Neetel Inside 文芸新都
表紙

Sweet Spot!
16th.Match game3 《第Ⅹ種臨界状態突入へ》

見開き   最大化      

 赤っぽい服装に身を包んだ先輩の姿が、玄関ドアの摺りガラスを通してぼんやりと映っている。ワンコールでぱたりと止んでしまったインターフォンに、俺はさっき寺岡先輩を迎えたときとはまた違った意味で焦りを感じていた。駆け降りてきた階段。その先に先輩の姿を視認して深呼吸する。
 でも、いや、やっぱり。緊張は収まってくれそうにもない。胸をぎゅうと握り締められ、体の奥へ奥へぐいぐい押し付けられている気がする。それに妙に息苦しいし、水分を失ってしまったからか、喉の奥がかさついてきている。けれど、もうそれをカバーする分のツバもとっくにない。
 さあ、いよいよ。息を整えて二度目の身なり確認を済ませ、力いっぱい握った銀色のノブをひねろうとして……また逡巡。もう一回練習しておこうか。
 はじめの一言を最終確認する。電話の後でずっと考えていたセリフを、頭の中で繰り返しリハーサルする。……、……。よし、もう大丈夫。行こう。
 ドアを思い切り外へ向かって押し開けると、いきなり先輩と視線がぶつかってしまった。
「あ、こ、こんにちは」
 リハーサルは完璧だった。しかし、間違えた。最悪の出だし。お久しぶりです、お変わりありませんか? とかそういう気の利いた文言を考えていたのに。じゅうぶん自覚していると言えども、こうも異性に対して口下手だといいかげん死にたくなってくる。
「こ、こんにちはっ!」
 ただ、緊張しているのは何もこちらだけではないようだ。いつもと同じ綺麗な高音、からちょいと上ずった感じの声。すぐに俺から目線を外してその大きな瞳をキョロキョロさせ、靴箱以外に何も無い小ざっぱりした玄関を見回す先輩は、明らかに普段図書室で見せる落ち着いた感じではない。
「じゃ、じゃあどうぞ。もう寺岡先輩もいらしてますよ」
 何かもうとてもじゃないけど先輩の顔をまともに見ることができない。とにかく先輩を部屋へ先導しようと、回れ右をして右足を大きく前に踏み出す。次は多分左足だよな。うん。
「そ、そっか。じゃあおじゃまし……きゃっ!」
「え?」 
 それなのに、背後で声があがった。振り返らざるを得ないわけですねわかります。またばっちり目が合いませんように……そんな思いで振り返る。と、かがんだ先輩の足元には何枚ものプリントたちがぶちまけられていた。
「いっててて」
 先輩はうっすら赤くなった右すねをさかんにさすっている。どうやらつんのめって鞄を引っ繰り返してしまったらしい。見るからに痛そうだ。
「もう、何よこれ。来てイキナリこの失敗。はあ……。てへ、ドジしちゃった」
 先輩はしばらくぼうと散乱したプリント達に虚ろな目を向けていたが、思い返したようにこちらに顔を上げ、痛みにゆがんだ表情をふっと緩ませた。その、ドンマイです。
 いつもはおろしている長い黒髪。でも今日は何と言えばいいのか、頭のてっぺんで丸く団子のような、ちょんまげのような感じにセットされている。当然ながら文句のつけようがなく似合っている。お茶目さ3割増し、といったところだろうか。赤のワンピースが恵姉より少しだけ長身の先輩の体にぴったりとフィットしている。こう、何だかイイ感じだ。
「痛みますか? 救急箱もってきますね」
「ううん、大丈夫です。血とか出てないから。それにね、痛いの我慢するのは私の得意分野なの。小学校の時にね、前日に足を骨折してたのに気づかないで次の日体育の授業で跳び箱したくらいだし。5段を跳んだのよ。5段よ。すごいでしょ?」
「ええ、それは凄まじいです。むしろ誇っていいと思います」
「でしょ。これ大事だから覚えといてね」
「は? は、はい。ええと、じゃあとりあえずこいつらを拾っちゃいましょう?」
「はーい」
 そばに落ちているプリントから2人して拾い上げていく。どれもこれも丁寧な字で書かれている。字の巧い人は勉強もできる人が多い、というのが俺がこれまで生きてきた中で見出した経験則だ。異論は認めるけど。草原先輩はやはり頭の切れる人らしいな。
 ほとんどのプリントに、意味不明な途中計算式がずらずらと列挙されていた。
「これは……本当に数学か?」
「勿論数学のプリントです」
「ですよねー。あーあ。あ、これって順番とかあるんですか?」
「ううん、適当でオッケーだよ。来年渡瀬くんもこれやらされるんだよ。覚悟しなきゃね」
「萎えてきました」
 こうして2人でバラバラになったプリントを拾っているうちに、こんがらがりきっていた緊張の糸もあっさりとほぐれてしまった。

 意外だったのは、本当にみんなが神崎家に勉強をしにやってきたことだ。部屋に案内するなり、教科書を片手に女子たちは真剣な勉強会を始めてしまった。さすがに3人も女子が集まるともなれば、卒業アルバムを開いて昔の恋の話に華を咲かすなりファッション雑誌を見ながらお菓子をつまんでキャピキャピやったりするとばかり思っていたので、正直これには面食らう思いだった。雰囲気を壊したくなくて俺はずっと黙っていたけれど、正直詰まらなかった。
 結局それから夕方になるまで、静かな雰囲気を保って勉強会は続いていた。らしい。
「コラァ!」
 ……耳元で大声出されるとイライラしない? 人がこうしてぐっすり寝てるっつーのに。
「って、あれ?」
 いつ寝たよ、俺? 

       

表紙
Tweet

Neetsha