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Sweet Spot!
15th.Match game4 《恵、沈黙の金曜日》

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 もう明らかに下校時刻を過ぎている。それはわかっている。
 完全に宵闇へ染まろうとする夕空を、まるで歓迎するかのように燦々と輝きだす蛍光灯。その灯りの真下で、1メートルほどの距離で相対するふたり。私はそこから10メートルくらい離れた階段の傍の暗がりで、“その様子”をじっと息をひそめて見つめていた。
 ただただ驚くまま。そして、混乱するままに。
 思わずあっと声を上げたくなるくらいに衝撃的な光景が、視線の幾許か先に広がっている。2人を取り巻く雰囲気。もうそれだけで、何が起こっているのかなんて考えなくてもわかってしまう。だから、ここに於いて私は速やかにこの場を離れたほうが良い。絶対。間違いなく。
「……まいったなあ」
 そんなことぐらい頭では全然わかっているというのに、べったりと地に寝付いてしまったこの体は、困ったことに今の私がいるこのどうしようもなく薄暗い黒の端にとどまって、それ以上前にも後ろにも動こうとしない。私は右手に2人分の委員会のプリントを持ったまま、ただただこの場に立ち尽くしてしまっていた。心と体がばらばらになってしまっている。参った。
 ちょっと合わなくなってきたコンタクトをとおしてこちらに映るのは、うっすら頬を染めて語りかけている女の子。そして、時折カクカクとうなずきながら話を聞いている男の子。そのすらっと伸びた後姿はきっと、いや、間違いなく私の見知った男の子のものだ。少し重たそうに鞄を両腕で胸に抱いて、時折笑顔を浮かべている女の子とは対照的に、馬鹿みたいに真っ直ぐ突っ立ったまま動かない男の子。
 ライトに照らされていたのは、さあやと……功。見紛う筈もない、ふたり。
「でも、どうして……」
 功がここにいるのだろう……いや、それはきっと――前に呼ばれてたんだ。あいつが誰か女の子を呼び出すなんて事はまず考えられない。待て待て、だから今日の放課後にあいつ、2年棟なんかうろついてたんだ。あれは図書館に行こうとしてる途中だった――。
 2人の様子をぼうっと眺めながら、私は今日あった出来事をつぶさに思い返していた。と、事を終えたのか、さあやは功の手から何かを取ると、あろうことか突然こちらの方へ向かって走ってきたではないか。それも全力疾走で。
「う、やばいっ」
 いけない、見つかっちゃう。
 私はとっさに傍にある掃除用具入れの影に身を潜ませ、息を止めてぎゅっと瞳を閉じた。
 小気味良いテンポで2人分の足音がこちらへと近づいてきて、やがて階段を通り越してしだいに遠ざかっていった。そうして足音が完全に聞こえなくなったことを確認してから、ゆっくりと暗がりから這い出す。
「ったくもう。何で私が隠れなきゃー……うわっちゃーああ」
 急な接近危機を何とかスルーした代償、それは今やくしゃくしゃになった姿で私の右手に収まっている。1部は鞄の中にある私のものと取り替えるとして、あと1部は……。ため息をひとつついて外に目をやると、部活の終わったグランドはすでにくろぐろ染まっていた。
「……帰ろう」
 帰りの道すがらも、私はまとまりのつかない頭の中をずっとかき回し続けた。
 会話が聞き取れなかったために2人がどんなことを話していたかはわからないけれど、そんなのは考えなくたって大体わかる。わからなくても、わかる。第一、功は普段から一切読書なんてしようとはしない。漫画やサッカー雑誌こそ見れど、純文学なんて絶対に好き好んで触れようとはしないやつだ。だから、きっとあれは――――それ、だ。
「驚いたなあ。さあやが功に、ねえ……」
 なんだか未だに信じがたいけど、これはほぼ真実。そして、偶然とはいえ、私は知ってしまった。
 このことは、皆には絶対に黙っておかなければ。というか忘れてしまいたい。
 事後報告のほうがずっと気が楽だ。こんなこと考えなくていいんだから――。
「いってきまーす!」
 底抜けに明るい声がして、驚いてアスファルトから顔を上げると、いつの間にか私は玄関先までたどり着いてしまっていた。考えすぎだろ、私ってばよ。
「お帰り副会長。ずいぶんと遅うございましたことで」
「まーね。おかげで1人とぼとぼと帰ってきましたよ。いてらー下級生」
「ほーい」
 相変わらずの軽い口調。そんな普段どおりのあいつの声が、今日はやけに耳についた。

 
 どうにもギクシャクしたいたたまれない空気の中、夕食が終わった。いつもならそのまましばらくリビングに居続けるのだけれども、今日に限ってはそうすることも耐え難く、私は一目散に部屋へと向かった。
 自室に入ってひとりきりになっても、止まない胸の鼓動の異様な高まりがこの身を支配しつづけていた。やりかけの数学の宿題を続ける気力も湧かず、電気も点けずにベッドに体を投げ出す。
「はー……もうこのまま寝ちゃおうかなあ」
 全然眠くもないのに、そんな言葉が口をついて出てくる。きょうは食後のデザートも食べられなかった。私は功の顔をまともに見られない自分自身に、かなり動揺していた。功と目を合わせたら、きっと隠していることがばれてしまう。そんな気がした。
 どうして私がこんなにやりづらい思いをしなきゃいけないのだろう。まったく運が悪い。あの時先生に渡されたプリントを素直に鞄にしまって、さっさと帰ってしまえばよかったんだ。そしたらもっとおいしい晩ごはんと食後のプリンを楽しめたんだ。うん。それから……そう、宿題だってもうさくっと終わらせてて、きっと今頃録りためた韓ドラをじっくり観れていたはずなのに。
「ちくしょう、なんか私ばっかり損してるじゃんか。あー、なんかイライラしてきた!」
 気づかれたってそんなの知るか! もう面倒。やめやめ。と言うか、大体よくよく考えたらあいつが告白なんてされるわけないじゃん。あれはきっとなんかいろいろそうなって成り行きでただ喋っていただけよ。そうに違いない。うちのヘタレなんかに恋する女子なんているわけがないのよ。そうよ、きっとそう。あの場を包んでいた雰囲気を自分で勝手に勘繰りすぎたのがいけなかった。私、どうかしてたわ。
 ぐるぐると考え込んでいたが、こうして結論が出ると途端に気が晴れていく。枕に突っ込んでいた顔を上げると、ずいぶん星が綺麗だった。そして月夜だ。ようし、電気を点けよう。いや待て、このまま下へ戻って思いっ切り功を茶化してからプリンを食べよう。それがいい。それで万事解決だ。
 あーあ、グダグダ悩んで馬鹿じゃん。そう想って半ば自嘲気味に私が頬を緩ませたその時、
「おーい。ちょっといいかなー」
 ノックとともに諸悪の根源の声がドアの向こうから聞こえてきたのだった。急いで電気を点けて、ベッドに腰かけて入室を促す。
 よし、普通だ、普通にしろ私。
「失礼しまーす」
 ドアが開いてやってきた功の顔を見て、ああやっぱり勘違いじゃないのかもな、と私は思わされた。
 良いことがあると、功は必ず私の部屋にやってくる。それはもう昔からの習性。テストで稀に取ってくる満点の答案を見せびらかしに来てみたり、近くの公園で捕まえたチョウが図鑑に載っていない珍しいやつだったことを自慢しに来たり。嬉しかったことをあいつは自分だけのものにしないで、私にも分けてあげようとする。もちろん単に私に自慢したい気持ちの表れだけだったりする場合もあったけど、功はそうして誰かに幸せを分け与えることで満足する子だった。
 そんな少し懐かしい面影を、どこか携えているように感じたのだ。
「なにさ。どうしたのよ」
「いや、まあ……ね」
 口ごもり視線を宙に泳がせ、椅子に座った功は机の上の文房具をいじっている。 
「暇なの? 宿題とか出てるでしょ」
「ん、あー……まあ」
「そろそろテストも来るんだし、ダラダラしてると痛い目みることに――」
 今日何があったの? どういう流れよあれは? 一体何をしゃべってた? 吐きな!
 尋ねたいことが次々思い浮かび、喉下へせり上がってくる。それをひとつひとつ押し込めていつもみたくぶつくさ小言を言いながら、私は功の言葉を待った。
 功は相変わらずはっきりしない態度をとる。ノートをパラパラとめくってみたり、教科書の付箋に触れてみたりしながら、曖昧な返事ばかりだ。
 どうにももどかしい。もう我慢できない。ええい、ままよ!
「黙ったままじゃわかんないっつの。えっと……その……学校で、なにかあったの? 何かあったのならお姉さまに話してみなよ。きいてやっぞ」
 思い切り茶化しながら、私は尋ねた。功は少し驚いたようにこっちに顔を向いていたが、しばらくしてようやく意を決したのか、おもむろに話し始めた。
「あのさ、俺さ……今日、告白っての? されたんだよね」
「はい?」
 やっぱり、か。
 でも私はもちろん、知らないふりだ。『今なんて?』感を全面に出しながら驚いたような声を作る。私は知らない、なにも知らないただの姉。姉なの。よし、おk。
 が。
「え?」
「え??」
「あれっ???」
「ええっ???? 何?????」
 なに、コレ。
「い、いや。俺恵姉のことだからてっきり『嘘乙』とか『ねーよw』とか言うもんだと思ってたから、この反応にびっくりっていうか……いや、冗談のつもりだったんだけど……あれ?」
「はいぃ???!!1」
 え、どゆこと? 冗談だってええ!?

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Neetsha