Neetel Inside 文芸新都
表紙

クーライナーカ
『十八』

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 この狭い空間に四人居るだけでも体感的に室温は熱く感じる。そして結託しているかのように全員ではりつめた空気を作っているので息苦しい。あさひは一刻も早くこの場所から出たかった。悪い夢であって欲しいと今でも思っている。しかしあさひの前に居る少女の希有な顔と、そしてその後ろで勝ち誇っている少年が完全に否定していた。あさひはこまちをもう一度まじまじと見てみる。やや大きめの制服を彼女なりに着こなし、胸元には一年をあらわすリボンが制服のサイズのために小さくおさまっている。これまた長めのスカートからは鉛筆のようにすらりと細く長い足が黒タイツに包まれている。セミロングの髪の毛は黒蜜のようだが、彫像のように髪の毛一本も揺らしていない。

こまちの全身を何度も見直してあさひが何時も見ていたこまちの見た目に関しては何一つ変わりはない、とあさひは確信を持った。だがこまちは明確に最後に出会ったときと何か変わっている。垂れていて、すこし大き目の瞳には濁った色が溜まっている。顔は全部蒼白で血管が浮き出ていた。

文字通り死んでいる魚の目をしている。生気が一切感じられないこまちの目にあさひの毛が逆立ちぞっとしてしまった。どうしてこまちがそのような目をするのか分からない。ずっとあさひがその理由を考えていると、背後でぱちんと音がした。つばめが指を鳴らしている。霧が晴れたようなすがすがしい表情を見せ、こまちの後ろで立っている男性を指差しけらけらと笑い始める。

その笑い声は四方を囲む壁を反響し、あさひはつばめが何人もいるかのように錯覚した。相手は不快な表情を徐々に色濃くしていゆく。しかしあさひはは彼女なりのペースを保とうと必死な様を見せているようで見てていたたまれなくなった。つばめはひとしきり笑い、涙がにじむ目を擦ると息を整えないで口を開いた。

「あんたどこかで見た顔かと思ったら副会長じゃない?」

腹を押さえながらつばめがそれだけ言う。そしてまた笑い出した。大きな口を開いて子供のように笑い狂う彼女は別の生物のようだ。やがてつばめは飽きたのか深呼吸をして笑うのをやめたが、顔には笑顔が曇りなくある。つばめの異常な反応にあさひは五感が麻痺して案山子のように立ち尽くしていた。

一刻の沈黙が置かれた後にぎりりと歯を食いしばる音が場の空気を返る。音源は副会長からだった。副会長と呼ばれた男はつばめにたった今思い出されたことと、副会長と呼ばれることの二つのことで神経をつつかれたのだろう。

「副会長?」

生徒会はこまちとつばめの二人だけではなかったのだろうか?記憶の中のこまちはそのようにしゃべっていた。あさひの疑問に感づいたつばめはのど元を掻きながらどう説明しようか考えている。つばめの言葉に目の前にいる自称生徒会長は唇をひねり上げて苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

「まぁなんか生徒会の構成が私だけじゃ教師どもが納得しなくてね、
 だから間に合わせで副会長の椅子も用意してたの。
 去年の今頃にちょうど人選をしてね。
 ことあるごとに私にたてついて大変だったわ。
 こいつの頭を切開すると格式とか常識とか規則とかいった言葉で詰まってそう。
 あまりにもうっとおしいし、ちょうどこまちを見つけてきたからすぐに追い出したの。」

本棚に寄りかかりつばめは声を荒げながらあさひにひとしきり説明して、ぷいとその自称会長から目をそらす。つばめの天敵にして一番同じ場に居合わせたくない立場なのだろう。あさひはもう一度こまちの横にいるその人物をよく眺めてみる。インテリぶった丸めがねが無駄に光ってその目つきを見れない。

学生服を校則どおりに着ているが、いつも着崩れた格好をあさひ自身がしているためかどことなくそれにセンスが感じられない。しかし本人はそのことを少しも気にしておらず一分に一回制服の着崩れを直している。すこしのずれも妥協していない。見た目からしてつばめの言うとおり型にはまっている。

あさひはそれ以外の感想を抱けなかった。かっちかちの四角い枠にぴったり収まるような頭をしていそうだ。見た目からしてつばめとほとんど正反対のタイプに間違いない。相反する雰囲気を身にまとう腐たちの姿を交互に見比べてあさひは自分の仮説を確固たる物にしていた。つばめと目の前の自称会長が対立する理由を今ある手がかりで組み立てるとこうなるだろう。気に入らない規則があるとそれらを全て書き換えようというつばめに規則は規則で甘んじて受け入れるべきだという自称会長。まぁ彼女と対立する理由などそれくらいしかない。まさに犬と猿の中といっても過言ではない。

「それで副会長のあんたが生徒会長を名乗るなんて結構良いご身分じゃない。
 いつのまに偉くなったの?」

話しかけるのも面倒なそぶりをつばめはやめることはせず、つばめは眉間に寄せた皺を手でつまんでいる。そして一歩右足を浮かせるとドシンと大きく床に叩き付けた。埃が舞い、カーテンが揺れる。その隙間からのぞかせた月が一瞬だけあさひの顔を照らす。あさひは驚愕に月と同じくらい目を丸くしている。そしてこまちだけが周囲の状況を理解できず、おろおろと子猫のような視線で目を潤ませていた。

「僕が元々生徒会長を努めるはずだった。それを捺科君が乗っ取ったではないか。
 そのことを棚に上げて何を言う。」

初めて自称会長は大きな声を上げた。彼の中に眠る狂気が眼を覚ましたのだろうか。その言い方は真に迫っていて伊達や酔狂で言っているわけではないことが分かった。あさひがつばめの目を見る。なんとなくつばめならやりかねない。そう頭に思い浮かべた瞬間つばめはあさひが頭の中で何を考えているのか一瞬で悟る。


     



あさひがやばいと思ったときにはもう遅く、つばめはにかりと笑った後にあさひのつま先を思い切り踏みつけた。あさひが痛みで飛び上がっている間つばめはまた自称会長を睨みつける。自分よりも背が高いものにもひるむことなかった。背中には静寂に燃える青白い炎を背負っている。

「逆恨みもいい加減にして欲しいわね。
 あなたの大好きな規則まみれの選挙を通してちゃんと白黒つけてあげたじゃない。
 それでもすこしは同情してあげたから副会長の椅子をあげたじゃない。
 それでも不満なの?不満なのね。
 あなたは昔から生徒会長に執着していたものね。
 生徒会でしたっぱだったときから自分が生徒会長になったら
 あれをするこれをすると夢を語っていたのをまだ覚えているかしら?」

自分が言った言葉に苛ついているのかつばめの声調は静まることはない。それは思い出すのもためらわれるような思い出なのだろう。つばめはあさひを押しのけるとそのままこまちへ体を近づける。力ずくでもこまちを引き戻そうとするのか。つばめの顔は修羅のごとき形相が刻まれていて、あさひはやめさせようにも止められなかった。

だがつばめを止めたのは他の誰でもないこまちだった。つかつかと近寄ってくるつばめを前にしてこまちはうつむき、会長の背を盾にしてつばめから逃げた。こまちはつばめを避けている。そして自称会長を頼りにしている。はからずともその意志をこまちはつばめに嫌というほどに教えさせた。それを見てつばめは体を硬直させ、軽くうなった後に一歩後ろに下がる。しかしその一片ほどの動揺を自称会長は見逃さなかった。

「こまち君。怖いかい?怖いだろう。
 このような人間が今まで生徒会長として活動していたなんて
 笑い話にもならない」

つばめは聞くことさえめんどくさそうにしている。握り締めた掌は力を入れすぎているのか真っ白で血が一切流れていないようだった。今にも自称会長に掴みかかったっておかしくない。ただ自称会長は一連のやりとりを見過ごさないばかりか、それでできたつばめとこまちの亀裂に指を入れてくる。

背中に隠れたこまちの肩を叩くと安心させるように柔らかい笑みを与え、つばめへは意地悪い笑みを飛ばしてきた。めがねの奥に潜む自称会長の瞳はありえないほどぎらついていて、人間というよりも獲物を捕らえた獣の眼をしていた。

「こまちくんはね、僕のように生真面目に仕事をこなす
 生徒会長にあこがれていたんだ。
 だから僕の元で書記を任せてもらっているんだよ。
 どっかの誰かのようにいい加減で、思いつきで決断を下し、
 周りの迷惑を省みない人間にはついていけないらしいよ。」

ありったけの皮肉を込めて自称会長はこまちの肩をなでる。さっきまで震えていたうさぎのような表情を見せていたこまちは自称会長に肩をなでられるたびに安堵の顔つきに変えてゆく。こまちが安心すればするほどつばめは苛立ちがたまってゆく。

つばめの心臓が、肺が、脳が、だんだん硬直していく。目の前にいるこまちを掴みたいのに、その手を掴むことは到底かなわない。あさひは昔の大雨の日に消えていったあおばのことを思い出して、無理やり首を振った。こまちはまだ生きている。それならあの手を掴むことはまだできるはずだ。自称会長の顔をあさひは睨む。

自称会長はあさひの視線にきづこうという意思さえ見せていない。自称会長がここにいるということはやはり彼もクーライナーカと関係しているのだろうか。例えばつばめが消えたのはクーライナーカの仕業だとして、それを願ったのはあいつなのだとしたら……。そういう仮説を組み立てると自称会長の真面目さはどこか仮面をかぶさっているかのように見えていた。

あさひの視線に今頃気づいた自称会長は不敵な、そして余裕めいた笑みをこぼす。その笑みを向けられて自分の仮説の真偽を自分の中で審議していた。あいつはあいつなりに生真面目なのかもしれない。しかしその生真面目さを向ける場所をどこか間違っているように見えた。それは生徒会長に対する異常な執着に見て取れる。

「こまちはそれで満足なの?」

     


つばめは目線をこまちに向ける。こまちは蛇に睨まれたかえるのような表情をまた作ると自称会長の背中を使って体を隠した。肩の辺りからわずかに見えるこまちの顔半分が見えたり見えなかったりするたびに、つばめはその目線を鋭く尖らせてゆく。さっきとほぼ同じ反応に思わずつばめは苦笑をもらし、あさひは表情が固まったまま何も返せなかった。

つばめを本当に忘れているのなら見ず知らずの人間になれなれしくされているようなものだ。警戒するのは当然だろう。だがつばめは追求するのをやめない。ずいと前に歩み寄りこまちと向かい合う。こまちはさらに身を強張らせ前髪で顔を隠す。だが自称会長が肩に手を置きこまちを励ますと、こまちはようやく瞳をあらわにした。相変わらず混濁した色をしている。

「答えなさい。」
「はい。私が望んでいる生徒会はこういうものです。もうあなたにはついていけません」
「嘘ね。」

共に即答だったが、こまちはつばめの一括に目を当てもなく泳がせるのに対しつばめの視線はまっすぐこまちを貫いていた。その視線は硬く、狙ったものを逃さない鋭利さを持っていて、まるで槍のようだとあさひは思った。

「ではこまち。どうしてそのようなつまらなそうな顔をしているの。
 そのような顔がお似合いだと考えているのかしら?
 今のあなたは昔のあなたにそっくりじゃない。退化してどうするの。」

こまちはつばめが一言一言言うたびに、顔をくしゃくしゃにさせてゆき、泣きそうになる。それを自称会長が優しく受け止める。そしてつばめがため息と共に苦悶の表情を作っていた。つばめはそれでもしゃべるのをやめない。

自分から棘の中に向かうようにつばめはしゃべり続けていた。ただあさひはそのやりとりが非情に不快に感じ、つばめとこまちがどれだけ気の毒かをひしひしと身にしみていた。霧のような暗闇の中で二人の声が飛び交う。

「私を思い出しなさい。私を信じなさい。私についてきなさい。
 私があなたを変えてあげられるのだから。」
「こまちくん。このような人間に耳を貸す必要はない。
 僕たち集団を引っ張っていく人間はそれなりの上位の人間と
 付き合っているだけでいい。下の人間のことなど考える必要はない。
 下の人間が僕たちに従って苦しんでればいいのだから。
 それができずに埋もれていったところで僕たちには関係のないことだ。」

「ふん。適当な言葉で話をそらさないでくれる。
 大体下位層の人間はあんたのほうじゃない。
 あなたはいつだってそう真面目という大義名分を傘に
 自分のことしか考えていなかった。
 教師の言うことに真面目に従いながら
 裏では真面目に自分の都合のいいように生徒会の人間を操っていたわね。
 見ているこっちが気味悪かったわ。」
「それがどうかしたというんだ。人間に規則を合わせる必要はない。
 規則が人間に合わせればいいんだ。それができない人間など人間ではない。
 君みたいな型を破ろうともがいている人間は本来許されるものではないのだ。
 間違っているかどうかではない。
 できるかできないかが学校の生徒に求められる義務なのだ。
 生徒会長はそれを実行していけばいい。仮に君の信念を貫きたいというのなら、
 それを実行すればいいだろう。実行できるか?できないだろ?
 今は君の傍には誰も居ない。そのような状態で何ができるという?」

俺が居るじゃないかとあさひがさりげなくつぶやいたが二人は耳を動かすことさえしなかった。土俵に立つ二人は回りの言葉など野次にしか聞こえないのだろう。そしてつばめの顔に明らかに見える影が落ちる。月が隠れたわけではない。明らかにつばめに迷いが見えていた。たった一度だけ見せる彼女の暗い表情だからこそとてつもなく不安になる。

「元々こまちは私の書記。私のもの」

語尾にいつもの破棄が感じられない。そういうのがやっとのようだった。そしてつばめは目をつぶる。目をつぶって、顔をうなだれて何かぶつぶつ呟いている。自称会長はこまちが追い詰められて動揺していると思ったのか、自身とこまちの距離を詰める。あさひはどうすることもできず二人の成り行きを見守っていた。自称会長はつばめを追い詰める目的で沈黙している。つばめはさっきから謎の沈黙をしている。

こまちもあさひも困惑して沈黙している。四人の沈黙が積み重なり、決して破れない沈黙が生まれていた。沈黙は耳には聞こえない。あさひはその刺激から逃げたいのに、声を上げる気にはなれず黙って耐えているしかなかった。埃が待っているのが分かる。誰かかは分からないけど息づかいも聞こえている。そしてカーテンの隙間からまた月が見えたとき、つばめの目が開く。ふわりとつばめの髪の毛が数本舞い上がり、一拍をおいて、またもとの髪型に戻った。さっきの迷いを全て振り切っているつばめがそこに立っていた。

「こまち。思い出しなさい。私の事ではなく、自分のことを思い出すの。
 記憶の大海に絶対私がいる。私が語った言葉がある。
 ゆっくり泳いで、深く泳いで、それを見つけ出しなさい。
 あなたなら簡単なことよ。私は信じている。」

胸に手を当てて、つばめは自称会長と向き直った。共に同じ顔つきをして、目線は拮抗している。そしてこの争いの渦中にいるこまちはうつむっきぱなしだった。あさひも以前こまちが同じ様な顔つきをしていたことを昔に見たことがある。初めてこまちと出会い駅前で待ち合わせたときにあさひに見せた顔にそっくりだ。今目の前にいるこまちは自分でも分かっていないだろうがおそらく落胆している。何に落胆しているかはこまちが自分の記憶の中で見つけることだろう。あさひはこまちのことを信じて待つ。そう思えばこの息を抜く暇さえない空間をすこしは我慢できそうだった。

       

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