再び俺が紅茶を全員分入れ終えると、兄が足を組んだ恰好でうやうやしく言った。
「さて。琴美ちゃんも来て全員揃った事だ、紹介といこうか。ほれ、麦、お前の為に言ってんだぜ。俺達3人はとっくに顔合わせ済んでんだよ。お前だけだから、オラ」
何がお前だけだから、だ。何様なんだ。お兄様か。
「…塩川麦…弟です」
頭の中で悪態をつくが、やはり逆らえずに素直に答える。
それより…2人とも知ってるだろ俺の名前。さっき呼んでたし。
何か意味あるのかこれ?
「頭の悪いサルでクズみてーな奴だけど鳴子、琴美ちゃん。二人とも頼むよ。あ、麦は家事全般やるから全部押し付けろ」
「はあああああああ?」
何言ってるだこやつ?
押し付けろとか聴こえたが…。空耳か?
俺は破顔して思い切り分かりやすく不満をもらすが、鳴子さんは変わらぬ笑顔で手と手をあわせ嬉しそうに言った。
「まあ、助かるわ!私お料理とか苦手なのよね。稲くん稲くん、麦くんのご飯っておいしい?」
「まあまあか、クズにしては」
兄貴が道端のゴミとばかりに俺を一瞥する。お前は俺に一瞥するのが習慣だとか思っているんだろうか。その認識は間違っているぞ。
「クズクズいうな!で…、ってかマジで作るの?4人分も」
毎日…作るというのか?
兄貴、忘れてるんじゃないだろうな、俺これでも受験生だぞ。
「麦くん麦くん。私オムライスが好きなの、よろしくね」
「はあ…、そですか」
とりあえず曖昧に答えておくが、俺は承諾してないですよ!
そんな可愛くおねだりしても俺は…俺は…。
最強の笑顔に俺がたじろいでいると、兄がにやついて鳴子さんに話かけた。
「鳴子は趣味が子供っぽいよな」
「稲くんはお酒ばっかり飲んでつまんないよ」
雑談をし始める二人。
初めは良く分からない組み合わせだと思ったが、その様子を見ていると、なんだ、中々いいカップルかもしれないな、と思った。雰囲気がいい感じだ。しかし兄貴にこんなおっとりした人がねえ。世の中は不思議なものだ。
俺が妙な感心をしていると、鳴子さんがアッと小さく叫んだ。ぼんやり静止したまま動かない琴美さんに急に気付いたらしい。またぱあっと華やかな笑顔で俺に話を振った。
「そうそう!この子は私の娘なの。可愛いでしょう?」
「…ええ?…まあ」
どう返していいか分からずもごもごと俺が曖昧に言うと、隣の琴美さんがぼそり、
「これは…フラグ…」などと発言した。
こ…こいつ…。
やばい。もしかしてVIPEERなんてこともありえるぞ。このオタクぶりは。じわりと俺の背中に汗が滲む。いやだぞそんなの。そんな美少女いや。
「麦くんの一つ上の16歳なの。お姉さんね。仲良くしてあげて?」
「は…あ、はい」
「テメー。なんだそのはっきりしない口のきき方は」
「え…ああ…。…分かりました」
急すぎるんだよ。何もかも。訳が分からない。
そんなことは彼女達の前では言えないので黙っておくが、ちょっと許容範囲越えるかも知らない。
俺が不満たらたらなのが兄貴にも分かったんだろう。溜息をついて言った。
「鳴子はマジで壊滅的に家事出来ないんだよ。亡くなった夫の――奏(かなで)さんがやってたから」
「そ、…そうだったんですか…」
亡くなっていたのか…。
うちの両親のように離婚か何かかと思っていた。そうか、ということは…琴美さんは親父さんがいないんだな。そう思うと、別れて離れ離れになってはいるが、健在で元気であるうちの両親が尊く思えた。
「ま、鳴子の仕事がこもりきりの漫画家っていうせいでもあるんだけどな」
「えええっ…?!」
漫画家っすか!!
俺の中のオタク魂が暴れ出す。どんな漫画描くんだろう??
訊こうか迷ってもじもじしていた所、兄がそんな俺を悠然とシカトして飲んでいた紅茶をガチリとテーブルに置いた。
「いいか。これからはこの四人で家族だ。俺と鳴子はまだ正式に夫婦じゃないし、俺と琴美ちゃんは親子になる予定だが血はつながってないし、歳も10しか違わない。だが家族だ」
色々あると思うが、適当に力あわせて、楽しくやろうぜ。
そういい終わるやいなや、汗臭いんで風呂に入ってくる、などと言って兄はリビングから出て行ってしまった。
――兄貴らしい横暴な言葉だが、俺は何だかじいんとしてしまった。
5年前の10歳の、泣いてばかりの頃の俺が頭によぎる。親父と母さんの仲に子供の俺には分からないいざこざがあったらしく、ついに母さんが出て行ってしまった時は「置いてかれた」などと思ったものだ。それからは親父も金を稼ぎに地方へ出て、兄貴も仕事で家にいる事も少なくて…あの頃から、俺は今まで一人で家にいる事が多かった。
正直、寂しかった。寂しくてはじめは泣いてばかりいたくらいだ。勿論、一人で泣いていても状況が変わらなかったのでいつの間にやらやめていた。
飽きたか慣れたと思っていたが、やはり寂しいのはずっと変わらず。
もしかしたら今もかも、しれないな。
過度の期待は裏切られる―。
母さんが出て行くわけなんかない、と思ってたように。俺には優しくしてくれた両親、壊れるような関係じゃなかったはずなのに。そう思っていたのは俺だけだった。
家族と言う言葉にほだされて、過度に期待はしてはいけない。
けれど。今度は…家族が増えたのだ。減ったのではなく。
もしかしたら、煩わしいことも増えるのかもしれないけれど。
自然に少しだけ笑顔になり、二人の美女に「よろしくお願いします」と心の中で思う。
とりあえず、やれるだけの事はやろう。家事も何もかも。
そう俺が健気に心に誓っていると、隣から視線を感じた。
無表情変人少女だ。
「な、何か?」
何やらじっと俺を見つめている。
俺に惚れた…?などと勘違いしてみるが。多分違うだろう。
「私の好物は…辛いものです」
――そうですか。