Neetel Inside 文芸新都
表紙

怠慢な粗粒子
曖昧三センチ

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「おい、あんまくっ付くな」
「あ、ゴメン……」
 敢えて冷たく言い放つと、ふやけた若布のように体を萎ませて利理が詫びた。
 それが、理不尽な物言いであることは解っている。自転車に二人乗りという、バランスのカテゴリ分けではどちらかと言えば「悪い」に分類される状況でくっ付くなというのは、それはつまり「シートベルト無しでジェットコースターに乗って下さい」ということと、被害の度合いこそ違えど同意義であり、尚且つ利理のような行動やら頭の回転率やらがちょっとアレな娘にとっては、あながちベルト無しFUJIYAMAとそう危険度は変わらないのかもしれない。
 説明する必要も無いだろうが、ここは敢えて全男子の敵である「本当に無意識でやっている」という、思わせぶりで世界を取れるような罪作りな女子一同の為に、何故くっ付いてはいけないのかを説明しよう。

「当たるから」

 以上だ。
「え……何が……?」
 とは聞いて欲しくはない。むしろそれを聞かなければ解らないようなら、もう暴言であることを重々承知してこの一言を送ろう。
「お前、馬鹿だろ」
「……なんでそういうことばっかり言うの……?」
「馬鹿に馬鹿っつって何が悪ぃんだよ」
 特に不機嫌でもないのだが、敢えて不機嫌な声を出しながら、俺は利理にくってかかった。利理は俺の声の圧に気圧されて、気の毒になるくらい更に萎む。

 俺と利理がチャリの二ケツで下校するようになってから、今日で一年と半が経過した。
 そして、俺と利理がこの距離で下校するようになってから、今日で十年とちょいが経過した。


                   ・


「ママ……樹君は苛めっ子なんだよ……」
「母ちゃん、利理ってうじうじしててムカつくな」

 お互いの初顔合わせの後、お互いが自分の保護者に対して放った一言である。ちなみに小学校一年の時の話だ。
 言い訳は止そう。確かに、苛めた。
 何故なら当時、俺は利理が大嫌いだったからだ。オブラートでも包みようがないくらいに、大嫌いだった。
 うじうじしてて、無口で、暗くて、自分から何かをしようとしなくて、チビで、チンチクリンで、運動全般が全く出来なくて、トロくて、そのくせ勉強ばっかり出来るいい子ちゃんで、
 しかも、可愛い。
 許し難い存在だ。だから俺が利理を苛めるのは、至極当然であり、むしろそれは義務なのだ。
 入学式の後のクラス集合の際、せっかく俺が爽快に格好良く(当時の感性を基準とする)自己紹介を終えたにも関わらず、俺の後ろの席でぼそぼそと小さな声で自己紹介をする陰湿なムカつくチビ女を苛めの標的にするのは、それは自然な流れである。
 意図して俺を避けようとするチンチクリン女にイライラして、更に苛めをエスカレートさせるのもまた、自然の流れである。
 その苛めのせいで更にオドオドとした暗い女になり、更にそれが勘に触って苛めをエスカレートさせるのもまた、自然の流れである。
 ある日、俺以外の男子がチンチクリン女を苛めてるのを見て、「やめろお前ら!」と助けに入るのもまた……多分、自然の流れである。

 そんなことがあってから、利理は俺の「子分」になった。
 何故か、気付けば俺の後ろをちょこちょこと付いてくる利理を、俺は色んな所へ連れて行ったものだ。
 駄菓子屋に行っては、カチカチに凍ったチューペットを半分こにしたり、裏山に行っては、日が暮れるまで秘密基地の製作を強引に手伝わせて、疲れ果てた利理を結局俺がおぶって帰ったり、川に行っては、ザリガニの鋭利な爪に脅え泣き出した利理を更に脅えさせたり。
 そんなこんなで夜遅くまで利理と探検を続けて、俺は利理を「門限を守らない悪い子」に仕立て上げた。
 当然、「他所様の子に迷惑かけんな!」と親父に巨大なゲンコツを貰うことは理解出来たが、何故利理の母ちゃんが「これからも利理と仲良くしてあげてね」とにこやかに俺に囁きかけたのは、当時の俺には理解出来なかった。何故なら俺は、利理を悪い子に仕立て上げたつもりだったからだ。

 さて。
 ここからは、利理のその「馬鹿さ加減」を語ろう。
 上記のような冒険活劇を俺と共に六年間繰り返してきたにも関わらず。
 利理は、その小学校時代の「体育」という唯一の肉体主義授業を、すべて「一」という奇跡的な数字で統一した。ちなみにその一とは「一番」の一ではなく、「少ない」という意味での一だ。
 鬼ごっこをやらせれば、そのゲームバランスを崩壊させんばかりの鈍足を如何無く発揮し、かくれんぼをやらせれば、二時間後には「利理の場所」という特定のエリアが出来上がるほどに同じ場所に隠れ(しかも頭を隠し切れてない)、水泳をやらせれば、空気を存分に吸ったにも関わらず沈むという摩訶不思議現象を発生させ、シューティングゲームをやらせれば、雑魚敵の一匹も撃墜せぬまま大破するという不殺(ころさず)の主義を貫き通した。ちなみに開始五秒後の話だ。

 そんな俺と利理なのだから、常に俺がイライラしながら、常に利理がオドオドしながら、日々を過ごしてきたのは、言うまでも無い。
 利理に対してイライラして、怒鳴ってやろうかと考えたこともあって、それでも利理が泣けば嫌な気分になって、チューペットを買ってやればメソメソしながらもようやく笑って、それで何故か俺はほっとして。

 そんなこんなで、気付けば十年とちょい経っていた。


                   ・


 そして今。
 利理は、反抗期だ。

「……樹は私のこと嫌いなんだ」
「そうか、やっと気付いてくれたんだな」
「……やっぱり嫌いなんだ」
「だから嫌いだっつってんだろ」
「樹のばーか」
「お前、もう降りろ。俺は一人で帰る」
「……樹のばーか」

 許し難い行為である。子分が親分を「馬鹿」などと罵って良いはずが無いのだ。ついでに言えば、子分が親分を呼び捨てにして良い理由は無い。が、これはもう既に二年前から諦めている。
 そして以前なら「降りろ」と言えば素直に「ゴメン……」と降りていたのに、今となっては「降りろ」という言葉に対して「馬鹿」と返す始末だ。
 大体、利理のくせに生意気なのだ。
 利理のくせに図書部の部長だったり、利理のくせに学年別成績順位で一桁をキープしてたり、利理のくせに進学塾に通ってたり、利理のくせに男子からの人気が高かったり、利理のくせにたまにハッとするほど可愛い仕草をしたり。
 利理のくせに、そんな風にどんどん遠い場所に行くから、俺の方が近寄り難くなってしまうのだ。
 俺と利理の間には今、教科書が一冊も入っていない厚さ三センチ弱の鞄が挟まっている。
 密着はしたくないが、密着せざるを得ない今のような状況を打破する為に俺が編み出した、 广龍統士元も裸足で逃げ出す秘策である。これを俺と利理の間に挟めば、利理が俺の腰に手を回しても、俺と利理が密着することは無い、という按配だ。
 正直、心臓に悪いのだ。

「……あ……」
「んだよ」
「……樹、胸周り結構硬い……初めて知ったかも……」
「そうかいそりゃ良かったな」

 こんな風に、ハンドル操作を肉体的にも精神的にも邪魔しようとしているとしか思えない挙動を、何の予備動作も無く仕掛けられては、こっちの身が持たないのだ。

 最近、利理に対してのイライラが増したように思う。
 理由は、朧気ではあるが理解はしている。
 利理との距離が、判らないのだ。
 子供の頃は、距離なんか考えなくても良かった。何故なら利理はトロかったから、俺が手を握って先導してやらないと、あっという間に路頭に迷ってしまうような被保護者的存在だったから。
 中学校の時も、確かに抵抗はあったものの、強引に引っ張っていってやることで、利理をそれなりに中学生らしい生活に導いてやったつもりだ。
 そして今。
 利理は、俺の手を必要としていない。
 何故なら利理は今、確実に俺とは違う方向に歩み出そうとしているからだ。俺とは違う道を、俺とは違うやり方で、進もうとしている。
 利理のくせに、だ。
 利理のくせに、近寄り難いのだ。トロくて、オドオドしてて、多少は社交的になったもののまだまだ暗くて、自転車にも乗れないくせに、俺に距離を考えさせるのだ。今のこのご時世、ちょっと頭のいいサーカスの熊でさえ自転車に乗れるというのに。
 ……それだけだ。

 自転車に乗れないから、俺の後ろに乗る。

 それだけが、今の俺が今の利理に手を差し伸べなければいけないたった一つの「しょうがねぇ」なのだ。
 それが無くなれば、もう利理は、俺と一緒にいる理由が無くなる。完全に、一人で違う道を歩むことが出来る。

「なぁ」
「何?」
「自転車、さ」
「……うん」
「……何でもない」
「ん」

 今日まで俺は、利理に「自転車乗れるようになれよ」と言えないでいる。
 利理もまた、今日まで自転車の練習をしないでいる。

 俺と利理の間で、三センチの鞄がパカパカと音を立てる。
 それは、俺と利理が互いを「違うもの」と認識してしまってから発生した三センチだ。


                   ・


 自分で言うのも難だが。
 結論を言うと、どちらが先に言うか、というただそれだけの問題だ。
 それに気付けない俺ではないし、利理の方も珍しくそれを察知している。
 ただ、俺はそれを自分から言いたくはない。
 何故なら、認めたくないからだ。
 例え反吐を吐こうとも、「俺から先に利理に見初められた」などとは、認めるわけには行かないのだ。それが親分としての威厳を保つ、最後の砦なのだから。
 それを認めてしまえば、この自転車の二ケツにしたって「俺がしたくてしている」ということになってしまい、それは「しょうがねぇ」ことではなくなってしまう。
 そして利理も利理で、最近は反抗期だ。どうにかして俺にぎゃふんと言わせたいと思っている以上、これは死活問題なのである。
 ちなみに今更の説明なのだが、反抗期に陥った理由は「俺がハッキリしないから」だ。
 どちらかが気持ちを抑えられなくなるまで、この瑣末な争いは続くのだろう。見ているはずのない誰かの「アホか」という声が聞こえるようだ。言われなくても解っている。何故なら俺自身、誰よりも強くそれを思っている。

「……嫌いだよ、樹なんか……」
「奇遇だな、俺も同じ気持ちだ」

 鞄を挟んで、俺の腰に巻かれた利理の腕に力がこもる。
 心臓の位置じゃなくて良かったと思う。今の俺の鼓動は、「硬い」いう評価を下された胸板では隠し切れないくらいに高鳴っているから。

 俺を動悸させるなんて、利理のくせに生意気なのだ。
 さっさとお前が折れて、この意味の解らん曖昧な三センチを取り除け。
 そしてお前の手を握らせろ。お前の温もりを包ませろ。

 利理のくせに、生意気なのだ。

       

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