Neetel Inside 文芸新都
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 昨日あれだけ降ったくせに、一日たった今も雨は全く衰えを見せない。それどころか、むしろ勢いを増して盛大な雨音を立てていた。折角の休日にこれでは何もすることがない。真っ暗な部屋の中、床に身体を預けてぼんやりと窓の外を眺めていると、昼夜の感覚がなくなってしまう。
 昨日、なぜ伊達さんはこちらまで歩いてきたのだろう。たまたま歩く気分だったというわけではなさそうだ。伊達さんに初めて告白された4月から実に2ヶ月半が経とうとしているわけだが、ただ歩く気分というだけでこちらまで来ているなら2ヶ月半も続くまい。だとするとやはり東釘沼駅を使っていることになるのだが、それではどうしてもおかしい。
 公立中学校は基本的に地域制になっているはずである。僕の通っている釘沼中学校は原則的に西釘沼、釘沼、東釘沼に住んでいる生徒が通う中学校だ。西釘沼に住んでいるとしたら釘沼駅の方が近いし、釘沼に住んでいるなら歩きのはず。そして僕と同じ東釘沼に住んでいるとしたら、十字路を右か左に曲がるのが道理である。東釘沼駅を使うのはおかしい。
 他の地域に住んでいる可能性もなくはないが、わざわざ特筆していい点があるわけでもない釘沼中に遠くから通う必要はない。それに他の地域に住んでいればそれだけでクラスの話題に挙がるはずだが、それもない。
「んー、謎だ」
 伊達さんの行動はとことん理に適っていない。
 理不尽なことは嫌いだ。伊達さんの行動が苛立たしい。
「もしかして……」
 最悪のケースが頭をよぎる。考えられないくらい低い確率だが、考えられなくはないケース。もしそうだとしたら、伊達さんは……。
「…………」
 僕は一旦考えるのを止めて、雨音に耳を澄ませた。


「お兄ちゃん、入るよー」
 コツコツ、というノックの音と同時に扉が開く。ドアの隙間から入った光はまっすぐ僕のベッドを照らした。
「うわっ、真っ暗! 電気くらい点けなよー」
「飛鳥(あすか)、ノックと同時に入ってくるなよ」
 突然の来訪者は妹の飛鳥だった。最近こうやってよく我が物顔で部屋に入ってきては、2、3言質問をして帰っていく。甚だ迷惑なやつだ。
「じゃあノックしないで入っていけばいいのー?」
 飛鳥はお気に入りの黄色いゴムで束ねたポニーテールを揺らしながら、勝手に部屋の電気を点け、クッションに腰を降ろした。図々しいにも程がある。完全な領土侵犯だった。
「なんでそういう方向に話がいくんだよバカ。そうじゃなくて、ノックをして、こっちの返事を待ってから入るのが礼儀だろ?」
 中学2年の男子が突然部屋を開けられることがどれだけ精神的苦痛になるか、こいつはまるで分かっていない。今はたまたま床に寝そべって考え事をしていたからよかったものの、タイミングによっては家族会議にまで発展する可能性だってあるっていうのに。
「なによー、別にいいじゃないそれくらい。あたしに見られたらマズイような、やましいことでもしてるわけ?」
 うっ、図星……。
「そうじゃなくて、常識の話をしてるんだよ。ホントにお前は常識はずれだな」
 なんとか論点をずらして回避する。
 飛鳥は僕が言ったことが癇に障ったのか、眉間にシワを寄せてむくれた。
「いつも部屋真っ暗にしてる『根暗お兄ちゃん』に、常識はずれなんて言われたくないですーっ」
 短い舌を無理矢理出してこちらを威嚇するような顔を作る飛鳥。もう中学1年なんだから、そろそろこういう子供すぎるリアクションは止めてほしい。兄である僕の品格まで疑われてしまう。
「別に根暗だから電気を点けないわけじゃないよ。点けたら電気代が勿体ないだろ?」
「それが常識はずれなのよー。普通そんなこと気にしないよ?」
「普通は気にするんだよ。自分が稼いでるわけじゃないんだから。お前は親からなんでも買ってもらいすぎだ。僕なんかこの部屋だっていらないくらいさ。勉強だって読書だってリビングでできる」
「お兄ちゃん、やっぱり変わってるね……」
 飛鳥は辟易したように溜め息をつくと、ずるずると身体を沈めていった。腰にあったクッションが首の位置まで来て、頭だけ直角に起こして寝そべっているような体勢になる。肩が凝りそうだ。
「そんなこと言うために僕の部屋まで来たのかよ」
「いや、違うけど……」
「じゃあ用件はなに?」
 どうせいつもと同じ用件だとは思うが、あえて聞いてみる。勝手に部屋に上がりこんだ罰だ。
「それはー……」
 飛鳥は急に押し黙ると、僕から目線を逸らした。
「そうだ、お兄ちゃんっ!」
 飛鳥は急に思いついたように、上半身を腹筋運動させ起き上がらせた。寝たり起きたり忙しいやつだ。
「何?」
「あのさー、お兄ちゃんがいつも一緒にいる人って、お兄ちゃんの彼女!?」
「…………は?」
 いつも一緒にいる人? 誰?
「あの、髪が短くて、前髪だけ少し長めの、すっごい綺麗な人!」
 飛鳥は興奮したように捲くし立てた。身振り手振りの度に御自慢のポニーテールが弾むように揺れる。
「それって、伊達さんのこと?」
いつも一緒にいるって言うほど、一緒にはいないはずだけど。
「またまたぁー、隠さなくていいよー」
 飛鳥は勘違いしたまま拳で僕の胸を小突いた。
「いやいやいやいや、あれはそういうのじゃないよ。ただの……」
 ただの……なんだろう。そういえば僕と伊達さんの関係って、世間一般ではなんて表現するんだろうか。
「ただの、なにー?」
 興味津々、という顔で見つめてくる飛鳥。どうして女の子というのはこうも他人の恋愛に関心を抱くのだろうか。
「ただの……友、達?」
「またまたぁー、隠さなくていいって!」
 全く信用してくれなかった。
「いやいやホントに」
「だってあたし今日見たよー。お兄ちゃんとその人が一緒に帰るの」
 直樹と一緒に帰っていたのは見ていなかったのか。都合のいいやつだ。
 っていうか見てたのかよ。だったら声くらい掛ければいいのに。どうせ同じ家に帰るんだから。
「一緒に帰ったんじゃないよ。たまたま帰る方向が同じなだけ。それに伊達さんは僕の後ろを歩いてただろ。隣で話しながら帰ったわけじゃないし、そんなこと言ったら帰宅方向が同じ人はみんな一緒に帰ってることになっちゃうよ」
「確かに、それはそうかもー」
 納得したようなことを口ではいいつつも。、飛鳥の顔は不満気味にむくれていた。
「そう。だから別に彼女とかそーゆーのじゃないの」
「でも、あたしのクラスの友達みんな言ってるよー。お兄ちゃんとあの人付き合ってるって」
「え、うそ……」
 下の学年で噂になるって、一体どれだけ僕と伊達さんのことは有名なんだろう……。伊達さんの一方通行の愛というのは既に知れ渡っているが、こう調子だと同じ学年の中にも誤解している人がたくさんいそうだ。
 お互いに普段あまり話さないから、たまたま話しているのを見られてそう思われてしまうのだろうか。伊達さんはともかく、僕は直樹とか他にも話す人はいるのに。異性同士で話すのは、中学生という微妙な年頃だと、色々と勘繰られてしまうのだろう。それにしても迷惑な話だ。
「まぁ僕の話はいいよ。それよりお前の話だ」
 どうせこれ以上弁解しても聞き入れないことは目に見えているので、とりあえず話題を戻す。飛鳥はまだ色々と追求したそうな顔をしていたが、部屋に来た当初の目的を思い出したのか、素直に頷いた。
「で、用件はなに?」
「それは……」
 飛鳥は自分の話になると急に言葉を詰まらせた。なにかを逡巡しているように首を傾げる。
「どうせ直樹のことだろ?」
 煮え切らないのでこちらから切り出す。飛鳥は驚いたように目を見開くと、すぐさま眉を吊り上げて頬を膨らました。目の前でコロコロと表情が変わっていくのは面白い、なんて感想を口に出す前に、衝撃が下腹部を突き抜ける。
「ぐぇっ!」
 不覚にも踏み潰された蛙のような声を出してしまう。下っ腹を思い切り蹴られた、という事実が遅れて頭の中に入ってくる。
「痛ってぇな!」
 腹を擦りながら飛鳥の方を睨むと、いつの間にか身体を起こした妹は僕を上から見下ろしていた。
「分かってるならいちいち聞くなっ!」
 怒りたいのはこちらの方だが、とりあえずこれ以上相手を逆上させても暴力では勝ち目がない。僕は正座をして、飛鳥にも手でそれを促した。こちらが非を認めたことが伝わったのか、飛鳥も渋々従う。
「で、今日は何が知りたいの?」
 飛鳥はまたも渋るように口をモゴモゴさせると、やっと言葉を発した。
「直樹さんって、好きな人とかいるの?」
「いないと思うよ」
 飛鳥の問いに間髪入れずに答えると、またもや不満そうに頬を膨らませた。
「ちょっと、ちゃんと答えてよー!」
「ちゃんと答えてるって」
「本当に?」
「ホントに」
 僕の弁解では釈然としないのか、仏頂面を中々崩そうとしない飛鳥。
「……本当に?」
「ホントだって!」
 何度もしつこいやつだ。どうして僕にはここまで信頼がないのだろう。そもそも信頼していないなら僕に質問するなという話である。
「じゃあいないと『思う』ってなによー、『思う』って」
「だって、直樹とそういう話しないし。でも見てる限りいないとは思うけど」
 飛鳥は嬉しいのか怒っているのかよくわからない顔をしながら、突然立ち上がり部屋を出て行こうと扉に手をかけた。
「ホンットに役に立たない『根暗お兄ちゃん』っ!」
 そう捨て台詞を残すと、止めてある金具が外れそうな勢いで扉を閉めた。
「…………いったいなんなんだあいつは」
 直樹がフリーなのが嬉しかったのか、僕に腹を立てているのか。恐らく両者だろう。
 後輩として、同じ陸上部に所属している直樹に、憧れやそれ以上の感情を抱く理由はよく分かる。背も高く運動神経も良く、後輩の面倒見もいい、まさに理想の先輩像なのだろう。いつか飛鳥に「なんであの直樹さんと『根暗お兄ちゃん』が友達なのー!?」と聞かれたことがあったが、確かに僕なんかが友達と言うのはおこがましいくらいに良く出来た人間である。友達になった由来などは結局覚えていないのだが、この友情を大切にしていかなければいけない。
 伊達さんが好きな僕。僕と友達の直樹。直樹のことが好きな僕の妹。人間関係は知らないうちに複雑に絡み合っていくものなのだろう。

       

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