Neetel Inside 文芸新都
表紙

デッドフィッシュシンドローム
2:Unreasonable Egg

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 僕は以前から何度か、口を利く魚の夢をみたことがある。そいつはいつも眼を閉じたままだ。だけど長いまつ毛の生えたその目蓋を開いたら目玉が流れ落ちると確信できる。そいつは腐っているから。だけど生臭さはなく熟れた果実のような甘ったるい臭いがした。
 そいつは僕が死ぬことを望んでる。それだけがそいつの幸福だ。「死ね」って僕に繰り返す。
 赤いムスタングとお喋りするこの女の子を見て僕はその魚を思い出した。
 彼女が言った「死ねば良いのに」という台詞に僕は少しだけ同意した。僕は生きていてもあまり社会に貢献してはいないし、元気が出なくなるような、有害音楽ばっかやってるから。
 だから僕は「そうだな……」と答えた。
 すると彼女は眉をひそめて、またギターと話し始めた。
「ルーシー……彼が何か言った。私に言ってるのかもしれない。そうじゃないかもしれない。もしそうなら、どうすればいい? ……どうもしなくていい? どうにかしたほうが……いいんじゃないの? ……しなくても、いいんだ? ルーシー……」
 しばらく沈黙した後、彼女はため息をつき、いきなりギターを弾き始めた。
 Dを雑にかきならしてる。
 そしてAに移り、歌い始めた。
「空を飛んでる鯨がいる
 どこからか飛んで来た
 仲間を呼びたいのに
 鳴くことはできない
 口を縫われているから

 孤独なまま鯨は死んで
 地に落ちた
 たくさんの猫がたかって
 鯨の肉を
 剥ぎ取って夕食にした
 世界中の猫が集まった
 それでも食べきれないほど
 鯨は大きかった

 鯨は空を飛ばなくなった
 鯨は空を飛ばなくなった
 鯨は空を飛べなくなった……」
 泣きそうな声だった。彼女は歌い終わるとまだ立っている僕を見て、
「帰らないの? 君を撃退するために今の歌を歌ったんだけど」とやや意外そうに、言った。
「いや逆に興味が湧いた」僕は言った。「なんて名前か知りたい」
「『空を飛ぶ鯨』……」
「曲の名前じゃなく君の名前だよ。そのムスタングがルーシーって名前なのは分かってるけど」
「ミチコ」そっぽを向いて彼女は答えた。
「ミチコか。……ちなみに僕の名前は血井影介っていう……このギターはジェニー……」
「ちい? 女の子みたいな名前」
 そうだろうな……昔からそう言われてきた。
「ミチコはここに結構来てるのか?」
 大分前から僕もここで演奏を行っているが会ったのは初めてだった。
 彼女は首を横に振る。
「そうか。……じゃ、僕は帰るよ、いい歌を聞いたし」
「やらないの?」
 他人の演奏を聞いたら自分がやったような気分になることがたまにある。今回もそうだった。僕はジェニーをかついで、公園を出る。
 ミチコはこっちをずっと見ていた。
 黒く濁った目だった。


 僕は家に帰りコーラを混ぜたウイスキーで吐かない程度に酔い、小此木大造の家に向かった。
 ヤツのアパートに着くまでに何度かぶっ倒れそうになる。ミチコの歌で脳をやられたか、あるいはライブの疲れがたたったか。ジェニーの激励を受けながら僕は坂の中腹にある大造の家に着いた。
 ドアを足でノックする。すぐに開いた。
「いよう……エイスケじゃんか。お疲れ」
 言い忘れたが大造は僕と同じバンド「ガンズ・アンド・ジ・オールドマン」のベーシストである。言い忘れるくらいどうでもいい。年寄りみたいに動きが弱弱しいヤツだ。
「さっそくだけどいいニュースと悪いニュースがあるんだ」大造が言った。「来戸が旅から帰って来た。中で寝てる」
「それっていい方? 悪い方?」
「いい方だよ」大造はしばらく洗ってなさそうな頭をボリボリとかいた。「悪いニュースは、あいつがゲロ吐いて中がちょっと臭いってこと」
「そいつは困ったな……」
 僕はどうしようか迷ったが、中に入ることにした。
 コンクリートの床に黄色い染みが出来てる。テーブルに突っ伏してる、手入れを怠ってプリンみたいになってる頭髪の持ち主がうちのボーカルの来戸カオル。
 確かに臭う。僕がここへ来たのは食事を拝借するためなので、まずはこの酸っぱい臭いを消さなきゃ飯も食えない。「酒はないか」と僕は大造に聞いた。
「ある」と言って彼は床に置いてあった酒瓶を僕に渡す。「まずくて飲んでなかったリキュール。どうするんだ」
 僕はそれの中身を吐しゃ物の上にぶちまけた。
 アルコールで臭いが飛ぶかもしれないと考えての行動だったが効果はなかった。それどころか酒の薬みたいな臭いがミックスして余計ひどくなった。
 もう知らない。
 僕は冷蔵庫を開けた。するとおあつらえ向きにサンドイッチとコーラがある。ありがたくいただく。
「またメシを食うためだけにうちに来たのかよ」大造が風呂場からデッキブラシを持ってきた。
「そうだよ」食いながら返事したからサンドイッチに挟んであったジャムが少しこぼれた。しかしもう汚れてるから別にいいだろう。
 プリン頭の女・来戸は眼を覚ますことなくいびきをかいている。
 こいつは毎回ふらりとどこかへ旅に出てしまう。最初にオンボロ服屋「ガンズ」で会ったときもどっかから帰ってきたばかりで、公園で寝たので汚れた服を買い換えるため、来店したのだった。また、突発的な旅とは別に夏と冬にはビッグサイトまで行っている。
 こいつがクビにならない理由は、その声にある。異様に滑舌の悪いこいつがやる気なさげに声を出すと、どこか異国の言葉のような、妙な雰囲気が発揮されるのだ。また、結構顔がいいため、中身が腐ってると知らないヤツらはそこに引かれてファンになったりする。それに身内を呼んでくれるからバンドへの貢献度は高い。
「あいつ何で吐いたんだ?」僕は床をゴシゴシやってる大造に質問した。
「喉に指でも突っ込んだんじゃねえの?」彼は嫌そうな顔で言う。「オレへの嫌がらせかも知れない。以前オレが、あいつから借りたテレキャスに吐いたのを未だ根に持ってるようだから」
 うーむ。恐ろしい。
 僕は久々にそんな彼女の顔を拝もうと近づく。
 すると寝言で来戸はこう言った。
「みんな死ね」
 ブルータスお前もか。人の死を望むなんて。
 誰も彼も他者を憎んでるっていうのか。
 なんてことだ。

       

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