Neetel Inside 文芸新都
表紙

ノリの使い魔
第三章の後半

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サカキ・マナミは2043年の日本から、時間を遡り、2007年の日本へやってきた。理由は、父親を救うため。彼女の父親は、重力制御装置と時間制御装置を生み出した科学者だという。恐らく、一つの時代にそう何人も存在しないタイプの人間、言うなれば天才の類だろう。その科学者はいま、秘密警察に逮捕され、監獄に拘禁されているらしい。2043年の日本で、だ。

僕には想像がつかない。2043年の日本はどんな国なのか。科学が発達して今以上に生活が便利になった世界。しかし一方で、秘密警察という強権的な組織が活動する世界・・不穏な匂いのする世界でもある。気がかりなのは、それがたった36年後ということだ。不慮の事故や病気に見舞われなければ、僕もいずれ、その新しい時代に直面することになる。

サカキ・マナミは遠い眼差しを天井へ向けて、そっと口を開いた。
「私が生まれる前、2015年のことです。その年の夏、第47回目の衆議院総選挙が行なわれました。政党ごとの議席数は変化し、内閣は新たに組織され直して、総理大臣も入れ替わりました。でも、それだけの事です。日本人好みの保守政党が、あいかわらず政権をがっちり握っていました。派閥のバランスが少し変わっただけの事です。・・ただ一点を除いては」
「・・一点?」
「名古屋選挙区で、ある人物が出馬し、トップ当選を果たしたことです。その人物はかつて野球界で活躍し、一時期はメジャーリーグにも進出し、やがて中日ドラゴンズに入団した人物です。その人物の活躍によって中日ドラゴンズは53年ぶりに日本一に返り咲き、彼は名古屋市民から絶大な尊敬を集めるようになっていました。彼が名古屋選挙区から出馬すれば、当選するのは確実だったんです」
彼女のいう経歴に該当しそうな人物は、僕の頭の中には一人しか思い浮かばなかった。

「もしかして、ノリさん・・?」
「そうです。ノリ選手。彼は、中日ドラゴンズを日本一に導いた後も、しばらくは球団に在席して、活躍を続けました。清廉潔白で、金銭のことなど歯牙にかけない深い精神性。名古屋市民の誰もが、ノリ選手に心酔しました。数年後にノリ選手は球界を引退し、名古屋テレビと中京テレビとテレビ愛知に個人番組を持つようになりました。視聴率も好調で、彼の活躍の幅は日増しに広がっていきました。朝のニュース番組、昼のワイドショー、夜のバラエティー。元プロ野球選手という肩書きに頼らずとも、お茶の間から愛されるTVタレントになったんです。TV活動のかたわらで、彼は私財をなげうち、身寄りの無い子供達のための養護施設を全国に設立しました。また、過去の経験を生かして、金銭トラブルで追い詰められた人たちの人生相談を引き受けたりもしました」

僕は、近い未来におけるノリさんの、八面六臂の活躍をまざまざと思い描いた。目頭が熱くなる想いだった。私財をなげうって報われない人々に奉仕するノリさんは、まさに聖人君子であり、日本のマザーテレサではないか。僕は正直、少しだけ心配していたのだ。中日が優勝した後、またノリさんが契約金について一悶着を起こすのではないかと。9割9分は嫁が原因だとしても、社会的にバッシングを受けるのはノリさんなのだ。・・だが、未来人であるサカキ・マナミが語る所によれば、ノリさんはもう二度と金に執着したりしないようだ。天晴れノリさん。僕は感涙を禁じえなかった。

ジーンと感動に浸っている僕を不思議そうに見つめながら、サカキ・マナミは話を続けた。
「2015年の頃には、ノリ選手は全国区で知名度を誇る人物になっていました。元プロ野球選手としてではありません。TVタレントとして、また社会慈善家としてです」
「坂東英二みたいだなあ。慈善家という点は違うけど」
僕がもらした呟きに、彼女は「?」という表情をした。坂東英二を知らなかったのかも知れない。考えてみれば、実質63歳も年齢差があるのだから、話が合わなくとも仕方ない。彼女は曖昧に返事をして続ける。

「ええ、だから、2015年の総選挙で、彼の人気の本拠地ともいうべき名古屋地区で立候補した時、彼の人気に匹敵する候補者は誰もいませんでした。トップ当選したのは当然だったんです。そして当選後の彼は、単なるタレント候補とは違って、政党の派閥にも積極的に関わっていったようです。ノリ選手の人気は、彼が政治家に転身した後も衰えることなく、ノリ選手が立案にたずさわった法案や政策は、次々と実現していきました。彼がTVの前で一言二言パフォーマンスをすれば、どんな政策であっても、一般市民から拍手喝采をもって受け入れられたんです。だから、与党も野党も、ノリ選手には一目置かざるをえませんでした。2020年には、ノリ選手の政治的な才能も評価され、与党の幹事長にまで上り詰めました。これは異例のスピード出世です。次いで2023年・・」
「きみが生まれた年?」
「ええ、私が生まれたこの年、世界経済を牽引していた中国のバブルがはじけました。アメリカやヨーロッパの経済は数年前から落ち込んでいて、それと入れ替わるように中国経済だけが一人勝ちの隆盛を極めていたんです。でもそれも長くは続かなかった。グローバル化した世界では、地域的な問題が、一夜にして地球の裏側にまで波及します。2023年の中国バブル崩壊は、アジア圏の不安定化はもとより、ロシア、アメリカ、ヨーロッパまで巻き込んだ世界恐慌につながるものでした。もちろん、日本だけが蚊帳の外にいたわけではありません。日本国内でも、恐慌前夜の不穏な空気が広がっていきました・・」

僕はゴクリと唾を飲み込んだ。高校生の頃、世界史の授業で似たような話を聞いたことがある。第二次世界大戦の前夜、ウォール街での株価大暴落が発端となり、1929年の世界恐慌が始まった。いわゆる「暗黒の木曜日」。大不況に陥った各国は、自国の経済を守るためにおおわらわになった。資源の少ない国は、よその国の資源に手を出し、植民地獲得のための戦争を始めた。これが第二次世界大戦の始まりだ。果たして、2023年の未来でも同じ悪夢が繰り返されることになったのか?

「日本国内での不況対策は、はかばかしくありませんでした。なぜなら、与党も野党も、『小さな政府』をスローガンに掲げた市場原理主義が幅を利かせていたからです。市場原理に任せていればいずれ不況は収まるだろう、という甘い考えが、政治家たちを支配していました。政党おかかえの経済学者たちが吹き込んだ入れ知恵だったのかも知れませんが。ともかく、政府はただ、失業者数が増えていく統計数字を傍観するだけでした。そういう中で、低所得者層の不満は徐々につのっていき、日本全国でデモ行進が行なわれたり、地方役場の襲撃事件が頻発するようになりました」
話を聞きながら、どんどん憂鬱な気分になってきた。失業に対するデモ行進だとか、役場襲撃だとか、まるで記録映画の白黒フィルムに映る戦後史みたいだ。第一、役場を襲撃するなんて、東南アジアか南米あたりの政情不安定な国でしか起きないものだとばかり思っていた。それが近い未来、日本でも当たり前に起きるのだという。憂鬱にならずにいられようか。

「国内の治安は不安定になり、政府批判の声も高まり続けました。それを背景に2023年の11月、当時の内閣は総辞職しました。その後を引き継いで首相指名された人物・・」
「誰・・なの?」
「当時、与野党を通して唯一、『小さな政府』を批判していた政治家です。彼は、昔ながらの公共事業こそが不況を救うと、繰り返し訴えていました。彼の主張は初め、大多数の政治家や経済学者から冷笑をもって迎えられました。時代錯誤もはなはだしいと。しかし、不況がいつまでも経っても回復せず、政府への不満が高まる中で、彼の発言は一般市民からの支持を集め始めました。彼はもともと一般市民の人気を背景に与党の幹事長まで上り詰めた人物です。だから、これは当然の成り行きだったと思います。つまり、彼・・ノリ代議士が、内閣総理大臣に指名されたのは、不思議なことではなかったんです」
「ノリさんが・・総理大臣に・・!!」
僕は驚きの声を上げ、そして絶句した。

     

なんという事だろう。
僕は唖然としてしまった。二の句が継げないという奴だ。

一度は世間から見放され、嘲笑と恥辱にまみれたノリさんが、今年、日本シリーズのMVPに輝いた。これだけでも伝説と呼ぶにふさわしい快挙である。映画が一本制作できるレベルだ。しかしノリさんの人間としての器は、僕ごとき凡人の想像力をはるかに凌駕していたのだ。今から15年後の2023年11月、世界恐慌の嵐に翻弄される日本を救うべく、ノリさんは内閣総理大臣に指名される。サカキ・マナミはそう語った。これが驚かずにいられようか。ノリさんファンで良かった。僕は祝杯を上げたい気分だった。

「ノリさんが総理大臣になるなんて夢みたいだなあ。世界恐慌とか治安悪化とかは正直、不安だけど。でも、それを差し引いても、やっぱりすごい。うん。すごいなあ」
僕は喜びをかみしめ、しみじみ呟いた。
しかしサカキ・マナミは浮かない顔で頷くだけだった。
「そうね・・2023年当時、ノリ首相の誕生を誰もが祝福しました。今のあなたみたいに・・」
奥歯にモノが挟まったような言い方だった。

僕は探りを入れるように尋ねた。
「あ・・もしかして、ノリさんも結局、不況を改善できなかったとか?すぐクビになっちゃったとか?」
「いえ、ノリ首相の政策は大成功を収めました。それまで地方に委譲していた財源を、一時的に国家予算化する特別法をノリ首相の一存で決議したんです。そして、その予算によって、日本国中、いたるところで公共事業が実施されました。結果、ノリ首相の目論見どおり、内需が少しずつ回復していきました」
「へえ・・」
「最初のうちはノリ首相と対立していた他の国会議員や経済学者も、国内の株式市場が回復するにつれて、首相を礼賛するようになりました。新聞、TV、雑誌、いずれのマスコミも、ノリ首相の手腕を高く評価しましたし、内閣支持率は常に80%を越える水準で推移していきました」
「それは・・すごい・・」
「ええ。ノリ首相は経済回復を成し遂げたのち、高い支持率を背景にして、政治改革にも着手しました。税金の無駄遣いをやめるという名目で、国会議員の定数を3分の1にまで減らし、参議院を解体し、少数の議席しか持っていなかった野党も解散させました。また、国内の治安回復のために警察組織を強化し、不法滞在の外国人を厳しく取締るようになりました。自衛隊を正式な日本国軍として位置づけなおしたのもノリ首相です」

「自衛隊が軍隊として認められたんだ・・いまの日本では考えられないなあ・・」
僕は嘆息をもらした。
いまの日本では、失礼ながら、自衛隊=ちょっと専門的なボランティア団体ぐらいの扱いである。戦場へ派遣されれば、当然のように野党や平和団体から非難を受ける。正式に軍隊として認められるなんて、未来永劫ありえない気さえする。それをノリさんが変えてしまうらしい。驚きの連続である。

「よくそんなことが出来るなあ・・ノリさんすごいなあ・・」
「反対派の野党はすでに解散させられていましたし、なにより国民の圧倒的支持があったんです。ノリ首相の意思は国民の総意でした。挙国一致内閣です」
彼女の言い方には、皮肉な声色が含まれていた。
僕は彼女の次の言葉を待った。

「その後、ノリ代議士が内閣総理大臣に就任してから1年以上が経過しました。日本国内は、経済的にも政治的にも安定した期間をすごしていました。アメリカやヨーロッパではまだ世界恐慌の余波を引きずっていましたし、中国はバブル崩壊から立ち直る気配も見られない惨憺たるありさまでした。そんな中で、日本だけが安定を誇っていたんです。でもそれは・・不気味な安定でした。ノリ首相の個人的なカリスマに全て委ねられた安定。ノリ首相の一存ですべてが覆ってしまう安定です。・・やがて“その日”がやってきました。2025年5月16日・・」
彼女はここで言葉を区切った。
ぎゅっと目を閉じ、少し間をおいて続けた。
「この日を、私たちの時代では建国記念日と呼んでいます。この日を境に、日本は戦後80年にわたる民主主義政体を停止させました。代わりに、独裁国家へ生まれ変わったんです。つまり・・クーデターが起きたんです」

僕は、突然横っ面をひっぱたかれたみたいな衝撃を受けた。クーデターだって?独裁国家の成立?お気楽な平和が50年以上続くこの国で、そんな事が起きるのか?・・いや、『起きた』のだ。戦後80年目にして。彼女は、その時代からやってきた。さらに、話の流れからすれば、誰がそのクーデターに関わっているのか、誰が『独裁』政治を始めたのかは、容易に想像がつくというものだ。なんてこった。彼女が終始、暗い表情をしていたわけも、これでようやく理解できた。

「そのクーデーターは・・つまり・・」
僕が言い淀んでいると、彼女が引き取って続けた。
「ノリ首相は間もなく任期切れになる予定でした。誰かにそそのかされたのか、自身の意志によるものかは定かではないけれど、紛れも無くクーデターの首班は、彼、ノリ首相だったんです。全国の主要都市に戒厳令が敷かれ、警察と国軍が監視する中で、東京都の皇居が占拠されました。どんな遣り取りがあったのかは分かりません。おおやけには、天皇陛下の全面的な承諾のもと、平和裏に、日本の最高権力はノリ首相に委譲されました。ノリ首相は自身を日本国皇帝と名乗り、帝国評議会を招集し、独裁国家を樹立しました。この時、アメリカやヨーロッパは自国経済の建て直しに手一杯だったので日本の出来事など見てみぬふりで・・それが分かっていたらからこそ、このタイミングでクーデターを起こしたのかも知れませんが・・ノリ皇帝の権力奪取を追認したんです」

予想できていた事とはいえ、実際に彼女の口から聞いてしまうと、落胆を覚えずにはいられなかった。ノリさんは本当の意味で日本の最高権力者になってしまったのだ。司法、立法、行政の三権分立なんてどこ吹く風。唯一無二の独裁権力を手に入れた。キレイなノリさん、さようなら。銭ゲバってレベルじゃねーぞ。

彼女は懐から一枚の写真を取り出した。ポストカードのようだった。僕はそれを手渡され、何の気なしに見てギョッとした。そこには、逞しいヒゲをたくわえ、黒のモーニングコートを羽織ったノリさんが描かれていた。西洋絵画風のポートレイトだ。ヒゲの生え方が岡田真澄に似ている。別な言い方をすれば、旧ソ連の某独裁者に似ている。
「帝国の国民には、年頭にこのポストカードが配布されるんです」
「・・年賀状?」
「一枚500円です」
「お金とるんだ・・」
「国家の最高権力者が誰なのか頭に焼き付けておけ、という事でしょうね」
彼女は苦々しい口調だった。

僕はぶっちゃけ、こういうグッズもアリなんじゃないかと思ったりした。プロ野球チップスについてくる写真のバリエーションみたいだ。日本国皇帝の肖像画だとはとても思えない。自分の不謹慎をちょっと反省した。

「実際のところ、国民はこのクーデターにそれほど関心がありませんでした。しばらくは戒厳令が敷かれたものの、日常生活に変化はおきなかったですから。ただ、権力者が変わり、国家の運営方法が変わっただけのことで、一般国民は相変わらず企業で働き、休日には恋人とデートし、家族でレジャーに出かけるだけです」

それならきっと、僕みたいな男は相変わらず企業で窓際に座り続け、休日には家に引きこもり、家族から疎んじらてネットカフェでマンガを読みふけったりしているのだろう。クーデターなんて所詮、権力の周辺に生きる人間たちのお祭ごとだ。僕は妙に寂しい気持で納得してしまった。

「じゃあ、実際問題、そんな大した事でもなかったんだ」
「・・政治に関心のない一般国民にとっては、です。ひとたびエンペラー・ノリを批判した者、帝国の存立に疑問を投げかけた者、あるいは帝国評議会が危険分子と見なした人物は、人目につかない場所で容赦なく逮捕されて行きます。その実行部隊が、帝国評議会直属の組織である、秘密警察です」

話がようやくつながった気がした。彼女の父親は秘密警察に逮捕され、監禁されている。
それはつまり、彼女の父親が『帝国評議会』なるものから危険分子と見なされたということだろう。その理由は恐らく、彼女の父親が重力制御装置や時間制御装置を生み出すほどの天才科学者であることと関係があるに違いない。

僕は話の続きを尋ねるべく、身を乗り出した。
「それで・・」
僕のセリフをかき消すように、ピーピーピーという問答無用の電子音が3回鳴った。僕とサカキ・マナミは同時に台所を振り返った。電子炊飯器から湯気が立ち上り、保温ランプが点灯していた。早炊きモードでちょうど30分、ご飯が炊きあがったのだった。

サカキ・マナミは、先ほどまでの沈んだ表情とは打って変わって、よく晴れた空のように微笑んだ。
「ご飯、食べましょ?続きはあとで・・」
「あ・・うん」
僕は彼女の笑顔につられて頷いた。「続きはあとで」という口調が妙になまめかしくて、何の続きかなあ、などとワクワクしてしまったのは、内緒だ。

       

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