Neetel Inside 文芸新都
表紙

妄想ハニー
与党編-01【デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ】

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中学生になったばかりの頃。
小学校の時分から吹奏楽に手を染めていたアキラは、当然のように吹奏楽部への入部を決めた。
パートはもちろん、アコースティック・ドラムだった。
変わった事と言えば、小学校の頃は子供用のアコースティック・ドラムだったのが、中学に上がると普通の大人用のアコースティック・ドラムに変わった事ぐらいか。
吹奏楽部のドラムは、指揮者と同じだ。
とにかく正確に正確を重ねたビートが要求される。
構成を間違えるなんてもっての他だ。
とにかく、理路整然と、理路整然と務める事が至上課題なのだ。
それ故、肩に圧し掛かる重圧はロック・バンドのドラムの比ではない。
基本のルーディメンツとシンコペーションを繰り返し、毎日メトロノームとにらめっこ。
しかし、それ故、ドラマーとしての基礎はしっかりと身に付く。
より高度なテクニックを身につけるには、確たる土台が必要不可欠だ。
アキラは、後々へのロック・ドラミングへの先行投資として、そうした基礎練習に余念がなかった。
アキラは音楽の趣味的には早熟で、小学校の終わりには洋楽を聴き始めていた。
父親が昔フォークソングをやっていた名残で、家に洋楽のCDが大量に置いてあったせいだ。
そうしている内に、いつからか自分もバンドをやりたいと思うようになっていった。
さすがにまだ中学では周囲にギターやベースなんかの弦楽器をやってる者は少ない。
いつかはバンドをやる事を夢見ながら、アキラはひっそりとドラムの研鑽を積もうと思っていた。

そんなある日、アキラの秘密が、周囲にバレた。

異物と断じた者を排除するのに、抵抗を抱かない年頃の子供達である。
異端者への、迫害と差別。
アキラはすぐさまイジメの対象となり、その秘密と相まって奇異の目で見られた。
それは教師とて同じだった。
イジメの問題にどう対処するかも、教師にとっては周囲の評価の対象となる。
しかし、中学生ともなると、いくら周りに注意を促したところで暖簾に腕押しなのが現状だ。
彼らはまだ社会性も倫理観も未成熟で、楽しければ道徳的な理屈などどうでもいいのだ。
結果、教師もまた事を荒立てぬよう、腫れ物に触るようにアキラに接するようになっていった。
そういった環境に置かれる事で、徐々にアキラは内向的になり、対人関係を疎むようになっていった。
吹奏楽部の中でも、それは同じだった。
彼らがアキラの秘密について知っていたかは定かではないが、内向的になったアキラの評判は芳しくなかった。
悪評判は同学年の中からじわじわと拡がって行き、気づいたら誰もアキラをドラムに推す者はいなくなっていた。
練習中も、誰もアキラの事を見ない。
ただ、ドラムの音をリズムマシーンの代わりに聴いているだけなのだ。
ドラマーとして、考え得る最大の屈辱。
いつからかアキラの楽しみは、全体練習が終わった後で一人でドラムを叩く事だけになっていた。
いつの日か、ライブハウスで自分の音を響かせるのを夢想しながら。
今のアキラの課題曲は、『スモーク・オン・ザ・ウォーター』だった。
アメリカのハードロック・バンド、『ディープ・パープル』のミドルテンポ・ナンバーで、ロック・バンドの曲としても、吹奏楽の曲としても定番の曲目になっている。
ドラムのフレーズは難解なものの、あらゆるルーディメンツの要素が詰まっているので、ドラマーの試金石としてはうってつけの一曲だ。
ドラムを覚えて三年目のアキラでも、少々手こずる相手だった。
ただでさえやり辛い16ビートに、六連符やダブル・ストロークを使ったオカズが混じる。
しかし、自分を嘲弄している部の同輩達に、ドラムの事でまで馬鹿にされるのは我慢がならなかった。
どうせ出来ないと奴らがタカを括っているのなら、完璧にして見返してやる。
俺のドラムを、お前達が無視できない様にしてやる。
アキラは、そう野心を秘めながら、誰もいない音楽室で一人ドラムを叩き続けていた。

どの位時間が経ったのか。
その日はよく空気が乾いていて、音の鳴りが良かったせいかもしれない。
アキラは我を忘れて、学校の消灯時間過ぎまでドラムを叩いてしまった。
曲の中に意識をやっているその最中、がちゃりと音楽室の扉が開くのに、アキラは気づかなかった。
アキラは夢中で『スモーク・オン・ザ・ウォーター』を叩き続ける。
一番と二番を力技で潜り抜け、アクセント・ストロークを使ったドラム・ソロ。
いつもアキラが失敗するところだ。
アクセント・ストロークはやろうと思えば誰でも出来るが、綺麗にやるのは極めて難しい。
そのテクニックには、ドラマーの練度が如実に表れるからだ。
アクセント・ストロークの腕が、そのドラマーの格を決めるとまで言われてる程だ。
振り幅の違うショットでテンポをキープするというのは、傍から見る以上に難しい。
そういう意味で、アキラのアクセント・ストロークはまだまだ荒削りもいいとこの腕だった。
案の定、十六分音符から六連符の連打に切り替わる所でつまづいた。
その時、ようやくアキラは、音楽室の入り口に人が立っているのに気がついた。
坊主頭に、中学生らしかぬ巨躯。
汗臭い身体。
肩には、運動部らしい大荷物のショルダーバッグが袈裟に掛けられてる。
中学の名前が入ったキャップをかぶっているので、おそらく野球部だろう。
確か、こいつは隣のクラスの榎本とかいう奴だ。
体育祭の時に、人並み外れた身体能力でやたら目立っていた覚えがある。
時計を見ると、時刻はもう八時を回っている。
部活の時間は、長くても七時までのはずだ。
何故、こんな時間に校舎に残っているのか。

「おぉ、お前、ドラム上手ぇなぁ。 ビビったぜ、今の」
多分、今のソロの連打の事だろう。
六連符というのは、ドラムをやっていない人間からしたら上手く聴こえるらしい。
「何で、こんな時間に学校に? もう部活動は終わってる時間だろ?」
アキラは、榎本の賛辞を無視して、問いかけた。
知らない人間に好意的になれる程の、心の余裕が無かったのだ。
「ああ。 野球部の居残り練習してて、終わって帰る時間になっても音楽室の明かりが点いてたからさ。 無用心だから、様子見て来いって監督に言われたんだよ。 そしたら、お前のドラムの音が聴こえたって訳だ」
「そういえばもうこんな時間だったな。 悪い、すぐに片付けて帰るよ」
「何だ、お前、バンドマンか? この学校に軽音楽部ってあったかな……?」
「無いよ。 俺は吹奏楽部」
「吹奏楽部にも、ドラムってあるんだな。 今演ってたやつ、何て曲だ?」
「『スモーク・オン・ザ・ウォーター』。 ディープ・パープルってバンドの曲だよ」
「おお、ディープ・パープル! アレだろ、コーヒーのCMで流れてるヤツを演奏してるバンドだろ!」
「それは『ブラック・ナイト』って曲。 洋楽知ってるのか?」
「いや、全然知らん。 アンディ・フグの入場曲なら知ってるぞ。 クィーンの『ウィー・ウィル・ロック・ユー』だ」
「格闘技ファンか。 じゃあ、PRIDEのテーマ曲は何か知ってる?」
「全く知らん。 あ、いや、聞いた事あるような気がするけど、名前長過ぎて忘れた」
「レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの『ゲリラ・ラジオ』。 ミクスチャーの元祖って呼ばれてるバンドだよ」
「うわ、お前、音楽オタクだな」
「吹奏楽部だって言ってるだろ」
「とにかく、早く帰れよ」
「すぐ帰り支度するよ。 どうせ、スティックしまうだけだし」
アキラは、ハイハットのネジを緩め、ペダルを外し、ドラム・グローブを手から外す。
ささくれまくったスティックをケースにしまっていると、まだ入り口に立ってる榎本に気がついた。
「まだ、何か?」
「いや、こんな時間にまで一人でドラム叩いてるなんて変な奴だなぁと思って」
「余計なお世話だ」
「俺、一年D組の榎本健太。 周りじゃ、『エノケン』で通ってる。 お前は?」
アキラは、その無遠慮な問いかけに肩を震わせた。
自分は、一年生の間では一種の有名人だ。
イジメられっ子の、鷲頭晃。
この気安い男も、自分の名を知れば離れていくだろう。
だが、それならそれでいい。
気力を消耗する見せ掛けの対人関係など、自分には煩わしいだけだ。
「一年C組の鷲頭晃……って、知ってるだろ」
榎本―――――エノケンは、一瞬きょとんとした顔を見せたが、やがて得心したようにニっと笑った。
「C組の鷲頭って―――――ああ、あの噂の『ヨーダ』か」
その言葉は、まるで抉るようにアキラの胸に突き刺さった。
目を背けて、何でもないようなフリをしていても、その揶揄の言葉にアキラは敏感になっていたのだった。
「そうだ、『ヨーダ』だよ。 何か、悪いか?」
つい、攻撃的な台詞が口をついて出る。
しかし、エノケンはそんな事は何でもないというように、相好を崩さなかった。
「いんや、別に。 『ヨーダ』だろうが何だろうが、お前のドラムがすげー事はよく分かった。 『ヨーダ』とか関係ねぇ。 世の中、結果オーライってやつだろ?」
それは、きっとアキラが中学に入って初めて聞いた、自分を肯定する言葉だった。

その日から、エノケンとアキラの付き合いが始まった。

心の許せる友人が一人出来るというのは、とても心強い事だった。
相変わらず自分の教室では居場所が無かったが、昼食時になるといつも屋上でエノケンと落ち合って、音楽話をした。
エノケンの好みは、ブルー・ハーツやゴイステ、モンパチにハイスタと云った青春パンクと呼ばれるジャンルだった。
父親の洋楽趣味の影響で音楽を聴き始めたアキラにとっては理解しがたいジャンルだったが、ともあれ音楽仲間が出来た事は嬉しく、毎日嬉々としてお互いの焼いてきたMDを交換し合った。
青春パンクは洋楽に比べると構成もフレーズも稚拙で、最初は何がいいのか全然分からなかったが、聞いている内にその赤面するぐらいにストレートな裸の言葉は、荒んだ自分の心を癒してくれるような気がした。
やはり、食わず嫌いは良くない。
そういうジャンルも、売れるからにはそれなりの理由があるのだ。
未知との遭遇が生む新境地の開拓。
やがて、アキラの心の中に、エノケンとバンドをやりたいという気持ちが生まれてきた。
思い立ったが吉日。
アキラは、その日の内にバンドの話を持ちかけた。

「はぁ? 俺がバンド? 本気かよ!」
「本気だよ。 ギターは無理だけど、ベースだったらウチの倉庫に親父が昔使ってたヤツが転がってる」
「ベースかぁ。 どうせなら、モテそうなギターがヴォーカルがいいんだがなぁ」
「そんな事無い、ベースは格好いいよ。 CDとかの音源だと、ベースの音が潰されてる事が多いから、その良さに気づかないだけだよ」
「そ、そうか。 そこまで言うならやってみるか。 アンプとかはあるのか?」
「親父のがあるよ。 ちょっと試しに、今日ウチ来て弾いてみろよ」
アキラは、強引にそうやってエノケンを誘った。

家の倉庫の中に、その朽ち果てたエレキ・ベースは転がっていた。
結構な年代物だ。
アキラの父親は昔、フォークソング・バンドをやっていたというから、その時のものだと思われる。
弦も錆びるに任せているし、チューニングもおそらくメチャメチャだろう。
まともに音が出るかも怪しいが、とりあえずキッチン・ペーパーで埃を拭き取り、何とか試奏出来る位の状態まで持ってゆく。
父親の部屋にあったフォトジェニックのミニアンプをくすねてくると、コンセントを繋いで、ケーブルを繋ぐ。
よく分からないが、適当にアンプのボリュームを上げると、ミニアンプについていたランプが赤く点灯した。
おそらく、これで準備は完了だ。
エノケンはおそるおそるといった感じで、ベースの弦を引っ張って弾いた。
すると、その振動は何倍にも増幅され、心臓の鼓動のような太くて逞しい音をアンプから弾き出した。
身が震えるほどの感動が、エノケンを襲った。
まるで、とびきりの玩具を買い与えてもらったかのように、その瞳が煌々と輝いた。
「すっげー! 何だ、これ!? 何ていうか……とにかくすっげー!」
体育会系特有の語彙の貧しさで、エノケンが感動を表現する。
それからエノケンは、知識が無いなりに、適当に弦を押さえて弾きまくった。
低音域の、太い音程がアンプから流れる
無知故の感動。 無垢故の感嘆。
CDで聴く、潰れたベース音とはまるで違う、生音のパワー。
エノケンは弾いている内に、この楽器でメロディーを奏でたいという欲望が芽生えてきた。
「やべー、ベースってカッコいいな! 俺、ベースにするわ!!」
昼間とは打って変わって、エノケンはベースの重低音に魅せられた様だった。
チューニングもしてない状態の音でこの喜びよう。
アキラもわざわざ呼んだ甲斐があったというものだ。
「そうか。 よかったら、そのベース、エノケンにあげるよ」
「は、マジ!? いいのかよ、勝手に……」
「親父は今はアコギばっかりで、ベースなんか全然弾かないからさ。 さすがにケーブルとアンプはあげれないけど、ハードオフとか行けば三千円くらいで買えるよ。 俺にはドラムがあるから充分だよ」
「マジかよ。 悪いな、サンキュー!」
「その代わり、条件がある」
「お、何だ? 言ってみろよ。 金と、女の子紹介しろとか以外なら大抵の事はやってやるぞ」
「俺と、いつかレッチリをやって欲しいんだ」
「レッチリ?」
「『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』だよ」
「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ? あ、知ってる。 『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくるスタンドの名前だろ。 電気をエネルギーに換えて戦うヤツ」
「違うよ、それの元ネタになったバンドだよ。 ミクスチャーって云って、ラップとかDJサウンドみたいなヒップ・ホップの要素を取り入れたジャンルがあるんだけど、その代表格みたいなバンドなんだ。 音源聴いてみる?」
アキラは、鞄の中からMDウォークマンを取り出すと、レッチリの入っているMDに詰め替える。
エノケンは、イヤホンを耳に詰め、スイッチを入れて曲が流れ出すのを待った。
――――――瞬間。
エノケンの背筋に衝撃が走った。
暴動の警鐘のようなベース・ソロに、合いの手を打つ攻撃的なギター。
それに乗っかって、凄まじいヴォーカルのシャウトと、絨毯爆撃のようなドラムの音が入ってくる。
今までエノケンが耳にした事のない、革命的なサウンドだった。
「うぉっ! ドラムかっけー! これ何て曲?」
「『アラウンド・ザ・ワールド』だよ。レッチリの曲の中じゃ一番有名かな」
アキラがそう言って解説する。
「ふんふん、でもなんかコレ、ギターがズレてねぇか? リズム隊のフレーズはかっこいいのに」
「わざとズレたようなニュアンスにしてあるんだよ。 ギタリストに言わせると、これがいいんだってさ」
「ふーん、俺にはよくわかんねぇな。 おっ、こっちの曲の方がかっこいいじゃん。 バラードかと思ってたら、いきなりヘヴィーなベース・ソロが入ってくるの。 このベースやべぇな。 持ってかれるぜ」
「それは『バイ・ザ・ウェイ』って曲だよ。 曲調が、イントロが終わると、ガラリと変わって重くなる。 生音だったら、多分、もっとヤバいと思うよ」
「いいな、これ。 洋楽も悪くないじゃん」
「凄いだろ。 レッチリのリズム隊、フリーとチャド・スミスは世界一のリズム隊って言われてるんだ。」
「世界一の?」
「勿論、音楽に優劣なんか無い。 テクニックに関しては、二人より上はいくらでもいる。 だけど、この二人ほど世界中に影響を及ぼしたリズム隊は他にいない。 世界一のベースは誰かと言われてフリーの名前を挙げるヤツは十人に一人いるかいないかだ。 世界一のドラムは誰かと聞かれてチャド・スミスの名前を挙げる奴も十人に一人いるかいないかだろう。 でも、世界一のリズム隊は誰かと言われたら、みんなが口を揃えてこう言うんだ。 『レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーとチャド・スミスだ』って。 この二人の出会いこそ、正に運命的だったんだよ」
「よし」
「ん?」
「じゃあ、俺とお前でフリーとチャドを超えようぜ。 世界中の奴らが、世界一のリズム隊は誰かと聞かれたら、日本の榎本健太と鷲頭晃だって答えるように」
「いきなり、ビッグ・マウスだな。 よし、じゃあ、俺とお前がもっと技術をつけたら、いつかレッチリのコピーをやろう。 やる曲は―――――」
「『アラウンド・ザ・ワールド』だ」「『バイ・ザ・ウェイ』だ」
選曲は、一致しなかった。
二人とも、自分の一番目立つ方を主張する。
「アラウンド・ザ・ワールドの方がドラムがカッコイイ」「バイ・ザ・ウェイの方がベースが目立つ」
そう言ってお互いは一歩も譲らない。
二人は顔を見合わせると、我に帰ってクスリと笑った。


















そこで、アキラは目を覚ました。
ジャージの中に、じわりと汗が滲んでいる。
それは、エノケンと出会ったばかりの頃の、中学の記憶。
夢に見るのは随分久しぶりな気がする。
ベッドを降りて、カーテンを開けると、窓の外にはうっすらと水滴が張り付いていた。
チュンチュンという、雀の鳴き声。
抜けるような、青空。
今日から、二学期が始まる。
学園祭に体育祭、ライブ。
ああ、そう言えば実力テストという気の重くなるモノもあった。
しかし、あの学び舎で迎える秋も、もうこれで最後だ。
そう考えると、少しだけ感慨深いものがある。
さて。
高校生活、最後の二学期は忙しくなりそうだ。
そんな事を考えながら、アキラは教科書をショルダーバッグに詰め始めた。




       

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