Neetel Inside 文芸新都
表紙

シヴァリー
参『開放』

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 神が消え去るのを待たず、既に二人は動き始めていた。
 バジレオは腰に吊るした魔洞を構え、シヴァリーは己の得物――貧弱にさえ見える、少し反っ
た細身の片刃剣――を鞘から抜かずに構える。
 しかし、動き始めが同じであったのにもかかわらず、シヴァリーが構え終えたときには既に、
バジレオの魔洞が火を噴いていた。
「……っ!」
 ひどく乱暴な音が響き、礫が目視しえぬ速度で迫る。それは音速を超えた偉大なる力を持っ
てシヴァリーを破壊せんと唸る。

 会心の速度だった。こと先手を取ると言う事において、バジレオは誰にも負けないという自
負がある。生前も、ここに来てからも、その一つの絶大な才能で幾人もの相手を葬って来たし、
今回も同じであろうと思っていた。礫は反応できなかったシヴァリーの眉間を貫き、彼は勝利
を得ると。
 だが、バジレオの礫が届く頃、既に彼の体は最初より少しだけ横にズレていた。必殺を期し
た礫の仕事は、彼の少し横を通り過ぎるだけに留まる。
 シヴァリーの、その特殊な動きがあまりに僅かだった所為で、バジレオは彼が動いたなどと
は思えなかった。
 相対するバジレオ本人でさえそうであったのだから、観客には彼が見当違いの方向に魔洞を
発射したとしか思えなかっただろう。
 舞い上がった砂だけが、シヴァリーの移動を正しく表していた。
「……!」
「ふっ!」
 渾身の一撃を外し、しばし虚脱しているバジレオが我を取り戻すのと、シヴァリーが再び動
き始めるのとは、全く同時だった。
 コマ送りのように、同じ姿勢のまま右へ左へ動きながら距離を詰めるシヴァリー。
 それを追って連射するバジレオ。
 しかしその悉くが外れ、地面の砂を舞い上がらせるだけ。ゆらり、ゆらりとジグザグに動く
シヴァリーを、バジレオは一向に捕らえられない。
 バジレオには、こんな動きをする人間を、いや生物を、相手にした経験がなかった。文字通
り体ごとズレるのだ。どちらに動くのか、その気配すら見せないこの移動は、相手の移動先を
読んで照準するという彼の基本戦術をまるで意味の無いものにする。
 自分の使うこの銃が魔法だと言うならば、彼の今行っている移動も魔法としか思えない。
「くそ! この化けもんが……」
 近づく敵影を目視するたびに、バジレオの顔が歪み、冷たい汗が背中を伝った。相手に気圧
されて焦ると言うのはすなわち負けで、そしてそれが解らぬ程彼は馬鹿ではなかったが、獲っ
たと思った初撃を外され、しかも見たこともない移動法を見せられたことで、彼は幾分冷静さ
を欠き始めていたのだった。

 一方のシヴァリーは、心中でほくそ笑んでいた。その代わり、針のように尖らせていた集中
力の所為で、体には幾筋も冷たい流れがある。
 彼の中での勝負は、昇降機が上がりきった時点で始まっていた。バジレオの、構えから発射
に至るまでの速度はすさまじく、それに反応するのは至難の業である。
 しかし裏を返せばそれだけで、初撃さえ外してしまえば弓矢を使う敵と同じく、武器の軌跡
は直線的であるから、こちらが動き続ける限り当たることなどあり得ない。
 闘士には、ヴァルハラで行われる全試合を観戦する権利がある。シヴァリーは、その機会に
彼の戦法を一度だけ見たことがあり、そのただ一度で、バジレオの欠点を見抜いていた。
 故に彼の集中力は、全てバジレオの初撃を外すことに賭けていたのだ。そしてそれが成った
今、彼に負ける要素などどこにもない。

 対してバジレオは、シヴァリーの試合を見たことがなかった。観戦する権利はあるものの、
それは、その日に自分が出た試合以降のモノに限られる。不幸なことにバジレオは、今までの
全試合中、彼の前に戦ったことがなかった。
 ならば特異な動きに思考は絡め獲られ、冷静な射撃なぞ出来ない。近づく脅威に、伝う汗は
氷点下である。指がかじかまないのが不思議なほどだ。それでも引いた引き金で、こうして望
まぬ砂だけを狙い撃っている。
「畜生! 何だよその動き!?」
 相手の試合の観戦有無。彼らのような達人達にとって、それはひどく些細な差異だ。紙一重
ででもまだ足りない。湯葉よりも薄く、綿菓子のように軽い差異だ。しかしその紙一重の差は
今、死神の鎌となって彼を追い詰めている――

 そうしている間に距離は最初の半分、五間。もう既に、彼のみが自由に出来る間合いではな
くなっていた。
 迫る死神を無視して撃つ。しかしシヴァリーは既に移動している。砂が跳ねた。場所は半瞬
前より前方左。それで弾が切れたが、詰め替えている時間などあるはずが無い。距離は三間ま
で縮まっている。持っていた魔洞を捨てた。二間。すでにここは刀剣の距離。シヴァリーの体
が深く沈んだ。バジレオの手も、腰に伸びた。互いが互いに仕掛ける一瞬。

 世界が止まったような空間を、バジレオの捨てた銃だけが回転している。
一回。
二回。
三回。
四――
 どさり。

 シヴァリーの移動と、バジレオの抜き打ちは同時だった。迅雷で抜いた魔洞から、魔速で走
る礫。シヴァリーは加速の最中。軌跡上にシヴァリーの姿。礫が眉間を突き抜ける。
 しかしシヴァリーは、そこに無い。突き抜けた姿は残像。開いた穴から血を流すことなく、
空気に溶ける。
「もらった!」
 替わりに抜き打ちの瞬間右にそれていたシヴァリーが、必殺の間合いで叫んでいた。
 今まで一度も抜かなかった白刃が、鞘を走る。加速する『断』の意思を乗せて、瞬間をかける。
 それは理想的な弧を描いてあやまたず、バジレオの首に、迫った。


 ――勝利を確信した、渾身の一撃の気配が、肌を灼くのを感じる。先程まで氷点下だった背
中は、それを受けて絶対零度にあわ立った。死を直感した体が上げる、あまりに素直すぎる悲
鳴。しかし、その感覚が逆に、バジレオを冷静にさせた。
 いつでもそうだった。ここ一番で、彼は必ず冷静になれた。熱く、冷えた死の直感。それは
いつも彼とともにあった。そして、その死神の鎌を乗り越えた時こそ勝利があるのだと、彼は
いつの間にか知っていた。知っていたからこそ、勝てていた。
 ……だが、それはあまりに遅い覚醒ではなかったか。バジレオの右手は、未だシヴァリーが
先程までいた方向に筒の先を向けている。これを彼に向けるにはあまりに遅く、そしてそれに
比べて彼の一撃はあまりに速いだろう。
だと言うのに彼は――
「ようやく、普通に動きやがった」
 口の中で呟いて――いや、そんな暇などなかったから、きっとそれは思考の閃きだったのだ
ろうが――この絶望的状況の中、楽しげに嗤った。

 剣が刀身を完全に見せた辺りで、シヴァリーは言いようのない悪寒を感じた。
 敵が見せる全てを凌駕し、己はこうして王を詰んだ。だと言うのに何故――
 答えは単純明快で、それが頭に閃いたのと、バジレオが嗤ったのと、彼の魔洞を持った右手
の脇から、シヴァリーに向かって覗いていた左手に、新しい魔洞が『出現』したのとは、一体
どれが速かったのであろうか。
 ――そう、シヴァリーが凌駕したと思っていたのは全てでなく、バジレオが持つ技には今一
つの余裕があったのだ。簡単なことだった。至極簡単な論理――否や、論とすら言えない明快
な摂理。それしてそれは、彼の勝利を、完膚なきまでに砕く。
 完全なるタイミングで射出される礫が、心の臓を目掛けて飛ぶ。
攻撃姿勢に入っているシヴァリーに、それを避けられるはずが無かった。
 
 どうん、と言う相変わらず腹に響く魔洞の音は、シヴァリーが吹き飛び、地面を転がり、ま
たしても円の対極に、二人の体が離れた後に響いた気がした。
 残響が、コロッセオを支配する。それほどまでに、観客はこのスピードに見せられており、
誰一人として声を発するものなどいなかった。
 そして音が止んだ後には、右の腋の下から左手を出す格好で、二つの魔洞を構えたままのバ
ジレオと、

 衣服の腿の辺りを血で滲ませながらも、最初と変わらぬ構えを取るシヴァリーが残った。

       

表紙

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