
龍一は一本わき道にそれ、いつも行く24時間営業のストアに向かった。
わがまま娘を健全に育てるには、ちょっとした手土産が必要だろうから。
その割りに、その顔は少し嬉しそうに見えた。

こつこつこつ。
暗い渡り廊下に革靴の音がエコーする。
手には24時間ストアの買い物袋。
手土産を片手に龍一のご帰還である。
中身はビンビールが3本に、まだ湯気の立っているシュウマイが6個。
ポケットからカギを取り出し、がちゃりと開ける。
玄関には見慣れた女物の靴。
もう帰ってるみたいだな。
「ただいま~」
「……おかえり~」
ややあって、だるそ~~~に返事があった。
かすかに話し声が聞こえるのはテレビの音か。
そういえばこの時間は、ヤツがいつも見てるドラマの時間だったな。
見逃すはずはないか。
一人納得した面持ちで、龍一はてくてくリビングに向かった。

案の定、妹=野平銀子(のひらぎんこ)はリビングにいた。
スウェット上下ですっかりおくつろぎモードに突入しながら、ビーズクッションを抱え、体育座りでテレビに見入っている。
「ただいま」
しゅたっ。
龍一がもう一度言うと、銀子は無言で肘から先だけ垂直に挙げて返事をした。
体育座りを崩さず、もちろん顔はテレビを向いたまま。
「何時ごろ帰ってきた?」
「ん~」
生返事。
「メシ喰ったか?」
「ん~」
気の無い返事。
「風呂はいったか?」
「ん~」
めんどくさそうな返事。
コイツ……しばいたろかっ。
一人殺気をみなぎらせる龍一を尻目に、銀子は完全に集中モードに突入していた。
しかも、ちょうどドラマがいいところなのか、顔が徐々に画面に近づいてゆく。
はあ。こりゃあ、声も聞こえないってやつだねぇ。
半ばあきれ気味に龍一は嘆息した。
しゃあない、こいつは一人でやっつけちゃうとしますか。
袋を持ったまま自室へ引っ込もうとした。
すると。
すん。
小さな、鼻をすするような音。
ん?
……すん、すん。
続けて2回。
なんだ? ドラマ見て泣いてるのか?
リビングから去りかけた龍一の足が止まる。
顔だけ出して様子をうかがうが、別に泣くような場面でなない。
気のせいか、と思いふたたびリビングから離れようとしたところ。
「……………………ゥマイ」
ぽそっ。
かすかに声がした。
まさかコイツ……。
「シュウマイ、シュウマイの匂いがするぅ」
匂いに反応してたのかっ!!
がばあっ。
やにわに銀子は立ち上がり、光の速さで龍一からビニール袋をうばった。
「あーっ、やっぱシュウマイだあっ!! しかもビールもあるぅ!! やったぁっ!!」
「……オメーは山賊か。それとも新手の追いはぎか」
シュウマイとビールは銀子の大好物なのだ。
思わぬ天の恵みに大はしゃぎする銀子の横で、龍一は茫然と立ち尽くしていた。

野平銀子がシュウマイを前に心の平衡を失ったのは、いつの頃からであろう。
神妙である筈の箸の動きを、制御できぬと自覚した時ではなかったか。
100均の廉価の塗り箸は、シュウマイを断つことが出来るのか?
がっついた銀子の指先は、ハウス本がらしをしぼることが出来るのか?
出来る。
出来るのだ。
見よ。
異形と化すまでに切り刻まれた、グリンピースの数々。
見よ。
万力のごとく箸を握り締める、可憐なる指先。
「……お前、グリンピース嫌いだったもんな」
「そうそう」
(すいません、シグルイネタやってみたかったんです)

さて。
このシュウマイとビールがどこからやってきたか。
疑問に思う諸兄も多いことだろう。
説明しよう。
あのチューボー特別の後、当たり馬券を払い戻すと、人気薄同士の決着のため9000円近い配当がついていた。
それに気をよくした龍一は帰宅の予定を変更し、最終レースに参加。
天機我に有りと見るや、払戻金をそっくりそのまま1番人気の複勝にコロがしたのである。
すると見事に1番人気勝利。
複の配当は1.3倍で、12000円ばかしをせしめることに成功した。
すなわちプラス2000円。
それが、このシュウマイとビールに化けたというわけである。

「と、まあそんなわけでだ」
くい~。
ひととおり本日の経緯を説明すると、龍一はグラスに半分以上残っていたビールを一気に空けた。
「思わぬビールとシュウマイにありつけたことを、兄に感謝したまへ」
「へいへい。ありがとうございます、っと」
ぱくりっ。
口ばかりの感謝を述べると、銀子は大口を開けてかじりかけのシュウマイを口の奥に放り込んだ。
黒酢に醤油、からしをタップリが銀子スタイルだ。
もぐもぐもぐ。
すかさずビールを。
ぐい~。
「っぷっはあぁ~~~。たまらんっ!!」
「おやぢかっ!!」
思わず龍一は口を開いた。
「お前ね、そんなおやぢくさいコに育てたおぼえはないよ」
眉根を寄せて苦言を呈す。
「恥じらいっつーもんがないのか、恥じらいっつーもんが」
「関係ないでしょ、別にお兄と結婚するわけじゃないんだから」
銀子、口をとがらせて抵抗。
「そりゃそうだけど。でも、もうちょっとこう、年相応のなんかあるべ」
「も、うるさいなぁ。色気がなくって悪うございましたね」
「いや、そういうことじゃなく」
言いかける龍一を、じゃあなにさっ、と制すると銀子はふたたびシュウマイに箸を伸ばした。
はぐっ。
また大口開けてひとかじり。
「ちょ、お前食いすぎだぞ」
見ると皿に残るシュウマイはあと1個。
「コイツ、4個も喰いやがった。残り俺んだからな。喰うなよ」
「いい、じゃん、好きなんだ、からぁ」
口をもぐもぐさせながら。
「男のクセに、細かいなぁ」
憎まれ口を叩く。
そして。
「だいたいねぇ」
ごっくん、と飲み込むと口を開いた。
「あたしは、あたしのことを本当に理解してくれる人としか結婚しないからいいんですぅっ」
銀子は、い~っ、という顔で続けた。
「だから別に、お兄にそんなこと心配してもらわなくても、大きなお世話!!」
言い切ると、ぷいっと横を向く。
「言ったなお前。そんなこと言ってたら万馬券取ったとき、なんも買ってやんないぞ」
負けじと龍一もビールに手を伸ばし、静か~に注ぐ。
「てか買ってくれたことなんか一度もないじゃん。……あ~、飲みすぎぃ。あたしのぶん残しといてよぉ!!」
「どの口がゆってる、どの口が」
そんなこんなで、龍一家の夜は更けてゆくのだった。

       

表紙

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Neetsha