Neetel Inside 文芸新都
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Sweet Spot!
15th.Match game1 《驚天動地》

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 図書室は俺たち学生棟の向かいにある職員・実習棟の3階にある。広さは大体教室2部屋分といった所で、まあそこそこの集客スペースとそれなりの蔵書量を兼ね備えた平々凡々としたスペックだ。ただ自身のこれまで数度の訪問状況から察するに、近年の若者の活字離れの流れを例に漏れず踏襲していると思われる。いつみても波乱万丈……違った、雀の涙に鳴く閑古鳥だったわ。
 今日は授業の後のホームルームが少し長引いたので(主に担任のどうでもな長話のせいで)俺が教室を出た時にはもう大分周囲の人影もまばらになっていた。1組であり一番端っこに位置している自分のクラスから、いつもは人ごみに隠れて見ることもままならないこの階の正反対――向かって一番奥の音楽室まで――がこの日はずばっと一望できた。
 ずいぶん久しぶりに感じる何もない時間帯。フローリングワックスが剥がれて幾分滑りの悪くなってきた廊下を歩いていると、体育館や運動場でおもいおもいの青春に精を出す活発な声がちらほら聞こえてくる。
「ヘイパスパスプァーッス! って、おい流川テメー横取りすんなーっ!」
「いいぞ比呂。この夏を俺たちの色に染めてしまおうや!」
「右ストレートでブッ飛ばす! 真っ直ぐ行ってブッ飛ばす!」
「――まだまだだね。」
 俺たちソフトテニス部は他の部より総体の日時が早く、総体をこれから迎える部もまだ数多く残っている。受験戦争を目前に控え、インターハイという最後の現実逃避先に向かわんとするそれぞれの部員たち。まるで校舎全体を包みこむかのような熱気であふれかえっている。
 いつも賑やかで小うるさいとしか思わない声たち。今日は普段よりいっそう楽しげに聞こえて、俺はまた少し心を痛める。
「覆水盆に――なんてわかってるっつーの。あーもー! うぇあらっしゃあっ!!」
 まだキャプテンの試合は終わっていない。全部終わってから猛省しよーそーしよ……。
 ひとまず気持ちを切り替えて、再び階段を昇りながら2年棟へと向かう。
 実習棟へは1階からでも行けるのだが、実習棟から3階分昇るより気分的にこっちで1階分消化しといてからの方が気持ち的に楽な感じがするのだ。楽――そんなの若者の言う台詞じゃないなんて百も承知だ、だが何も罵ることなかれ。ここは楽っぽさを追わせていただきたい。 
 2階に着くなりがらっと雰囲気が変わる。同じ建物のはずなのに2年生が集まっているというだけで妙な緊張を体が覚える。自然と加速していく歩行速度。急激に体内から発生する熱っぽさ。俺にとってここは超アウェーの地だ。さすがにブーイングを浴びたりすることはないけれども、すれ違う度に先輩からの訝しげな視線を現にグサリグサリと貰っている。
 理由はいたって簡単。ぱっと見ただけで学年が丸わかりだからだ。
 星和高ではシャツやセーラー服の左胸に着けるネームプレートの色が学年ごとに異なり、俺たちは黄色、2年生は白だ。青を着けている今の3年生たちが卒業したら、次の新入生がそれを受け継ぐ。それぞれが与えられた色で3年を過ごすというシステムだ。
 つまり『なんで1年がここにいんだ? あ? コイツ馬鹿なのか?』という類の鋭さ満点の視線を受けていたわけだ。例えるなら友人に会いに別のクラスに入った時周囲から感じるあの視線。身内以外立ち入り禁止的なあのノリに似ている。学年単位のそれだ。
 だがそれも十分計算ずくの行動なのさ。こっちの方が楽っぽいんだもの。楽重視万歳!
 てな感じで俺は努めて『普通』を装いつつ足早に歩みを進めた。そうして実習棟へと繋がる渡り廊下がやっと目前に迫ってきたところに、
「あれ、功……じゃなかった、渡瀬くん。これはまた何とも丁度いい所に――。」
 見事に鉢合わせてしまった。確実にタイミングは悪いと言っておく。
「こんにちわさようならお元気でごきげんようございましたハバグッデイ。」
 逃亡が無理だとはわかっている。でも試しに手を振りその場から立ち去ろうとしてみた。
「はーい待ちなさーい。これ見て逃げんのー? 本当に無視して行っちゃうのかなぁー?」
 くはぁー、うっぜえぇぇー。超ニコニコしてやがんよ、この目の前の女の人。
 説明しよう。彼女は厚さ推定30センチはあろうかと言う資料を両手で抱え、あごでその束を押さえつけてバランスを保ちながら歩いていたのである!
「さてここで問題です。チャーラッ! 私は今何をしようとしているところでしょう?」
 解答の正否に何ら意味の無いクイズキタワァー。
「……。それが多分あなたの所属している生徒会の資料か何かで、今正にそれを生徒会室に運ぼうと教室を出てこの渡り廊下に向かって歩いて――。」
「ピンポーン!」
 うわーいまだ答えてる途中なのに当たったぞ。めっちゃ悲しいです。
「続いて第2問! チャーラッ! では、私は今何を考えているでしょうかっ?」
「わかったよ、半分持てばいいんだろ?」
「はーい残念不正解でーす。」
「えっ?」
 間違い、だと!?
「正解は…ジャカジャン!! まだ資料の残り半分が教室に残っているので――。」
 恵姉はそう言うとしっかと持っていた会議資料を俺に押し付けた。
 断る隙も何もない瞬の業。わんこそばのおかわりを配る仲居さんよろしいスピードで。
「マンドクセー。」「ガンバリナ。」「アトデナンカオゴレカス。」「ダガコトワル。」
 あっさり却下かよコラ。
「生徒会室に置いておくだけでいいからね。じゃ、頼んだぞ我が後輩!」
 しばらく腕をプラプラと軽く振って筋肉の疲労を解していたが、恵姉はそう言うとくるりと背を向けて教室の方にスキップして行った。周りに人気がある時はすれ違っても目すら合わせないのに、こんな時にはここぞとばかりにこき遣いやがる。
「しかし……重いな。」
 こんな量よく持てたな。さすがは恵姉、モノ(主に二の腕)がちげえや。

 渡り廊下を渡り終えてしばらく先へ進むと、恵姉が表向きの肩書きである副会長として暗躍している生徒会室がある。何を血迷ったのか知らないが生徒会室の前にはギャラリーで埋め尽くされていた。男だけでなく女のファンも多いのが不思議。窓から見える生徒会役員を見てはキャーキャーしていたり、これからやってくるであろう神崎先輩様の到着を待っていたりしているようだ。
「すみません、ちょっと道をあけて下さい。」
 邪魔すぎて一向に先に進めないのに軽くイライラしながらも、俺は人ごみを掻き分けてドアの前まで進んだ。『は? うざいんだけど』『お前誰だよ死ねよ』とか言われてる気がするけど気にしないことにする。
 引き戸のドアをノックすると返事が返ってきた。足を使ってドアをこじ開け、中に入る。
「失礼しまーす。」
「めぐちゃんお帰りー、ってあれ? 君は誰かな?」
 メガネの似合う中世的な美少年。ネームプレートは白で名前は白石。肌の色も真っ白。
「あ、いや……ただの通りすがりの1年です。何の巡り会わせか、神崎先輩にこれを頼まれまして。先輩は残りの資料を持ってくるそうです。じゃあ俺はこれで。」
「そうだったの。それはお疲れ様でした。どーもありがとねー。」
 にっこり笑う白石先輩。着ている制服をとっかえたらきっと萌える。萌えてしまう。 
 長くさらさらな髪をお持ちの小さな白石先輩に資料を引き継ぎ、俺は生徒会室を後にした。ドアを開けると途端に女の子たちの嬉しそうな嬌声があがる。おそらく俺の後ろにちらちら見え隠れする白石さん目当てのファンたちだろう。とにかくうちの生徒会役員はなんかレベルの高い人たちで構成されているらしい。あの笑顔……そりゃ殺傷能力も高い筈だ。

 がやがやとした生徒会室周辺を抜け出して3階へと向かう階段を昇り終えると、ようやく俺は本来の目的地に到着することに成功した。ちょっと格好良く言いかえれば、先日ひょんなことから生み出されたある約束を果たすためにやってきた場所。
 思えば随分と面倒なルート選択をしてしまった。とっくに帰っていると思っていた矢先のバッティング。そしてほぼ強制的に仰せつかった『みことのり』。あそこで副会長様にさえ出くわさなければ避けられていた、いくばくかのタイムロス。オゥシッ!
 とは言ったものの、じゃあお前は草原先輩と話す時間が短くなることに物足りなさや勿体無さを特段感じるのかと問われれば、答えはノー。別にそういうわけでもない。と言うかあまり長居をするような話題でもないし。なんやかんやと話して下校時刻間際まで居座ってしまうと業務的な意味で先輩のご迷惑になってしまうだろう。それは避けたい。
 扉の前で軽く身なりを整え、ドアを開けて中に入ると、相変わらずここだけ校内の活気から完全に切り離されているかのような静寂に包まれていた。例によって利用しているのは少数精鋭で、辺りから聞こえてくるのは小声で話す声とページをめくる音だけ。おもいおもいに各員が集中して読書や勉強に取り組んでいる。俺は彼らの邪魔にならないよう出来るだけ静かに座席へと移動し、イスを引いてカバンをその上に置くと、少し離れたカウンターの方へと目を向けた。
 いつものように草原先輩はカウンターに座って、背筋をピンと伸ばして本を読んでいる。遠くて本のタイトルまで確認することは出来ないが、分厚い黄色のそれに書かれたストーリーを辿る表情は真剣そのもので、こちらに気づく様子もまるでない。落ち着いたいつもの感じ。いつも通りの光景がそこに広がっている。
「どこまで気付かれないか、試してみよっかな……。」
 ただ近づくのもつまらないから、気づかれないよう慎重に近づくことにする。と言ってもその為に具体的な戦略を張り巡らせるわけじゃない。普通に足音をさせないよう歩くだけだ。単にどこで俺に気づくかなーなんていうちょっとした興味の表れ。誓って驚かせる意図はない。
「……。」
「……。」
 って着いたんだけど。あれれ、おかしいですね。気づくよね普通。おーい。おーい。
 カウンターを挟んでこうして目の前まで到着しても、先輩は視線を下げたままこちらに気付かないでいる。今この瞬間彼女の瞳には、おそらく文字から浮かび上がってくるイメージしか映っていないのだろう。現実をすべてを忘れ去り、完全にストーリーの中に入り込んでいるようだ。ちょっと憂いを帯びたように見えるその面持ちから、シリアスな場況にその身を置いているのかなーなどと予想してみる。
 とにかくものすごい集中力だ。でもこうしてカウンターの前まで来たのにスルーされてるのは何と言うか結構寂しい気もする。邪魔して悪い気もするけど、声をかけることにしよう。
「あの、本を借りたいんですけど。」
「あ、す、すみません! ええっと、貸し出しですよね……ではクラスとお名前を伺ってもよろしいでしょ――って、わ、渡瀬くんっ!」
 わたわたとしおりを本に挟んで業務モードに戻ろうとしていた先輩は、俺の顔を見るなり素っ頓狂なうわずりボイスを室内に披露したのだった。当然ながら注目されている。背中ごしなので後ろの状況を目にしているわけじゃないけれど、音とか雰囲気とかで丸わかりだ。
「こ、こんちわっす。なんか驚かせちゃってすみません……そんなに大きなリアクションをお取りになるなんて思ってなかったもので。」
「だってびっくりしたんだもん……いきなりいるんだから。」
 顔を真っ赤にさせて身をすくめ、先輩は小声で口をとがらせる。さっきまでの威風堂々とした文学美人とはかけ離れた姿になってしまった。もうどこにでもいる普通の女の子モードだ。
「えーっと、それはなんだかすみませんでした…あれ、ここ謝るとこだっけ?」
「フフ。そうでーす。よし、じゃあちょっと待っててね。」
「? わかりました。」
 何だろう。その後先輩は俺をカウンターに座って待機しておくよう言うと、意味深なスマイルを浮かべて奥の部屋に入ってしまった。仕方なくカウンターに移動して座ると、それまで先輩が座っていた部分からほのかな温もりを感じてしまい、何とも言えず赤面してしまった。
 これはいかん、いかんですよ。早く落ち着かなければ――って人来たらどうすんだ?
 畜生、しかしあったけぇのう……。

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 たまにはアイツも役に立つんだなあ。タイムリーすぎて驚くより笑っちゃったし。
 残りの資料を運びながら私はさっきのやりとりを振り返っていた。確定事項だった辛い往復行動を運よくせずに済むようになるなんて、思い返すだけでもう笑いが止まらない。それに私と出くわしたときの功の狐につままれたような顔ったらなかった。驚きすぎでしょ、JK。
 そう言えばどうしてあんなトコに功はいたんだろうか。私はそれを聞きそびれたのが今になってちょっと心残りといえば心残りに感じてきていた。
「ま、ヒマ人にはちょうどいい運動よね。うん、そうそう。」
 とにかく今はこの重たい紙どもを一刻も早くテーブルに下ろしたい。油を売っていた理由は後で家に帰って問いただせばいい。いつもよりやけに長く感じる渡り廊下を歩きながら、この時の私はそんな風に考えをめぐらせていた。

 この後起こる出来事に比べれば、そんなの道端の石ころみたいな問題だったのに。  

       

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