Neetel Inside 文芸新都
表紙

妄想ハニー
残党編-15【サニー・サイド・リバー】

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八月の頭にはうるさい位に響いていた蝉の鳴き声も、今はもうめっきりと聴こえなくなっていた。
猛暑の熱気も影を潜め、ようやく涼しげな風が顔を見せ始める。
アパートの通路を歩くと、そこらかしこにアブラゼミやニィニィゼミの死骸が転がっている。
それはまるで、夏の残滓のように、転々と。
もう何日も待たず、秋が訪れるだろう。
この夏休みも、残りあと三日というところにまで迫ってきていた。
そして、俺、高梁貴弘はというと、今日もこうしてトーヤのアパートで勉強会をやっている。
蒸し暑い部屋の中で、男二人で、宿題合宿。
涼を取る手段は、ひたすら扇風機だ。
別にクーラーが壊れているという訳でもないのだが、一夏の間ずっとクーラーをつけっぱなしでいたら、電気代の請求が凄まじい事になったらしく、親から怒りの電話がかかってきてクーラーの使用を禁じられたらしい。
まったく、トーヤらしいと言えばトーヤらしい。
「………なぁ、ふと思ったんやけど」
トーヤが、英語の長文読解の手を止めて、口を開いた。
「うん?」
「もし、お前が上戸彩みたいな、今後の人生で二度と会えないだろう超絶美人に何の脈絡もなく告られたとするやん」
「色々ツッコミどころはあるが、まぁ置いとこう。 で?」
「紆余曲折の末に、お前はとうとうその子を自分の部屋に連れ込むんやって。 そして見つめ合う二人」
「ほう。 なんだ、その妄想」
「そこでその子が言うんや。 『ねぇ、今すぐ私の目の前で脱糞してみせてくれない? そしたら貴方の好きな事を何でもさせてあげる』。 そう、彼女は超ハードコアなスカトロマニアやったんや!」
「…………」
「さぁ、お前ならどうする?」
「うん。 なんていうか、とりあえず、病院行け。」
「上戸彩似の女とバコバコ出来るんやぞ?」
「その点についてはちょっとだけ躊躇したが、脱糞した部屋でするとか無理中の無理だろ」
「結構、外角低めコースギリギリの選択肢じゃね?」
「どう考えても確実にデッド・ボールだ」
こういう腐ったトークを聴いてる限り、俺達はまるで成長していないように思える。
まさしく、残党の様相だ。

だが、この夏はこの三年間の中でも、とりわけ濃密な時間を過ごせたような気がしていた。
まだ、つい三日前のライヴが夢か何かだったような気がしてならない。
結局、打ち上げの翌日、俺は死んだように眠ってしまい、気づいたらその日の夜だった。
この一週間の出来事が、それこそ一夜の夢ではなかったのかと思ったが、スティックケースから顔を出していたスティックを見た時、それが夢でなかった事を悟った。
スティックの、“腹”の部分がささくれていたからだ。
スティックは、初心者が叩くと、ハイハット・シンバルのエッジにチップの周りを打ち付けて、“首”の部分ばかりが段々と削れていく。
しかし、スネアのリム・ショットを叩けるようになると、スティックの中間部がリムに当たる事によって、“腹”の部分が削れるようになってくるのだ。
去年までの俺は、スティックの首の部分が削れるばかりで、腹の部分は綺麗なままだった。
まだ基礎の基礎さえ出来ていなかったという事だ。
以前は出来なかった腹の部分のささくれは、俺がこの一週間で進歩したという確たる証なのだ。
しかし、一週間もの間、バンド活動以外の事は何もやっていなかった為、宿題の皺寄せは著しい。
おかげで、最終日までは宿題一色の生活になるだろう。
いや、それでも間に合わず、追試の可能性もあり得る。
一体、俺は高校最後の夏休みに何をやってるのだろう。
まったく以て鬱になる。
約束されたインドアライフを消化する為、俺は観念して机に向かった。
その時だった。
俺の携帯のバイヴが、凄まじい勢いでヴィーヴィーうなり出した。
大抵相手の予想はつく。
俺の電話にかかってくる相手というと、ZAN党の面子か、オカンか、バイト先と相場が決まっている。
それぐらいしか、俺には社会との接点がないのだ。
だが、ケータイの画面に表示された着信相手は、そのどの予想をも裏切るものだった。
「―――――アキラ?」
着信相手は、アキラだった。
この間アドレス交換したばかりなのに、もう電話の掛かってくる機会があるとは。
俺は恐る恐る電話をとると、向こうから底抜けに明るいアキラの声が返って来た。
「もしもし、タカヒロ!? 俺々、俺だよ!」
「何? 俺々詐欺?」
「そうとも言うかな。 今何処にいる? 家?」
何だ、アキラのこのテンションは?
「いや、今はトーヤの家で勉強してるとこ」
「トーヤ…? ああ、透谷か! わかった、すぐそっち行くよ!」
アキラのその台詞の後、電話の向こうで何人かの笑い声が聞こえた後、電話はぶつりと切れた。
「すぐ……?」
意味深なアキラの台詞を、俺は訝しむ。
「なんや、誰やったん? チバか?」
「いや、アキラだよ。 鷲頭晃。 なんかよく分かんねーけど、今からこっち来るって」
「はぁ? 与党が俺んち来て何するん? てゆーか、何で与党が俺んち知っとるんやって!」
「知らねーよ。 他にも何人かいたみたいだったけど…」
「うわ、マジ最悪だわ。 与党がつるんで来るとか、テロの匂いを感じるわ。 チェーン・ロック付けとこ」
「お前にとって、与党って某国の破壊工作員みたいな存在なのか……?」
色々思うところはあったが、慌てて逃げ出すのも変なので、とりあえず宿題を続行した。

十分ぐらいした頃だろうか。
トーヤのアパートの下から、けたたましいクラクションの音が響き渡ってきた。
俺とトーヤが慌てて窓を開けて見ると、アパートの階下には、見覚えのあるエスティマと、黒のアベニールが縦列駐車していた。
その横には、女の二人乗りのバイク……見ると、その運転している方は、サリナだった。
この暑い中に、白いレザーのライダース・ジャケットを着ている。
後部座席の方は、フルフェイスのヘルメットで顔は見えないが、身体のラインから見ると女らしい。
サリナは、俺の存在に気づくと、ニカッと笑ってこちらに手を振ってきた。
このタイミング。
そして、チバのエスティマ。
大体、あのアベニールに誰が乗っているのか、予想がついた。
「おーい、タカヒロー! 勉強なんかやめて、今からバーベキュー行こうよー!」
ご近所に聞こえる位の大声で、サリナは叫んだ。
バーベキュー?
マジで言ってんのか、アイツ?
俺は目の前に山積みになった宿題と、目の前に現れた魅力的な逃避手段を瞬時に天秤にかける。
受験が終わった瞬間に無駄知識に変わる勉強と、絢爛なるお肉様の大名行列を。
なんという圧倒的な誘惑。
いや、待て。 駄目だろ、常識的に考えて。
宿題投げてあっちに行ったら、追試は確実だ。
受験控えたこの時期に、さすがに不味いだろ。
いや、しかし……。
エスティマから、チバが降りてきた。
相変わらずのマ●イ系ファッションに、サングラス。
チバの人相の悪さと相まって、ヤクザの下部構成員にしか見えない。
チバが階段を昇って、トーヤの部屋の扉を叩くのにそう時間はかからなかった。
ガチャリと玄関の扉を開くと、チバユウスケよろしくふてぶてしく煙草をふかしたチバが立っていた。
「うっーす」
「うっす。 何してんだ、お前は……」
「今日は何日だ?」
「あー、んっと……八月二十九日」
「そう、二十九日。 つまり、ニクの日だ。 という訳で、肉を食いにくぞ」
「いつもに輪を掛けて頭に虫湧いてんな、お前。 つーか、何でだ」
「いやまぁ、アレだ。 ライブの打ち上げも兼ねてバーベキューしに行こうぜって事で、連中が声掛けてきたんで」
「面子は?」
「俺とチャーシューと、アキラとエノケン。 あと、お前のクラスのサリナとナオコとかいう女」
最後の一人の名を聞いた途端、俺の中の自制という鎖がぶつりと音を立てて断ち切れるのが分かった。
ああ、そうか。 そういう事なら、宿題なんかほっぽり出して肉を焼きに行かなくてはな。
「オーケイ、わかった。 すぐに支度をしよう」
「異様に物分かりがいいな。 宿題からの逃避エネルギーか」
「高校最後の夏休みだからな。 熱いメモリーに餓えてるんだよ」
「よくわからんが、話は早い。 じゃあ、とりあえずエスティマ乗れや。 サルはどうする?」
「首輪つけて引きずってく」
前回の飲み会に引き続いて、トーヤの自由意志は無視された。

アベニールを運転していたのはエノケンだった。
相変わらず、盛り上がった筋肉でTシャツがピチピチになっている。
日光対策なのか、今日はキャップを頭にかぶっていた。
しかも、キャップの柄が何故かミッキー・マウス柄だ。
それがまたエノケンの強面に、まったく似合っていない。
助手席には、コンバースのパーカーを来たアキラが座っていた。
「よぉ、お前ら。 宿題はいいのか?」
「まー、何とかなるっしょ。 ところで、何でアベニールなんだよ。 与党なら与党らしく、スカイラインとかインプレッサ乗れよ」
「うるせーなー。 この車はバンドの機材車も兼ねてんだよ。 ステーション・ワゴンの方が積載量多くて便利だろうが。 安いし」
と、エノケンと憎まれ口を叩き合う。
この間、散々こいつの醜態を見たせいか、以前よりも大分打ち解けてきたような気がする。
「サリナ。 お前、原付ライダーじゃなかったのかよ?」
「ん? ああ、燃費悪いからバイト先には乗ってかなかっただけ。 てゆーか、バイクの免許取ったのこの夏休みなんだけどね。 タカヒロはまだ車の免許取ってないの?」
「俺は早生まれだから、まだ取れないの。 誕生日の二ヶ月前からじゃないと、教習所入れないだろ」
「あっ、そーか。 なんか損した気分だねー、早生まれは」
不意に、後部座席のナオコと、フルフェイスのヘルメット越しに目が合った。
ぎこち無い愛想笑い。
そうだな、俺とはまだ接点らしい接点がないしな。
「あ、あの」
ナオコが、恐る恐るといった感じで、口を開いた。
「こないだのライブ、すごいカッコよかったよ。 高梁くんて、あんなドラム叩くんだね」

キタ―――(・∀・)―――――!!!
と、今の俺の心情を一言で表すとそんな感じだった。
血液の潮流が全身を駆け巡る。
まさか、まさかナオコちゃんの口からそんな言葉が聞ける日が来るとは。
この場にエノケンだのアキラだのサリナだのチバだのがいなければ、猿のように狂喜乱舞してるところだ。
「ははっ、よかったじゃん、タカヒロ。 誉められて」
横からサリナが茶化してくる。
「そんな事ねぇよ。 客が沢山いたから、上手く見えたんだろ」
と、殊勝なコメントで俺は返した。
しかし、実際にあのライヴの影の功労者はこのサリナとナオコの二人だと思う。
この二人が先陣切ってモッシュに参加しなければ、どんなにいい演奏をしたところであそこまで盛り上がったかは分からない。
そういう意味で、礼を言うべきは俺の方なのだ。
「ところで、何処までバーベキューに行くんだ?」
「一応、候補としちゃ養老かな。 山の方だから涼しそうだろ」
養老、か。
実家が近いから、子供の頃はよく親に連れて行ってもらったもんだ。
そう云えば、下宿してから久しく新緑の匂いを嗅いでいなかった気がする。
たまには、自然の中で童心に帰るのもいいかもしれない。
俺はもうすっかり宿題の事など頭から消え失せて、エスティマに乗り込んだ。





錆びれかけた商店街。
木造住宅がまだちらほら見える田舎町。
交通量は少なく、小さな地方駅だけが遠くにそびえ立っていて、周囲に高い建築物は何も無い。
何キロも離れていない場所には、新緑の山並みが顔を覗かせている。
正に、そこは下町という表現が的を射ていた。
そんな中に、ぽつりとその個人商店は建っていた。
店名を掲げる看板の木目の色合いが、なんとも年季の入った風格を滲ませている。
シューウィンドウに並ぶ和菓子の数々は、昭和の匂いを漂わせる老舗ならではの王道的なラインナップ。
店内に漂う、香ばしい焙じ茶の香りは、西洋菓子店のくどいヴァニラ・エッセンスの香りとは一線を画して芳しい。
店内には、買った茶菓子をそのままそこで食べる事の出来る座敷スペースが何席かあった。
地元民らしい老人達が、何組かそこで和気藹々と茶を啜っている。
都会から失われた、人々の人情がその空間にはあるような気がした。
――――――――ってゆーか。

「ここ、俺の実家じゃねーか!!」
俺は思わず、運転席のチバに向かって叫んでいた。
途中から車がやたら見覚えのある住宅街を駆け抜けていくから、何処に向かうかと思ったら。
「あー、そうそう。 どうせ養老行くんなら、近くのお前の実家見てこうと思って、クラス名簿で住所調べて寄ったんだよ」
「意味わかんねーし! 何だよ、この羞恥プレイ!?」
「愉快な企画だろ?」
「お前の脳ミソが一番愉快だろうが! マジあり得ねー!!」 
しかし、サリナ達ももうヘルメットを外し、アベニールもすっかり駐車場に停まって、降りる気満々だ。
うわぁ、クズ一味。
全員この企画に同意済みなのかよ。
いきなりぞろぞろクラスの奴を引き連れて帰ってきた息子を見て、親父はどういう反応を示すだろうか。
過度なおもてなしとか本気で羞恥プレイ以外の何者でもないから止めて欲しいものだが。

「お、おお、貴弘!? お前、いきなり帰ってきて、どうした?」
親父の第一声が、それだった。
昼過ぎは、饅頭の焼成も一段落して暇なのだ。
何をしてるかと思えば、表をバイトの若い子に任せて、厨房の奥で新聞を読んでいた。
……俺のサボり癖はどうやら親父譲りらしい。
「クラスのやつと、養老にバーベキューやりに行く途中で、寄ったんだよ」
「はぁ~、お前にも、一緒にバーベキュー行ってくれる友達が出来たのか。 そいつはめでてぇな~」
「……そんなに俺は友達いないように見えたのか……」
「するってぇと、友達も一緒なのか。 そりゃいかん。 おい、貴弘。 蜜豆をお出しして差し上げろ。冷蔵庫にオカンが煮崩したやつが入ってっから」
「煮崩したやつ? ちゃんとしたの出しちゃダメなのかよ」
「バーロー、失敗したって言ったって、ちょいと見てくれが悪いだけで味は本物よ。 ウチみたいな個人商店は、薄利多売で行かなきゃならねぇんだ。 気軽に店屋物に手ぇつける訳にゃいかんだろうが」
「へいへいっと」
俺はとりあえず、チバ達を飲食用の座敷スペースに誘導した。
家の中に、さすがにこの大人数を収容出来るスペースは無い。
チバ達は俺の親父の見ると、やれそっくりだのとおべっかを使ったり、写メールを撮ったりしていた。
何だ、このやりきれなさ。
俺は、厨房から母屋に上がると、居間を抜けて奥の台所に向かった。
業務用のものと区別する為に、家族で食べる用の食材は、母屋の台所の方の冷蔵庫に分けてあるのだ。
大抵、失敗した豆類なんかも、場塞ぎになるので母屋の方の冷蔵庫に移される。
冷蔵庫を開けてみると、そこにはご丁寧に一人前ごとに分けられた蜜豆が入っていた。
おそらく、従業員の賄い用に作ってあったのだろう。
俺は、人数分の蜜豆をお盆の上に乗せると、ぎこちない足取りで元来た道を戻ろうとした。
――――――――ふと、座敷の前の廊下を通ろうとした時だった。
ぞくりと。
何故だか急に、背筋に悪寒のようなものを感じた。
夏風邪だろうか?
いや、そういった物理的な生理反応ではなく、頭の中でもやもやとした霧が蠢くような奇妙な感覚。
既視感にも似た、観念的な違和感。
形容しがたい、意識の間隙。
何か、大切な事を今思い出そうとしたような気がするが、それが何かわからなかった。
何を今思い出そうとしたのか、それがもう思い出せない。
若年性認知症か、俺は。
得体の知れない気持ち悪さを感じながらも、とりあえず俺は蜜豆を連中の下に運ぶ事にした。

「ウッソ、これ美味しーい!」
「おっ、美味いじゃん、この蜜豆!」
と、なんともはや、ウチの店の蜜豆は、連中には好評な模様だった。
食べた奴らが、みんな何処ぞの料理番組よろしく次々に感嘆の声をあげる。
俺は子供の頃から食べてるからあまりよく分からないが、ウチの店は昔から結構材料にはこだわっているらしい。
ウチの蜜豆は、茹でた赤えんどう豆と寒天に黒蜜をかけただけのシンプルなものだが、その辺のパックの蜜豆と違って、赤えんどう豆に、皮の薄くて身肉の厚いいいものを使っている。
よく糖度が凝縮されているので、小豆のような甘さがあるのだ。
もっとも、皮が薄い為に茹で加減が難しく、この失敗作のようにすぐ皮が破けて見栄えが悪くなってしまうのが難点だが、それを上手く仕上げるのが親父の職人の技というものだ。
単純なものほど、誤魔化しが利かない。
ああ、それは結局どの道にも通じる真理なんだと、不意に思った。
店の自慢の一品を誉められる事に悪い気はしない。
ユゲの豚は、調子に乗って三杯もお代わりをしていた。
これからたらふく肉を食うというのに、もうデザートを食ってどうするんだ、こいつらは。
ナオコも、蜜豆を一すくい口に運ぶと、とても幸せそうな笑顔でで一言、「美味しい」とコメントした。
俺の中の、内なるタカヒロが『デレ』モードに入りつつあった。






養老に着いたのは、ちょうど夕方時だった。
俺の実家に寄ったり、途中スーパーで食材を買い込んだりしていたので、思ったより遅くなってしまった。
舞台は、ちょうど、山々の麓の辺りのキャンプゾーン。
キャンプゾーンの脇には清流が流れていて、冷たい水を浴びる事が出来る。
噎せ返るような新緑の香りに、芝生の青臭さが郷愁を感じさせる。
まだ夏休みという事もあり、周囲は親子連れが多かった。
緑の中で、川のせせらぎを聞きながらキャンプというのも、なかなか都会では出来ない贅沢だ。
「さーて、いっちょやるか~! これでも俺、小学校の時は、ボーイ・スカウトの班長だったし」
何故かチバが得意げに言った。
いつの時代の栄光なんだか。
サリナとナオコが食材を切っている間に、男組はバーベキューグリルを組み立て、枯れ木を拾い集める。
ぶっちゃけ、着火材とバーナーがあるので、枯れ木はそこまで必要ではないのだが、それを言ってはバーベキューの楽しみが半減だ。
こうして、適度に自然らしさを満喫するのが、正しいキャンプの楽しみ方なのだ。
グリルの下に枯れ木を詰め、新聞紙を巻いた備長炭をその上に乗せる。
そこに、チューブから絞りだした着火材を何条か足らして、上に網を乗せて、バーナーに着火する。
子供の頃からそうだが、火を点ける瞬間というのは胸が高鳴る。
あの、ビロードのように炎がゆらゆら揺れる光景が、本能的なところで心を躍らせるのだ。
バーナーが着火材を瞬間的に燃え上がらせ、備長炭を包んだ新聞紙に引火する。
紙はじわじわと炎に包まれてゆくが、なかなか備長炭本体には引火しない。
段々、その炎が枯れ木に移ってゆき、ぶすぶすと黒い煙を燻らせた。
しかし、一向に燃え上がる気配はない。
「あーあー、こりゃ生木が混ざってるよ。 多分、川が近いから、枯れ木に見えても水分が残ってるんだな」
黒い煙は、どんどん勢いを増して、俺達の方に向かってきた。
黒煙のいがらっぽさに、俺達はげほげほ咽る。
チバの奴は、意地になってバーナーで着火し続けていた。
もうすでに、枯れ木も着火材も完全燃焼し尽くして真っ白い灰になっている。
いまや、バーナーで直接備長炭に火炎放射してる状態だ。
「くっそったれ。 何で、火ぃつかねーの、これ?」
「炭ってそんなもんだろ。 気長に行こうぜ」
「いや、ぜってーこのまま火ぃ点けたるし。 炭ごときに俺の事ナメさせんし」
また、意味のわからんチバ理論が始まった。
こうなるとテコでも動かないのは、過去の歴史からも実証済みだ。
余計な事をするだけ馬鹿を見る。
俺は諦めて、女子の方の調理を手伝う事にした。
が、こちらもまた異様な光景が目に飛び込んできた。
サリナとナオコは、何を思ったのか、二人ともフルフェイスのヘルメットをかぶったまま野菜を切ってたのだ。
表情の見えないヘルメットが二人して包丁を持ってる図は、シュールを通り越して、猟奇的な匂いさえ漂わせている。
俺の周囲はこんなんばっかか。
「………何やってんの?」
おそるおそる、俺はサリナと思われる長身の方のヘルメットに話しかけた。
「あー、タカヒロ。 いやね、タマネギ切ってたら、どうにも目に染みてたまらなかったもんで、こうしたら目に染みないかなと思って」
「効果はあったか?」
「一回、目に入っちゃったらもう駄目みたいですな。 もうずっとショボショボですわー」
「タマネギを縦に切るから駄目なんだよ。 手前から奥に向かって、滑るみたいに切ると目に染みにくくなる」
「おお、さすが一人暮らし者。 素晴らしき生活の知恵」
「もう手遅れだけどな」
「じゃあ駄目じゃん。 うりゃっ」
言うなりサリナは、いきなりタマネギの切断面を俺の目の前に押し付けてきた。
瞬間――――――
涙腺に、ブン殴られたような刺激を感じた。




結局、調理と火を熾すのに二時間もかかってしまった。
夏の日中は長いとはいえ、もう夕暮れだ。
チバの奮闘により、なんとか着火した備長炭の上に、肉を次々と乗せて行く。
最初はタン塩からとか、そういうお上品なルールなど、餓えた高校生共に通じるはずも無い。
焼き網の上は、治外法権であり、無法地帯であり、仁義なき戦場なのだ。
カルビやミノ、ロース、ホルモン、カシワなどが次々に置かれては、焼き上がりもしない内に網の上を箸が入り乱れた。
タレはもちろん市販のものだが、手当たり次第に買い物カゴに放り込んできたのでバリエーションは充実している。
エバラのタレ。 ゴマダレ。 塩ダレ。 ニンニクダレ。
焼き網の最前線には、欠食児童のトーヤ、『踊る肉団子』ことユゲ、肉奉行のチバ、体育会系のエノケンが陣取って凄惨な戦争を繰り広げているので、俺は一時撤退して出方を伺う。
見ると、女性陣もアキラもその場から一歩引いて、最初に取った肉をレタスに包んで食べていた。
何故か知らないが、アキラは華奢な印象があるせいか、女性陣に混じってもさほど違和感が無いから不思議だ。
肉食獣のエノケンと違って、アキラは草食動物っぽいから、レタスをムシャムシャやってても様になる。
「何か……入り込めないね」
「そうだな……」
アキラと俺は、お互い苦笑しあった。



「タカヒロはさ、目標にしてるドラマーとかはいないの?」
肉を、器用に割り箸でレタスに包みながら、アキラは尋ねてきた。
「目標にしてるドラマー、か」
そう言われて、俺はふと思い悩んだ。
好きなバンドはいっぱいある。
しかし、その中でドラマーの名前まで知ってるバンドとなると、そう多くはない。
やはり、バンドというジャンルの中では、ギタリストやヴォーカルばかりに日の目が当たる事が多いのが現状だ。
日本の音楽業界の中で、一般人にまで名を馳せているリズム隊というと、両手の指で数えられる程しかいない。
俺の知っている中では、ミッシェルのクハラカズユキ、ブランキーの中村達也、ノートの河合俊道、ラルクのユキヒロ、エックスのヨシキといったところだろうか。
しかし、それらのドラマーが自分の目標かと問われれば、それはまた何か違う気がする。
俺の目標としてるドラマーというのは――――――――
その時、俺の脳裏に過ぎったのは、半月前、俺の目の前でドラムソロを奏でて見せたアキラの姿だった。
あの時、俺は自分の理想の姿を、そこに重ねていた。
俺は、ドラムを始めた頃、ああいう自分の姿を夢想していた。
その姿と、今の自分との齟齬に、俺は悔しさを覚えたのだ。
俺の目標としてるドラマーは、アキラなんだ――――――
しかし、そんな照れくさい事を、本人の前で言える訳が無い。
「やっぱ、ミッシェルのクハラかな。 単純だけど、重くて奥行きのあるフレーズ叩くじゃん」
と、お茶を濁した。
タレをどっぷし漬けた豚トロを口に運ぶ。
濃厚な甘辛い味に、白いご飯が欲しくなった。
「アキラは?」
「え?」
「アキラにも、いるのか? 目標にしてるドラマーが?」
アキラは、少し考え込むような仕種を見せてから、やがて「いるよ」と、笑顔で返してきた。
「へぇ、何てバンドのドラマーだ?」
「その前に質問。 世界で一番のドラマーは、誰だと思う?」
唐突な質問返しに、俺は面食らう。
世界一の、ドラマー――――――
世界にまで枠を拡げれば、俺でも知ってるドラマーは沢山いる。
世界的に有名なドラマーは大抵、スティックのモデルを出しているので、スティック売り場をうろつけば、自然と名前を覚えてしまうのだ。
イアン・ペイス、ジョン・ボーナム、リンゴスター、スティーヴ・ガット、マイク・ポートノイ、パット・トーピー、サイモン・フィリップス……。
誰も彼も、上手いとかそういうレベルで論ずるのも馬鹿らしくなる程の技術の持ち主だが、世界一、となるとどうだろうか。
そもそも、ドラムの技術に、世界一というような優劣の順位をつけられるものだろうか。
「じゃあ、世界一のベーシストは誰だと思う?」
これは、もっと予想外の質問だった。
ドラマーの俺にとって、ベーシストの名前などドラム以上に分からない。
せいぜい、知っててシド・ヴィシャスとポール・マッカートニーぐらいだ。
何故、アキラは、こんな質問を?
「いや、分からないよ」
アキラは、その答えを予想していたのか、イタズラっぽく微笑んだ。
「じゃあ、最後にもう一つ。 世界で一番のリズム隊は誰と誰だと思う?」
その時、俺の中に、啓示のように一つの答えが浮かんだ。
何となく、アキラの質問の意図が分かったような気がした。
「多分、世界で一番のドラマーは誰かって聞かれたら、十人が十人とも違う答えを返すだろう。 同じく、世界で一番のベーシストは誰かって質問にも、きっと十人が十人違う答えを返すと思う」
「―――――――――」
「でも、世界一のリズム隊は誰かって質問をされたら、十人中七人はこう答えるんだ。 『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』の、フリーとチャド・スミスだって」
俺はそのアキラの言葉に、自分の中の閃きが、正しかった事を知った。
レッチリのフリーとチャド・スミス。
リズム隊に身を置く者なら、この二人の名前を知らない者はいない。
この二人の生み出す独創的なフレーズは、現時点で、世界で最も多くのリズム隊に影響を及ぼしてると言って過言ではないだろう。
加算ではなく、乗算の出会い。
フリーだけなら世界一にはなり得ない。
チャド・スミスだけでも世界一にはなり得ない。
だが、この二人が奇跡のような出会いを果たす事で、二人は世界一のリズム隊となるのだ。
「俺がドラムを、ケンタがベースを始めるきっかけになったのが、レッチリだった。 俺とケンタを結び合わせたのは、レッチリだ。 その時、俺達は誓ったんだ。 俺はチャドを超える。 ケンタはフリーを超える。 そして、俺達は世界一のリズム隊の座を、レッチリから奪うんだってね。 今考えれば荒唐無稽もいいとこの目標だけど、でも、今でもレッチリが俺達の目標には違いないんだ。 今は無理でも、いつか越えてみせる。 俺のドラムと、ケンタのベースで」
「―――――――――」
アキラは、真っ直ぐだ。
こいつは、本当にただ純粋にドラムが好きなんだなぁと思う。
俺のように、モテる為だとか、一縷のプライドだとか、そういう余計な不純物など、こいつには存在しないのだろう。
ある意味、求道的だと言ってもいい。
才能のある奴が、そのまま才能のある方向に一心に興味を示し続けたらこうなるのだろうか。
ドラムに対する、愚直なまでの真摯さこそ、こいつの技術の秘密なんだろう。

「コラァ! お前ら、女の子ほっぽってマニアックな話してんじゃねぇ―――――っ!」
と、いきなりサリナのチョップが俺の後頭部を襲った。
サリナは体格がいいので、おふざけの一撃でもかなり痛い。
俺が頭を押さえてうずくまってると、ナオコが頭を撫でてくれた。
優しい、ナオコ。
「ったく、アンタら、音楽馬鹿は。 養老くんだりまで来てドラムの話してんじゃないわよ」
「まぁまぁ、サーちゃん。 夢中になれる事があるのはいい事だよ」
「ナオコは甘いっつーの。 こっちだって骨盤に優しくないシートに跨って、ン時間運転してるってーのに」
サリナは相変わらず気性が激しい。
「ね、ね、高梁くん。 『ZAN党』って今年も学園祭に出るの? 出るんだったら観に行きたいな。 私、こないだのライブでファンになっちゃった」
ナオコが、実に嬉しい事を言ってくれた。
ライヴの一件で、ナオコとの距離が一気に縮まった、ような気がするのは気のせいか?
単に、チバ、ユゲ、トーヤの三人が絡みにくいからだけかもしれないが、俺としてはこれほど喜ばしい事は無い。
「あぁ、チバの気分次第じゃないかな。 学祭出れるのも今年で最後だし、多分出ると思うけど」
「あんたらは本当に『受験』って概念がないのねぇ~。 このままだと来年からプーだよ?」
サリナが横から空気を読まずに突っ込みを入れてくる。
「い、一応勉強はしてるって。 大学だって、選ばなきゃ、どっかは入れるだろ」
「あー、その思想がもう駄目駄目。 『底辺じゃなきゃいいや』って考え方してる奴ほど底辺に行くのよ。 つまりアンタ」
「お、お前はどうなんだよ」
「アタシは短大だもーん。 今の成績なら余裕よ」
サリナが、ずーんと胸を張った。
確かに、将来の事を考えると気が重くなってくる。
来年の今頃、俺はどうしてるのだろうか。
フリーターか、大学生か、あるいはニートか。
どんな道を歩むか分からないが、それでもドラムを続けてられたらいいなと思った。
俺が今までの人生で一つだけ見つけた、夢中になれるもの。
俺は、初めてそれを失いたくない、と思った。
肉取り合戦では、早くもチバとトーヤが脱落していた。
元々二人とも痩身でガリガリだから、胃袋の容量では他の二人に遅れを取っている。
今、網というフィールドでデュエルを繰り広げているのは、デブのユゲと、マッチョのエノケン。
実にくだらない戦いだったが、四つ巴の戦いで二人が消耗しているこの戦況、漁夫の利を攫うならこの機を置いて他は無い。
「行くか、アキラ」
「うん。 今行かないと、肉、食いそびれちゃう」
俺とアキラは、サリナとナオコを伴なって、肉取り合戦の輪の中に突入していった。
大丈夫。 きっと、来年には、来年がある。
今は、手に入れたこの楽しい夏の一時を満喫する事だけを考えよう。






































――――――――――――――これが、この夏の出来事だった。
















  





-残党編・完-







       

表紙

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Neetsha