Neetel Inside 文芸新都
表紙

妄想ハニー
残党編-11【エレクトリック・サーカス】

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「おーい、随分なげーウンコだったな。 緊張でゲリかぁ?」
楽屋に着くなり、ユゲがいきなり品の無い事を大声で言った。
「何や、怖気づいて逃げ出したんやないんか、チキン。」
トーヤもさっそく憎まれ口を叩いてくる。
自分達が出れるかどうかの瀬戸際だったのに、こいつらはホントに呑気な事だ。
度胸が据わってるのか、馬鹿なのか。
多分後者には違いないが、こういう時、奴らの図太さが頼もしく感じる。
「あ~、悪い悪い、ちょっと腹具合悪くてさ。」
楽屋の雰囲気はよろしくなかった。
先ほどの、俺達の最悪のリハーサルを、出演者全員が見ている為だ。
トッパーはイベントの顔見せだ。
本番でオープニング・アクトがシクったりすれば、場内の空気は一気に冷めるだろう。
本来なら場内の空気を暖めるのに一役買うのがオープニング・アクトの役割なのだ。
その時、チバがようやく姿を現した。
「よぉ。 遅かったな、チキン」
「おかげ様でな」
「御覧の通り、場の空気は最悪だ。 アウェイ中のアウェイってヤツだよ。 これで本番シクったりしたら、俺達、後ろから刺されるぜ?」
「いい空気だろう?」
俺は、にやりと笑って言った。
「干されるお膳立ては整った。 俺達残党には、この空気で丁度いい」


観客は超満員だった。
収容人数150人の箱が、今や満員御礼だった。
ステージの上から見下ろすと、それは本当に人の海の様だった。
遠くに、水平線が見える気がした。
しかし、そこに吹き抜けるのは清新な海風ではなく、噎せ返るような熱気だ。
亜熱帯のような異様な密度の空気は、いつ何時過呼吸を引き起こしてもおかしくはない。
しかし、その集団は決して俺達を歓迎しているとは言い難かった。
何しろもう開始時間を20分も押しているのだ。
人と待ち合わせをする時だって20分も待たされたら殺気立つだろう。
この人ごみの中に、マドカや、サリナや、ナオコがいるのだろうか。
ステージに向かう。
セッティングは逆リハの時のままだ。
遊底は引かれ、撃鉄は起こされ、照門と照星は一直線に結ばれている。
あとは俺達が引き金を引くだけだ。
それだけで、音楽という名の弾丸が、彼らに向けて放たれる。
メンバーが配置につく。
それと同時に、SEとして流れていたダンスミュージックが徐々に高潮してゆき、やがて静寂が訪れた。
闇。
その中にピンスポがぱっと現れると、舞台袖に立っていた『マジック・マッシュルーム』のバンド・リーダー、アイカを照らし出した。
「レディース・エン・ジャントルメーン! ウェルカム・トゥ・イスカンダル、マイ・ディア!!」
その言葉に、観客が歓声で応える。
客の大半は『マジック・マッシュルーム』のファンなのだ。
歓声はやがて人波に波及してゆき、潮騒のようなざわめきに変わる。
「ヘイ、みんな! 大変お待たせしちゃってごめんなさーい! それでは! 只今から! オープン・ライヴイベント、『マジック・パラダイス』を開演しちゃいまーす! イェーーーーッッ!」
イェーッ!!と、オーディエンス達はシュプレヒ・コールのようにその言葉を追唱し、拳を突き上げた。
この強烈な一体感が、ライブというものの醍醐味なのだ。
やっぱり、何と言うか、直前になると緊張が込み上げてくる。
ああ、だが今はその緊張感さえ迎え撃ってやろうという気概に溢れていた。
アキラだって、赤井カナメでさえ、最初はこの重圧と戦って来たに違いないのだ。
いや、それは何もドラマーに限った事じゃない。
おそらく、チバも、トーヤも、ユゲも今この重圧と戦っているだろう。
バンドマンであり続ける為には、一度はこの関門を潜り抜けなければならない。
緊張に飲まれず。 興奮に飲まれず。
この平静ならざる精神状態でビートをキープし続けるという所業を成し遂げる事。
それがドラマーの務めだ。
張り詰める、張り詰める緊張。
昇りゆく、昇りゆく興奮。
それらと戦い、喝破し、手懐け、征服する。
技術よりもまず先にある自分との戦い。
それに打ち勝たずして、どうして与党と戦えるのか。
見せる、見せてやる。
この俺の一週間の成果を。
『ZAN党』というバンドを。
残党の意地を。
『カタストロフィー』を。

照明が落とされる。
ピンスポが、チバを照らし出した。
観客の視線が、一斉にチバに集まる。
気の利いたMCの一つでもかますのかと、誰もが期待した矢先―――――
チバが、ばっと右手を高く虚空に掲げた。
その手には、銀色のピック。
暗闇の中で、ピンスポに反射して光るそれは、さながら聖遺物のような神々しさを持っていた。

「スモーキン・ビリー」

静寂の中、チバのその言葉が引き金だったのか、突如としてユゲのギターが飛来した。
アンプから吐き出される、獣じみた暴音。
雷光の煌きのような、鋭いサウンド。
今日のユゲは、キレまくっている。
ジャガーのような技術はなくとも、こいつの抉り取るような感性は何なのか。
ジャンルが違うとはいえ、ユゲは子供の頃から世界の一級の音楽家に囲まれて育ってきたのだ。
集中した時の音を掴み取る感覚は並じゃない。

トーヤのベースが流れ出す。
トーヤの、普段はオナニーにしか使われない右手の指が、ベースの太い弦を掴んで弾く。
相変わらずのルート弾きだが、その指は一音一音を正確に捉えて離さない。
太く、芯のあるロー。
その安定感のあるリズムは、ともすれば暴走し始めるユゲという猛獣の手綱の役割を果たす。
ビートを紡ぐのがドラムの役目なら、グルーヴを紡ぐのはベース。
身体の内側まで伝播する極低音は、人間の内なる衝動を掻き乱すのだ。

俺は、両腕を高く高く振り上げた。
両手の掌が、伸びきる限界まで。
左足でリズムを取りながら。
―――――――重力落下。
二枚のクラッシュ・シンバルと俺の全体重を掛けたバスドラムが、爆弾テロのような炸裂音を発した。
そして俺は、あえてハイハットを使わずに、クラッシュ・シンバルでリズムを刻み始めた。
これぐらいでないと、このキレまくったユゲの爆音に対抗できない。
見せてやる。 蚊の鳴く様だった俺のドラムが、何処まで進化したのかを。

チバのシャウトが始まった。
それは、声ではなかった。
音だった。
ヴォーカルでは無い。 声弦だ。
よくヴォーカルは、自分自身が楽器だと表現するが、それが嘘偽りではない事を、俺は初めて知った。
それはまるで、声帯をいう弦を肺腑というピックで奏でているような。
血を吐くようなハスキー・ヴォイスでのシャウトは、エレクトリック・ギターの出せる爆音の局地とも言えるユゲのギターと比肩してまるで劣るところが無い。
それはシャウトではなく、もはや咆哮だ。
そんじょそこらのカラオケ・ヴォーカリストには至れぬ境地。
これが、チバなのだ。
音楽に、自らを供物とした男の音楽なのだ。


客席に目を向けると、何故か、先頭付近だけが異様に盛り上がっているのが見えた。
いや、それは、盛り上がっているというには妙に不自然だった。
それは何処か予定調和的で、無理矢理盛り上がっているように見えたのだ。
目を凝らしてみると、それは、同じクラスの面々だった。
それは、クラスの与党達だった。
いつも、リュウジ達と一緒にいる面々だった。
―――――なるほど、そういう事か。
俺は、瞬時に理解した。
奴らは、俺達を祀り上げようとしているのだ。
いつもの学祭のように、俺達を嘲る目的で盛り上がっているのだ。
おそらく、それはリュウジの根回しなのだろう。
あれだけ俺達を敵視していたリュウジの事だ。
本音から言えば、ブーイングでもさせたい所なのだろう。
しかし、これは自分達の進退の懸かったイベントだ。
『マジック・マッシュルーム』の先輩への面子もある。
だから、こうして体裁だけは盛り上がっている風を装って、俺達を貶める策に出たのだ。
姑息なやり口だ。
なるほど、あの人垣が俺達に課せられた関門か。
あの嘲弄と揶揄の文字が掲げられた堤防を決壊させなければ、俺達の音楽はオーディエンスに届かない。
その前列だけの異様な温度差は、他の観客も感じ取っているのだろう。
その異常なテンションに、他の観客は逆に我に返って白け切っている。
なまじ奴らがノっているだけにタチが悪い。
次が、ブレイク。
さっきのリハで、俺が停まってしまった部分だ。
その時、チバがにっと笑ったような気がした。
後ろの俺を振り返り、煽るような笑みを浮かべる。
―――――――ブレイク。
その瞬間、トーヤ、ユゲの二人が同時に前に飛び出した。
なっ。
「「「愛とッ!! ゆうッ!! 憎悪ッ!!!!」」」
トライ・シャウト。
いつもはチバ一人のシャウトを、三人懸かりで。
ああ。 何だ、この頼もしさは。
そうか―――――
こいつらは俺のミスった箇所で、俺がイップスに陥らないように――――――
不意に、目頭が熱くなった。
俺達に、仲間意識が存在しないって?
こいつらは、俺の知らないところでこんなにも俺を支えてくれようとしているのに。
その時、チバがいきなりギターを舞台に投げ捨てた。
マイクだけを握り締め、いきなり観客を煽り出す。
確かに、この曲は一番客を煽り易い曲だ。
悠長に客がノって来るのを待ってなどいられない。
だが、それでもまだ与党どもの存在の性で、他の客がノリあぐねている。
見るに見かねてチバが取った行動は――――――ダイブだった。
客席に飛び降り、与党の輪に突っ込んで行って自らモッシュに参加する。
新参バンドが一曲目からいきなりモッシュ&ダイブとか正気か、こいつ。
マイクを掴み、叫びながらチバは観客を煽りまくる。
しかし、見た目には盛り上がってるように見えるものの、一般の観客には内輪ノリに見えているらしかった。
要するに、自分達の連れてきた客と一緒に戯れているように見えるのだ。
観客が全部身内という小規模ライブではよくある事だが、身内でない客にとってこれほど白ける物は無い。
身内ノリには、身内でない人間を拒むような、排他的な空気があるのだ。
一度その空気を出してしまったら終わりだ。
どんなに盛り上がっても、他の客はそのライブをオナニーとしか見てくれないだろう。
そう、ちょうどサクラだらけの路上ライブと同じだ。
糞。 リュウジの奴、なんて狡猾な。
その時だった。
後ろの人ごみの中から、長身の女が一人、モッシュの中に飛び込んでいくのが見えた。
あれは――――――サリナだ。
隣には、ナオコの姿もある。
それを契機に、与党達と他の観客の間にあった温度差の壁が崩れていくのを感じた。
他の観客だって、本音ではモッシュに参加したいのだ。 盛り上がりたいのだ。
そこに、身内らしかぬ女性二人が参戦した事で、張り詰めたものが一気に崩壊したのだ。
一旦破水した人の波は、荒れ狂う潮流となって一気に与党達を飲み込む。
ああ、閑散としていたフロントが、瞬く間に人垣で埋め尽くされた。
その潮流の中で、チバが神輿のように持ち上げられるのが見えた。
観客の手が、手が、波になってチバの身体を舞台に押し戻す。
凄い。 凄い。 何だ、これは。
学園祭のライブとは比較にならない程の、圧倒的な熱気。
リュウジの小賢しい謀略など、ものともしない圧倒的質量。
この強烈な熱気の源泉となっているのは、間違いなく俺達の音だ。
俺のビートに合わせて、観客達が飛び跳ねる。
トーヤの、ユゲのグルーヴラインに合わせて、観客達が拳を突き上げる。
そして、チバのシャウトが観客達を熱狂させる。
脊髄を駆け抜ける、常軌を逸する程のカタルシス。
俺達は今、肯定されている。
俺達の音楽を、肯定されている。
生きている事を、肯定されている。
俺達の存在を、肯定されている。
俺の、今までの霧の掛かった様に曖昧だった人生の中で、ここまで他人に肯定された事があっただろうか。
これ程までに、生きている実感を得られた事があっただろうか。
“ライヴ”とは、邦訳して“生きる事”を意味する。
俺は今、その意味を、あり得ないほど深々と噛み締めていた。





「凄くないか、ケンタ」
舞台袖で、アキラは相方のエノケンにそう感想を漏らしていた。
「確かに、技術的には上手いとは言えないけど、この臨場感。 あんだけ体張って場を盛り上げれる奴ら、早々居ないよ」
金髪坊主のエノケンは、まだ不承不承という感じで客席の様子を眺めていた。
彼とて、実際『ZAN党』がここまで健闘するとは、想像だにしていなかった。
演奏陣も、リハの時よりも遥かに形になっている。
特に、チバのあの声量とステージの上での存在感は、リュウジと同等かそれ以上だ。
初舞台という気後れがまるで無い。
初舞台、それもトッパーからモッシュなどという光景、早々見られるものではない。
いつか見た、ステロイドの外箱デビューライヴの光景を思い出す。
あの、軽音楽部と部員のクラスメイトだけで固められた、惨めなライヴを。
「………確かに、思ってたよりはやるみたいだな」
「期待以上だよ。 俺も、タカヒロ達がここまでやると思ってなかった。 なんていうか、もの凄く人を惹き付けるパワーを持ってるよ、あいつらは」
「それは誉め過ぎじゃねぇか? 結局コピーバンドだろうが」
「俺とお前が、最初にコピったバンドは何だったっけ?」
「何だっけ……。 ハイ・スタンダード……いや、エルレ・ガーデンだったか……?」
その回答に、アキラはクスリと頬を緩めた。
「ブルー・ハーツだよ。 『トレイン・トレイン』。 “栄光に向かって走るあの列車に乗って行こう”って歌ったろ」
「そんな事もあったな」
「あの曲、今でも大好きなんだ。 ドラムは笑っちゃうくらいシンプルだけど、妙に耳に残る…」
「何が言いたいんだ?」
「バンドの優劣を決めるのは、技巧だけじゃないって事だよ。 剥き出しの自分で勝負するのは、凄く勇気が要る事なんだ」
アキラはそう言ってしばらく、舞台に魅入っていた。
曲は既に三曲目に突入している。
盛り上がり方は留まる事を知らず、モッシュはまるでポップコーンを炒っている様子を見ているようだった。
耳朶をぶん殴られるような爆音の嵐。
理性を溶かすその衝撃に、アキラは身震いさえ覚えた。
「なぁ、ケンタ」
「あん?」
「一曲目に入る前に、『モビー・ディック』をやらないか?」
「はぁ? お前、マジで言ってんのか?」
『モビー・ディック』とは、英国ハードロックの元祖、レッド・ツェッペリンのブルース・ナンバーだ。
と言っても、実際に全パートが演奏しているのは一分ぐらいのもので、間に三分にも及ぶドラム・ソロが挟まれている。
その為、アキラ達はバンドでジャム・セッション、要するに各楽器がアドリヴで演奏し合う時のメロディーのベースとしてこの曲を演奏する事がままあった。
『アナボリック・ステロイド』の中で、“モビー・ディックをやろう”というのは、“ジャム・セッション”をしようと言うのと同義なのだ。
先にも述べたように、ジャム・セッションとは演奏・構成全てがアドリヴだ。
その為、各楽器が途中でネタ切れになって尻切れトンボになる事も多い。
ライヴという場所でジャムる事は、下手をすると場の空気を白けさせてしまう事になるのだ。
「まずかねぇか? リュウジが承諾しねぇぞ」
「ケンタ。 俺は、正直、今のステロイドの音楽が好きじゃない」
「それは俺も同じだ。 このバンドは、リュウジのバンドだ。 “俺達の”バンドじゃない」
「だから、俺はあいつらに見せてやりたいんだ。 俺達はこんな音楽も出来るんだぞって」
「て事は、アレか」
「思いきり、ファンクなビートで行こう。 ファンキーなのは『マジック・マッシュルーム』だけじゃないってとこを見せてやろう」









       

表紙

牧根句郎 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha