Neetel Inside 文芸新都
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 気付かない振りをしても駄目。それはいつでも頭の一番上にあって、いつでも心の一番目立つところに巣くっているのだ。きっかけなんてなくても構わない。どんなに好きなことに没頭していようと、どんなに試験前の勉強で焦っていようと、その気持ちは目に見えて肥大化していく。それが、昼休み前最後の授業ともなれば尚更だ。ただでさえ思考がトリップしやすいこの時間にそれが頭を過ぎらないわけがなく、ご多分に漏れず僕の頭の中も瀬川のことで埋め尽くされていた。
 トイレから戻ってきた僕は、3つ前の席に見える瀬川の後ろ頭を見ながら自然と溜め息をついていた。とにかく瀬川のことが気になって気になって仕方がない。一体伊達さんと何を話していたのだろう。いや、伊達さんに一体何を吹き込まれたのだろう。いくら考えても答えが出ないことは分かっているのに、それでも考えずにはいられなかった。
「伊達が迷惑なんだったら、本人にきちんと言った方がいいんじゃねぇの?」
 直樹の言葉が思い出される。確かに今までは軽く警告する程度で黙認してきたし、今日の朝だってあまり過度な愛情表現は止めてくれと忠告はした。しかし、流石に瀬川にまで介入してくると迷惑だ。今まで誰とも話したことない伊達さんが、僕の好きな人を知った途端、急に瀬川と仲良くするなんて何か企んでいるとしか思えない。これを機に伊達さんにしっかり伝えた方がいいかもしれない。僕にも瀬川にも金輪際関わるな、と。
「でもなぁ……」
 伊達さんの方を見る。相変わらず何を考えているのかわからない無表情で黒板を見ている。
「可愛いんだよなぁ、実際」
 伊達さんには隠れファンが多い。興味のベクトルが全て僕へ向いているということが共通認識になっているからこそ人気が低いように見られがちだが、伊達さんは元々寡黙で美人、しかもストーカー予備軍という、クラスで目立つには十分過ぎる要素を持ち合わせている。伊達さんにストーカーされたい人を募ればクラス中の男子が両手を上げて立候補することだろう。
 正直なところ、そんな伊達さんの愛情を独占できるのは気分が良かった。人に好かれれば誰だって気分がいい。それがクラス中の人気者なら尚更だ。なんとなく鼻が高くなる。それが心地良かった。
「やっぱり惜しいよなぁ……」
 認めたくない、醜い自分。瀬川のことを好きでありながら、伊達さんのことも完全に捨てきれない身勝手な自分。目を逸らさずに自分を見つめれば、こんなにもクッキリと醜悪な心が見える。
「それをはっきりしろって言ってるんだよな、直樹は」
 そんな身勝手な想いだって、瀬川に対する想いには敵わない。瀬川への恋の障害となるなら、きちんと話を着けなければならないだろう。どんなに好かれることが気持ち良くても、人を想う気持ちには勝てない。結局のところ、惚れた側の負けなのだ。
 よし、言おう。伊達さんに、はっきりと。
「……まぁ、それは会話の内容が分かってからでも遅くはないか」
 まずは探りを入れてから。そんな逃げ腰の結論で、結局問題を先延ばしにするのだった。








 長雨が去り久しぶりに訪れた、つかの間の晴れ。気象的には雲が空を8割方覆っていても晴れだと言うのだから、今日の天気も晴れにカウントしていいはずだ。天気予報によると、あと2、3日もするとまた降り出してくるらしい。梅雨はまだ長い。だったらせめて今の間だけでも、たとえ薄く伸びた雲が太陽を覆ってしまっていても、今日の天気を晴れだと信じたいのが人情というものじゃないだろうか。
 昨日は結局、何か釈然としない気持ちを引きずったまま一夜を明かしてしまった。伊達さんは一体、瀬川に何を吹き込んだのだろう。それだけがずっと頭をぐるぐると回っていた。あの後、帰り道で伊達さんにそれとなく聞いてみても上手くはぐらかされてしまった。
 もうこうなったら瀬川に聞くしかない。そう僕は思った。直接本人に聞いて確かめるしかない。でなければこのモヤモヤした気分は払拭できないだろう。かといって瀬川と僕の間柄を考えると、学校にみんながいる中話し掛けるのも気が引ける。 そう考えた僕は、早朝を狙うことにした。
 朝7時。まだ部活の朝練をする連中も来ていないような早朝。校舎内はひっそりと静まり返っていて、人気のない廊下で自分の足音がやけに響いた。
 瀬川はもう来ているだろうか? 恐らく来ているとは思う。瀬川の家は両親を規準に生活スタイルが組まれているので、父親の出勤時間に合わせて家族全員が家を出る。 そのため、瀬川はいつも始業時刻の1時間前には学校に到着しているのだという話を以前聞いたことがあった。
 教室に入ると、やはりと言うべきか、瀬川はすでに席に着き勉強をしていた。少しだけ安堵する。まだ僕には気付いていないようで、扉を閉めた音にも反応せず、黙々と何かを書き写していた。
 普通一人で教室にいれば、誰か入って来たら振り向きそうなものだけど。相変わらず鈍い。それとも、誰が入ってこようと興味がないのか。
「瀬川」
 僕は鞄を机に置くと、早速瀬川に声を掛けた。
 瀬川は僕の声に全く反応を見せず、ただ黙々と机に向かっていた。もしかして気付かなかったのだろうか? とてもじゃないけど考えられない。
「瀬川、おい瀬川」
「ん? あぁ、『瀬川』って私ですか」
 肩まで叩かれてやっと気付いたようで、瀬川は手を止めると体ごとこちらを振り向いた。
 咄嗟に、目線がぶつかる。僕を見上げる瀬川の瞳は、上目使いの状態でも下に白い部分が見えないくらい大きい。大粒の黒真珠を彷彿とさせる黒目がちの瞳だ。
 伊達さんとはまた違った、目力(めちから)のある瞳だと思う。
「はれ? ワタルさん、いついらっしゃったんですか?」
「ついさっき」
「そうだったんですか……。気が付きませんでした」
 ……ホントに気付いてなかったのかよ。信じられない事実だった。
「そんなことよりワタルさん」
 瀬川は急に柔らかそうな頬を膨らませると、眉を吊り上げてこちらを睨んだ。
 少しドキッとしてしまう。僕はMなのかもしれない。
「ワタルさん。『瀬川』は止めてって言ったじゃないですか。『憩』って呼んでくださいよ」
「あ、ごめん」
「『あ、ごめん』じゃないですよ。苗字で呼ばれるの、嫌いなんですから」
 瀬川は人と話す時、決して目線を外そうとしない。吸い込まれそうな瞳を見つめ続けることが出来ず、僕は知らずに目線を逸らしていた。
「いいじゃん、瀬川憩。名前にぴったりの苗字だと思うけど」
「いやです! 嫌いなものは嫌いなんですっ!」
 瀬川はすっかり機嫌を悪くしてしまったようで、膨れっ面のままそっぽを向いてしまった。ただ苗字で呼んだだけなのに、理不尽なことこの上ない。
「わかった。以後気をつけるよ。そんなことよりさ、話したいことあるんだけど」
「え、そうなんですか?」
 瀬川は再びこちらに向き直ると、小首を傾げて見つめてきた。
「ワタルさんから私に話なんて珍しいですね。なんですか?」
 前髪がふわりと揺れる。期待を込めた眼差しは少し潤んでいて、僕を緊張させた。
 どうやら怒りはもう収まったようだ。そんなこと呼ばわりしたのも特に気にはしていないらしい。相変わらず感情の振れ幅が激し過ぎる。まぁ、そんな所も含めて大好きなんだけど。
「今日の昼休み、一緒に食べながらとかでいいんだけど、どう?」
「『お昼を一緒に』ですか。んー…………」
 瀬川は大袈裟に驚くと、顎に手を当て、考え込むように唸った。徐々に眉が寄っていく。唇も尖っていく。物凄く熟慮しているようだ。
「いや、そんなに真剣に悩まなくても……」
「それはお昼じゃないとダメですか?」
「いや、別に話すだけならいつでもいいんだけどさ。ただ……」
「? ただ、なんですか?」
 ただ、ついでにお昼をご一緒出来ないかなー……なんて。
 言えるわけない。
「いや、なんでもない」
「ふぅん?」
 瀬川は気になるようだったが、僕がそれ以上語る意思がないことを悟ると、すぐに表情を切り替えた。
「なら、うん、決まりましたッ!」
 瀬川は右手で拳を作り左手の平をポンッ、と叩いた。何か閃いた時に使うジェスチャーだ。少なくとも今このタイミングで使うのは間違っている。
「ワタルさん、今ならお話を伺うことが出来るのですが、それでいいですか?」
「ん、あ、あぁ……いいけど」
「よかったです」
 瀬川は下唇を隠すように軽く噛むと、柔らかく微笑んだ。癖なのだろうか? しかしその仕種が堪らなく可愛い。まさに極上のスマイル。
「では行きましょう、ワタルさん」
 瀬川は急に立ち上がると、僕の手を取った。
「行くって、どこへ……?」
「決まってるじゃないですか。『屋上』ですよ」
「え、なんで?」
 今教室には誰もいない。わざわざ場所を移す必要なんてないのに。
「いいからいいから。せっかく久しぶりに晴れましたし、行きましょうよっ!」
「…………まぁ、いいけど」
そのまま手を引かれるままに、僕らは屋上に向かった。


       

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