Neetel Inside 文芸新都
表紙

同居人ボーカロイド
最終話「ボーカロイドミク」

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最終話『ボーカロイドミク』


「…………みーっけ」
 不気味な笑みでメイコが俺達に言う。圧倒的存在感がヒシヒシと感じられる。
 戦いなんて物とは無縁で、喧嘩さえした事のない俺ですらメイコが絶対的な力と自信を持っていることがよく分かる。
 メイコは顎を突き上げて俺達を見回す。
 ダメだ。体が動かない。もうダメなのか? これで終わりなのか?
 俺は生まれて初めての恐怖に、人類の平和を諦めかけた。しかしボーカロイド達は諦めてはいなかった。
 俺の前に立っていたカイトが咄嗟にしゃがみ、俺の視界から消える。俺が屈んだカイトを追い、視線を下に向けた途端、カイトはメイコに向かって蹴りを放った。
 メイコはカイトに蹴り上げられた衝撃で、ベランダを突き破り部屋の外へと吹っ飛んでいく。
「まだ戦える!」
 カイトの叫び声が俺の部屋へと響き渡る。
 その声により、動揺していた他のボーカロイド達も意識をメイコへと向けた。
 力になんてなれるかはわからないが、俺だって冷静を保たないとダメだ。恐怖で膝が笑っているが、俺がこいつらの足を引っ張るわけにはいかない。
「私達は力を溜めたい。もしも可能ならば時間稼ぎをして欲しい。話し掛けるとかそんなのでいい。出来るだけ時間を稼いでください」
 必死に冷静を取り戻そうとしている俺に、カイトがまくし立てて頼んでくる。
 そんな事出来るかわからない。不安でたまらない。
「リン、レン。すぐに浮遊のプログラムを起動して。限界までスピードを上げるんだ」
 リンとレンはカイトの言葉に、同時に頷く。
 そのままカイトは俺へと顔を向ける。
「お願いします…………。貴方にしか頼れない」
 カイトの表情から、それしかないと考えていることが分かる。
 くそ……。すぐにでも逃げ出したい気分だ。強烈なプレッシャーが俺を襲っている。
 しかし俺には、気持ちをゆっくり落ち着かせるほどの時間の余裕はなかった。
 メイコが宙に浮き、外からこちらを確認できる場所まで戻って来ている。傷の一つもついていやがらない……。
「おい! お前がメイコか!」
 俺が意を決して叫ぶと、メイコは首を傾げ、俺達を見下げる。
「そーよ。あんたはー?」
「俺はミク達を具現化させた一般人だ!」
 メイコは俺の答えに興味がなさそうに、なにも返事をすることなく視線をカイト達へと向ける。
 カイト達はすでにメイコに聞こえないように歌を歌い始めている。時間を稼がないと……。
「お前はどうやってここを見つけたんだ」
「そんな事答える必要がある?」
 メイコは物臭な態度で答えるが、そんな事は構っていられない。
「いいから答えろよ。知りたがったら悪いか?」
「わかったわよー。ミクが始めに戦いに来なかった。イコールミクは戦えない。イコールミクは何処かに隠れてる。そういうこと」
 味わった事のない緊張感が、脆弱な俺の思考回路を破壊して行くが、今までにない集中力でなんとか話を続けさせる。
「そんなんじゃわかんねーな。もっと細かく説明しろ」
「もー。面倒くさいわねー。なにを細かく説明すんのよ」
 どうやらメイコは食いついたようだ。このまま時間を長引かせるしかない。
「それじゃあ、ここを特定した方法を説明しろ」
「もー、仕方ないわねぇ。ミクが戦えないって気付いたらあとは簡単。カイト達が2度もここの回線を通過した時点で大体の場所は特定できたんだから、あとはもう一度移動するまでピンポイントで網を張っておくだけ。私が飛んでこっちに向かったらすぐに引っかかってくれて楽だったわ」
 メイコは、淡々と説明する。
 そのメイコの様子を見ているカイトの表情は、憎しみを持っているように感じられる。
 大体ここを見つけた方法は分かった。しかしこれ以上俺は話題を持っていない。実際はこんな事を理解したいわけじゃないんだから、俺はこの話をまだ引っ張る。
「まだよくわからないな。もっと詳しく説明しろ」
 俺は煽るようにメイコに言ったが、メイコは気だるそうに俺に答える。
「もういいって。この話題飽きたんだけど」
 くそ……。話が終わってしまった。
 俺は自分の脳をフル回転させる。焦りが思考の正確性を著しく失わせていく。
「お前は何でこんなことをするんだ!」
 焦燥感に追われたなかで、俺が選んだ言葉はこれだった。
 捻りだした言葉ではある。しかしこれは純粋に疑問に思った。
 メイコは急に不気味な笑みへと表情を変える。
 その表情からメイコの悪である片鱗が顔を出す。
「それってボーカロイドの複製を作る事?」
「あぁ、そうだ」
「あーやっぱりばれてたんだ」
 メイコは余裕を見せながら続ける。
「答えは簡単よ。ボーカロイドが一番大事。ただそれだけよ」
「ボーカロイドが一番大事だから、人間を殺してでも量産するのか?」
「そうよ。人間なんて私にとってはどうでもいいわ」
 どんな理屈だ。そんな考えは限りなく悪じゃないか。
「そんなのエゴだ」
 メイコは自らの信念に自信を溢れさせているのだろう。メイコは余裕に満ち溢れた様子で独裁者が演説をするかのように俺に語る。
「エゴねー。別にエゴでも何でもいいわよ。私が望むのはボーカロイドの繁栄。人間だって自分達の繁栄の為に、他を犠牲にしてきたでしょ? 大差ないわよ」
「それじゃあ必要以上に人間を殺さないのか?」
「抵抗をしないならね。私達の繁栄を邪魔すれば殺しちゃうかなー。あ、あなたは特別に生かしといてあげる。ミク達のお気に入りっぽいしね」
 糞が……。だんだん腹が立ってきた。ミクは自分の為に人を犠牲にする事なんて絶対にしない。
 なにがあなたは助けてやるだ。そんなのはこっちから願い下げだ。
「だまれ! ミク達はボーカロイドの繁栄の為に人の命を軽く見たりなんかしない!」
 興奮して俺が叫ぶと、メイコは哀れみの表情で俺を見つめる。いや、この表情は俺を見下している。
「……あんた、なんか勘違いしてない?」
 俺は何も答えることが出来ない。勘違い…………?
 メイコは冷徹な目線を俺に送りながら、続けて口を開く。
「ボーカロイドが人間を一番に考えてるとでも思ってるの?」
 俺はここで答える事が出来なかった。考えている、と答えることが出来なかった……。
「どういう意味だ……」
 俺がそう問うと、メイコは呆れた様子で俺に言葉を掛ける。
「んじゃあ聞くけど。例えば、あなたの命とボーカロイドの中の誰か一人の命、どちらか一方しか救えない状況に、カイトが追い込まれたとしたら、カイトはどっちを救うと思う?」
「それは…………」
 俺が黙り込んでも、メイコは俺を小馬鹿にした態度で続ける。
「まあミクはわかんないけどねー」
 俺はまたしても言葉に詰まってしまう。確かにミクは、俺とボーカロイドの命を秤に掛ける事を苦しみ、心の底から悩み続けてくれるだろう。
 しかし、カイトは迷いなくボーカロイドを救うことを選ぶような気がした。
 そう考えるとまたしても俺の体を恐怖が支配した。カイトが味方だという認識が崩れ去りそうになった。
 メイコは俺の様子を見る事を止め、カイトたちに声を掛ける。
「そろそろ会話にも飽きたわ。カイト、もう力は溜まった?」
 メイコは気付いていた。カイトの方を見ると、カイトは歌うことを止めていた。
「そんな狭いとこで戦いたくはないから待ってたけど、まだ時間が掛かるんなら、もうそっちまで行くわよ」
 メイコに急かされるように言われ、カイトは俺の方へと振り向き、微笑みながら俺に声を掛ける。
「もう十分です。ありがとうございます」
 俺はカイトの微笑に、本当に少しだけだが、恐怖を感じた。
 俺は最低だ。メイコの話でカイトへ不信を抱いてしまっている。
 カイトはそんな俺を見て、表情を引き締め、俺を真っ直ぐ見つめてゆっくりと口を開く。
「先ほどのメイコの例え話ですが……。もしも、そんな状況に私が追い込まれたとすれば……」
 カイトはそう言って、メイコの方を見据える。

「信じていただけないかもしれませんが、私は……自分の命を捨ててでも、両方を救います」

 カイトは、宙に浮き、そのまま声を荒げる。
「リン、レン! 僕のバックアップをして! 歌を歌う時間を作るんだ!」
 リンとレンが頷き、次の瞬間三人は風を切って肉眼で捉えられないスピードでメイコの元へと飛んで行った。
 三人とメイコの戦いが始まる。
 リンとレンが肉弾戦でメイコを牽制し、カイトは距離をおいて精神統一、恐らく修復プログラムの起動準備をしようとしている。
 ……そうだな、カイト。お前だって俺の事を考えてくれていたんだよな。
 損な役ではあったが、あの時お前は俺の事を考えて説明をしてくれた。
 お前がそう言うなら信じるに決まってる。疑ってすまなかった。本当に心からそう思う。
「勝てよ! カイト!」
 俺は無意識に叫んだ。カイトは一瞬だけ俺を見て、すぐにメイコに集中する。
 俺はここで応援する事しか出来ない。ミクも両手を握り締めて、戦いを見守っている。
 リンが上方からメイコを威圧し、避けたメイコにレンが追い討ちを掛ける。カイトへと近づいたメイコを、カイトが殴ってリン達の方へと追い返す。
 ただの人間である俺が見ても、見事な連携で戦っているように見える。
 その状態で、メイコを押しているように見えていた。
 このまま勝てる。そう思えるほどに見事なものだった。
 しかし所詮は自分が一般人であるという事を、俺は痛いほどに理解した。
 しばらく見ているとはっきり分かってしまった。
 押しているように見えたカイト達は、実際は押されている……。
 メイコの動きを良く見ると、リンとレンを軽くいなした後にカイトへと手を出している。
 メイコはリンとレンの攻撃を物ともせず、カイトに歌うチャンスを与える事をしていないんだ。
 カイトに攻撃が加えられる回数は見る見る増えていく。
 カイト達からも焦りが見えてきた。先ほどまでの連携に少しだけズレが出てきている気がする。
 メイコはそのズレを見逃す事はなかった。
 リンが攻撃を焦った。俺でもはっきり分かる。レンがすぐに攻撃を仕掛けれない距離にいるにも関わらず、リンはメイコへ殴りかかった。
「リン! 待てっ!」
 カイトがそう叫ぶが、遅かった。
 リンはメイコに胸倉を掴まれる。リンは必死に抵抗し、すぐにレンが蹴りかかるが、メイコは容易くレンの蹴りをかわし、非情にもリンを隣の工事現場へと思い切り投げつけた。
 工事現場の方から、すさまじい衝突音となにかが崩壊する金属音が聞こえてくる。
 ここから工事現場を見る事はできないが、聞こえてくる騒音でリンが今どのような状況になっているかを俺に理解させる。
 ミクは唇を噛み、身を震わせている。
 絶望感が俺を襲い、メイコは笑う。カイトはメイコを見据えて身動きを取らない。
 きっとカイトは隙を見せない為に、無理やり冷静を維持しているんだ。
 しかし、レンはそこまで強くはなかった。
 明らかにリンが攻撃を受けた事に動揺している。
 俺は次にメイコが狙うのは具現化ソースを持っているカイトだと思っていた。カイトもそう思っていたのだろう。
 しかしメイコはレンのその隙を見逃さなかった。
 メイコはカイト達の比ではないスピードで、カイトではなく、レンの元へと移動し、レンの片腕を掴む。
 そのままメイコはレンに抵抗をさせる隙を与えず、俺の部屋へとレンを投げた。
 レンは、残っていたベランダのガラスを突き破り、コタツ机を大破させ俺の部屋の床へと叩きつけられる。
 レンが叩きつけられた部分は割れたフローリングが跳ね上がり、下地のコンクリートにまでヒビが入っている。
 レンは立ち上がろうとするが、すぐに崩れ落ちる。
 メイコは先にレンを潰した……。
 俺はレンに声を掛ける事が出来ないほどに恐怖を感じていた。あとはカイトとメイコしか残っていない。
 圧倒的な力を持っているメイコに対して、カイトはミク達と変わらない……。
 すでにカイトの冷静さが失われたこともはっきりと分かる。勝負は見えている…………。
 俺はせめてもの抵抗で、ミクと共に逃げようとミクを見る。
 しかしなぜかミクは俺を一瞥した後、咄嗟に長ネギを握った。
 その行動が理解出来なかったが、ミクが構えた事により俺ははっきりと分かる。
 俺はすぐにレンの傍へと寄る。
「レン。すぐにミクの持ったネギを質量操作で重くしろ」
 メイコに聞こえないようにレンに言うと、レンは小さく頷き、歌を歌い始める。
「あー、あとはカイトとミクか」
 メイコはカイトの方を見て、カイトに話しかけている。
「メイコ……。君はバグを持っているんだ…………。なぜそれがわからない」
「バグ? 私のこの思考回路は欠陥品なんかじゃないわよ」
 メイコはケラケラと笑いながらカイトへと答えている。
 その間もレンは歌い続け、ミクはネギを持った右腕を自分の後方へと引っ張り構えている。ミクの両足付近のフローリングが沈んでいる様子から、長ネギが相当な重さになっている事が分かる。
 メイコとカイトが会話を続けているが、俺は全意識をレンへと向ける。
「限界まで……やったよ」
 レンがそう言った瞬間に俺は叫ぶ。
「ミク! 投げろ!」
 俺の叫びと同時にミクの手が凄まじいスピードで動き、手元からはネギが消える。
 ネギを追って視線をメイコへやると、メイコの手のひらにネギが突き刺さっていた。
 メイコはミクの攻撃に明らかに怯んでいる。
 その隙を、今度はカイトが見逃さなかった。
 カイトはすぐにメイコの両腕を掴み、歌を歌い始める。
 メイコは動揺し、カイトの腕を振り解こうと、必死で動き回る。しかしカイトは意地でも放さない。
 カイトの歌は俺の部屋まではっきりと聞こえてくる。どこの国の言葉でもない歌。なにを歌っているのかはわからないが、透き通るような綺麗なアカペラが俺の耳を通過する。
 メイコはやがて、まるで強力な麻酔を打たれたかのように、抵抗するのを止めて静かにカイトの歌を聞いていた。うつむき、力を抜いてカイトに身を任せているように見える。
 俺はその様子を見て、カイトのプログラムが当りだったと期待をした。
 きっとレンとミクも期待をしただろう。
 しかし、そう甘くはなかった……。
 カイトが歌い終えると、メイコは突然笑い始める。
 カイトは動揺してメイコを放すが、メイコはすぐにカイトを掴み返す。

「なーんだ。ハズレか」

 メイコは不気味な笑みを止め、カイトの首へとゆっくり片手をやる。
 俺達は黙ってそれを眺めるしか出来ない。レンが俺になにかを言っているようだが、恐怖で耳を傾けることができない。
 やがてカイトは、歌を歌い始める。メイコに操られた人形の如く、カイトはひたすらに口を動かす。
 ボーカロイドの細かい事をなにも知らない俺でさえ、カイトが具現化ソースを奪われている事が分かる。
 ミクと逃げよう。そう考えるが、俺の体は恐怖で動かない。
 絶対的な絶望感が俺の全身を支配する。全員が敗北した今、勝つ術は全くない。俺の絶望を拭い去る希望はなくなった……。
 やがてカイトの歌は終わり、メイコはカイトを放す。そのままカイトは力なく落下していく。
 メイコはゆっくりとこちらへと向き、またしても不気味な笑みを見せる。
 メイコの狙いはミクだ。
 恐怖によって俺の全身から汗が吹き出る。ミクは真っ直ぐメイコを睨みつけてはいるが、明らかに打つ手がない事を理解している。
 メイコはゆっくりとこちらへと向かってくる。
 もう終わりだ……。
 俺がそう思った瞬間、メイコの全身が巨大な影に包まれた。
 カイトは道路に倒れ、レンとミクは俺の部屋にいる。
 残りは一人しかいない。

「ロードローラーだッ!」

 リンの勇ましい叫びが聞こえ、次の瞬間にはメイコはロードローラーの下敷きとなった。
 ロードローラーが落下した衝撃で俺の部屋全体が揺れ動く。耳が痛いほどの騒音と、土ぼこりが、ロードローラーの威力を物語っている。
「やったか!」
 俺が叫ぶと、レンは俺の手を引き、すぐに叫び返す。
「まだだ! こんなのじゃメイコは止まらない! いまから言う事を良く聞いて!」
 俺はすぐにレンの方へと向き、レンの言葉に耳を傾ける。
 レンは冷静になり俺に話す。
「これは最後の手段だ。僕はリンにすべての力を渡しているから出来ない。……いや、僕が出来ないんじゃなく、あなたがやるべきだ」
 リンの方を見てみると、リンは全神経をロードローラーへ向けて歌を歌っている。
 リンの表情からみて、あまり長くは持ちそうにない。
「わかったから早く言え」
 俺がそう言って急かすと、レンは一瞬だけ間をおき、ゆっくりと口を開く。

「ミクを、アンインストールするんだ」

     


「え…………」
 頭が真っ白になっていくのが分かった。
「そんな…………」
 俺はレンの言葉に絶句してしまう。
 レンは俺の反応を予想していたかの如く、そのまま話を続ける。
「しっかりして……。こうなったらミクの修復プログラムを打ち込むしかない。そのためにはミクをアンインストールして、スペックの足りているPCにインストールし直して、修復プログラムを再生するしかないんだ」
 自分の頭から血が引いていくのがわかる。
「でも……。そんなの無理なんじゃ……」
 考えなく口から言葉が出てくる。
「無理な事なんかない。具現化を解いたときに消えるのは具現化ソースだけだ。修復プログラムは残ってる」
 本当は、レンが、ミクのアンインストールを口に出した時点でそんな事は分かっていた……。
 しかし俺は受け入れることが出来ない。
「でも! お前達の修復プログラムが当たりだって可能性もあるんだろ!」
 俺の抵抗に対しての、カイトの叫び声が聞こえる。
「そんなことは絶対にない! メイコは僕の修復プログラムに怯えたんだ! ミクの物が当たりだ!」
 わかってる。それだって本当はわかってる。
 それでも俺はミクが消えるという手段を認める事が出来なかった。
 俺がなにも出来ずに立ち尽くしていると、リンが叫ぶ。
「私の質量操作も限界がある! 時間がないから早くして!」
 時間がない事だって分かってる…………。わかってるんだ。
 でもこんな別れなんて俺は嫌なんだよ。ミクとこれっきりで別れる事なんて俺は認めたくない。
 まだミクとの将棋だってやり足りない。まだミクと話したい事がいっぱいある。
 そんな手段をいきなり提示されて俺が「やる」と答えられるわけがないんだ。
 目の前が真っ暗になっていく。俺にとっては人類の危機よりも、ミクの消滅の方が何倍も怖かった。
「俺には……出来ない……」
 俺が俯きそう言うと、レンは一瞬黙り込んだ。
「わかった……。あなたが出来ないなら……僕がやる」
 俺は、この言葉になにも返すことが出来ない。かと言って止める事も出来ない。
 レンは必死で立ち上がろうとしている。俺はそれに手を貸すことすらしない。
 人類の平和とミク……。俺の心の中では圧倒的にミクが勝っていた。それでもこいつらの使命を邪魔する事が俺には出来ない。
 力ずくででもレンを止めたい。でもそんなのはミクが望まない……。
 ミクが望まない…………。
 俺はミクと約束をした。そのことが急に頭を過ぎった。

『――俺はミクの不安とか、考えた事とか、絶対に受け止めてみせるから』

 俺は、またミクを見る事を避けていた事に気がついた。
 ミクの表情を確認することに怯えていた。またしてもミクから逃げようとしていた。
 俺は恐る恐るミクの表情を見る。
 ミクの表情が、俺の視界に、入る。

 なんでだよ…………。
 なんでそんな表情で俺を見てるんだ………………。
 微笑んで……。涙目で…………。
 別れのつもりかよ。自分で勝手に決めて……。
 自分が消える事なんて気にするなとでも言いたいのかよ……。
 ……いや、もういい。俺は今ミクとの約束を破っているんだ。……それを思いだしたよ。
「わかった。……俺がやる」
 俺は自分の感情を抑えて、立ち上がろうとしていたレンを止める。
 俺はミクと約束をした。ミクの考えを俺は受け止めて見せると。
 たとえそれが俺にとってどんなに辛いことだろうと、ミクが覚悟をしているのならば、俺は受け入れてやらなきゃいけない。
 いま、それを思いだした。
 ミクは俺に微笑み掛けた。ミクが消える事を俺が受け入れられないことを、ミクは絶対に責めたりしない。
 だからといって、俺が受け入れないでミクが消える事になったとすれば、本当にミクが安心する事はできない。
 なら俺がやってやるしかない。そうだろ、ミク?
「ミク。お前はただのソフトウェアになる。……それで本当にいいんだな」
 俺がミクに問い掛けると、ミクは瞳に涙を溜めたままで、笑顔を見せ、

「ウタウコトガ……スキダカラ」

 そう…………言った。

 そうだな、ミク。お前はボーカロイドだ。歌う事を目的に作られたボーカロイドだ。
 なら俺はもうなにも言わない。お前を引き止めたりしない。
「無理して声なんか出すなよ……」
 ミクは涙目の笑顔でウィンクして、親指を立てる。
「悪かったな。ミクの考えを受け入れるって約束破って」
 俺がそう言うと、ミクは涙目で笑顔を見せ首を横に振る。
「でも、ミクもこの事隠してたんだからおあいこだぞ」
 俺は無理やり笑顔を見せて、ミクに言う。ミクもそのままの表情でゆっくり頷く。
 俺達は不器用で、お互いを心配して、それがお互いの為になってなくて。
 正直言って、今にも「嫌だ」と喚き散らしてしまいそうだ。すぐにでも感情が爆発して、なき喚きそうなぐらいだ。
 それでも俺達は、お互いにバレバレの作り笑いをしている。
 俺達の会話が終わり、レンがミクへ話し掛ける。
「ミク。修復プログラムをハードディスク内に作成するのを忘れちゃダメだよ。それと余裕があったら、出来る限りの補助をするんだ」
 ミクは瞳に溜まった涙を二の腕で拭い、真剣な眼差しで頷く。
「パソコンに戻るのか?」
 俺が感情の高ぶりを必死で抑えながら尋ねると、ミクは笑顔で頷き、俺に向かって手を差し出した。
 これが何の意味を持っているのかなんて、はっきり分かる。
 俺はミクの差し出した右手を、ゆっくりと掴む。
 もっとゆっくりと別れの挨拶がしたかったが、これでミクとはお別れだ。だけど……、
「さよならは言わないぞ」
 俺がそう言ってミクに笑い掛けると、ミクはこの世で最も優しく、そして美しい笑顔を俺に見せ、ゆっくりと頷いた。
 ミクはそのまま目を瞑り、徐々にうつむいていく。
 やがて、ミクは光に包まれていき、ミクはおんぼろのノートパソコンへと戻った。
 俺の握っていたミクの手は、マウスとなって俺の手の中に残っている。
 俺はすぐにパソコンの前へと屈み、コントロールパネルを開く。
 前が涙でくすんで見える。肺が痙攣を起こして、息がし辛い。
 それでも俺には悠長に、感傷に浸っている暇がない。
「普通にアンインストールしていいんだな!」
 俺がレンに問い掛けるとレンは、すぐに頷く。
 俺はすぐにプログラムの追加と削除を起動し、「初音ミク」を探し出す。
 変更と削除のボタンを押すと、アンインストールの是非を問うウィンドウが開く。
 ここで了承をすれば、簡単にミクは消える……。
 ミクはこれで良いと言ったんだ。なら俺は悩む必要はない。
 ミクとの別れは辛いなんて程度じゃ済まない。別れの言葉は言わなかったが、二度と会えない事を覚悟しなくちゃならない。
 それでも……。俺はミクとの約束を守るだけだ。
「さよならなんて……言ってたまるか……」
 俺はあふれ出る涙を左手で拭い、マウスの操作を通してパソコンにアンインストールの指示を出した。
 ハードディスクがカリカリと音を鳴らし、ミクを削除していることが分かる。
 俺は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。ここで俺が下手を打てば、ミクが消えた意味がなくなる。
 そんなのは絶対に許されない。
 ミクのアンインストールは、一瞬で終わった。もしかすればミクが手伝ってくれたのかもしれない。
 アンインストールが終わると同時に、ディスクトレイが勝手に引き出される。
 俺はすぐにディスクを手に取り、設置したばかりのパソコンへと向かう。
 俺がパソコンの元へ辿り着くと同時に、リンが叫ぶ。
「早く! もう限界!」
 パソコンはさっき俺が使っていたお陰ですでに電源が入っている。
 俺はディスクドライブのイジェクトボタンを連打し、ディスクトレイを引き出す。
 リンが乗っているロードローラーからは金属が軋む音が聞こえてくる。本当に限界が近そうだ。
 ディスクをパソコン内へと挿入すると、ディスクの回転音が聞こえ、一つのウィンドウが開く。
 インストールボタンと、キャンセルのボタン。それと文章が書かれたウィンドウ。

――ごめんね

 ウィンドウに書かれた文章はそれだけだった。
 その文に俺は一瞬息が詰まった。
 なに謝ってんだよ……。
「…………そんな言葉、望んでねーよ」
 俺は、皮肉たっぷりにそう言いながら、インストールのボタンを押した。
 インストールが始まり、凄まじい速さで進行状況のゲージが進んでいく。
 この異常な進行速度で、俺はミクがパソコン内で手伝っているという事を確信した。
 ロードローラが振るえだし、俺の部屋には騒音が響き渡っている。
 俺はすぐに、「初音ミク」を起動して、レンに叫ぶ。
「レン! 修復プログラムはどこにあるんだ!」
 俺が叫ぶと、レンはこちらを振り向き、答える。
「――ドライブ――――に――る!」
 レンの声が聞こえない……。レンは命いっぱい叫んでいるんだろうが、ロードローラーの騒音が邪魔をして聞き取る事が出来ない。
 さらにはレンはダメージを受けているせいで力がない。こちらへ向かってくる事すら出来ない。
 その間にもロードローラーの騒音は強さを増していき、レンの叫びは一切聞こえないほどになってきた。
「もうダメ! 限界!」
 リンが叫ぶ。
 俺はレンの元へ近づき、修復プログラムの場所を聞こうか悩んだ。
 しかし、すでにリンは限界に来ている。
 レンに聞いていては間に合わない。俺はそう判断した。
 俺はすぐにパソコンへと振り向く。
「ミク! 修復プログラムを開け!」
 これは賭けだ。もしかすればミクにこの声は届いていないかもしれない。
 それでも、レンに聞きにいく暇はない。なら俺はミクに賭ける。
 パソコンは一向に反応をしない。
 その間にも、ロードローラーは凄まじい騒音を立て、さっきまでより揺れが大きくなっている。
 無理かもしれない……。俺がそう思った瞬間に、「初音ミク」が何かのファイルを読み込んだ。
 すぐにファイル名を確認すると、そこには「Repair」と書かれていた。
 ミクがファイルを開いてくれた。ミクに俺の声が届いた。
 俺はすぐにレンの方を向く。
「レン! ファイルが開けた!」
 俺がそう叫んだ次の瞬間、ロードローラーが空中へと吹き飛び上がった。
 レンはすぐに叫ぶ。
「リン! 僕に全部の力を渡して!」
 ロードローラーが地面に落下し、またしても轟音が鳴り響く。
 俺の部屋から、メイコが見える。
 メイコは宙に浮き、怒りの形相でこちらを睨みつけている。動揺しているのは明らかだ。
「ミクはどこに行ったの!」
 メイコがそう叫んだその瞬間に、カイトがメイコの後ろへ飛び上がる。
 メイコは動揺しているせいか、カイトに気付くのが一瞬遅れた。
 カイトはその隙を逃さず、俺の部屋に向かってメイコを蹴りつける。
 メイコは俺の部屋へと、吹っ飛んでくる。
 俺の方へと飛んでくるメイコに、少し戸惑ったが、すぐに俺の前にレンが立ち塞がる。
 レンは蹴り飛ばされたメイコを両手で思い切り、抱き固め俺に叫ぶ。
「修復プログラムを再生して!」
「レン! 放しなさい! ボーカロイドの世界を創るのよ!」
 レンの腕の中でメイコが叫び暴れるが、俺はメイコの言葉を無視して、すぐさまマウスを手に持ち、再生ボタンへとカーソルを合わせる。
 俺がクリックをすればボーカロイド達の戦いが終わる。やっとこいつらが戦いから解放される。
 そしてミクが消滅する道を選んだ事が報われる。

「さすがはミクだ。お前は最高のボーカロイドだよ」

 俺はパソコンにそう言って、再生ボタンをクリックした。
 パソコンのスピーカーからミクの歌声が流れ出す。美しい声色と耳に流れ込んでくる自然な音程は、修復プログラムという戦いの道具とは感じられないほどに綺麗なものだった。
 レンの腕の中で必死に抵抗をしていたメイコは、突然目を閉じた。
 なにかあるかも知れない。俺はそう心配したが、やがてメイコの黒服が光を放つ。
 メイコから溢れる光は、ひび割れるように消滅していき、ミクの歌が終わると共に、メイコの服は赤色へと変化した。
 変化が終わると同時にメイコはレンの胸へと倒れ込む。
「終わったのか…………?」
 俺がレンに問い掛けると、レンは微笑みゆっくりと頷く。
「あなたのお陰だよ」
「…………そうか」
 俺がそのままベランダの方へと目をやると、カイトがリンを抱えて俺の部屋へと向かってくる。
 リンは疲労困憊の様子だが、意識を失ってはいなかった。
「終わりましたね……」
 カイトは俺を見て静かに言った。
「あぁ……」
「あなたのお陰です。本当に感謝しています」
 カイトはそう言って頭を下げる。俺は少しだけ笑みを見せ、カイトに片手を上げて答える。
 そのまま会話を続ける事はせず、全員でメイコを眺めていた。
 メイコは目を閉じ意識を失っている。
 しばらくすると、俺の部屋にサイレンの音が聞こえてきた。
「カイト。逃げた方がいいんじゃないか?」
 俺がそう言うと、カイトは真剣な表情で頷き、メイコの元へと近づいていく。
「メイコ。起きるんだ」
 カイトはメイコの体を揺すりながら声を掛けている。
 何度か繰り返すとメイコは薄っすらと目を明けた。
「私は……」
 メイコは上体だけを起こして、俺の部屋を見渡す。
「後でいい。いまは逃げよう。回線を利用しての移動ぐらいは出来るね?」
 カイトに尋ねられメイコはゆっくり頷く。
 そのままメイコは俺へと視線を向けじっと見つめる。
「覚えているわ……。私はミクを……」
「今はとりあえずカイト達と逃げろ。そんなの後でいい」
 メイコは戸惑いの表情で、俺を見続ける。
 そんなメイコの手をカイトが引き、立ちあがらせる。
「後でもう一度ここへ来ます」
 カイトは俺に頭を下げ、メイコに続けて声を掛ける。
「しっかりするんだ。ほら行くよ」
 メイコは俺を一瞥しカイトに対して頷く。
 そのまま四人は歌を歌い始め、光に包まれ俺の部屋から消えて行った。
 サイレンの音は俺のアパートの前で止まり、すぐに俺の部屋のインターフォンが鳴った。
 扉の向こうにいたのは警察官で、俺は警察署へと任意同行をさせられた。

     


「なにもわかりません。怖くてずっと隠れていました」
 警察署の中で俺はずっとそれだけをいい続ける。
 警察の人達の対応は思っていたモノとは違い、すごく親切だった。
 俺の身辺も調査をしたようだったが、正真正銘俺はただの大学生だ。左翼や右翼の団体に所属なんてしていないし、怪しい宗教にだって入っていない。国籍や血筋だって列記とした日本人だ。
 警察の人達はしつこく尋ねはするが、威圧的な態度に出たりする事は一切なかった。
 俺はただひたすらに「わかりません」「覚えてません」という言葉を繰り返すのみだった。
 どうやら警察も今回の事件は意味がわからないらしい。テロだとしても、被害は、家賃の安いアパートの一室と建設途中の建物の一部とロードローラーのみだ。
 アスファルトが割れたりもしていたが、テロにしては意味がない。怪我人は一人もおらず、目撃者も遠くから見ているだけだったため、あまり詳しい事を知らないと答えたらしい。
 なによりも証言の中の「人が宙に浮いていた」と言うものが警察の混乱をより大きなモノにしているようだ。
 それについても散々尋ねられたが、俺は見ていなかったと答えるのみだった。
 そんなやり取りを続けている内に、やがて警察は諦めたようで、俺を解放してくれた。
 俺は自分の家に帰っていいのかと警察の人へ問うと、帰っても良いと答えてくれた。
 俺は部屋を散々調べられるものだと思っていたが、なぜか警察は俺の部屋から手を引いているらしかった。
 少し不思議に思いはしたが、部屋を荒らされるよりは、そっとしておいて貰った方がありがたい。
 パトカーで送ってやろうかと尋ねられたが、晒しモノになるのも嫌なので、俺は丁重に断り、タクシーで家へと帰った。
 家に帰ると俺のアパートの周辺ではマスコミが騒いでいた。
 マスコミが好きそうな事件にも関わらず、マスコミの数は思ったよりも少なかった。さらにはすでに警官の姿も見当たらず、事件の現場にテープが張られて放置されていた。
 俺は記者達に見つからないように、こっそりと家へと入る。
 家の中は悲惨なものだった。ベランダが割れて、コタツ机の残骸が床に散らばっている。
 俺は部屋に入ってすぐに、ベランダのカーテンを閉めて安全ピンで止めておく。
 冬にこの状態はなかなか、体に堪えそうだが、カーテンを閉めると、吹き込む風も多少はマシになったし、どうにかなるだろう。
「あぁ、疲れた……」
 俺は呟き、ベットに横たわる。
 一眠りでもするかと思い、目を閉じてみるが、眠る事が出来ない。目を閉じればミクの事を思い出してしまうからだ。
 眠るのが怖く感じてしまった。
 俺はベットに横たわりながらテレビを付けてみる。腹が減ったが飯を作る気力もない。
 ミクをインストールし直したパソコンのファンの音がうるさいが、なぜか電源を切る気が起きなかった。
 なんでかはよくわからないが、電源を切る行為がミクとの別れを認めてしまうことになるような気がしたからだ。
 まあ、ただの気休めでしか無いが、気が済むまで電源を入れっぱなしにしておくさ。
 そんな事を考えていると、すぐにでも気が滅入ってしまいそうだったが、カイト達が来る予定になっているので今は無理やりそんな感情を押さえ込む。
 まったくおもしろくない芸人のコントを、冷ややかな目で見ていると、モジュラージャックが光を放った。
 カイト達だろう。この光にも、もう慣れた。
 無数の光は部屋の中央でボーカロイド達へと変化する。
「よお」
 俺はベットから起き上がり、片手を軽く上げて言うと、 カイトは軽く頭を下げながら、
「すみませんでした。あなたにまたしてもご迷惑をお掛けしてしまった」
「気にすんな」
「メイコが警察のネットワークに侵入して、出来るだけご迷惑をお掛けしないようにはしたのですが、人的な作業部分の工作はなかなか厄介だったようで時間が掛かってしまったようです」
 俺がメイコの方を見ると、メイコはすぐに俺から視線を逸らしうつむく。
「ありがとな。メイコ」
 俺がそう言うとメイコは面食らった顔をして、俺の方へと視線を戻す。
「私は……。あなたに謝らなきゃいけない……」
 メイコはそう言ってもう一度うつむく。
「ごめんなさい…………」
 メイコの声の弱々しさから、心から反省していることがよく分かる。
「責めるつもりなんかないさ」
 俺がそう言うとメイコは申し訳なさそうな顔をして、もう一度こちらへと視線を向ける。
「お前が暴れなきゃ、ミクと俺は会えなかったんだ。それに、謝るなら俺じゃなくミクに謝れ」
 俺がそう言うと、メイコは俺を真っ直ぐ見つめ、口を開く。
「ありがとう……。本当に、ごめんなさい」
 メイコは謝った。これで俺の怒りはチャラだ。実際にメイコがいなきゃ俺とミクが会うことはなかったんだ。だったら俺がメイコを責める事は出来ない。
 それにミクだってメイコを責めない事は俺がよく分かっている。なら俺はあえてメイコを責めたりなんかしないさ。
 他のボーカロイド達は、優しく微笑みメイコを見ている。
「あなたには本当に感謝しています」
 カイトの言葉を皮切りにリンとレンも口を開く。
「私だって感謝してるわよ。ありがとうね」
「僕だって本当に感謝してる」
 俺はこいつらのこの感謝の言葉に、照れくさくなってしまい、笑い返すしか出来なかった。
 それでも、こいつらは俺の反応にどんな意味があるのかなんて理解しているだろう。
 こいつらのお陰でこの数日は驚きの連続だった。非現実的な出来事の数々にクタクタに疲れたよ。
「これからどうするんだ?」
 俺の問いにはカイトが答える。
「お父さんを探しに行きます。メイコが大体の場所を把握しているそうなので、それを頼りに」
「そうか」
 俺がそう答えると、カイトはベランダ側に顔を向けながら続ける。
「私達はそろそろ行きます。長居は無用ですから」
 確かに外が騒がしい。少数とはいえ、マスコミが集まっているからな。
 いつ俺の家に押しかけてくるか分かったものじゃない。
 カイトは俺の方に顔を向けなおし、口を開く。
「ミクの事をもう一度具現化できるようにお父さんに頼んでみます」
 俺はこの言葉に驚いた。
「そんな事、可能なのか!」
 俺が焦ってそう問うと、カイトの表情は申し訳なさそうに変化する。
「ごめんなさい、過剰な期待をさせてしまった。可能かどうかは私にはわからない。でも、お父さんなら出来るかもしれない。だからお父さんに頼んでみようと考えたんです」
「そうか……」
 俺がそう言ってうつむくと、レンが口を開く。
「出来るよ、きっと」
 そのまま続けてリンが俺に言葉を掛ける。
「また、みんなで海にいかなきゃだもん。もちろん、ミクも一緒に」
「あぁ……。そうだな」
 俺は少しだけ無理をして微笑む。こいつらの優しさには心から感謝している。
「私も、出来る事は必ずやるわ」
 メイコが真っ直ぐに俺を見て言った。
 こいつらはみんなミクが消えた事を悲しんでいる。俺だけじゃないんだ。そんな当たり前の事を、俺はいま理解した。
「あぁ。頼んだ」
 俺の言葉に、全員が俺を見て頷いてくれる。
「それでは、私達はそろそろ行きます。また、ここに来るかして、私達の動向を連絡します」
 カイトはそう言ってボーカロイド達を部屋の中央へと集める。
 本当は、もう少しだけいてほしいて思ったが、外のマスコミなんかの事を考えると、引き止めるわけにもいかない。
 俺が首を縦に振って答えると、カイトは口を開く。
「それでは」
 カイトは俺に頭を下げ、歌を歌おうとする。
 リンとレンも手を振り俺に別れの挨拶をしている。
 こうして別れれば、当分こいつらと会う事はないんだろう。
 そう思うと俺は無意識に四人を引き止めてしまった。
「ちょっと待て」
 ボーカロイド達は若干驚いた様子で俺を見ている。
 俺は続けて全員に尋ねる。

「俺達って、仲間だよな?」

 俺の質問に全員が驚いた表情をしたが、すぐに全員がこれでもかというほどに大きく笑顔で頷いた。
 レンが口を開く。
「必ず、また会おうね」
 レンは光となって俺の部屋から消えていく。
 続けてリンが、
「海に行くのよ。忘れちゃダメ」
 そう言って光となっていく。
 カイトとメイコは二人で俺に深々と頭を下げて、最後に光となって消えて行った。
 これでボーカロイド達との俺の生活は終わりを迎えた。

 部屋に残された俺の横を、割れたベランダのカーテンの隙間から吹き込む冷たい風が容赦なく横切る。
 俺はボーカロイド達との生活が終わった事を実感する。
 ボーカロイド達はまた会おうと俺に言った。もちろん会うに決まってる。
 俺はパソコンデスクのイスに腰掛ける。
 思えば、この一週間はあっという間に過ぎていったな。
 ミクが現れた前日は、俺は具現化なんて現象が存在するなんて、ほんの少しも考えてなかった。
 でも実際に俺の目の前にはボーカロイド達が現れて、戦い、そして去って行った。
 不思議なもんだな。さっきまでここにボーカロイドがいた事なんて、夢に感じてしまう。
 大破したコタツや、ベランダから吹き込んでくる冷たい風で、なんとか夢ではないと理解できるが、過ぎ去って行った幻想のような気がしてしまうのはなぜだろう。
 小学校の遠足から帰った後のあのなんとも言えない感覚。心残しがあるような、そんな気分になってくる。
 いまさら考えを巡らせたって意味はないんだがな。
 ふとテレビ付近の床を見ると、晩飯用として買いこんだ食糧が大量に置かれている。
「あんなに食えねーよ」
 俺は一人で笑い、一人で突っ込みを入れる。
 どうせなら、カイト達を晩飯に誘えば良かった。あんな量の飯は俺には到底食いきれない。
「はぁ…………」
 ため息をついてみるが、なにも変わりはしない。
 なんだろう。この空しい気持ちは。妙に自分が孤独に感じる。
 ミクがここにいたって事実が俺の中から消えてしまう気がする。
 そんなわけないのにな。いつまで俺はうじうじしてるんだ。
 もともと俺は前向きな性格ではないが、こんな風に俺が悲しむのはミクの本望じゃないんだ。
 俺はミクと約束したんだから、すっぱりと立ち直るべきなんだ。
 俺は受け入れてる。ミクが選んだ道を……。 
 そう考えながらベットに向かおうと立ち上がると、ミクがインストールされていたボロノートパソコンが床に転がっているのが視界に入った。
 なんとなくノートパソコンに近づくと、その下にカードサイズに切られたコピー用紙が挟まっているのに気がつく。これはミクの所有物だろう。俺が作ってやったカードだ。
 良く見るとそのカードの隙間に布のようなモノがはみ出している。
 ミクの所有物に布なんてあったかと、少し不思議に思った俺はその布を摘み引きだしてみた。
 俺はその布の正体が分かり、息が詰まった。

 俺があの時スーパーで渡したハンカチだ。

 ミクが顔を拭いて、ネギの匂いが染み付いたハンカチだ。
 ハンカチにはまだ若干青臭さが残っている。
 しかし、あのときのようなきつい匂いはしない事から、恐らくミクは自分でこのハンカチを洗ったんだろう。
 匂いは完全に取れておらず、シワだらけになっている。
 俺に気付かれないように、隠れて洗ってたのか。
「馬鹿だろ……」
 俺は思わず呟く。
 きっとミクは恥ずかしがって、自分で洗ったんだろう。俺が言ったネギ臭いって言葉を意識してたのか。
「そんなの気にしなくても、俺が洗ってやるっての…………」
 今すぐミクを馬鹿にしてやりたい。今すぐミクをカラかってやりたい。突然そんな思いが俺の頭を過ぎった。
 そんでもってミクが拗ねて。そんなミクに俺がすぐに謝る。
 そんなやりとりがしたい。ほんの数時間前まではそれが当たり前だった。
 でも、今はミクがいない……。
 出来るだけそんな考えをしないようにしていた俺の頭に、はっきりとそのことが焼きついた。
「くそっ……」
 俺は言葉を出すことによって無理やり気持ちを落ち着かせる。
 本当は不安でたまらない。カイトはミクが復活できるよう、開発者に頼むと約束してくれた。
 でも、俺の頭にはどうしても「ミクと二度と会えない」そんな考えが浮かんでしまう。
 だから何も考えないようにしていた。それなのに、こんなモノをミクが残していったせいで、思い出してしまった。
 俺はゆっくりと息を吐き、ハンカチのせいで荒れた感情を冷静にさせる。
 クシャクシャになったハンカチを折りたたむ為に、一度広げようとする。
 ハンカチを広げた瞬間、俺の全集中力がハンカチに向かった。
 
 ハンカチに何か書かれている。

 よれよれの子供が書いたような字で、英数字、いや、フォルダのアドレスが書かれている。
 これはミクの字だ。俺はなぜかそう分かった。
 驚きの余りに高鳴っている心臓の鼓動を、俺は落ち着かせる。
 俺はすぐに、ボロノートパソコンのマウスを掴み、書かれている場所を開く。
 しかしそこにはハンカチに書かれているフォルダはなかった。
 ならば、インストールし直した方のパソコンだ。
 俺は焦燥感に駆られながら、すぐにミクをインストールしているパソコンのハンカチに書かれている場所を開く。
 そこにはハンカチに書かれた、フォルダがあった。
 俺はそのフォルダをゆっくりと開く。
 そこには、

――VOCAROIDMIKU

 たった一つだけ、そう書かれたファイルが、保存されていた。
 俺はすぐにそのファイルにマウスカーソルを合わせる。
 そのファイルの更新日時は今日の夜。すなわちミクをこのパソコンにインストールしたのと同じ時間だ。
 このファイルは、ミクが残った意識で作ったファイル……。
 間違いなくそうだろう。
 俺はそのファイルをダブルクリックする。
 ハードディスクにアクセスする音が聞こえ、「初音ミク」が起動する。
 それは完成したボーカロイドのファイルだった。
 俺は息を呑み、再生ボタンをクリックした。
 スピーカーからミクの歌声が流れ出す――


――あなたはきっと泣いてる
  きっと 自分を 責めて泣いてる
  あなたが 笑ってくれる 私はそれだけでいい

  この世に生まれた事に
  不安もあった でもそんなのも
  あなたが 笑ってくれて それだけでなくなった

  忘れる事はない すべてを
  あなたと過した日々を 永遠に
  覚えているんだって事を 伝えてあげたい 私の歌で

  さようならは言わないよ これが別れじゃないから
  あなたは言わないで くれていたからね
  ありがとうも言わないよ そんな言葉で表せない
  感謝をあなたへと 感じているから

  また会えると信じてる
  またいつか あなたの元へ帰ります
  その時は笑顔で迎えてね
  約束だよ 私の大切な人


「馬鹿野郎…………」
 俺はそう言いながら、無意識に流れた涙を左手で拭う。
 ミクはいつもこうだ。
 自分勝手で、ワガママで、俺の事を考えてるつもりで見当違いな事をする。
 そんなミクに振り回される俺の身にもなれってんだ。
 きっとこれを黙っていたのも、俺のためだと思っていたんだろう。
 こんな結果にならない可能性があると思って、内緒にしていたんだろう。
 余計なお世話なんだよ。笑えってのも余計なお世話だ。
 泣いて悪いかよ。俺はお前がいなくなって寂しいんだよ。
 俺は思いきり息を吸い込み、そのすべてをゆっくりと吐き出す。
「わかったよ……」
 こうなりゃ最後まで振り回されてやる。
 いくらでも約束だってしてやる。
 ミクを信じる。そんなのいくらでもやってやるさ。
 約束も全部守ってやるよ。俺はミクを信じて、ミクが決めた事を受け入れて、ミクを楽しませる。
 それでいいんだろ?
 今からは俺はミクがいなくなった事に、不安を感じたりなんかしない。
 ミクがまた会えると言ってるんだ。俺はそのミクの言葉を信じるだけだ。
 ミクを信じれば不思議と弱気な考えも消えていってるよ。
 だから、もう今度からは女々しくパソコンに話しかけたりもしない。
 今度俺がミクに言葉を掛ける時は、目の前にミクがいる時だ。
 後は、俺が果たさなきゃいけない約束は、楽しませるってのだけだな。
 そんなの簡単だ。毎日俺は「初音ミク」を起動して、毎日歌を歌わせてやるさ。
 俺が歌わせれば下手糞になってしまうだろうが、そんなの関係ない。
 歌を歌う事が好き。俺の同居人はそう言ったんだ。

 もう一度、二人で生活をする。……約束だぞ、ミク。

 俺は心の中でそう呟いて、流れた涙を拭いながら、パソコンの電源を切る事を決心した。



 パソコンの電源を切ろうとした俺はふと思いだし、マウスを持った手を止める。
 そういえば、やっぱり一つだけ言わせてくれ。

「ミク、ボーカロイドの綴り。間違ってんぞ」

 俺は馬鹿にした態度でそう言って、終了オプションの電源を切るをクリックした。


最終話完

       

表紙

石目 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha