第6話「新たなボーカロイド」後編
「ミク。これがなにかわかるな?」
ミクはゆっくりと頷く。
箱に入った状態ではまったくわからなかったようだったが、さすがにディスク本体を確認してさらにはこんなロゴまで書かれていたのだから、さすがのミクも気が付いたのだろう。
俺はミク以外のボーカロイドが具現化するなんて考えてもいなかった。
ミクが具現化した事でさえ常軌を逸しているのだから、ミクのような存在が複数現われる事など想像すらしていなかった。
しかし、考えて見ればボーカロイドと言わずとも、ミクに近い存在がいるなんてのはある程度予想できたことかも知れない。
まあ今は俺がどう考えていたかなんて関係がない。考えるべき事はこのディスクの方だ。
これをパソコンにインストールすれば、まず間違いなく鏡音リンと鏡音レンが具現化するだろう。
もちろん偽物である可能性がないとは言わないが、こうしてミクが具現化している事を知っている人間は俺と、ミクを届けた奴しかいない訳で、こんな偽物を俺の家に放り込む事を思い付く人間が近所にいる可能性はゼロといっても過言ではないだろう。
「これは本物なんだな?」
自分で答えを出してはいるが、念のためにミクに問うと、ミクはいつになく真面目な表情で一度だけ頷いた。
「これはインストールをするべきなのか?」
この鏡音リンとレンが敵である可能性がないわけではない。
そう考えた俺はミクに尋ねたが、どうやら問題はないようでミクは先ほどと同じように頷いた。
問題がないならインストールするべきだ。敵ではないのならばミクの仲間ってことだろう。
俺はディスクを持ったまま立ち上がりメインパソコンの前へと移動し、電源を入れる。
「スペックが足りてたら話せるようになるんだよな?」
パソコンが起動するまでの間に俺が尋ねると、ミクは首を縦に振った。
話が出来ることは俺としてもありがたいな。ミクからは聞けなかったことを色々と聞くことが出来る。敵のこと、ミクの事、聞きたい事は山ほどある。
パソコンが起動した事を確認した俺はイジェクトボタンを押してディスクトレイを引き出し、ディスクをパソコン内へと挿入した。
二人とも黙り込みパソコンの様子を見ているため、ディスクの回転音がはっきりと聞こえてくる。
固唾を呑んで見守っているとディスプレイに一つのウィンドウが表示された。
そのウィンドウは以前俺が見たものとは少し違っていた。
インストールとキャンセルのボタンがあることには変わりは無かったが、あのミクが打ち込んだと思われる頭が可哀相な文章は書いておらず、代わりに「VOCALOID2鏡音リン・レン」という文字だけが書かれていた。
「それじゃあインストールするぞ」
念のための再確認にミクが頷いた事を確認した俺は、インストールのボタンを押した。
確か、ミクの時は変形が始まるまでにタイムラグがあったはずなので、俺は変形が始まる前にパソコンから少し距離を取り、ミクと共にベットに腰掛けながらパソコンの様子を眺めた。
しばらくするとあのときと同じようにパソコンが振るえ始めたのだが、今回はボーカロイドの元となるパソコンがデスクトップ型のせいか、すさまじい騒音が鳴り響いている。
やがてパソコンはトランスフォームを始め、あの時と同じように直視できないほどの光を放った。
……。
…………。
俺はゆっくりと目を開けて、光にやられた視界が治るのをじっと待った。
やがて視界が戻りパソコンがあった場所に目をやると、やはり新たなボーカロイドが俺の前に現れていた。
パソコンデスクに腰掛ける形で鏡音リン、その横に鏡音レンが立っていた。
二人とも見覚えのある服装。女の子と男の子。この二人は、俺がいつも見ていた鏡音リンとレンである事は間違いない。
ミクよりも幼い外見で、黄色い服を着た二人。実際に公式設定でもミクより年下だったはずだ。
この二人はどんな性格なんだろう。穏やかで優しければいいが。
なんて事を俺が考えていると、鏡音リンがデスクから腰を上げ、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
リンはそのままミクの前に立ち、お互いを見つめ合う形で硬直している。
戦いだしたりしたらどうしようなどと俺が不安に感じていると、リンが先に口を開いた。
「よっ! ミク!」
リンは右手を軽く上げ、明るく軽快にミクに声を掛けた。
ミクはリンと同じ動きをして笑顔で大きく頷いた。
どうやら俺の不安は余計なお世話だったようだ。それにリンが声を出しているところを見ると、無事にインストールは完了したようだ。
「やあ、君達は鏡音リンとレンでいいんだよね?」
俺はミクの時と同じように二人に問い掛ける。
「うん。私がリン。よろしく!」
リンはそう言ってニッコリと俺に笑いかけた。
そのままの流れで俺がレンの方へ顔を向けると、レンは、
「僕がレン。よろしくね」
と穏やかな口調で話し、俺に微笑み会釈をした。
二人とも良い子そうでよかったよ。
「あぁ。よろしく」
俺はそう言って二人に微笑みかけた。
ミクは仲間が生まれた事がよほど嬉しいのか、ニコニコとした表情を見せたまま二人を眺めている。
俺はこの和やかな雰囲気が続くのだと思っていた。
しかしリンが俺の予想外の事をミクに尋ねた事により、場の空気は一変した。
「早速だけど、ミク。カイト兄さんに会った?」
ミクは緩い表情を引き締め、首を横へ振った。
カイトが存在する事だって容易に想像できたはずだが、俺は考えてもいなかった。
まあ存在すること自体は何も問題はないので俺は特に気にするつもりはなかった。
しかしリンの表情が少しだけ変化した。怒り? いや、疑問? 兎に角ほんの少しだけだがそんな表情に変化したのを俺は見逃さなかった。
「カイトはすでに具現化しているのか?」
俺はよくはわからないが、リンの感情を抑えるべく、リンに尋ねた。
しかしリンは俺の言葉に反応する事無く、じっとミクを見つめて口を開いた。
「今までなにしてたの……?」
この言葉にミクはしかられた子ネコのように、ただうつむき黙っている。
もしかすると俺と遊んでいたのはいけなかったのかも知れない。本当はするべき仕事をミクは放棄していた事になるのか?
「ごめん。俺のせいだわ。俺が遊びに誘ってたからさ」
俺は咄嗟にミクを庇うためにリンに話しかける。俺が誘ってたってのは嘘になってしまうが、似たようなものなのだから、今はミクを庇うことを優先する。
「遊んでたぁ!? カイト兄さんを探さないで、ずっと遊びに夢中になってたの?」
リンを俺と話をするように仕向けるという俺の作戦は見事に失敗し、リンは俺に見向きもせずミクに向かって説教している。
ミクが俺と将棋で遊び呆けていたなんてのは、リンにとっては信じられない程おろかな事のようだ。
半興奮状態のリンとは対称的に、レンは腕を組んでリンとミクの様子を静かに見守っている。
「何とかいいなさいよ」
リンは容赦なくミクへ問い掛ける。しかしミクはただうつむくだけで答えようとする事はしなかった。
ミクは話すことが出来ない。よく考えれば、リンはそれを知らないのだ。
「何で黙ってるの?」
少し落ち着いたのかリンは叫んだりするわけではなく、冷静にミクに尋ねる。
だがミクは声を出せない。ミクはひたすらに沈黙を守るしかないのだ。
俺は我慢が出来なくなり、リンに告げる。
「ミクは……。俺のせいで話すことが出来ないんだ。スペック不足なんだ」
「えっ……」
リンはこの言葉により俺の方に始めて振り向き、心底驚いた表情をしている。
そうだろうな。自分の家族、いや仲間か。どっちだっていいが、自分の大切な人が話すことが出来ないなんて事実を知れば、俺だったら耐えられない。
リンはそのままの表情でミクの方に振り向く。
「そんな……。それじゃあ……」
今度は驚きの表情が悲観の表情に変化した。
ミクはリンに向かってただゆっくりと首を振る。
リンはそれだけじゃ納得できないようだった。
リンはそのままの表情でミクに問い掛ける。
「どうすんのよ……。そんな……」
リンが口を開くと同時にミクは立ち上がり、言葉を遮るようにリンを抱きしめた。
リンにとってはよほどショックな事だったのだろう……。俺にとってミクが話せない事は当たり前だった。しかしリンにとっては当たり前なんかじゃないんだ。
俺は二人に声を掛けることが出来ず、ただ黙っていた。俺以外だってこの状況に言葉を出すことはせず、俺の部屋に沈黙が訪れた。
リンがもう一度何かを話そうとしたそのとき、今までの沈黙をレンが破った。
「仕方ないよ、リン。声が出なくたって特に問題はないんだから、今はミクを責めるような事は止そうよ」
レンがリンを諭すようにあくまで冷静に話す。しかしリンはそれでは納得できないようだった。
「問題がないって! ないわけ――」
リンがそう言ってレンに反論しようとしたのを遮ったのはミクだった。
ミクはリンが自分の方へ振り向いた事を確認して、なにかを含んだ表情でゆっくりと首を横へ振った。
リンは黙ってミクを見つめていたが、やがて俺を一瞥した後、ゆっくりと口を開いた。
「わかった……。そうね、もう気にしない」
よかった、リンはなんとか落ち着いてくれたようだ。
色々と聞きたい事はあるが、そう急ぐ必要はないだろう。
もう少しリンの感情を落ち着かせる為にも俺は一つの提案をする。
「リン、レン。なにか食べるかい?」
俺はミクが具現化した時を思い出し、二人に尋ねた。ミクは具現化してすぐに腹を鳴らしていたからな。
「食べさせてもらえるのはありがたいよ。僕とリンの二人分お願いしてもいいかな?」
レンが笑顔で俺に答える。
俺は「任せろ」とだけ答え、キッチンの方へと向かった。
俺はミクの時と同じようにインスタントラーメンを作る準備をしながら、リンが落ち着いた事に安心していた。
しかし俺の中にはなにか引っかかる物があった。何かはわからない。しかしさっきの三人のやり取りはなにか普通ではない気がしたのだ。気のせいかもしれないが、あのミクの表情は俺の知らない表情だった……。
いや、気のせいさ。きっと……。
二人分のラーメンを完成させた俺は、ラーメンを二人の元へと運ぶ。
二人はミクに座るよう指示されたようで、コタツ机を囲むように三人で座っていた。
「お待たせ」
それだけ言って俺は箸とラーメンを二人の前に置いてやる。
ミクは俺の方を見て自分を指差している。「ミクも欲しいー」とでも訴えているのだろうが、ミクはさっき食べたばっかりなので甘やかすことはしない。
どうやらボーカロイド全員が食い意地が張っているという訳ではないようで、リンもレンも「いただきます」といった後、どこぞのボーカロイドとは全く違い、ゆっくりと一口ずつラーメンを食べている。
食べている最中に質問するのも悪い気がするので、俺は黙って二人の様子を眺めていた。
ミクのように、こぼしたりすること無く行儀よく食べている様子から、二人はミクとは違い常識があるようだ。
ミクにラーメンを見つめられて、二人が器をミクから遠ざけているところを見ると、お互いの性格なんかは初めから理解しているようだった。
二人の「ご馳走様」の言葉を聞いて、食べ終わった事を確認した俺は話を切り出した。
「色々訊きたい事があるんだけど、質問してもいいかな?」
俺の問いにはリンが答えた。
リンはティッシュで口を拭き、俺に質問をする事への許可をした。
俺が始めにする質問は決まっている。一番訊いておかないといけないことだ。
「いきなりだけど、『敵』ってのはなんなんだ?」
俺の質問を聞いたリンはしばらく間を置いたあと、ゆっくりと口を開いた。
「私達がなんなのかは大体わかると思うんだけど、私達と同じような存在よ」
正直いって大体予想は付いたが、俺は自分で答えを決める事はせず、尋ね返した。
「同じような存在?」
「そうよ。同じような存在」
リンはここで一拍の間をおき、静かに俺の問いに答えた。
「敵はメイコ姉さんよ」