Neetel Inside 文芸新都
表紙

適当を前提にお付き合いください
徒花散る時

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「徒花、って言葉知ってるか?達也」
 見舞いに来たと言う友人は、イキナリそんな話を始めた。
「咲いても実を結ばない花とか、咲いても直ぐ散る花のことだろ。見た目だけで、意味のないこと、そういう言葉だろ」
 唐突な話だったが、入院中は暇なのでとりあえず適当に返事を返す。
 相手の反応なんてどうでもいいのか、その友人はそのまま話を続ける。
「そうそう。まぁ、俺が聞きたいのは徒花そのものに対するイメージなんだけどさ」
「イメージ?」
「おう。お前、徒花そのものに、意味ってあると思うか?」
「さぁな、ないんじゃないの。実を結ばないんじゃ、結局何のために咲いたんだか分からない」
 実を結び、子孫を残し、時にその実は別の生命を育む。それが花の役目だ。
 それを果たさないのならば、たとえどんなに綺麗に咲こうが、意味がない。
「かもな。でも俺はさ、そうやって散っていく花にも意味があると思うんだ」
「それは俺だってそうだよ、人間の観点からすれば、咲こうが実を結ぼうが、綺麗ならなんでもいいだろう」
 確かに、俺だって桜が散っていくのは綺麗だと思うし、そういう意味では無意味とは言えないということくらい分かっている。
 花そのものの意味なんていうので、そうした観点から感想を言ったのに、こいつは何が言いたいんだ?
「いや、そういうわけじゃなくってさ。なんつーか、散ることに意味がある花があってもいいんじゃねーかって思うんだよ」
「散ることに意味がある?」
「そ、散ることしか出来ない―――ただ散るためだけに生まれちまった花があったって、いいと思うんだ。
 散っていく瞬間は、傍目には綺麗かも知れないが、その後は悲惨だ。
 地面に惨めにへばりついて、雨が降った後なんて目も当てられないくらいに醜い。
 でも、それを分かっていて散ることを決意した花のその意思は、美しいと思うんだ」
「どうかな、実際に地面にへばりついてりう花びらを見て、お前は綺麗だって思えるのか?」
 俺が意地悪くそう質問すると、その友人は自嘲気味に笑っていった。
「あぁ、どういうわけか、美しく狂い咲きしている時よりも、幻想的に散っている時よりも、そうやって美的な意味を失った後に惨めな姿をさらしている時のほうが、俺は綺麗だって思うんだ」
「・・・・・・理解できないな」
「だろうな。色々と俺の好みはおかしいって言われてるみたいだし」
 それだけ言うと、友人は来たばかりだというのに、帰ろうとした。
「なんだ?もう帰るのか?」
「あぁ、ここにはついでの暇つぶしで寄っただけだから」
 俺はコイツのことが嫌いだ。
 理由は色々とあるが、最近のことでは、コイツがうじうじした所為で、智恵が傷つくことがあったからだ。
 それでも、なんだか部屋を出て行く背中に、感じるものがあったので、一声かけることにした。
「りょっち」
 名前を呼ぶと、立ち止まった。
 振り返らないその背中に
「頑張れよ」
 と、声を掛けた。
 りょっちは、返事をするでもなく、片手を上げてそのまま部屋を出て行った。

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 アタシは、りょっちが友人の見舞いに行くというので、その後に部屋を出た。
 今日で、終わらせる。
 外に出ると、アタシの決意とは裏腹に、曇り空だった。
 それでも、アタシの心には昨日みた雲ひとつない澄み切った空が焼きついている。
 もう迷わない。
 アタシは、バイクに跨ると、K大学病院へ向かった。

 エレベーターで「6」の数字を押す。
 茂はいるのだろうか?だが、いてもいなくても同じこと。
 順番にやるはずのことを、いっぺんにやればいいだけの話だ。
 そう覚悟して、6階に止まったエレベーターから降りた。
『鳴海 愛』
 プレートにそう書かれた部屋の扉をノックする。
「どうぞ」
 静かな、姉の声がした。
 アタシは、意を決して扉を開いた。
 そこに、茂はいなかった。
 いても代わりはなかったが、少し肩の力が抜けた気がした。
「いらっしゃい、ユウ」
 何も知らない姉は、アタシを歓迎する。
 でも、事実を知ったらどうだろう?
 アタシがただ一人、何も言わずに黙っていれば、全ては上手く行くのかもしれない。
 でも、それはなんだか違う気がした。
 それでは、茂がずっとアタシに負い目を感じてしまうかもしれない。
 だから、上手く説明しなくてはいけない。
 下手な事を言えば、姉と茂の関係まで壊してしまう。
 アタシは一息ついて話しかけた。
「あのね、今日はお姉ちゃんに大事な話があって来たの」
 アタシが真剣な表情でそういうと、姉なにか察しているのかもしれないが、真剣な顔で聞いてきた。
「それは、楽しい話かしら?嫌な話かしら?」
「たぶん、嫌な‥・‥・話」
「そう」
 短くそれだけ言うと、姉は椅子に座るよう薦めた。
 アタシは椅子に腰掛けて、思い切って言った。
「話っていうのは、『茂』のこと」
「茂‥・‥・ね」
 姉は、アタシが『茂さん』ではなく、『茂』と言ったことに戸惑いは見せなかった。
 今までの様子から、何か察しがついているのだろうか。
「お姉ちゃんが事故に遭う前から、アタシと茂は同じお店で働いてたの。それは、茂から聞いてる?」
「知ってたわ」
 何か、会話に違和感を感じたが、とりあえず今は気にしないことにして、話を進めることに専念することにする。
「そう・・・・・・それでね、単刀直入に言うと、アタシ茂に惚れてたの。
 でも、その想いはずっと伝えてなかった。
 彼女が居るって聞いてたから。
 でね、お姉ちゃんが事故に遭ったときと、殆ど同時に茂の彼女も事故にあったって聞いた。
 それで、アタシは落ち込んでた茂を励まそうと、色々したわ。
 茂の彼女は植物状態だった。でも、茂は諦めなかった。
 そんな弱ってる茂に漬け込んで、アタシは色々と世話を焼いた。
 一年して、やっと茂はアタシに振り向いてくれた。
 付き合おう、今の彼女のことは諦めるって。
 それが、お姉ちゃんが目を覚ます一日前の話」
 アタシは今までの話をかいつまんで一気に話した。
 心臓の音は、離していくうちにどんどん早くなっていくのが分かった。
 それでも、姉の表情がまったく動かないのが怖かった。
「そうだったの」
 その一言だけだった。
 今の話の矛盾点とか、これからアタシがどういう対応をするつもりなのかとか、問いただすことも、急かすこともしなかった。
 姉は、どこまでもアタシに優しかった。
 これまで、ずっとその優しさに甘えてきた。
 だから、今は甘えてはいけない。
「今の話‥・‥・おかしいところあったでしょ?」
「・・・・・・」
 姉は何も言わない。
「だってさ、おかしいじゃない?同じタイミングで植物状態になるような人間が、近くに居るなんて、そうそうありえないじゃない?
 ひょっとしたら、ありえるかもしれないけど、普通はそう考えないよね?
 普通なら『同一人物』だって、そう考えるよね?
 アタシだって、気付いていた筈なんだ。
 でも、気付いちゃったら、茂を好きでいることが出来なくなっちゃうって、分かってたから、99%の可能性を100%にしようとしなかったんだ。
 アタシ、ひどいことをしようとしていたのに、『知らなかった』って済まそうとしてたんだよ‥・‥・!」
 気付くと、アタシはぼろぼろと涙を零しながら喋っていた。
 そんなアタシを、姉は優しく見守っていてくれた。
「ごめんね・・・・・・!黙ってて・・・・・・!裏切って、ずるいことして‥・‥・!許されないのは分かってるけど、ごめんね‥・‥・!」
 アタシはひたすらに謝った。
 まだ、話さなければならないことはあるのに、一度涙がこぼれてしまうと制御がきかなくなってしまうのか。
 そうやってアタシがただただ謝っていると、頭をそっと抱きしめられた。
「謝らなくていいのよ、人を好きになったら、誰だってその人しか見えなくなる時がある。
 たまたま、タイミングが悪かっただけなんだから、謝らなくていいのよ」
 アタシは、もう謝ることも出来ないくらいに、泣いた。


 しばらくして、ようやく気持ちが収まり、涙も止まった。
「落ち着いた?」
 優しく、姉が声をかけてくれた。
「うん・・・・・・」
 そうだ、まだ話は終わりじゃないのだ。
『これから』の話をしなくてはいけない。
 アタシがどうするつもりなのか。
「そう、そしたら、お姉ちゃんもユウに言わなくちゃいけないことがあるの」
 それはそうだろう。
 茂は、アタシとお姉ちゃん、どちらを選んでいるのかは明白だ。
 だから、姉からなんといわれようと、アタシは受け入れなくてはいけない。
 そう覚悟をして、姉の言葉を待った。
 だが
「ユウが話してくれなかったら、私も言うつもりはなかったんだけど‥・‥・。
 私ね、植物状態だったとき、実は私の周りで話してたこととか、全部聞こえてたの。
 だから、茂が眠っているアタシの横で、あなたとの関係を懺悔したのも聞こえてた。
 茂は私にあなたのこと話してなかった。私に聞こえているとは思ってなかったと思うわ」
 姉は、アタシが覚悟をしていたことと、全然違うことを言ったのだった。

     


「全部聞こえてた・・・・・・って?」
 アタシは、一瞬姉の言ったことを理解できなかった。
 だから、間抜けにそのまま聞き返してしまった。
「言葉の通りよ。
 私がこの部屋で眠るようになってからずっと。
 お医者さんが蘇るのは奇跡に近い、諦めてくださいとか言ってのも聞こえてた」
 ぞっとする話だ。
 意識はある。聞こえてもいる。
 自分は生きている、しかしその確証があるのは自分だけで、周囲はそう思っていない。
 そういう風に、自分のことを諦められている人間から無責任に言葉をかけられるというのは、どれだけ恐ろしいことなのだろう。
「そうね、一番怖かったのはお母さんが疲れた、って漏らした時かしら。
 私にいろいろとついてたケーブル、これを抜けば愛もお母さんも楽になるのかしら、なんて言った時は、本当に殺されるかと思ったわ」
 ねぇ?なんて笑いかける姉の神経を理解できなかった。
 ひょっとしたら、姉は壊れてしまったのかとも思った。
 止まっていたと思っていた姉の時間は、確実に進んでいたのだ。
 しかし、周囲と切り離されたままという異様な状況のままで。
「怖かったけど、寂しくはなかったの。
 しょっちゅう茂がお見舞いに来てくれたから。
 何もしないのに、無条件に愛されるというのもそんなに悪くなかったわ。でもね―――」
 姉はいったんそうやって区切ると、アタシを見た。
 アタシを、妹としてではなく、女として。
「ある日から、だんだんと茂は私の方を見ているのに、違う人のことを考えるようになった。
 だいたい、目を見れば自分を見てるか見てないか、なんとなく分るのよね。
 私を通して誰を見ているかなんて、予想が付くはずもなかった。
 茂が、弱音を吐くまではね」
 姉は、すべてを知っていた。
 アタシは、植物状態の人間が蘇ることも、ましてや、蘇った時に眠っていた時のことを覚えているなど、夢にも思わなかった。
 だから、アタシは遠慮こそすれ、肝心の部分は植物状態の人間には譲らなかった。
『姉に悪いから、自分から茂に対して積極的なアクションは取らない』
 そうやって、自分の気持ちを打ち明けないことで、あくまで茂から自分に寄ってきたのだと、自分の良心を保とうとした。
 どうせ姉は目覚めないのだ、だったらそういう部分はうやむやにしておいても、問題はないと思っていたのだろう。
「茂がね、時々自分の職場の話をしてくれるんだけど、その中にアルバイトの女の子の名前がよく出てくるようになったの。
 すごく優しい子で、周りの人のことをよく気にしてくれる、いい子だって。
 その子の名前がね―――」
「白石 ユウ。アタシ―――だったってことね」
「そう。
 私は初めてその名前を聞いた時、驚いたわ。
 でも最初はうれしかったの。
 茂とユウが知り合いだって知って。
 きっと紹介したら喜んでくれるだろうって。
 でも、それは私の勘違いだった。
 茂から聞かされるユウの行動は、どう考えても茂のことを意識した行動だったし―――
 茂も、だんだんとユウに良い後輩以上の感情を持ち始めてることが分かってきたから」
 アタシはもう、姉の話に口を挿めなかった。
 何を言っても、言い訳にしかならないからだ。
「ある日ね、茂が言ったの。
 君がこういう状態になってから、一年経ってねって。
 それから、自分には今好意を持っている女性がいるって。
 自分には、もう君に何かをしてやれることはないって。
 ふふ、おかしいわね。
 私は茂が来てくれるのがうれしかった。
 茂が来てくれるだけで、未来に希望が持てた。
 なのに、茂はそうは思ってなかった見たい。
 一体、なんのために私のお見舞いに来てたんでしょうね?
 それで、こう言ったわ。
 自分は、白石ユウを幸せにする―――って」


 しばらく、沈黙が流れた。
 その沈黙を破ったのも、姉だった。
「飲み物、持ってきてもらっていいかしら」
 アタシは言われるままに廊下に出て、飲料水を取り出す。
 アタシは、人間が喋り続けると喉が渇く構造になっていたことに感謝した。
 アタシは今、少しだけでも考える時間がほしかった。
 姉の言っていることは、確かにアタシの記憶の中の出来事と一致する。
 でも、いくつか矛盾している点があったからだ。
 茂は、アタシを見るときはいつも姉の姿をダブらせて見ていた。
 でも、姉が言うには、茂は姉を見るときに、アタシをダブらせていたと言う。
 どういうことなんだ?
 アタシ達姉妹は、揃いも揃って被害妄想だということなのか?
 でも、アタシは自分の眼に自信があったし、姉もそうした観察眼というか、洞察力には秀でていた。
 なら、どちらも正しく茂の様子を捉えていたといえる。
 では、どういうことなんだ―――?
 これ以上考えても、答えは出そうになかったし、時間をかけても不自然だった。
 アタシは飲料水を持って、姉の部屋に戻った。
「おまたせ」
「ありがとう」
 姉は一口、飲み物をのどに流し込むと、話をつづけた。
「どこまで話したかしら―――そうそう、あなた達が付き合うことになったって、茂が話したところまでね。
 そう聞いて、私はすごく焦ったの。
 茂を取られてしまう。茂を失ってしまう。
 泣きたいのに泣けない、引き留めたいのに声も出ないし、体も動かない。
 その苦しみに、神様を呪ったわ。
 でもね、次の日になったら、私普通に目が覚めたの。ショック療法ってやつなのかしら?」
 アタシが茂を取らなければ、姉は目を覚まさなかった。
 アタシが茂を取ったから、姉は目を覚ますことができた。
 皮肉な話だ。
 結局、どっちに転んでも、何かしらよくないことが起こったというのだから。
「飛んでやってきた茂は、昨日言ったことなんてなかったかのように喜んでいたわ。
 多分、意識が戻ってショックなことを伝えることを避けたんだと思う。
 だから、私もその話を聞いたことを隠していたの。
 さらに言うとね、そういう風に言い出せないように、わざとすごく甘えたわ。
 貴方の目の前で、貴方を茂から遠ざけて、茂を私に近付けるために」
 怖かった。
 まるで私の知らない姉のようだった。
 私の知っている姉は、聡明で、優しくて―――自分よりもまず相手のことを考えてしまうような、そんな人物だったはずだ。
 機転が利いて、いつも場をとりなして、それでもその能力は自分の為に使うことはほとんどなかったのに。
 姉は、その頭をフル活用して、自分に都合のいいように場を取り繕ったというのか?
 信じられない―――信じたくなかった。
「と、言うわけなの。
 別に、隠し事やずるいことをしてたのは、あなただけじゃないのよ。
 だから、これでオアイコ」



 あぁ、なんだ。
 やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだった。
 頭はいいし、機転も利くけど、こればっかりはいつまでたっても治らないみたいだ。
「それで、ここまで聞いて、貴方はどうするの―――ユウ」
 そう、アタシはさっき自分がこれからどうするか、それを話そうとして姉に遮られた。
 その行為は、アタシも話したから、自分も話す、なんていう正々堂々とした理由なんかではなく、ちゃんと理由があった。
 あのままいけば、アタシは懺悔していたのだから、当然身を引くと言い出すのは容易に予想できた。
 それを遮って、自分も似たようなことをしていたのだ、といえば、アタシのその決心は揺らぐ。
『お姉ちゃんも、そんなことしてたなら、アタシ身を引く必要なんてないんじゃないの―――?』
『むしろ、こんなことを考える人間に、茂を渡してなるものか―――』
 そんな気分に、させるつもりだったのだろう。実際少しなっていた。
 それが、姉の優しさ。
 アタシが、茂を求めれば、姉は引き下がるつもりだったのだろう。
 今だって、実はあることに気付かなかったことにして、そのままアタシが茂を求めれば、譲ってもらえるかも知れないと、少し思ってしまう。
 でも、あの馬鹿だったらそんなことはしないだろう。
 自分の心にある、一つの純粋な想いを貫くだろう。
 だって、その行為は格好よかったから。
 傍目には、格好つけて、みじめに振られた男にしか見えないけれど。
 アタシにはわかる。
 その行為はとっても尊いものだって。
 だから、アタシはこの姉の質問に対して答える。
「アタシは、茂が笑ってるのが好き、お姉ちゃんが笑ってるのが好き。
 その両方を叶える為に、アタシは身を引くわ」
 そうやって、笑顔で言うと、姉は少し固まってしまった。
 しかし、すぐに気を取り直して、ニヤリと意地悪い顔を浮かべた。
「あら?いいのかしら?
 茂は貴方に告白しているのよ?
 私は聞いてなかったことになってるけど、振られてるのに、あきらめちゃうの?
 ずいぶんと、軽い気持ちだったのね」
 そうやって、姉はアタシのことを小馬鹿にする。
 でも、全然腹は立たないし、むしろちょっとおかしかった。
 訂正、少し腹が立ったので、デコピンしてやった。
「いったーい!なにするのよ!ユウ!」
「お姉ちゃんにはそんな顔似合わないって。
 まったく、いっつもいっつも人に気を使ってばかりいたら、いつまでも幸せになれないよ!」
 そういうアタシに、姉はぽかんとしてしまった。
「な、何言ってるのよ!人の話聞いてた?どこが人に気を使ってるのよ!」
 少し焦った感じで言う姉が可愛かった。
 まったく、どこまでもお人好しなんだから。
 こんなでは世間の荒波を渡っていくのは大変そうだ。
 だから、アタシは指摘してあげることにした。
 聡明で、優しくて、思いやりのある姉の唯一の欠点を。

「お姉ちゃんは、嘘を付くのがへたくそなんだよ」

 そこからの姉は、もう聡明さもなくなり、悪女っぽい笑い方もできないくらいの慌てようだった。
「なななな、なによ!?嘘って!?嘘なんかついてないわよ!」
「いやいや、お姉ちゃんの頭の回転の速さには驚いたわ。
 危うく騙されるところだったよ。
 でも、結局ボロが出ちゃうあたり、お姉ちゃんだよね」
「だーかーらー!嘘なんてついてないってヴァ!」
 そこからは、もう嘘ついたついてないの言いあいだった。
 姉の嘘。
 それは、今アタシに話したこと、すべてだ。
 植物状態で聴覚が生きていたということ。
 これが嘘の始まり。
 いや、正確にはもう少し前。
 アタシが茂と同じ職場で働いていたなんて、初めて聞いたくせに『知ってた』なんて後でいくらでも誤魔化せるような返事をしたところが始まり。
 この事実に何かを感じて、嘘をついた。
 そして、アタシの懺悔を聞いて、即興で作ったでっちあげの話。
 姉は、アタシが罪悪感を抱いていることと、アタシが茂のことが好きなこと、その両方とも解決しようとして、アタシが泣いている間に必死に考えたのだろう。
 姉が茂のことはもういい、あなた達が付き合いなさい、といえば、アタシの望みは果たされる。でも、姉に対する罪悪感が残ってしまう。
 なら、姉が茂と付き合うのは、おかしい。自分が付き合うのが正しいんだ、そう思わせるようにしたのだ。
 自分が悪役になる方法を。
 アタシが茂を好きでいていい状況を。
 それで、すべてを知っていて、アタシの前でいちゃついたりした、なんて言って以前病院に見舞いに来た時の状況をつなぎ合わせたのだ。
 医者の話や、母の話を全部でっち上げ。
 アタシがズルをしたというのなら、自分もズルをしたことにして『オアイコ』にすればいい。
 この言葉を漏らしたのが姉の失敗だった。
 ずっと自分を悪役に仕立て上げようとしていたのに、この時だけ優しい言葉が出てしまった。
 結局、姉のこのすべてを知っていたというブラフは、もともと徒花だったのだ。
 優しい姉が、ずっと悪女を演じ続けるなんてできるわけがない、どこかで本気で相手を気遣ってしまう。
 それでも、その徒花の嘘は、奇麗な嘘だった。
 しばらくアタシ達は嘘だ!嘘じゃない!といいあっていたが、お互い息が切れたところでアタシは立ち上がった。
「あー、もう行かなくちゃ。それじゃ、お姉ちゃん。茂を頼んだよ」
「ユウ!あなたそれでいいの?」
 まったく、最後の最後まで自分の気持ちは後回しですかいお姉ちゃん。
 その心意気はすごくいいのだけど、ちょっと茂がかわいそうなんだぜ?
 そこで、アタシは混じりっけない、本音を言った。
「普通だったら良くないよ。絶対に渡さない。
 でもね、相手がお姉ちゃんだもの。
 勝てる気しないっていうか、むしろお姉ちゃんだから良かったってカンジ」
「ユウ・・・・・・」
「じゃあね!また来るよ!今度は『女』としてじゃなくお姉ちゃんのことが大好きな『妹』として!」
 それだけ言って、アタシは扉を閉めた。
 これで、良かったんだ。
 終わったんだ。
 そう、終わった―――
 そう思った時
「ユウ・・・・・・」
 俯いた顔をあげると、そこには茂がいた。

     


「ユウ・・・・・・俺・・・・・・」
「待って」
 茂が何かを言おうとしたのを、遮った。
 さっきもう姉には宣言したというのに、本人を前にすると少し言うのは怖かった。
 りょっちもこんな気持ちだったのだろうか。
 それでも、あの男は『彼女ができてうれしいんだ』っていう嘘の表情を崩さなかった。
 アタシは、りょっちの―――白石亮介の彼女だ。
 あいつにできたことが、アタシにできないなんて、彼女失格じゃないか。
 そうやって自分を激励して、言い放った。
「アタシのことは、忘れて。
 お姉ちゃんだけを見てあげて。
 サヨナラ、これ返すね」
 それだけ言って、アタシはCB400SS―――茂からもらったバイクのキーを返し、横を通り過ぎた。
 これで、これで今度こそ終わり。
 アタシは、やり遂げたんだ。
 誰がなんと言おうが、今まで散々汚いことをしてきたけど、やり遂げたんだ。
 そうやって、歯を食いしばって通り過ぎようとしたのに。
「ユウ!待ってくれ!俺も考えたんだ・・・・・・そのままでいいから、聞いてくれ」
 呼び止められたら、動けなくなってしまった。
 もう、何も期待なんかするつもりないのに。
 それなのに、動けなくなったということは、所詮「つもり」だったのだろうか。
「俺は、最低だ。二人に迷惑をかけた。
 妹だって知らなかったけど、それでもすべきことじゃなかった。
 だから、俺はどちらを選ぶなんて、そんな立場じゃないんだ。
 どっちも・・・・・・選ばない。
 二人とも俺の大切な人なんだ・・・・・・どちらかを選ぶことでどちらかを傷つけることなんてできない」
 じゃぁ、アタシはどうすればいいんだ。
 ここで茂を罵倒することは簡単だ。
 簡単なことなのに、まだ茂のそばにいられるのかと思うと、うれしいと感じてしまう自分がどこかにいて、何も言えなくなってしまう。
 アタシは、ただただ俯いて、何も言えなくなってしまった。
「・・・・・・今から、愛にも話をしてくる」
 茂が扉の方に振り向く気配を感じる。
 止めなくちゃ。
 そのまま行かせてしまったら、お姉ちゃんが。
 でも、なんで、動いてくれないの。
 傷つくのが怖いんじゃない、それ以上に優しくされたいなんて弱い心があたしの邪魔をする。
 アタシは―――アタシはこのまま、また―――

「よう待てよ色男。俺の彼女にこんな顔させておいて、そのまま行かせなんざさせねーぜ」

「え?」
 顔をあげると、そこに立っていたのはりょっちだった。
「誰だ、あんた。いきなり」
 茂は、まだ扉に手をかけていなかった。
 アタシは、ほっとした。
 ―――ほっとすることが、出来た。
「俺か?だから言ってんだろ。ユウの彼氏だよ」
 これは、りょっちが智恵に対してやったことだ。
 もう自分には相手が居る。だから気にしないでくれ。
 相手への配慮と、同時に自分へのケジメ。
 今度はアタシがやってもらっていることになる。
「え?何を言って―――だってユウは」
「おいおいおいおい、あんたどれだけナルシストなんだよ?
 女ってぇのは目聡いんだぜ?
 あんたがユウに別の女を重ねて見てたのくらいお見通しなんだよ。
 そんなザマさらしておいて、まだ自分に惚れてくれているだなんて思ってたの?」
「な―――」
「植物人間の彼女を想い続ける自分、そんな自分を思ってくれる女性。
 そのどっちも傷つけたくないから、どっちも選ばないだぁ?
 優柔不断もいいところだぜ!どっちも選ばないんじゃないだろ?選べないんだろ?え?」
「てめぇ―――言わせておけば!」
「おうおう!?暴力ですか暴力ですか?いやですねー、論破できなくなったら暴力に訴える!
 現代を生きる知的生命体がとる行動としてどうかと思いますよ?」
 りょっちは明らかに軽薄な態度である。
 ひたすらに茂を挑発し、馬鹿にする。
 それで茂が怒るということは、りょっちの言うこともあながち外れていないということなんだろうか。
「いきなり現れた男に、痛いところをつかれるってどんな気持ちなんだろうなー?
 ねぇねぇ今どんな気持ち!?ねぇどんな気持ち!?」
 ポケットに手を突っこんだまま、動かない茂を下から上目使いに馬鹿にしたように見上げるりょっち。
 茂の拳もプルプルと震えている。いい加減、限界だろう。
「もう、止めて。りょっち」
 そういうと、りょっちからは軽薄な気配は消えて、ふざけた表情もやめていた。
 茂の目の前まで迫っていたが、りょっちはこちらに振り向き歩きながら茂に言った。
「ユウに感謝するんだな。俺のお前に対する嫌がらせは後108つほどあったが、このぐらいにしておいてやる。
 だがな―――」
 そこまで言って、りょっちは顔だけ振り返って茂を睨んでに言った。
「あんたも男なら、覚悟を決めろ」
 それだけ言うと、りょっちはアタシの肩を押して歩くように促した。
 アタシは自分の肩越しに茂を見たが、ただうなだれているだけだった。

 アタシは、黙ってりょっちと並んで出口に向かって歩いていた。
 すると、りょっちがポツリとこぼした。
「悪かったな。なんかあいつ見てたらムカついて」
 どうやら、珍しく本気で悪いことをしたと思っているらしい。
 だが、それは勘違いだ。
「ううん。助かった。アタシだけじゃ、結局だめだったみたい。りょっちみたいに、きっちり片づけられなかった」
「何言ってんだよ」
 りょっちはそういうと、周囲に人がいるにも関わらずアタシの頭に手を置いた。
「俺の時だって、お前がいてくれなきゃ、上手くできなかったよ」
 なんて、言った。
「でも、お前よかったのか?上手くやれば、お前の場合まだ可能性―――」
 だから、なんでこいつはここで蒸し返そうとするのか。
 さっきので決まったんだから、だまってりゃいいものを。
 アタシは、最後の気力を振り絞って言ってやった。
「いいのよ、あんな男。
 さっきりょっちが言ってたのだって、あながち間違ってないのよ。
 お姉ちゃんと話したんだけどね、茂は姉を見てる時に、なんだか別の人―――つまりアタシをダブらせてるって言ってたの。
 で、アタシは、アタシを見てる時にお姉ちゃんをダブらせてるって言ったでしょ?」
 姉は、眠っているときに茂はアタシを見ていた―――と言っていた。
 眠っているときに意識があったというのは嘘だったが、おそらく、これは意識が戻ってからの話が元になってだろう。
 だから、姉にアタシをダブらせていたというのは本当の話だろう。
 茂は優しい。誰も傷つけようとしない。
 でも、その感情はどこから来るのか?
 それは結局、自分が傷つきたくない、という気持ちからだ。
 自分が人を傷つけることで、自分が傷つく。それをしたくないだけのただの臆病ものなのだ。
「これはどっちも言ってることが正しいの。
 姉を見ているときは、アタシに罪悪感を感じて、アタシを見ているときは、姉に罪悪感を感じる。
 結局、どっちも選ばないことで、自分はだれも傷つけない、いいやつなんだって、そんなくだらないプライドを守りたいだけの―――格好悪い男よ」
 もう興味ナッシング。せいせいしたぜ。
 そう言ってやった。
 言ってやったのに。
「そうか、じゃぁなんで泣いてるんだ?」
 アタシの頭に手を乗せたまま、りょっちは言った。
「泣いてなんか、ない」
「そうか」
 それだけ言うと、りょっちは頭から手を外した。
 下を向いて、前を見ていなかったが、前方で自動ドアが開く音がした。
 それと同時に、ヘルメットを被された。半帽だった。
「おまえ、バイク返しちまったんだろ?乗ってけよ」
「・・・・・・うん」
 半帽ということは、これはパンダのヘルメットだろうか、と触ってみる。
 鍔があった。
 パンダのヘルメットには鍔はついていなかった。
 不思議に思ってヘルメットを外して見てみると、それはなんとペンギンのヘルメットだった。
「え?りょっち、これ・・・・・・」
「あれ?おまえペンギン好きじゃなかった?」
 と言って、りょっちはアタシのポケットからはみ出しているペンギンのストラップを指差した。
 鈍感なようで、変なところだけよく見ている男だ。
 何を隠そう、アタシはペンギンが大好きなのだ。
「好きだよ、ペンギン。このヘルメット、超カワイイ」
「なんか嬉しそうに見えないんだけど」
 驚いたのと、さっきまでいろいろと感情が錯綜したせいでうまく喜びを表現できなかった。
 だからだろう、りょっちにいきなり抱きついたのは。
 病院の玄関で、人の往来もある場所で、いきなりこんなことをしたのは、いろいろありすぎて混乱したからだ。
「超、うれしい」
「わかった。わかったから落ち着け」
 アタシが離れると、りょっちは玄関を出るべくさらに進んだ。
 二つ目の自動ドアを通り過ぎると、外は晴れていたが―――雨が降っていた。
「げ、天気雨かよ」
 そんな風に言うが、なんかその空はまるでアタシの心のようだった。
 悲しいけど、嬉しい。
 なんとなく、そんな気分なのだと、りょっちに知ってほしくなった。
「どうする?雨だけどおまえ電車で―――」
「乗る、りょっちの後ろ。ペンギンのヘルメット被りたい」
「・・・・・・お前、キャラ変わってね?」
「ダメ?」
「いや、カワイイ。一時のことだろうから堪能することにするわ。じゃぁさっさと駐輪場行くぜ!」
 そういうと、りょっちはアタシの手を取って走り出した。
 アタシの顔を打つ雨は、温かい空気のなか冷たくて、少し気持ちいい。
 なんだか、アタシの心も洗い流してくれそうで、この天気雨という変わった空模様が、少し好きになりそうだった。

 夜、アタシはベッドで、りょっちはいつも通り寝袋に入ろうとした。
 でも、アタシはりょっちが寝袋に入るのを止めた。
「寝袋、寝づらいでしょ。別に平気だから横で寝なよ」
 本当は、ちょっとさみしかったから、近くにいて欲しかった。
 そのぐらい、りょっちも気づいていただろうけど、茶化すでもなく「おう、サンキュ」とだけ言って布団に入ってきた。
 アタシが寝るまで、りょっちは頭をなで続けてくれた。

       

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Neetsha