Neetel Inside 文芸新都
表紙

明けない夜は無い
story1[As for the genius, the limited effort is infinite]

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 努力は必ず報われる。そう信じてやってきた筈だった。
「マッチトゥ長石、3-0」
 必ずいつか、僕だってやれるんだと、信じていた。
「この半年間、まるで駄目じゃん。止めた方が良いんじゃない?」
 でも、現実はまったく違っていて…。
 とても、苦しくて、虚しくて、情けなくて。
 結局夢なんて掴める事が無くて、二年間の努力はあっという間に天才に抜かれて…。
 
――僕はその日、報われることの無い現実に絶望した。

   story[1]→①"As for the genius, the limited effort is infinite”

 まだ夏の暑さの抜けていない九月。学生にとって楽園ともいえる『夏休み』が終焉を迎える月。新しい学期の始まりを意味する校長の恐ろしく長い演説、じりじりと照りつける太陽は三十分超を棒立ちで過ごす学生にとって、地獄に他ならなかった。
「転校生? 九月に?」
 黒い短髪の少年、山岸司は目の前の長髪の少年、柚峰幸人に言葉を返す。やはり夏休み中に宿題は終えておくべきだったか、と鞄の中に詰め込まれた白紙の宿題達に目が行き、どうしても柚峰の言葉に気持ちがいかない。
「男の子らしいんだけど、母親が重病で、療養の為に引っ越してきたらしいよ」
「へぇ…。で、それを俺に言ったのには意味が?」
 柚峰はくりんとした瞳を輝かせ、山岸に顔を寄せる。
「その子さ、前の学校で卓球部だったらしいよ」
 おお、と思わず山岸は声をあげる。瞬間、周囲で列を成して並ぶ生徒、ご機嫌に大体同じ内容の演説を繰り返す校長、その他諸々が山岸に視線を向ける。まさに八方塞がりであった。
「あぁ、えぇと。すみませんでした…」
 校長がとてつもなく嫌味な目を向けていたが、その一言に満足したのか、やがて長い演説を再び始めた。
「…じゃあ、遂に…なるのか?」
 柚峰の頭が、縦に振られる。
「なるね。同好会から部に昇格だよ」
「よっしゃぁ!」
 高らかに挙げられた拳は、校長の怒りのツボを性格に打ち抜いた。
 山岸の表情が一瞬にして曇る。


 職員室に足を踏み入れた途端、耳を劈くような説教が耳に入ってきた。
「君はいつまで小学生気分でいるつもり!? いい加減礼儀を覚えなさい!」
 茶毛交じりの癖ッ毛を嫌そうに見つめながら、入り口で目当ての教師の説教が終わるのをひたすら待つ。
――何やらかしたんだ? アイツ…。
 肩提げの中に忍ばせておいた文庫本を手にとり、耳にくる高音の説教を横目にしおりの挟まれていたページを開く。少女と少年の病院での物語。じんわりとくる暖かさがこの上なく好きだった。
「…って、あら、神代君来てたの?」
 神代は面倒臭そうにしおりを本に挟み、説教を中断し、声をかけてきた教師、柳涼子に一礼する。柳は満足そうな顔をしつつ頭を撫で、たっぷり絞られていた彼に「こういうのがオトナの礼儀よ」等と言っている。正直なところ、そう言いつつも頭を撫でて褒めちぎる時点で彼女は自分を子供扱いしているのではないか。と口に出して言うことはないが、さりげないつっこみを心の中で入れておくことにした。
 大分やんちゃそうな少年はむっとした表情をこちらに向け、そしてスッと職員室を出て行ってしまった。追わなくてもいいのか、と疑問に思ったが説教をしていた張本人が書類やら何やらに集中している為か、彼に気づくことがない。
「神代唯君、でいいのね? 女の子みたいな名前ね」
「はあ…。まぁ親もそれなりに意味を持って付けたんだと思います」
「まぁその通りね、君シャキっとしていて良いね。礼儀正しい子、好きよ」
 柳の言葉にはぁ、という言葉しか出ない。自分より十も、下手したら二十も上かもしれない女性に言われる言葉の何処に妖艶さがあるのだろうか。旧居の時の中学では、周囲が「年上はやっぱすげぇ」とか言いまくっていたが、正直その雰囲気についていけない。
「別に、好かれたいからしてるわけじゃないんで。じゃあ、書類貰っていきます」
 たとえ教師にどう思われようとも、たった三年の付き合いだ。クラスメイトとは違う。神代はぶっきらぼうに返事を返し、書類をひったくるとさっさと職員室を出て、教室へ向かう。正直、まだ校内を把握したわけではないが、案内図を片手に二日も歩けば大体使い勝手とかも分かるだろう。
 そんなことをぼんやりと考えながら、窓から空を見上げてみた。向こうとは違う。とてつもなく青く澄んだ空だ。
「綺麗なもんだなぁ…」
 一面に水色を溢した世界にぽふんと載せられた灰色混じりの雲、窓を開ければ心地よい空気が喉を通っていく。校舎の周囲は森で覆われ、まだ蝉が活き活きとした声で高らかに唄う。
「あっちじゃあ体験できないことだらけだ」
 サッシに手を置き、すっと目を瞑る。暗闇の中で、記憶されてきた映像が映写機のように頭の中を駆け巡っていく。
――何でお前、上手くならないの?
――才能ないだろ。止めた方が身のためだって。
 目を開く。気が付けばサッシに置いた手が握りこぶしを作っていた。胸の奥で有刺鉄線のような何かが心を締め付けているのを感じた。
「逃げてきたんだ…。俺は結局腰抜けだな」
 神代の目が、寂しげに潤む。
 歪んだ景色が、神代を包み込んでいた。


「くっそぉ…柳の奴…」
「結局、絞られたんだ…。」
 ざわつく教室であはは、と柚峰が乾いた笑いを山岸に向ける。同情というより、嘲笑に近い笑いだ。
「笑うなよ…」
「で、転校生いた?」
 山岸は頷いた。柚峰の瞳がまた潤んだ輝きを見せる。
「背は、中学生にしちゃあ割と高いかな。大体140位で、モロ癖ッ毛だった。都会で育ちましたオーラ全開だったぜ」
「ようするにイケ面?」
「さぁ、俺はパッとしない奴に思えた」
 ぶっきらぼうな答えに、柚峰はにやりと口の端を吊り上げる。
「じゃあイケ面だ。司のパッとしないって言葉は大体そうだもん」
「なんか複雑な心境だ…」
 会話を続けていると、がらりと黒板側の扉が開き、猫背の暗そうな教師―佐田―と転校生が姿を現す。生徒達は一瞬で黙り、じぃっと転校生を凝視する。凝視されている方はされている方で、はぁと一息ため息を吐いてそっぽを向いた。
「席につけぇお前ら。今日は連絡が腐るほどあるんだからな」
 雰囲気とは裏腹にドスの利いた低い声が周囲に響き渡る。
「じゃあまた」
 柚峰はそう言うと自らの席へ戻っていった。
「えぇと…とりあえずだな…。まずこの転校生の自己紹介をだな…」
「面倒なんで、名前だけで良いですか?」
 転校生のぶっきらぼうな答え方に周囲がざわつく。そして一つの思考が生徒達の中に生まれた。
――とっつきづらそう。
 勿論その考えは山岸と柚峰の頭の中にも浮かぶ。
「そ、そうか? じゃあよろしく頼む」
 転校生は小さく頷くと、黒板に白いチョークを押し当て、カツカツと小気味良い音を響かせる。
 生徒達はずっと黙っていた。彼の重苦しい雰囲気に空気を完全に持っていかれたのだ。ここで声を放てば周囲から浮いて見えるだろう。
「かみ…しろ…ゆい?」
 山岸がボソリと呟く。
「かじろゆいです。どうぞ、よろしくお願いします」
 転校生、神代の礼と共に、周囲から山岸の呟きに対して笑いが沸く。盛大にではなくくすりという遠慮がちの笑いである為、山岸の顔は一層赤くなった。
「神代君は筒木中から転校してきた子だ。まだこの周辺の勝手も分からないだろうし、色々と世話を見てやってくれ」
 佐田はそう言うと、適当なプリントを全席に配布し、早々に教室を出て行く。神代は黙ったまま、空席に腰掛、頬杖をついてぼぅっとしていた。声をかける存在は誰一人としていない。
 不意に山岸が席を立ち、神代の前にどんと立つ。面倒臭そうに何? という表情を見せ、神代は冷めた目で山岸を見つめる。
「お前さ、筒木中から来たんだってな」
「半年いただけだ」
 ズダンッ。
 山岸の両手が、神代の机に振り下ろされた。
「あそこって確か、卓球に力入れてる中学だよな!? って事はさ、お前もしかして卓き…」
「入ってない」
「え、あ…そう…」
「面倒臭いから話しかけてくるな。馴れ馴れしい奴大っ嫌いなんだよ」
 神代の言葉の槍が山岸の胸を抉るように抜けていく。あぁ、そうか分かった。とその言葉のあまりの破壊力に、山岸は寂しそうに自分の席へ戻っていく。
「でもさ、その鞄に入ってるの、ケースだよね?」
 柚峰がポツリと呟き、神代の鞄を了承もなしにバカリと開く。あ、馬鹿と神代は急いで止めに入ろうとするが、時は既に遅く、柚峰はバタフライのロゴの入ったケースを取り出す。
「やっぱり」
「いいから俺に関わるなって言ってんだろ!」
 柚峰の手からラケットケースを引ったくり、鞄に押し込むと、乱暴に扉を開け、神代は出て行ってしまった。
「…不器用な奴…」
 柚峰はぶすっとした表情でそう呟いた。

「なぁ、あんたさ、卓球やってたんだろ?」
 橙の光が照らす頃、下校の挨拶を終え、一斉に教室を出て行く人々の中、山岸が神代の肩を強引に掴み、声をかける。
「うるさいな…」
「うちの同好会に入ってくれよ」
「…卓球部、あるのか?」
 微妙なところに食いつく奴だな、と思いつつも山岸は深く頷く。
「俺と柚峰と、あと二人誘って作ったんだ。あと一人入れば部に昇格して、部費とか練習場所とか確保できるんだよ」
「あぁ、俺パス」
「なんで!? ガッコーにラケット持ってきてるのに…」
 ガッチリと掴む山岸の腕を強引に振り払い、鞄からケースを取り出すと、山岸の目の前でヒラヒラと扇いでみせる。
「これは単なる趣味。俺はこの中学に卓球部が無いって聞いたからわざわざ転校したの」
「…なんだよ、それ」
「部活なんて面倒なモンやってられるかよ。だったら趣味でどっかでパコパコ打ってた方がマシ。そろそろ良い?」
 振り払われた手を硬く握り締めながら、山岸は神代を見つめる。
 神代は即座に目を逸らす。
「そういうことだから。俺この学校で楽しくやろうとか考えてないし、二度と話しかけてくんなよ?」
 神代は一言そう言うと、踵を返して玄関口へと消えていった。
「司、今日は練習できないってさ。バスケ部が全体使っててどこも開いてない」
 小型の団扇を扇ぎ、肌の透けて見える薄いワイシャツをズボンから出した柚峰がやってきた。
「そうか、今日は練習できない…か…」
 山岸の残念そうな声を耳にし、柚峰はふふんと笑い、山岸の肩に手を回した。
「じゃあ今日は二人で駄菓子屋の台借りて打ちますか!」
「あぁ、そうだな…」
 柚峰の満面の笑みを見つめながらも、山岸は神代の少し寂しげな後姿を思い浮かべていた。 



「おやおや、今日もかい? 司ちゃんに幸ちゃん」
「その言い方やめてよ。どっちも女の名前に聞こえるから」
「私にとっちゃあんたらはいつまでも司ちゃんに幸ちゃんだよ」
 皺の刻まれた、それでも実年齢よりかは確実に若く見える婆ちゃん(通称タババ)の言葉に笑みを浮かべながら、駄菓子の並ぶ部屋の奥の広い空間に足を踏み込む。
 五台置かれた卓球台は既に埋まっており、小学生のチビっ子が楽しそうに救い上げに近いラリーをしたり、ネットを用意して一人サーブの練習をしている者、お札を相手に渡しているところを見ると、賭けをして卓球をやっている者等色々といるようである。
「あちゃぁ、今日埋まってる?」
 柚峰が出しかけたケースをもう一度鞄に押し込む。
「あんま見ない子が一人練習しているから、どうせならその子と打ってもらえる?」
「別に良いよ。打つ相手いればそれなりに面白いし」
「まあタババの言ったことに嫌だとは言えないしね」
 山岸と柚峰はケースからそれぞれラケットと玉を数球手にし、学校から持って帰ってきたシューズを履いてその少年とやらの下へと行く。
 が…。
「って、あれ?」
 山岸がまず気づく。
「えっと…」
 柚峰が訝しげにその少年を見つめる。
 癖ッ毛、端正な、そして妙に尖った眼差し、割と高い背。
 ネットに向かってひたすら玉を打ち続ける神代の姿が、そこにあった。
「神代!! …君」
「…」
 神代がこちらに気づき、困ったような、面倒臭いような、ぎこちない表情をこちらに向ける。既に額とシャツは汗でべっとりと濡れ、息が荒い。どれだけの練習をこなせばそうなるのか、山岸はとてつもなく気になった。
「タババが新しい子だから一緒に打ってあげてってさ。丁度良いし、打ってよ」
「練習している方がマシ過ぎるっての。ってか、タババ?」
「卓球婆、略してタババ」
 柚峰の真面目な返事に、神代が思わず噴き出した。
「無理があり過ぎるだろそれ!」
「誰がつけたのかも分からないし、今じゃ自分で名乗ってるし」
「変な婆さんもいるもんだ」
 神代が思わず表に出てしまった笑顔を引っ込め、ゴホンと一度堰を混ぜた。
「ここ、使えよ。俺そろそろ帰るから」
「別にそんな事…」
「他人と打つの。好きじゃないんだ」
 神代の言葉に、山岸は首を傾げる。
「人と打つから楽しいんだろ? 卓球って」
「色々あんだよ」
 神代は山岸に鋭く返答すると、ケースにラケットをしまい込み、じゃあな、と手を振りながら出て行った。
「なんだよあいつ。変なの」
「マジで、なんで人と打たないんだろう…」
 小さな疑問が、山岸の中で乱反射し、小さな混乱を引き起こしていた。

       

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Neetsha