Neetel Inside 文芸新都
表紙

怠慢な粗粒子
いないピエロが嘘を謳う

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「見てごらん、君はこっちには写っている」
《写るだろうさ。だって僕はそこにいたんだから》
 遠足の思い出が詰め込まれた大量の写真のうち、一枚を抜き出して僕はそう言ったが、彼は事も無げに鼻で笑いながらふわふわと宙へ浮いた。
「でも、こっちには君は描かれていない」
《描かれていないだろうさ。だってあの絵描きには、僕は見えていなかった》
 写真とは別に、筒状に丸められた一枚のパステル紙を広げながら僕がそう言ったが、やはり彼は事も無げに、あぐらをかいたような体制で宙で逆さまになる。
 両方とも、同じ条件下で描いた、或いは写したものだった。同じ山と川を背景に、同じ人員で、同じように撮ったし、同じように描いた。
 しかし、そのような条件を揃えたにも関わらず、両方には、致命的といっても過言ではない差異が発生している。
 写真の方には、確かに彼が写っていた。僕と肩を組んで、特に楽しそうでもつまらなそうでもなく、無難な愛想笑いを浮かべて、確かに彼はそこに存在している。
 絵の方には、彼は存在していなかった。これは、たまたま遠足の目的地で風景を描いていた絵描きの青年にお願いして描いてもらったものなのだが、そこには無難な愛想笑いを浮かべている道化の姿は、どこにも無い。
《或いは見えていたのかもしれない。見えてはいたけど、敢えて描かなかった可能性もあるね》
「何故?」
《君は、自分達を描いた絵の中にいるはずの無い人間がいても、気味悪くなったりしないのかい? 君は見えているからどうってことないかもしれないけど、他の子供達には僕は見えていないんだぜ》
 ノーメイクのその顔に、ピエロの付け鼻だけをつけたその少年は、身に纏ったまだら服をひらつかせながら僕の目の前で腕を組んだ。

 今更改まって説明することも無いだろうが、彼は幽霊である。
 いつ、どのようにして、なぜ、僕と共にいるのかを説明することは出来る。だがしかし、今はその説明は割愛させてもらおう。
 今、この場で重要なのは、彼が写っているが、彼が描かれていないことだ。


                    ・


《どちらでも僕は構わないけれどもね》
 僕の手から写真と絵を掏り取って、鳥の翼のように羽ばたいて宙を舞う。
《そもそも、絵なんてものは『真実』の為に作られた技術じゃない、『嘘』の為に作られた技術だ。嘘の為の技術が嘘をついて、それに餌を強請る雛鳥よろしくぴーちくぱーちく鳴いたって滑稽なだけですぜ》
「どういうこと?」
 ひらひらと、彼のいない絵が僕の頭に舞い落ちてきた。彼が天井に半分埋まっている。
《君達が『目』というツールを使って脳に送っている光の信号は、嘘だらけだ。ありのまま、そこにあるものを、自分にも理解出来るレベルまで落として脳に伝達しているのさ。だからそんな風に、目というツールで得た情報を紙に描き起こしても、それは嘘になる》
「何でそんなことをする必要があるのさ?」
《わかりやせんよ、そんなことを僕に聞かれたって。ただそういう風に君達が作られているんだから、そういう風に処理されるって話を僕はしたかっただけでがんす》
「そんなの嘘だ」
《だったら君、誰でもいいからカメラを渡して、僕を撮ってみなよ。シャッターを切る前にフレーム越しに僕を認識出来たら謝ったげる》
 完全に壁に埋まってしまった彼が、今度は鼻から上だけを天井から覗かせて僕に言った。何も言い返せずに、俯いてしまう。
《彼は、高名な絵描きにはなれないぜ》
「どうして?」
《嘘をつくのが下手だからさ。こんな風にありのままの風景や人物を描いたって、誰も喜びやしないよ。ありのままのものを残したいなら、それこそカメラにでも頼ったらいいんだ》
「写真じゃ表現出来ないものだってあるよ」
《それは、嘘》
 何時の間にか僕の背後に回っていた彼が、僕の胴体から顔だけを透かして僕を見上げた。
《カメラは、誰よりも正直さ。そこにあるものを、そこにあるように残す。君が言う『写真じゃ表現出来ないもの』っていうのは、嘘だよ。それは君達がそれを美化して再現した嘘に過ぎない。そんなものは、そこにはにゃーでございます》
 絵を見た。そこには燦々と照り付ける太陽の下、晴れやかな笑顔を浮かべている僕らがいる。
 写真を見た。太陽はあるものの、少しばかり影の射した場所で、写真用の笑顔を浮かべている僕らがいる。
《例えば、写真を撮った時、その写真に写る自分の顔の構造に不満を覚えたことはないかい? 毎朝鏡に映っている自分は、もう少し整った顔付きや、瑞々しい皮膚をしているはずなのに、写真に写っている自分は、見るに耐えないとまでは言わないまでも、決して自分が知っている自分ではないように思う。それは、鏡に映っている自分を認識している媒体と、その日その時の記録を写真として残した媒体が違うからさ。どっちが真実なのかは、言うまでもないはずだぜ? 絵描きはみんな嘘吐きだ》
 それでいい、と彼は言った。
《真実は、写真に任せておけばいい。だけど残念無念、世界には真実に美しいものなんて中々無いものだ。だけど人は、美しいものを見たがる。自分達の世界が美しいものだと認識したがる。自分達は美しいものだと実感したがる。だから絵があるのさ。絵は、写真よりも説得力のある嘘だからね。だけど、嘘は嘘だ。だから絵描きは嘘吐きじゃないとなれない》
「嘘だ」
《嘘さ》
 僕の中に彼が埋もれ、僕自身の中から彼の声が響く。
《見ているものだけじゃない。聞いているものも、味わっているものも、触れているものも、全部嘘さ。君達が君達にとって都合の良いように調整している嘘に過ぎなくて、真実は君達には見れないし、聞こえないし、味わえないし、触れられない。この世で唯一正直なのは、時計とカメラと太陽だけさ》
「君の言っていることは滅茶苦茶だよ。僕には、君こそ嘘を言っているように聞こえる」
《君も解らん奴だなぁ、だから嘘だって言っているだろう? 僕には僕の嘘があるし、君には君の嘘があるだろうよ。絵の話だったけかな? 目という媒体から仕入れた嘘に、更に嘘をついて絵は生まれる。嘘だらけでござぁますよ、今のご時世》
 段々、「うそ」という言葉に対してゲシュタルト崩壊を起こしかけてきた。そもそも、「うそ」とは何だろう?
《良いことを考えるね、嘘とは何だろう、か。僕はそれよりも、真実ってのは何だろうって考えるな。もしかしたらこれ》
 絵を摘み上げて、ひらひらと舞わせた。
《これこそが真実なのかもしれないぜ。この一円の値もつかないような瑣末なこれが、真実そのものかもしれない。嘘から出た真なんて言うだろう? 絵なんて、価値がつけば価値がつくほど嘘になるもんだ。真実に、一円の価値だって無いもんな。うん、そうに違いない、もうそれでいいじゃんか、これが真実だ》
 言うなり、彼は絵をゴミ箱に捨てて布団へ潜り込んだ。
「酷いじゃないか、こんなことして」
 雑草を貪り食うライオンを見るような目で、彼が僕を見た。
《真実の価値なんて、そんなもんだろ?》


                    ・


 次の日から。
 彼が、僕の前に姿を現すことは無かった。
 僕は、引き出しの中からカメラを取り出して、部屋の風景を収めた。父に強請って買ってもらった、最新式の、最高画質のデジタルカメラだ。
 彼は、写っていなかった。
 引き出しの中から、保育園に通っていたくらいの年の頃に描いた落書きを取り出した。
 彼が、そこにいた。

       

表紙

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Neetsha