Neetel Inside 文芸新都
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怠慢な粗粒子
明日スイッチ

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 食事を取るように、風呂に浸かって身を清めるように、毛布に包まって眠りに着くように、それは僕らの中で、日常の一欠けらとして、非常に大きな容量を占めている。
 スイッチを、押す。
 たった、それだけの行動だ。
 何のスイッチか? 言わずもがな、「明日を予約するため」のスイッチだ。名を「明日スイッチ」と言う。
 これを押さなければ、明日を予約することが出来ない。つまり、明日を生きることが出来ない。しかし逆を言えば、これさえ押さなければ、明日を生きなくても良い、という解釈も出来るらしく、このスイッチが適用され始めてから数十年経った今尚、故意にスイッチを押さずに明日を放棄する人々は、ぽつぽつと居るらしい。


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 明日スイッチの義務化は、約三十年の歳月をかけて行われた。
 二千二十年より、人民全員のDNAを採取し、これを明日スイッチと連動するメインワークステーションに、個人情報の認証と同時に、登録。時限式で、遠隔操作で細胞の構成を変更することが出来る仕様らしい。
 当初は、この明日スイッチの義務化に対して、相当の反対運動が行われたそうだ。曰く、命の自由に対する侵害という名目の下、最悪、テロ行為にまでそれは発展したという記録もある。
 ならば、何故それでも明日スイッチの義務化が成功したのか?
 決して、人民全員が反対派ではなかったからだ。
 明日の決定権をその身に委ねることを、切に願う人民も、存在した。存在したどころか、その数はおよそ六割にまで届く数字だったらしい。ちなみに、当時五十歳だった祖父は、この明日スイッチの義務化に賛成していた一派だったそうだ。

 二千四十年。横暴とも言える強攻策を、政府が打って出る。
 メインワークステーションに事前登録しなかった者達を、摘発したのだ。摘発した後、本人の否応無しに、半ば強引にメインワークステーションにデータ登録、認証。流石にこの行為には、批判の声が挙がったが、何人かのプロジェクト責任者の辞任を代償に、数々の裏工作の末、政府によるこれらの横暴は、闇に葬られることになる。
 何故、これほどまでに強引な手を使ってでも、明日スイッチを推したのか?
 単純に、既に世界は飽和状態だったのだ。
 以前から囁かれ続けられてきた、少子化問題。デフレにデフレを重ねた結果、職を求める人民の爆発的な増加。介護福祉施設の圧倒的な少なさと、人口の圧倒的な量を占める、老人の比率の多さにより発生する、人民一人一人に掛かる介護負荷。
 世界も、人民も、限界だったのだ。
 公には語られていないし、真偽は定かでは無いが、この歴史には、ある一つの目的があったのではないかと、時の専門家は語っている。

 不要物の排除。

 つまり、明日の選択を個人に任せることにより、すべての責任を個人に押し付けた上での、人民の削減が目的だったのではないかと囁かれていたのだ。
 上層部の情報操作があったのか、はたまた本当にそのような後ろ暗い目的などではなかったのか、この問題は時期に風化して行き、今では古参の専門家の間でしか語られていない黒歴史である。
 もし。
 もし、それが本当に、政府及び日本国の目的だったとしたならば。
 その目論見は、当人達が思っていた以上の成果を、醸し出すことになる。
 様々な論議や論争が行われた末に、遂に義務化が始まった二千五十年。

 人民の数が、一気に四割減少したのだ。

 皮肉なことに、その四割のうちの半数が、当初明日スイッチの反対派だった者達だと言うのだから、これはもう喜劇の一つでもある。
 経済は、多いに乱れた。
 行き場を失った金銭は、当然のように金融機関に押し付けられ、国民に還元しようにも、還元するに見合う労働力が無いため、金銭は行き場を失う一方。
 飽和状態になった金銭を処理する為には、方法は一つ。
 国民に、これを配布すること。賃金の大幅な増加により、これを消化することである。

 夢物語でも再現出来ないと言わしめた、超インフレ時代の到来である。


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 それからは、技術力・民度・世帯、それらは増加の一途を辿る。
 企業競争・経費の削減・企業癌の排除。
 それらの必要性が無くなった各部門上流企業は、互いに手を取り合い、更に高度な文明の発展に努めた。すべての企業が潤っているのだ、争う理由が無い。かくして各企業が、個々の技術を惜しみなく提供し合い、そうして結果が伴うのは、言うまでも無い。更に、企業は潤った。
 何しろ、存在するのは「明日に希望を持った活気ある人民」だけなのだ。おまけに、個々が潤っている。子を養う為の財産が、求められる以上にあった為、子を作る世帯が増加した。少子化問題が解決するのは、雪解けを待つよりも容易かった。
 中には「希望は無いけど、とりあえず明日を生きよう」という人民も存在はしたものの、程なくして、それらも次々と明日を放棄していった。
 当然、良い事尽くめというわけではない。圧倒的な労働力の不足は、無視し切れない問題だった。だがそれも、文明が発展することによる個々の負担の軽減と、少子化問題の解決による、次世代の労働力の増加により、生傷を癒すように、解決していった。

 世界は、活気に満ちた。
 後にこの時代を、「黄金の地球」と専門家達は比喩した。


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 たった、一つのスイッチである。
「明日を選ぶ権利」を与えただけなのだ。それだけで、世界を取り巻く、ありとあらゆる問題の解決が、いとも容易く行われた。

 たまに、考えることがある。
 もしも。
 もしも僕が、正に明日スイッチの稼動直後の時代に生きていたならば。
 スイッチを、押し続けられたのだろうか? 生まれ変わろうとしている地球に、希望を抱けただろうか?

 問われるまでも無い。押していただろう。何の迷いも無く、押し続けていたはずだ。

 たとえ、いつ、どのような時代であろうとも、希望を持つ者は希望を持つのだ。
 絶望は絶たれ、希望だけが残ったから、今の時代がある。
 極論を言えば。
 少子化も、人民の疲弊も、世界の飽和も、それらは「原因」が生み出した「要素」でしか無いのだ。
「絶望」そのものが、「原因」とも言えた。
 希望を持てば、何時でも立ち上がれるのだ。いつでも、世界は潤うのだ。どんなものでも、跳ね返せるのだ。
「要素」を「原因」に置き換えるから、本当に必要なものに対して、ひどく盲目になる。本当に排除せねばならないものに、ひどく盲目になる。

 明日スイッチとは、要するに一つの荒治療だったのだと、僕は考えている。

       

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