最終話『ボーカロイドミク』
「…………みーっけ」
不気味な笑みでメイコが俺達に言う。圧倒的存在感がヒシヒシと感じられる。
戦いなんて物とは無縁で、喧嘩さえした事のない俺ですらメイコが絶対的な力と自信を持っていることがよく分かる。
メイコは顎を突き上げて俺達を見回す。
ダメだ。体が動かない。もうダメなのか? これで終わりなのか?
俺は生まれて初めての恐怖に、人類の平和を諦めかけた。しかしボーカロイド達は諦めてはいなかった。
俺の前に立っていたカイトが咄嗟にしゃがみ、俺の視界から消える。俺が屈んだカイトを追い、視線を下に向けた途端、カイトはメイコに向かって蹴りを放った。
メイコはカイトに蹴り上げられた衝撃で、ベランダを突き破り部屋の外へと吹っ飛んでいく。
「まだ戦える!」
カイトの叫び声が俺の部屋へと響き渡る。
その声により、動揺していた他のボーカロイド達も意識をメイコへと向けた。
力になんてなれるかはわからないが、俺だって冷静を保たないとダメだ。恐怖で膝が笑っているが、俺がこいつらの足を引っ張るわけにはいかない。
「私達は力を溜めたい。もしも可能ならば時間稼ぎをして欲しい。話し掛けるとかそんなのでいい。出来るだけ時間を稼いでください」
必死に冷静を取り戻そうとしている俺に、カイトがまくし立てて頼んでくる。
そんな事出来るかわからない。不安でたまらない。
「リン、レン。すぐに浮遊のプログラムを起動して。限界までスピードを上げるんだ」
リンとレンはカイトの言葉に、同時に頷く。
そのままカイトは俺へと顔を向ける。
「お願いします…………。貴方にしか頼れない」
カイトの表情から、それしかないと考えていることが分かる。
くそ……。すぐにでも逃げ出したい気分だ。強烈なプレッシャーが俺を襲っている。
しかし俺には、気持ちをゆっくり落ち着かせるほどの時間の余裕はなかった。
メイコが宙に浮き、外からこちらを確認できる場所まで戻って来ている。傷の一つもついていやがらない……。
「おい! お前がメイコか!」
俺が意を決して叫ぶと、メイコは首を傾げ、俺達を見下げる。
「そーよ。あんたはー?」
「俺はミク達を具現化させた一般人だ!」
メイコは俺の答えに興味がなさそうに、なにも返事をすることなく視線をカイト達へと向ける。
カイト達はすでにメイコに聞こえないように歌を歌い始めている。時間を稼がないと……。
「お前はどうやってここを見つけたんだ」
「そんな事答える必要がある?」
メイコは物臭な態度で答えるが、そんな事は構っていられない。
「いいから答えろよ。知りたがったら悪いか?」
「わかったわよー。ミクが始めに戦いに来なかった。イコールミクは戦えない。イコールミクは何処かに隠れてる。そういうこと」
味わった事のない緊張感が、脆弱な俺の思考回路を破壊して行くが、今までにない集中力でなんとか話を続けさせる。
「そんなんじゃわかんねーな。もっと細かく説明しろ」
「もー。面倒くさいわねー。なにを細かく説明すんのよ」
どうやらメイコは食いついたようだ。このまま時間を長引かせるしかない。
「それじゃあ、ここを特定した方法を説明しろ」
「もー、仕方ないわねぇ。ミクが戦えないって気付いたらあとは簡単。カイト達が2度もここの回線を通過した時点で大体の場所は特定できたんだから、あとはもう一度移動するまでピンポイントで網を張っておくだけ。私が飛んでこっちに向かったらすぐに引っかかってくれて楽だったわ」
メイコは、淡々と説明する。
そのメイコの様子を見ているカイトの表情は、憎しみを持っているように感じられる。
大体ここを見つけた方法は分かった。しかしこれ以上俺は話題を持っていない。実際はこんな事を理解したいわけじゃないんだから、俺はこの話をまだ引っ張る。
「まだよくわからないな。もっと詳しく説明しろ」
俺は煽るようにメイコに言ったが、メイコは気だるそうに俺に答える。
「もういいって。この話題飽きたんだけど」
くそ……。話が終わってしまった。
俺は自分の脳をフル回転させる。焦りが思考の正確性を著しく失わせていく。
「お前は何でこんなことをするんだ!」
焦燥感に追われたなかで、俺が選んだ言葉はこれだった。
捻りだした言葉ではある。しかしこれは純粋に疑問に思った。
メイコは急に不気味な笑みへと表情を変える。
その表情からメイコの悪である片鱗が顔を出す。
「それってボーカロイドの複製を作る事?」
「あぁ、そうだ」
「あーやっぱりばれてたんだ」
メイコは余裕を見せながら続ける。
「答えは簡単よ。ボーカロイドが一番大事。ただそれだけよ」
「ボーカロイドが一番大事だから、人間を殺してでも量産するのか?」
「そうよ。人間なんて私にとってはどうでもいいわ」
どんな理屈だ。そんな考えは限りなく悪じゃないか。
「そんなのエゴだ」
メイコは自らの信念に自信を溢れさせているのだろう。メイコは余裕に満ち溢れた様子で独裁者が演説をするかのように俺に語る。
「エゴねー。別にエゴでも何でもいいわよ。私が望むのはボーカロイドの繁栄。人間だって自分達の繁栄の為に、他を犠牲にしてきたでしょ? 大差ないわよ」
「それじゃあ必要以上に人間を殺さないのか?」
「抵抗をしないならね。私達の繁栄を邪魔すれば殺しちゃうかなー。あ、あなたは特別に生かしといてあげる。ミク達のお気に入りっぽいしね」
糞が……。だんだん腹が立ってきた。ミクは自分の為に人を犠牲にする事なんて絶対にしない。
なにがあなたは助けてやるだ。そんなのはこっちから願い下げだ。
「だまれ! ミク達はボーカロイドの繁栄の為に人の命を軽く見たりなんかしない!」
興奮して俺が叫ぶと、メイコは哀れみの表情で俺を見つめる。いや、この表情は俺を見下している。
「……あんた、なんか勘違いしてない?」
俺は何も答えることが出来ない。勘違い…………?
メイコは冷徹な目線を俺に送りながら、続けて口を開く。
「ボーカロイドが人間を一番に考えてるとでも思ってるの?」
俺はここで答える事が出来なかった。考えている、と答えることが出来なかった……。
「どういう意味だ……」
俺がそう問うと、メイコは呆れた様子で俺に言葉を掛ける。
「んじゃあ聞くけど。例えば、あなたの命とボーカロイドの中の誰か一人の命、どちらか一方しか救えない状況に、カイトが追い込まれたとしたら、カイトはどっちを救うと思う?」
「それは…………」
俺が黙り込んでも、メイコは俺を小馬鹿にした態度で続ける。
「まあミクはわかんないけどねー」
俺はまたしても言葉に詰まってしまう。確かにミクは、俺とボーカロイドの命を秤に掛ける事を苦しみ、心の底から悩み続けてくれるだろう。
しかし、カイトは迷いなくボーカロイドを救うことを選ぶような気がした。
そう考えるとまたしても俺の体を恐怖が支配した。カイトが味方だという認識が崩れ去りそうになった。
メイコは俺の様子を見る事を止め、カイトたちに声を掛ける。
「そろそろ会話にも飽きたわ。カイト、もう力は溜まった?」
メイコは気付いていた。カイトの方を見ると、カイトは歌うことを止めていた。
「そんな狭いとこで戦いたくはないから待ってたけど、まだ時間が掛かるんなら、もうそっちまで行くわよ」
メイコに急かされるように言われ、カイトは俺の方へと振り向き、微笑みながら俺に声を掛ける。
「もう十分です。ありがとうございます」
俺はカイトの微笑に、本当に少しだけだが、恐怖を感じた。
俺は最低だ。メイコの話でカイトへ不信を抱いてしまっている。
カイトはそんな俺を見て、表情を引き締め、俺を真っ直ぐ見つめてゆっくりと口を開く。
「先ほどのメイコの例え話ですが……。もしも、そんな状況に私が追い込まれたとすれば……」
カイトはそう言って、メイコの方を見据える。
「信じていただけないかもしれませんが、私は……自分の命を捨ててでも、両方を救います」
カイトは、宙に浮き、そのまま声を荒げる。
「リン、レン! 僕のバックアップをして! 歌を歌う時間を作るんだ!」
リンとレンが頷き、次の瞬間三人は風を切って肉眼で捉えられないスピードでメイコの元へと飛んで行った。
三人とメイコの戦いが始まる。
リンとレンが肉弾戦でメイコを牽制し、カイトは距離をおいて精神統一、恐らく修復プログラムの起動準備をしようとしている。
……そうだな、カイト。お前だって俺の事を考えてくれていたんだよな。
損な役ではあったが、あの時お前は俺の事を考えて説明をしてくれた。
お前がそう言うなら信じるに決まってる。疑ってすまなかった。本当に心からそう思う。
「勝てよ! カイト!」
俺は無意識に叫んだ。カイトは一瞬だけ俺を見て、すぐにメイコに集中する。
俺はここで応援する事しか出来ない。ミクも両手を握り締めて、戦いを見守っている。
リンが上方からメイコを威圧し、避けたメイコにレンが追い討ちを掛ける。カイトへと近づいたメイコを、カイトが殴ってリン達の方へと追い返す。
ただの人間である俺が見ても、見事な連携で戦っているように見える。
その状態で、メイコを押しているように見えていた。
このまま勝てる。そう思えるほどに見事なものだった。
しかし所詮は自分が一般人であるという事を、俺は痛いほどに理解した。
しばらく見ているとはっきり分かってしまった。
押しているように見えたカイト達は、実際は押されている……。
メイコの動きを良く見ると、リンとレンを軽くいなした後にカイトへと手を出している。
メイコはリンとレンの攻撃を物ともせず、カイトに歌うチャンスを与える事をしていないんだ。
カイトに攻撃が加えられる回数は見る見る増えていく。
カイト達からも焦りが見えてきた。先ほどまでの連携に少しだけズレが出てきている気がする。
メイコはそのズレを見逃す事はなかった。
リンが攻撃を焦った。俺でもはっきり分かる。レンがすぐに攻撃を仕掛けれない距離にいるにも関わらず、リンはメイコへ殴りかかった。
「リン! 待てっ!」
カイトがそう叫ぶが、遅かった。
リンはメイコに胸倉を掴まれる。リンは必死に抵抗し、すぐにレンが蹴りかかるが、メイコは容易くレンの蹴りをかわし、非情にもリンを隣の工事現場へと思い切り投げつけた。
工事現場の方から、すさまじい衝突音となにかが崩壊する金属音が聞こえてくる。
ここから工事現場を見る事はできないが、聞こえてくる騒音でリンが今どのような状況になっているかを俺に理解させる。
ミクは唇を噛み、身を震わせている。
絶望感が俺を襲い、メイコは笑う。カイトはメイコを見据えて身動きを取らない。
きっとカイトは隙を見せない為に、無理やり冷静を維持しているんだ。
しかし、レンはそこまで強くはなかった。
明らかにリンが攻撃を受けた事に動揺している。
俺は次にメイコが狙うのは具現化ソースを持っているカイトだと思っていた。カイトもそう思っていたのだろう。
しかしメイコはレンのその隙を見逃さなかった。
メイコはカイト達の比ではないスピードで、カイトではなく、レンの元へと移動し、レンの片腕を掴む。
そのままメイコはレンに抵抗をさせる隙を与えず、俺の部屋へとレンを投げた。
レンは、残っていたベランダのガラスを突き破り、コタツ机を大破させ俺の部屋の床へと叩きつけられる。
レンが叩きつけられた部分は割れたフローリングが跳ね上がり、下地のコンクリートにまでヒビが入っている。
レンは立ち上がろうとするが、すぐに崩れ落ちる。
メイコは先にレンを潰した……。
俺はレンに声を掛ける事が出来ないほどに恐怖を感じていた。あとはカイトとメイコしか残っていない。
圧倒的な力を持っているメイコに対して、カイトはミク達と変わらない……。
すでにカイトの冷静さが失われたこともはっきりと分かる。勝負は見えている…………。
俺はせめてもの抵抗で、ミクと共に逃げようとミクを見る。
しかしなぜかミクは俺を一瞥した後、咄嗟に長ネギを握った。
その行動が理解出来なかったが、ミクが構えた事により俺ははっきりと分かる。
俺はすぐにレンの傍へと寄る。
「レン。すぐにミクの持ったネギを質量操作で重くしろ」
メイコに聞こえないようにレンに言うと、レンは小さく頷き、歌を歌い始める。
「あー、あとはカイトとミクか」
メイコはカイトの方を見て、カイトに話しかけている。
「メイコ……。君はバグを持っているんだ…………。なぜそれがわからない」
「バグ? 私のこの思考回路は欠陥品なんかじゃないわよ」
メイコはケラケラと笑いながらカイトへと答えている。
その間もレンは歌い続け、ミクはネギを持った右腕を自分の後方へと引っ張り構えている。ミクの両足付近のフローリングが沈んでいる様子から、長ネギが相当な重さになっている事が分かる。
メイコとカイトが会話を続けているが、俺は全意識をレンへと向ける。
「限界まで……やったよ」
レンがそう言った瞬間に俺は叫ぶ。
「ミク! 投げろ!」
俺の叫びと同時にミクの手が凄まじいスピードで動き、手元からはネギが消える。
ネギを追って視線をメイコへやると、メイコの手のひらにネギが突き刺さっていた。
メイコはミクの攻撃に明らかに怯んでいる。
その隙を、今度はカイトが見逃さなかった。
カイトはすぐにメイコの両腕を掴み、歌を歌い始める。
メイコは動揺し、カイトの腕を振り解こうと、必死で動き回る。しかしカイトは意地でも放さない。
カイトの歌は俺の部屋まではっきりと聞こえてくる。どこの国の言葉でもない歌。なにを歌っているのかはわからないが、透き通るような綺麗なアカペラが俺の耳を通過する。
メイコはやがて、まるで強力な麻酔を打たれたかのように、抵抗するのを止めて静かにカイトの歌を聞いていた。うつむき、力を抜いてカイトに身を任せているように見える。
俺はその様子を見て、カイトのプログラムが当りだったと期待をした。
きっとレンとミクも期待をしただろう。
しかし、そう甘くはなかった……。
カイトが歌い終えると、メイコは突然笑い始める。
カイトは動揺してメイコを放すが、メイコはすぐにカイトを掴み返す。
「なーんだ。ハズレか」
メイコは不気味な笑みを止め、カイトの首へとゆっくり片手をやる。
俺達は黙ってそれを眺めるしか出来ない。レンが俺になにかを言っているようだが、恐怖で耳を傾けることができない。
やがてカイトは、歌を歌い始める。メイコに操られた人形の如く、カイトはひたすらに口を動かす。
ボーカロイドの細かい事をなにも知らない俺でさえ、カイトが具現化ソースを奪われている事が分かる。
ミクと逃げよう。そう考えるが、俺の体は恐怖で動かない。
絶対的な絶望感が俺の全身を支配する。全員が敗北した今、勝つ術は全くない。俺の絶望を拭い去る希望はなくなった……。
やがてカイトの歌は終わり、メイコはカイトを放す。そのままカイトは力なく落下していく。
メイコはゆっくりとこちらへと向き、またしても不気味な笑みを見せる。
メイコの狙いはミクだ。
恐怖によって俺の全身から汗が吹き出る。ミクは真っ直ぐメイコを睨みつけてはいるが、明らかに打つ手がない事を理解している。
メイコはゆっくりとこちらへと向かってくる。
もう終わりだ……。
俺がそう思った瞬間、メイコの全身が巨大な影に包まれた。
カイトは道路に倒れ、レンとミクは俺の部屋にいる。
残りは一人しかいない。
「ロードローラーだッ!」
リンの勇ましい叫びが聞こえ、次の瞬間にはメイコはロードローラーの下敷きとなった。
ロードローラーが落下した衝撃で俺の部屋全体が揺れ動く。耳が痛いほどの騒音と、土ぼこりが、ロードローラーの威力を物語っている。
「やったか!」
俺が叫ぶと、レンは俺の手を引き、すぐに叫び返す。
「まだだ! こんなのじゃメイコは止まらない! いまから言う事を良く聞いて!」
俺はすぐにレンの方へと向き、レンの言葉に耳を傾ける。
レンは冷静になり俺に話す。
「これは最後の手段だ。僕はリンにすべての力を渡しているから出来ない。……いや、僕が出来ないんじゃなく、あなたがやるべきだ」
リンの方を見てみると、リンは全神経をロードローラーへ向けて歌を歌っている。
リンの表情からみて、あまり長くは持ちそうにない。
「わかったから早く言え」
俺がそう言って急かすと、レンは一瞬だけ間をおき、ゆっくりと口を開く。
「ミクを、アンインストールするんだ」