Neetel Inside 文芸新都
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ハルカ
ハルカ〜揺るがぬ決意〜

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3.

 敵先発隊の排除はハルカ達が思う以上の成果をあげていた。
 国境警備にその多くを割かれていた兵隊が、今はミサイルによって出来た瓦礫の山の除去作業をしている。
「さっきまで、声がしていたのに……」
 少年が呟く。
 その隣にはハルカが居た。
「ニキータ。しょうがないよ」
「でも……」
 少年――ニキータは俯き、人知れず歯を噛み締めた。
「見殺しにした訳じゃないんだから」
「でも、僕が、もっと上手く操縦出来ていれば……」
 もう、殆どの人を救助しおえていた。
 もしかしたらこの瓦礫の下で、まだ生きている人も居るかも知れない。
 だが、大体は即死しており、生き残っている人を探す方が大変だった。
 事実、この場所からは、兵隊と災害救助の経験があるボランティアが出す音以外は、何一つ存在していない。
「違うよ。もし声がしている間に救助出来たとしても、きっと助からなかった」
 その一言は、まさに絶望だった。
 何をしても、どう足掻いても、全ては無駄。言い方を変えればそういう事になる。
 ニキータは更に強く、歯を噛み締めた。
 やりきれない想いもまた、他の想いと同じように瞳からこぼれ出すのだろうか。
 少年の足元に、ぽつぽつと雨が降る。

「だから、しょうがないよ。悪いのは、ミサイルを打った北。それに『蜘蛛』を量産しなかった上層部の頭でっかち。『蜘蛛』が量産されていれば、生きている人を探し出すのだってもっと簡単だったのに。何度言っても……頭の悪いあいつらは……」
 ハルカの声色が、少しづつ変わっていく。
 ニキータが軍服の裾で目を、目に溜まった雫を拭う。
 そしてハルカを片方の目で、誰にも気付かれぬよう、見た。
 その表情は、誰かを哀れむものではなかった。誰かを慰めるものでもなかった。
 それは、誰かを憎む、呪うかのような、そんな表情であった。
 しかし、次の瞬間、ハルカは俯いて悲しげな表情を浮かべた。
「中尉だって……」
 本当に微かな呟き。本当にそう言ったのか、ニキータにも確信は出来なかった。だが、その表情から考えても、聞き間違えとは思えなかった。
 その言葉がどのような意味なのかニキータには分からなかったが、しかしそれをハルカに訊ねる事は出来ない。
 その質問は彼女を酷く傷付けるだろう。分かりきった事だったから。

 ニキータの風呂は早い。
 早いというのは入っている時間も、そして入る時間もである。
 他の部隊員は夜に入るが、彼は夕方くらいには既に入っている場合が多い。
 そういう習慣がついたのは、ハルカに覗かれたり、中尉に珍宝がついているか確認されたりした経験が大きい。まぁ、分かりやすく言えばセクハラを受けた訳である。
 どこか中性的というのではなく、あからさまに少女と言わんばかりの長い髪や、整いすぎた顔が彼を好奇の視線に晒す。
 そんなこんなで一番に風呂に入る彼だったが、いつもシャワーだけで済ませ、風呂に湯を張るのが習慣となっていた。
 今日もいつもと同じように湯を張り、彼は風呂を出た。
 仮に更衣室も風呂場と言うのなら、彼はいつも一番長く風呂に入っているとも言える。

 ニキータが日課の湯張りを済ませ、食堂へと移動していた。
 正確にはやってくる途中。
 子供のように大声を上げて泣きじゃくる声が聞こえた。
 それと共にうるさいから黙りなさいと、叱り付けるような声が何度も何度も繰り返し響いていた。
 駆けるニキータ。
 食堂には、子供のように泣きじゃくる女性と、ハルカの姿があった。
「静かにしないと殴るよ! 殴るから!」
 瞬間、僅かに泣き止みそうになって、再び女性は大声を上げて泣き始めた。
 甲高い声。それは先程までの泣き声よりも辺りに響いて、ハルカは片方の耳を手で塞いだ。
 そしてもう一方の腕を、振り上げる。
「待ってください!」
 それまで唖然としてその状況を見ていたニキータが二人の間に入った。
 本当ならば、もっと早い段階で止めに入るべきだったが、ニキータにはそれが出来なかった。その光景はニキータにとって絶対にありえないものだったから。
「癒月が……悲しんでいます」
 それはより的確な言葉だった。
 怖がってなんていない。
 怒っても、悔しがってもいない。
 ただ、悲しんでいる。
 自分の想いを汲み取ってくれようとしないハルカに対して。
「この子が、駄々をこねるから」
 ハルカがどことも無く視線を反らせて言った。

 二人は、本当の姉妹のように、あるいはそれ以上に仲が良かった。姉は小さく、妹はそれよりもかなり大きかったが、そんな事はなんの障害にもならなかった。
 ただただお互いを想い合って、愛し合って、大切にし合える関係だった。
 手をあげようとするなんて、そんな事は一度だって無かった。
 駄々をこねたとしても、その想いを汲み取って諭したり、理解してあげたり。真っ向から否定するような事は、やはり一度だって無かったのである。
 故に彼女――癒月が泣くなどという事も、そう滅多に無い事だったのだ。
 それが今、落ち着いてきたとは言え、声を押し殺しながら彼女は泣いている。
「一緒に、居てあげたかったのだと思いますよ」
 ニキータが言う。
 ハルカは聞いているのか聞いていないのか、ただ一点を見つめて俯いている。
「最近は二人でお風呂に入っていないようですし、それに」
 そこで言葉を切った。
 ニキータ自身、それをどう言って良いのか分からなかった。
 言えば、ハルカを傷付ける事になると分かっていたから。
 だから、慎重に、慎重に、言葉を選ぶ。
「それに、俺は中尉の事、苦手でしたけど」
 中尉という言葉が出た瞬間、ハルカの体がほんの少し、揺れた。
「こいつは、中尉の事も大好きだったから、だから、分かるんだと思います」
「分かるって……何?」
「ハルカ様が、その胸に抱えた、悲しみ、を……」
 冷たい怒りを宿した視線が前を向いた。
 口を真一文字に切って、ハルカがニキータの方へと向き直る。
 しかし、その鋭い視線がニキータを貫く事は無かった。
「な、なに、泣いてるのよ……」
「ご、ごめんなさい……俺、何も分からないのに。あなたがそんな風になってしまう程の苦しさなんて、わからないのに……」
 ハルカの双眸から熱い物がこぼれた。
 三人が、静かに泣いていた。
 怒りや憎しみで抑えられていた悲しみが堰切ったように瞳から溢れていた。

 ニキータが湯を張った岩風呂。
 六人ほどが同時に入れそうな広さだった。
 洗い場は四つあり、どこかひなびたペンションの温泉のようにも見える。
 更衣室と浴室を隔てるスリガラスに、人影が映った。
 暫くして、肌色となった人影がスリガラスへと近付き、一気に扉を開け放った。
「今日は癒月も一番風呂ですー」
「そうだね。いっせーので入ろっか?」
「はぁい」
「でも、その前に頭と体、洗おうね」
 見た目はあべこべだった。
 例えばそれは、実の娘に髪を洗ってもらっているような、そんな光景。
 それでも彼女達は、他の誰よりも姉妹だった。
 優しい姉と、思いやりのある妹。
「流すよ」
「はーい」
 嬉しそうに笑う癒月。
 決して中尉の死を悲しんでいない訳ではない。
 ただ、今はただ、ハルカが元通りになってくれた事が嬉しかった。
「あぅ……口に……」
「ぺっしなさい。ぺっ」
 風呂から上がった後の二人は本当に元に戻ったかのようだった。
 まだ飛騨や新任の木場とは馴染めなかったが、いずれ元に戻る、癒月もニキータもそう思った。

 夜。
 二人は久し振りに一つのベッドで寝ていた。
 お風呂から出た後は、ずっと一緒だった。
 明日からはいつも通り一人で寝ようね、そう約束した。
「もう寝ちゃったの?」
 傍らで規則正しい寝息を立てている。
 若干十五歳の、しかし見た目は成人女性と変わらない少女。
 ハルカは、そんな彼女にとって、母でもあり、姉でもあった。
 ハルカにとっても、それはかわらない。
 だから、ハルカは良き母であろうと、良き姉であろうと頑張り続けてきた。
 そうしている内に、とても優しい気持ちが芽生えていた。
 中尉が死んで、忘れていた――消えていた気持ちだった。

 そして今、そうした気持ちが再び芽生えて、中尉への想いが薄れている事に気付いた。

 暗い布団の中。
 顔をうずめる。
 何も見えない。何も聞こえない世界で、ハルカは思う。
 絶対に許してはならない敵が居た筈だった。
 絶対に忘れてはならない感情があった筈だった。
 それを許しては、それを忘れては、彼への想いまで消えてしまう気がした。
 だから彼女は決意する。
 復讐の鬼と化す事を。
 もう決して、迷わない事を。

 それは気持ちの良い朝だった。
 空気が澄み切っていて、空には雲一つかかっていない。
 窓から差し込む真っ赤な光を受けて、癒月は鼻歌交じりに朝ご飯を用意していた。
 そこへハルカがやってくる。
「今日から、ご飯はいらないからね。朝も昼も夜も、私一人で食べるから」
「え?」
 突然の宣言に、癒月は肩を震わせた。
「お風呂も、一人で入れるよね?」
「え……えぅ……」
 表情が変わっていく。驚きから悲しみへ。そして今にも泣き出しそうに眉が顰められた。
「少しの間だから、ね?」
 癒月の頭に差し出された手は、しかし触れる事無く降ろされた。
「用事があるから、行ってくるね」
 どこか寂しげに笑ってハルカは立ち去っていった。
 癒月は泣く。
 ハルカが何を考えているのかは分からなかった。
 しかし、彼女が何かを決心して、しばらくの間、もしかするとずっと、自分と距離を置こうとしている事は分かってしまったからだ。
 泣き声を聞いても戻って来なかったのが、全てを物語っていた。
「癒月が……悪いの……?」
 気持ち悪い程真っ赤に染まった薄ら寒い食堂で一人、癒月は呟いた。














       

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