Neetel Inside 文芸新都
表紙

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「なにもわかりません。怖くてずっと隠れていました」
 警察署の中で俺はずっとそれだけをいい続ける。
 警察の人達の対応は思っていたモノとは違い、すごく親切だった。
 俺の身辺も調査をしたようだったが、正真正銘俺はただの大学生だ。左翼や右翼の団体に所属なんてしていないし、怪しい宗教にだって入っていない。国籍や血筋だって列記とした日本人だ。
 警察の人達はしつこく尋ねはするが、威圧的な態度に出たりする事は一切なかった。
 俺はただひたすらに「わかりません」「覚えてません」という言葉を繰り返すのみだった。
 どうやら警察も今回の事件は意味がわからないらしい。テロだとしても、被害は、家賃の安いアパートの一室と建設途中の建物の一部とロードローラーのみだ。
 アスファルトが割れたりもしていたが、テロにしては意味がない。怪我人は一人もおらず、目撃者も遠くから見ているだけだったため、あまり詳しい事を知らないと答えたらしい。
 なによりも証言の中の「人が宙に浮いていた」と言うものが警察の混乱をより大きなモノにしているようだ。
 それについても散々尋ねられたが、俺は見ていなかったと答えるのみだった。
 そんなやり取りを続けている内に、やがて警察は諦めたようで、俺を解放してくれた。
 俺は自分の家に帰っていいのかと警察の人へ問うと、帰っても良いと答えてくれた。
 俺は部屋を散々調べられるものだと思っていたが、なぜか警察は俺の部屋から手を引いているらしかった。
 少し不思議に思いはしたが、部屋を荒らされるよりは、そっとしておいて貰った方がありがたい。
 パトカーで送ってやろうかと尋ねられたが、晒しモノになるのも嫌なので、俺は丁重に断り、タクシーで家へと帰った。
 家に帰ると俺のアパートの周辺ではマスコミが騒いでいた。
 マスコミが好きそうな事件にも関わらず、マスコミの数は思ったよりも少なかった。さらにはすでに警官の姿も見当たらず、事件の現場にテープが張られて放置されていた。
 俺は記者達に見つからないように、こっそりと家へと入る。
 家の中は悲惨なものだった。ベランダが割れて、コタツ机の残骸が床に散らばっている。
 俺は部屋に入ってすぐに、ベランダのカーテンを閉めて安全ピンで止めておく。
 冬にこの状態はなかなか、体に堪えそうだが、カーテンを閉めると、吹き込む風も多少はマシになったし、どうにかなるだろう。
「あぁ、疲れた……」
 俺は呟き、ベットに横たわる。
 一眠りでもするかと思い、目を閉じてみるが、眠る事が出来ない。目を閉じればミクの事を思い出してしまうからだ。
 眠るのが怖く感じてしまった。
 俺はベットに横たわりながらテレビを付けてみる。腹が減ったが飯を作る気力もない。
 ミクをインストールし直したパソコンのファンの音がうるさいが、なぜか電源を切る気が起きなかった。
 なんでかはよくわからないが、電源を切る行為がミクとの別れを認めてしまうことになるような気がしたからだ。
 まあ、ただの気休めでしか無いが、気が済むまで電源を入れっぱなしにしておくさ。
 そんな事を考えていると、すぐにでも気が滅入ってしまいそうだったが、カイト達が来る予定になっているので今は無理やりそんな感情を押さえ込む。
 まったくおもしろくない芸人のコントを、冷ややかな目で見ていると、モジュラージャックが光を放った。
 カイト達だろう。この光にも、もう慣れた。
 無数の光は部屋の中央でボーカロイド達へと変化する。
「よお」
 俺はベットから起き上がり、片手を軽く上げて言うと、 カイトは軽く頭を下げながら、
「すみませんでした。あなたにまたしてもご迷惑をお掛けしてしまった」
「気にすんな」
「メイコが警察のネットワークに侵入して、出来るだけご迷惑をお掛けしないようにはしたのですが、人的な作業部分の工作はなかなか厄介だったようで時間が掛かってしまったようです」
 俺がメイコの方を見ると、メイコはすぐに俺から視線を逸らしうつむく。
「ありがとな。メイコ」
 俺がそう言うとメイコは面食らった顔をして、俺の方へと視線を戻す。
「私は……。あなたに謝らなきゃいけない……」
 メイコはそう言ってもう一度うつむく。
「ごめんなさい…………」
 メイコの声の弱々しさから、心から反省していることがよく分かる。
「責めるつもりなんかないさ」
 俺がそう言うとメイコは申し訳なさそうな顔をして、もう一度こちらへと視線を向ける。
「お前が暴れなきゃ、ミクと俺は会えなかったんだ。それに、謝るなら俺じゃなくミクに謝れ」
 俺がそう言うと、メイコは俺を真っ直ぐ見つめ、口を開く。
「ありがとう……。本当に、ごめんなさい」
 メイコは謝った。これで俺の怒りはチャラだ。実際にメイコがいなきゃ俺とミクが会うことはなかったんだ。だったら俺がメイコを責める事は出来ない。
 それにミクだってメイコを責めない事は俺がよく分かっている。なら俺はあえてメイコを責めたりなんかしないさ。
 他のボーカロイド達は、優しく微笑みメイコを見ている。
「あなたには本当に感謝しています」
 カイトの言葉を皮切りにリンとレンも口を開く。
「私だって感謝してるわよ。ありがとうね」
「僕だって本当に感謝してる」
 俺はこいつらのこの感謝の言葉に、照れくさくなってしまい、笑い返すしか出来なかった。
 それでも、こいつらは俺の反応にどんな意味があるのかなんて理解しているだろう。
 こいつらのお陰でこの数日は驚きの連続だった。非現実的な出来事の数々にクタクタに疲れたよ。
「これからどうするんだ?」
 俺の問いにはカイトが答える。
「お父さんを探しに行きます。メイコが大体の場所を把握しているそうなので、それを頼りに」
「そうか」
 俺がそう答えると、カイトはベランダ側に顔を向けながら続ける。
「私達はそろそろ行きます。長居は無用ですから」
 確かに外が騒がしい。少数とはいえ、マスコミが集まっているからな。
 いつ俺の家に押しかけてくるか分かったものじゃない。
 カイトは俺の方に顔を向けなおし、口を開く。
「ミクの事をもう一度具現化できるようにお父さんに頼んでみます」
 俺はこの言葉に驚いた。
「そんな事、可能なのか!」
 俺が焦ってそう問うと、カイトの表情は申し訳なさそうに変化する。
「ごめんなさい、過剰な期待をさせてしまった。可能かどうかは私にはわからない。でも、お父さんなら出来るかもしれない。だからお父さんに頼んでみようと考えたんです」
「そうか……」
 俺がそう言ってうつむくと、レンが口を開く。
「出来るよ、きっと」
 そのまま続けてリンが俺に言葉を掛ける。
「また、みんなで海にいかなきゃだもん。もちろん、ミクも一緒に」
「あぁ……。そうだな」
 俺は少しだけ無理をして微笑む。こいつらの優しさには心から感謝している。
「私も、出来る事は必ずやるわ」
 メイコが真っ直ぐに俺を見て言った。
 こいつらはみんなミクが消えた事を悲しんでいる。俺だけじゃないんだ。そんな当たり前の事を、俺はいま理解した。
「あぁ。頼んだ」
 俺の言葉に、全員が俺を見て頷いてくれる。
「それでは、私達はそろそろ行きます。また、ここに来るかして、私達の動向を連絡します」
 カイトはそう言ってボーカロイド達を部屋の中央へと集める。
 本当は、もう少しだけいてほしいて思ったが、外のマスコミなんかの事を考えると、引き止めるわけにもいかない。
 俺が首を縦に振って答えると、カイトは口を開く。
「それでは」
 カイトは俺に頭を下げ、歌を歌おうとする。
 リンとレンも手を振り俺に別れの挨拶をしている。
 こうして別れれば、当分こいつらと会う事はないんだろう。
 そう思うと俺は無意識に四人を引き止めてしまった。
「ちょっと待て」
 ボーカロイド達は若干驚いた様子で俺を見ている。
 俺は続けて全員に尋ねる。

「俺達って、仲間だよな?」

 俺の質問に全員が驚いた表情をしたが、すぐに全員がこれでもかというほどに大きく笑顔で頷いた。
 レンが口を開く。
「必ず、また会おうね」
 レンは光となって俺の部屋から消えていく。
 続けてリンが、
「海に行くのよ。忘れちゃダメ」
 そう言って光となっていく。
 カイトとメイコは二人で俺に深々と頭を下げて、最後に光となって消えて行った。
 これでボーカロイド達との俺の生活は終わりを迎えた。

 部屋に残された俺の横を、割れたベランダのカーテンの隙間から吹き込む冷たい風が容赦なく横切る。
 俺はボーカロイド達との生活が終わった事を実感する。
 ボーカロイド達はまた会おうと俺に言った。もちろん会うに決まってる。
 俺はパソコンデスクのイスに腰掛ける。
 思えば、この一週間はあっという間に過ぎていったな。
 ミクが現れた前日は、俺は具現化なんて現象が存在するなんて、ほんの少しも考えてなかった。
 でも実際に俺の目の前にはボーカロイド達が現れて、戦い、そして去って行った。
 不思議なもんだな。さっきまでここにボーカロイドがいた事なんて、夢に感じてしまう。
 大破したコタツや、ベランダから吹き込んでくる冷たい風で、なんとか夢ではないと理解できるが、過ぎ去って行った幻想のような気がしてしまうのはなぜだろう。
 小学校の遠足から帰った後のあのなんとも言えない感覚。心残しがあるような、そんな気分になってくる。
 いまさら考えを巡らせたって意味はないんだがな。
 ふとテレビ付近の床を見ると、晩飯用として買いこんだ食糧が大量に置かれている。
「あんなに食えねーよ」
 俺は一人で笑い、一人で突っ込みを入れる。
 どうせなら、カイト達を晩飯に誘えば良かった。あんな量の飯は俺には到底食いきれない。
「はぁ…………」
 ため息をついてみるが、なにも変わりはしない。
 なんだろう。この空しい気持ちは。妙に自分が孤独に感じる。
 ミクがここにいたって事実が俺の中から消えてしまう気がする。
 そんなわけないのにな。いつまで俺はうじうじしてるんだ。
 もともと俺は前向きな性格ではないが、こんな風に俺が悲しむのはミクの本望じゃないんだ。
 俺はミクと約束したんだから、すっぱりと立ち直るべきなんだ。
 俺は受け入れてる。ミクが選んだ道を……。 
 そう考えながらベットに向かおうと立ち上がると、ミクがインストールされていたボロノートパソコンが床に転がっているのが視界に入った。
 なんとなくノートパソコンに近づくと、その下にカードサイズに切られたコピー用紙が挟まっているのに気がつく。これはミクの所有物だろう。俺が作ってやったカードだ。
 良く見るとそのカードの隙間に布のようなモノがはみ出している。
 ミクの所有物に布なんてあったかと、少し不思議に思った俺はその布を摘み引きだしてみた。
 俺はその布の正体が分かり、息が詰まった。

 俺があの時スーパーで渡したハンカチだ。

 ミクが顔を拭いて、ネギの匂いが染み付いたハンカチだ。
 ハンカチにはまだ若干青臭さが残っている。
 しかし、あのときのようなきつい匂いはしない事から、恐らくミクは自分でこのハンカチを洗ったんだろう。
 匂いは完全に取れておらず、シワだらけになっている。
 俺に気付かれないように、隠れて洗ってたのか。
「馬鹿だろ……」
 俺は思わず呟く。
 きっとミクは恥ずかしがって、自分で洗ったんだろう。俺が言ったネギ臭いって言葉を意識してたのか。
「そんなの気にしなくても、俺が洗ってやるっての…………」
 今すぐミクを馬鹿にしてやりたい。今すぐミクをカラかってやりたい。突然そんな思いが俺の頭を過ぎった。
 そんでもってミクが拗ねて。そんなミクに俺がすぐに謝る。
 そんなやりとりがしたい。ほんの数時間前まではそれが当たり前だった。
 でも、今はミクがいない……。
 出来るだけそんな考えをしないようにしていた俺の頭に、はっきりとそのことが焼きついた。
「くそっ……」
 俺は言葉を出すことによって無理やり気持ちを落ち着かせる。
 本当は不安でたまらない。カイトはミクが復活できるよう、開発者に頼むと約束してくれた。
 でも、俺の頭にはどうしても「ミクと二度と会えない」そんな考えが浮かんでしまう。
 だから何も考えないようにしていた。それなのに、こんなモノをミクが残していったせいで、思い出してしまった。
 俺はゆっくりと息を吐き、ハンカチのせいで荒れた感情を冷静にさせる。
 クシャクシャになったハンカチを折りたたむ為に、一度広げようとする。
 ハンカチを広げた瞬間、俺の全集中力がハンカチに向かった。
 
 ハンカチに何か書かれている。

 よれよれの子供が書いたような字で、英数字、いや、フォルダのアドレスが書かれている。
 これはミクの字だ。俺はなぜかそう分かった。
 驚きの余りに高鳴っている心臓の鼓動を、俺は落ち着かせる。
 俺はすぐに、ボロノートパソコンのマウスを掴み、書かれている場所を開く。
 しかしそこにはハンカチに書かれているフォルダはなかった。
 ならば、インストールし直した方のパソコンだ。
 俺は焦燥感に駆られながら、すぐにミクをインストールしているパソコンのハンカチに書かれている場所を開く。
 そこにはハンカチに書かれた、フォルダがあった。
 俺はそのフォルダをゆっくりと開く。
 そこには、

――VOCAROIDMIKU

 たった一つだけ、そう書かれたファイルが、保存されていた。
 俺はすぐにそのファイルにマウスカーソルを合わせる。
 そのファイルの更新日時は今日の夜。すなわちミクをこのパソコンにインストールしたのと同じ時間だ。
 このファイルは、ミクが残った意識で作ったファイル……。
 間違いなくそうだろう。
 俺はそのファイルをダブルクリックする。
 ハードディスクにアクセスする音が聞こえ、「初音ミク」が起動する。
 それは完成したボーカロイドのファイルだった。
 俺は息を呑み、再生ボタンをクリックした。
 スピーカーからミクの歌声が流れ出す――


――あなたはきっと泣いてる
  きっと 自分を 責めて泣いてる
  あなたが 笑ってくれる 私はそれだけでいい

  この世に生まれた事に
  不安もあった でもそんなのも
  あなたが 笑ってくれて それだけでなくなった

  忘れる事はない すべてを
  あなたと過した日々を 永遠に
  覚えているんだって事を 伝えてあげたい 私の歌で

  さようならは言わないよ これが別れじゃないから
  あなたは言わないで くれていたからね
  ありがとうも言わないよ そんな言葉で表せない
  感謝をあなたへと 感じているから

  また会えると信じてる
  またいつか あなたの元へ帰ります
  その時は笑顔で迎えてね
  約束だよ 私の大切な人


「馬鹿野郎…………」
 俺はそう言いながら、無意識に流れた涙を左手で拭う。
 ミクはいつもこうだ。
 自分勝手で、ワガママで、俺の事を考えてるつもりで見当違いな事をする。
 そんなミクに振り回される俺の身にもなれってんだ。
 きっとこれを黙っていたのも、俺のためだと思っていたんだろう。
 こんな結果にならない可能性があると思って、内緒にしていたんだろう。
 余計なお世話なんだよ。笑えってのも余計なお世話だ。
 泣いて悪いかよ。俺はお前がいなくなって寂しいんだよ。
 俺は思いきり息を吸い込み、そのすべてをゆっくりと吐き出す。
「わかったよ……」
 こうなりゃ最後まで振り回されてやる。
 いくらでも約束だってしてやる。
 ミクを信じる。そんなのいくらでもやってやるさ。
 約束も全部守ってやるよ。俺はミクを信じて、ミクが決めた事を受け入れて、ミクを楽しませる。
 それでいいんだろ?
 今からは俺はミクがいなくなった事に、不安を感じたりなんかしない。
 ミクがまた会えると言ってるんだ。俺はそのミクの言葉を信じるだけだ。
 ミクを信じれば不思議と弱気な考えも消えていってるよ。
 だから、もう今度からは女々しくパソコンに話しかけたりもしない。
 今度俺がミクに言葉を掛ける時は、目の前にミクがいる時だ。
 後は、俺が果たさなきゃいけない約束は、楽しませるってのだけだな。
 そんなの簡単だ。毎日俺は「初音ミク」を起動して、毎日歌を歌わせてやるさ。
 俺が歌わせれば下手糞になってしまうだろうが、そんなの関係ない。
 歌を歌う事が好き。俺の同居人はそう言ったんだ。

 もう一度、二人で生活をする。……約束だぞ、ミク。

 俺は心の中でそう呟いて、流れた涙を拭いながら、パソコンの電源を切る事を決心した。



 パソコンの電源を切ろうとした俺はふと思いだし、マウスを持った手を止める。
 そういえば、やっぱり一つだけ言わせてくれ。

「ミク、ボーカロイドの綴り。間違ってんぞ」

 俺は馬鹿にした態度でそう言って、終了オプションの電源を切るをクリックした。


最終話完

       

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Neetsha