Neetel Inside 文芸新都
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「しっかし、男と相合い傘とは。俺もツイてないぜ」
隣で直樹がぼやいた。
 帰宅道、遂に耐荷重を超えた雲は豪雨を降らせた。直樹の大きな傘でも二人を完全に保護することは出来ず、僕は左肩、直樹は右肩がそれぞれ濡れていた。僕の方が広範囲濡れているのは、多分直樹の身長が僕より10センチほど高いからだろう。
「ごめんな直樹。僕が傘を忘れて来たばっかりに。僕は荷物が濡れなければそれでいいから……」
 僕が鞄だけ渡して傘から出ようとすると、直樹は傘を持った腕で僕の首を掴んだ。そのせいで直樹がびしょ濡れになる。
「おいおい、ちょっと待てって。この日高(ひだか)直樹が大切な友人を見捨てるわけないだろ? 二人で半分ずつ濡れようぜ」
 直樹は時折こういった暑苦しいスキンシップを取ることがある。僕は直樹のそんなところは嫌いじゃない。
「分かった。分かったから自分にも傘差してよ。直樹びしょ濡れだよ」
「おう」
 直樹は腕をほどくと、さっきのように相合い傘をする形で傘を差した。すでに体中がびしょ濡れだが本人が気にしてないようなので良しとする。
「……あー、濡れちまった」
 前言撤回。どうやら気にしているらしかった。
「ところでさ白崎(しろさき)?」
「ん?」
「さっきからずっと後ろの視線が気になってるんだが」
「見ちゃダメだよ。気にしたら負けだよ」
 僕と直樹の後ろには伊達さんがいた。学校の下駄箱からずっと、常に20メートルくらいの間隔を維持して歩いている。それ以上近づいてこそ来ないが、視線はさっきからずっとこちらを捕らえたままだ。補食者に狙われている草食動物の気分だ。絶えず心に何かが突き刺さる感じが離れない。
「お前も愛されてるなぁ?」
「……まぁね」
 伊達さんが僕のことを好いているというのは、もはやクラスの共通認識となっていた。当然、直樹もそのことを常識として話を進める。
「お前の何がこんなにも伊達を引き付けるんだろうな?」
「僕が聞きたいくらいだよ」
「もういっそのこと付き合っちゃえば?」
「直樹……。僕に好きな人がいるの、知ってるだろ?」
 直樹は困ったように眉を顰(ひそ)めて僕を見下ろした。
「伊達の告白はもう断ってるんだろ?」
「うん。もう4回ほど」
 中学2年のクラス替え初日、出会い頭で突然告白されたのを皮切りに、今までの告白回数は都合4回。その全てを断っている。
「普通はそれだけ断られりゃ諦めるけどな」
「まぁ、伊達さんは普通じゃないから」
「そんだけしつこくされて、迷惑じゃねぇの?」
「全く迷惑じゃないって言うと。それは嘘になるけども……」
「付きまとうなって本人にはっきり言えばいいじゃん。迷惑じゃねぇの?」
「うん、まぁ……」
 曲がり角に差し掛かるタイミングを見計らって、少しだけ後ろを盗み見る。水色の傘の下から滴り落ちる雨粒の間から、いつも通り無表情な伊達さんが見えた。目が合い、慌てて視線を戻す。
「……実害があるわけじゃないし、ね」
「でも学校からずっと後付けているんだぜ?」
「いつものことだよ」
「尚更悪ぃじゃねーか」
 直樹は大きく息を吐くと、空いているほうの手で前髪を引っ張り始めた。
「お前らさぁ、なんつーか、健全じゃねぇよ。普通告白して振られたら、自分も相手も気まずくなるもんだろ。伊達が普通じゃないのはよく分かるけど、振った女にストーカー紛いのことされてヘラヘラしてるお前も普通じゃねぇよ」
 直樹は真剣な話をするとき、相手の目を決して見ずに喋る癖がある。今の直樹を見ていると、僕を心配して注意してくれているということがよくわかる。
「僕は、別に……」
 自分の気持ちは誰よりもよく分かっている。僕は伊達さんの行為を少なからず迷惑だと、過剰だと感じている。だからといって特に何をするわけでもない。
 迷惑なら、本人にはっきり言えばいいのに。
 直樹の言うことは全くの正論だった。
 ならなぜ行動に移さないのか。
 答えは分かっている。
 ただ、僕は認めたくないだけ。最低な自分を拒絶したいだけ。
「いや、実は本当に帰る方向が一緒だったりするんだよね……」
 卑怯な答えが口を突いて出た。しかし、嘘ではない。伊達さんと帰る方向が同じなのは、事実だ。
 直樹は驚いたように突然立ち止まった。跳ねた水が足に掛かる。
「あー、そ。そりゃ大変だわな」
 直樹は急に先ほどの神妙な面持ちを解くと、いつもの飄々とした雰囲気に戻った。
「どうしたの? 急に立ち止まって」
「いや、それって俺とも帰る方向一緒ってことだよな?」
「あぁ、確かにそういうことになるね」
 こんな雨の機会でないと、直樹は部活でほとんど一緒に帰ることがない。知らないのも無理はないだろう。
「そっか。じゃあ白崎が帰った後はあの視線と一人で戦わなきゃいけないんだな……」
「ははは。ご愁傷様」
 直樹には申し訳ないが、こればっかりは仕方がない。例え僕が伊達さんの行動に口出しをしていたとしても、伊達さんの帰り道まで僕の一存で変えるわけにはいかないし、第一そんな理不尽なことをするなんて僕のプライドが許さない。普段は僕一人我慢すれば済むことだが、今日のところは雨を呪って我慢してもらう他ない。
 そんなことを考えているといつの間にか十字路に来ていた。向かって右が僕の家、左をずっと行ったところに直樹の家がある。ここが僕らの別れ道になるわけだ。
「じゃあ俺、こっちだから」
「あぁ、ありがとう直樹。恩に着るよ」
 直樹は後ろ手を振って曲がって行った。
 僕も自分の家に向かう。曲がり角にある二階建て一軒家が僕の家だった。
「……そういえば、伊達さんの家ってどっちなんだろう?」
 伊達さんは十字路をどう進むんだろう? ついさっきまで後ろにいたのだから、伊達さんもこの十字路を登下校に使っているはずである。いつも後ろを振り向かずにすぐ家に入ってしまうから分からなかったが、もしかしたら直樹が視線を感じる必要はないのでは?
 直樹とのあんな話があった手前、僕はなんとなく興味を惹かれて、伊達さんを見届けることにした。家に入り靴を脱ぎ捨てて階段を駆け上がる。二階にある自分の部屋から、カーテンを少しだけ空け、隙間から十字路を見下ろすと、ちょうど伊達さんらしき人影が差し掛かったところだった。窓を伝う雨露が邪魔でよく見えないが、一つだけ見える水色の傘は間違いなく伊達さんだろう。
 伊達さんは十字路の真ん中から動こうとせず、ずっと佇んでいた。何をしているのかよく分からない。雨と傘が邪魔だ。
 5分間ほど経っただろうか。伊達さんはまるで何事もなかったかのようにまた歩き始めた。十字路を、真っ直ぐ。
「あれ?」
 右にも左にも曲がらなかった。ということは、僕とも直樹とも違う道だ。図らずもこの十字路が僕ら三人の分かれ道となった。
「まっすぐ?」
 あちらの方に行っても繁華街しかない。住宅地は左に曲がるか右に曲がるかのどちらかである。とすると、残りは東釘沼(ひがしくぎぬま)駅から電車を使うということしか考えられない。
「…………」
 しかし、学校のすぐ近くに釘沼駅がある。わざわざこちらまで歩いてこなくても事足りるし、無駄な労力だ。それに釘沼駅は急行だって止まる。東釘沼まで歩くメリットがない。
「…………謎だ」
 それっきり考えるのを放棄して、僕はベッドに体をあずけた。


       

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