「え…………」
頭が真っ白になっていくのが分かった。
「そんな…………」
俺はレンの言葉に絶句してしまう。
レンは俺の反応を予想していたかの如く、そのまま話を続ける。
「しっかりして……。こうなったらミクの修復プログラムを打ち込むしかない。そのためにはミクをアンインストールして、スペックの足りているPCにインストールし直して、修復プログラムを再生するしかないんだ」
自分の頭から血が引いていくのがわかる。
「でも……。そんなの無理なんじゃ……」
考えなく口から言葉が出てくる。
「無理な事なんかない。具現化を解いたときに消えるのは具現化ソースだけだ。修復プログラムは残ってる」
本当は、レンが、ミクのアンインストールを口に出した時点でそんな事は分かっていた……。
しかし俺は受け入れることが出来ない。
「でも! お前達の修復プログラムが当たりだって可能性もあるんだろ!」
俺の抵抗に対しての、カイトの叫び声が聞こえる。
「そんなことは絶対にない! メイコは僕の修復プログラムに怯えたんだ! ミクの物が当たりだ!」
わかってる。それだって本当はわかってる。
それでも俺はミクが消えるという手段を認める事が出来なかった。
俺がなにも出来ずに立ち尽くしていると、リンが叫ぶ。
「私の質量操作も限界がある! 時間がないから早くして!」
時間がない事だって分かってる…………。わかってるんだ。
でもこんな別れなんて俺は嫌なんだよ。ミクとこれっきりで別れる事なんて俺は認めたくない。
まだミクとの将棋だってやり足りない。まだミクと話したい事がいっぱいある。
そんな手段をいきなり提示されて俺が「やる」と答えられるわけがないんだ。
目の前が真っ暗になっていく。俺にとっては人類の危機よりも、ミクの消滅の方が何倍も怖かった。
「俺には……出来ない……」
俺が俯きそう言うと、レンは一瞬黙り込んだ。
「わかった……。あなたが出来ないなら……僕がやる」
俺は、この言葉になにも返すことが出来ない。かと言って止める事も出来ない。
レンは必死で立ち上がろうとしている。俺はそれに手を貸すことすらしない。
人類の平和とミク……。俺の心の中では圧倒的にミクが勝っていた。それでもこいつらの使命を邪魔する事が俺には出来ない。
力ずくででもレンを止めたい。でもそんなのはミクが望まない……。
ミクが望まない…………。
俺はミクと約束をした。そのことが急に頭を過ぎった。
『――俺はミクの不安とか、考えた事とか、絶対に受け止めてみせるから』
俺は、またミクを見る事を避けていた事に気がついた。
ミクの表情を確認することに怯えていた。またしてもミクから逃げようとしていた。
俺は恐る恐るミクの表情を見る。
ミクの表情が、俺の視界に、入る。
なんでだよ…………。
なんでそんな表情で俺を見てるんだ………………。
微笑んで……。涙目で…………。
別れのつもりかよ。自分で勝手に決めて……。
自分が消える事なんて気にするなとでも言いたいのかよ……。
……いや、もういい。俺は今ミクとの約束を破っているんだ。……それを思いだしたよ。
「わかった。……俺がやる」
俺は自分の感情を抑えて、立ち上がろうとしていたレンを止める。
俺はミクと約束をした。ミクの考えを俺は受け止めて見せると。
たとえそれが俺にとってどんなに辛いことだろうと、ミクが覚悟をしているのならば、俺は受け入れてやらなきゃいけない。
いま、それを思いだした。
ミクは俺に微笑み掛けた。ミクが消える事を俺が受け入れられないことを、ミクは絶対に責めたりしない。
だからといって、俺が受け入れないでミクが消える事になったとすれば、本当にミクが安心する事はできない。
なら俺がやってやるしかない。そうだろ、ミク?
「ミク。お前はただのソフトウェアになる。……それで本当にいいんだな」
俺がミクに問い掛けると、ミクは瞳に涙を溜めたままで、笑顔を見せ、
「ウタウコトガ……スキダカラ」
そう…………言った。
そうだな、ミク。お前はボーカロイドだ。歌う事を目的に作られたボーカロイドだ。
なら俺はもうなにも言わない。お前を引き止めたりしない。
「無理して声なんか出すなよ……」
ミクは涙目の笑顔でウィンクして、親指を立てる。
「悪かったな。ミクの考えを受け入れるって約束破って」
俺がそう言うと、ミクは涙目で笑顔を見せ首を横に振る。
「でも、ミクもこの事隠してたんだからおあいこだぞ」
俺は無理やり笑顔を見せて、ミクに言う。ミクもそのままの表情でゆっくり頷く。
俺達は不器用で、お互いを心配して、それがお互いの為になってなくて。
正直言って、今にも「嫌だ」と喚き散らしてしまいそうだ。すぐにでも感情が爆発して、なき喚きそうなぐらいだ。
それでも俺達は、お互いにバレバレの作り笑いをしている。
俺達の会話が終わり、レンがミクへ話し掛ける。
「ミク。修復プログラムをハードディスク内に作成するのを忘れちゃダメだよ。それと余裕があったら、出来る限りの補助をするんだ」
ミクは瞳に溜まった涙を二の腕で拭い、真剣な眼差しで頷く。
「パソコンに戻るのか?」
俺が感情の高ぶりを必死で抑えながら尋ねると、ミクは笑顔で頷き、俺に向かって手を差し出した。
これが何の意味を持っているのかなんて、はっきり分かる。
俺はミクの差し出した右手を、ゆっくりと掴む。
もっとゆっくりと別れの挨拶がしたかったが、これでミクとはお別れだ。だけど……、
「さよならは言わないぞ」
俺がそう言ってミクに笑い掛けると、ミクはこの世で最も優しく、そして美しい笑顔を俺に見せ、ゆっくりと頷いた。
ミクはそのまま目を瞑り、徐々にうつむいていく。
やがて、ミクは光に包まれていき、ミクはおんぼろのノートパソコンへと戻った。
俺の握っていたミクの手は、マウスとなって俺の手の中に残っている。
俺はすぐにパソコンの前へと屈み、コントロールパネルを開く。
前が涙でくすんで見える。肺が痙攣を起こして、息がし辛い。
それでも俺には悠長に、感傷に浸っている暇がない。
「普通にアンインストールしていいんだな!」
俺がレンに問い掛けるとレンは、すぐに頷く。
俺はすぐにプログラムの追加と削除を起動し、「初音ミク」を探し出す。
変更と削除のボタンを押すと、アンインストールの是非を問うウィンドウが開く。
ここで了承をすれば、簡単にミクは消える……。
ミクはこれで良いと言ったんだ。なら俺は悩む必要はない。
ミクとの別れは辛いなんて程度じゃ済まない。別れの言葉は言わなかったが、二度と会えない事を覚悟しなくちゃならない。
それでも……。俺はミクとの約束を守るだけだ。
「さよならなんて……言ってたまるか……」
俺はあふれ出る涙を左手で拭い、マウスの操作を通してパソコンにアンインストールの指示を出した。
ハードディスクがカリカリと音を鳴らし、ミクを削除していることが分かる。
俺は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。ここで俺が下手を打てば、ミクが消えた意味がなくなる。
そんなのは絶対に許されない。
ミクのアンインストールは、一瞬で終わった。もしかすればミクが手伝ってくれたのかもしれない。
アンインストールが終わると同時に、ディスクトレイが勝手に引き出される。
俺はすぐにディスクを手に取り、設置したばかりのパソコンへと向かう。
俺がパソコンの元へ辿り着くと同時に、リンが叫ぶ。
「早く! もう限界!」
パソコンはさっき俺が使っていたお陰ですでに電源が入っている。
俺はディスクドライブのイジェクトボタンを連打し、ディスクトレイを引き出す。
リンが乗っているロードローラーからは金属が軋む音が聞こえてくる。本当に限界が近そうだ。
ディスクをパソコン内へと挿入すると、ディスクの回転音が聞こえ、一つのウィンドウが開く。
インストールボタンと、キャンセルのボタン。それと文章が書かれたウィンドウ。
――ごめんね
ウィンドウに書かれた文章はそれだけだった。
その文に俺は一瞬息が詰まった。
なに謝ってんだよ……。
「…………そんな言葉、望んでねーよ」
俺は、皮肉たっぷりにそう言いながら、インストールのボタンを押した。
インストールが始まり、凄まじい速さで進行状況のゲージが進んでいく。
この異常な進行速度で、俺はミクがパソコン内で手伝っているという事を確信した。
ロードローラが振るえだし、俺の部屋には騒音が響き渡っている。
俺はすぐに、「初音ミク」を起動して、レンに叫ぶ。
「レン! 修復プログラムはどこにあるんだ!」
俺が叫ぶと、レンはこちらを振り向き、答える。
「――ドライブ――――に――る!」
レンの声が聞こえない……。レンは命いっぱい叫んでいるんだろうが、ロードローラーの騒音が邪魔をして聞き取る事が出来ない。
さらにはレンはダメージを受けているせいで力がない。こちらへ向かってくる事すら出来ない。
その間にもロードローラーの騒音は強さを増していき、レンの叫びは一切聞こえないほどになってきた。
「もうダメ! 限界!」
リンが叫ぶ。
俺はレンの元へ近づき、修復プログラムの場所を聞こうか悩んだ。
しかし、すでにリンは限界に来ている。
レンに聞いていては間に合わない。俺はそう判断した。
俺はすぐにパソコンへと振り向く。
「ミク! 修復プログラムを開け!」
これは賭けだ。もしかすればミクにこの声は届いていないかもしれない。
それでも、レンに聞きにいく暇はない。なら俺はミクに賭ける。
パソコンは一向に反応をしない。
その間にも、ロードローラーは凄まじい騒音を立て、さっきまでより揺れが大きくなっている。
無理かもしれない……。俺がそう思った瞬間に、「初音ミク」が何かのファイルを読み込んだ。
すぐにファイル名を確認すると、そこには「Repair」と書かれていた。
ミクがファイルを開いてくれた。ミクに俺の声が届いた。
俺はすぐにレンの方を向く。
「レン! ファイルが開けた!」
俺がそう叫んだ次の瞬間、ロードローラーが空中へと吹き飛び上がった。
レンはすぐに叫ぶ。
「リン! 僕に全部の力を渡して!」
ロードローラーが地面に落下し、またしても轟音が鳴り響く。
俺の部屋から、メイコが見える。
メイコは宙に浮き、怒りの形相でこちらを睨みつけている。動揺しているのは明らかだ。
「ミクはどこに行ったの!」
メイコがそう叫んだその瞬間に、カイトがメイコの後ろへ飛び上がる。
メイコは動揺しているせいか、カイトに気付くのが一瞬遅れた。
カイトはその隙を逃さず、俺の部屋に向かってメイコを蹴りつける。
メイコは俺の部屋へと、吹っ飛んでくる。
俺の方へと飛んでくるメイコに、少し戸惑ったが、すぐに俺の前にレンが立ち塞がる。
レンは蹴り飛ばされたメイコを両手で思い切り、抱き固め俺に叫ぶ。
「修復プログラムを再生して!」
「レン! 放しなさい! ボーカロイドの世界を創るのよ!」
レンの腕の中でメイコが叫び暴れるが、俺はメイコの言葉を無視して、すぐさまマウスを手に持ち、再生ボタンへとカーソルを合わせる。
俺がクリックをすればボーカロイド達の戦いが終わる。やっとこいつらが戦いから解放される。
そしてミクが消滅する道を選んだ事が報われる。
「さすがはミクだ。お前は最高のボーカロイドだよ」
俺はパソコンにそう言って、再生ボタンをクリックした。
パソコンのスピーカーからミクの歌声が流れ出す。美しい声色と耳に流れ込んでくる自然な音程は、修復プログラムという戦いの道具とは感じられないほどに綺麗なものだった。
レンの腕の中で必死に抵抗をしていたメイコは、突然目を閉じた。
なにかあるかも知れない。俺はそう心配したが、やがてメイコの黒服が光を放つ。
メイコから溢れる光は、ひび割れるように消滅していき、ミクの歌が終わると共に、メイコの服は赤色へと変化した。
変化が終わると同時にメイコはレンの胸へと倒れ込む。
「終わったのか…………?」
俺がレンに問い掛けると、レンは微笑みゆっくりと頷く。
「あなたのお陰だよ」
「…………そうか」
俺がそのままベランダの方へと目をやると、カイトがリンを抱えて俺の部屋へと向かってくる。
リンは疲労困憊の様子だが、意識を失ってはいなかった。
「終わりましたね……」
カイトは俺を見て静かに言った。
「あぁ……」
「あなたのお陰です。本当に感謝しています」
カイトはそう言って頭を下げる。俺は少しだけ笑みを見せ、カイトに片手を上げて答える。
そのまま会話を続ける事はせず、全員でメイコを眺めていた。
メイコは目を閉じ意識を失っている。
しばらくすると、俺の部屋にサイレンの音が聞こえてきた。
「カイト。逃げた方がいいんじゃないか?」
俺がそう言うと、カイトは真剣な表情で頷き、メイコの元へと近づいていく。
「メイコ。起きるんだ」
カイトはメイコの体を揺すりながら声を掛けている。
何度か繰り返すとメイコは薄っすらと目を明けた。
「私は……」
メイコは上体だけを起こして、俺の部屋を見渡す。
「後でいい。いまは逃げよう。回線を利用しての移動ぐらいは出来るね?」
カイトに尋ねられメイコはゆっくり頷く。
そのままメイコは俺へと視線を向けじっと見つめる。
「覚えているわ……。私はミクを……」
「今はとりあえずカイト達と逃げろ。そんなの後でいい」
メイコは戸惑いの表情で、俺を見続ける。
そんなメイコの手をカイトが引き、立ちあがらせる。
「後でもう一度ここへ来ます」
カイトは俺に頭を下げ、メイコに続けて声を掛ける。
「しっかりするんだ。ほら行くよ」
メイコは俺を一瞥しカイトに対して頷く。
そのまま四人は歌を歌い始め、光に包まれ俺の部屋から消えて行った。
サイレンの音は俺のアパートの前で止まり、すぐに俺の部屋のインターフォンが鳴った。
扉の向こうにいたのは警察官で、俺は警察署へと任意同行をさせられた。